第105話 笑い上戸
聖君はその日、休憩に入らなかった。夕飯もお父さんが先に食べ、聖君はお客さんがみんな帰ってから、ようやくリビングに来た。
「は~、腹減った」
自分の夕飯を、トレイに乗せ聖君はリビングに来て、嬉しそうにいただきますと元気に言って、食べだした。
杏樹ちゃんと私は、先に夕飯を食べ終わっていて、聖君のお母さんはどうやら、カウンターで食べているようだった。
「今日はもう、帰っていいってさ。桃子ちゃん、俺が食べ終わったら帰ろうね」
「え?片付けは?」
「父さんがしてくれるって」
「そうなんだ」
「紗枝ちゃん、あのあと元気になってた?」
突然、聖君が聞いてきた。
「うん」
「そっか」
杏樹ちゃんはテレビを観ていた。
「あ!○○だ。かわいい!」
「本当だ。ちょっと籐也君に似てるよね」
私がそう言うと、杏樹ちゃんが眉をしかめた。
「そうかな。○○のほうが、ずっとかわいいと思うけどな」
そうかな。
「ああ、そういえば、似てるかもな」
聖君がぼそってそう言った。
「花ちゃん、ファンなんだよ」
「へえ、そうなんだ。あ、もしかして籐也に似てるから?」
「うん」
「籐也、そういえば、どうしたかな」
「何が?」
「ちゃんと花ちゃんのこと、デートに誘えたかなって思って」
「え?いつ?」
「昨日メールがあって、次の約束がなかなかできないってぼやいていたから」
「…デートの?」
「デート誘うだけで、あんなに悩むかな」
「籐也って、お姉ちゃんのことくどいてた、あの籐也でしょ?」
杏樹ちゃんが聖君に聞いた。
「そう、その籐也」
「へえ。そんなにおくてなんだ」
「な?桃子ちゃんには、あんなにがんがんに迫ってたくせしてな」
聖君が、ちょっと楽しそうに杏樹ちゃんに言った。他人事だと思って、楽しんでるな、こりゃ。
聖君は夕飯を食べ終わると、食器を持ってお店に行った。そしてすぐに戻ってきて、
「さ、帰ろうか」
と私に言ってきた。
「え?もう?」
杏樹ちゃんが驚いている。
「うん。桃子ちゃんもあまり遅くなると、疲れちゃうからさ」
「そっか~。なんだ~~。どうせなら、明日も日曜なんだし、泊まっていけばよかったのに」
杏樹ちゃんが、残念そうにそう言うと、
「あ、その手があったか」
と、聖君はぽんと手をたたいた。
「でも、着替えも何もないしな~~」
私がそうつぶやくと、
「私の貸すけど?」
と杏樹ちゃんが言った。
「だけど、私、お腹大きくなってきたし、杏樹ちゃんのサイズのもの、入らないかも」
「え~~、そうかな」
「下着の着替えもないしな~」
「だよな~」
聖君も隣で、つぶやいた。
「今日は帰る?桃子ちゃん」
「うん」
「え~~ん。さびしいな」
「俺がいなくて?」
杏樹ちゃんの言葉に聖君が聞き返すと、
「まさか。お姉ちゃんが帰っちゃうからだよ!」
と杏樹ちゃんは、言い返してきた。
「ちぇ」
聖君は、そう口をへの字に曲げて言ったが、さっさとカバンを持って、
「さあ、帰るべ、帰るべ~~」
と、玄関に向かった。
「桃子ちゃん、車出してくるから、もうちょっと待ってて」
「うん」
私はそう返事をして、ソファーに座りなおした。
「お姉ちゃんさ、ずっとお兄ちゃんといるのと、ちょっとは離れているのと、どっちがいい?」
杏樹ちゃんが聞いてきた。
「え?そ、そりゃあ、ずっと一緒がいいよ」
「そうなんだ」
杏樹ちゃんは違うのかな。
「彼氏、元気?」
私は気になり、聞いてみた。
「うん」
あれ?なんか沈んでない?
「何かあった?」
「…一応ね、受験生なんだし、もう受験終わるまで、デートは控えようって言われたの」
「あっちから?」
「うん。でも、塾でも学校でも会えるんだけどさ」
「そっか」
「ま、いいんだけどね」
「え?いいの?」
「うん…」
「本当に?」
「うん」
そのわりには、顔が沈んでるよ?
「高校、別になるかもしれないし」
「え?」
「彼、頭いいんだ。私じゃ絶対にいけそうもないところを、受けるみたい」
「そっか~」
「だから、中学卒業したら、結局別れることになるんじゃないかな」
「え?そうなの?」
「だって、違う高校行くんだよ?」
「私と聖君も違う高校だったよ」
「あ、そっか」
杏樹ちゃんはそう言って、また暗い顔をした。
「別れたくないんじゃないの?」
「うん」
あれ?なんだ。いきなり素直になった。
「でも、あっちはどう思ってるかわかんない」
「え?」
「さほど私のこと、思ってないのかもしれない」
「それはわかんないよ?」
「そうかな。なんか私よりも勉強のほうが大事みたいだし」
「…」
そうか。まだ中学生だもんね。相手も、いい高校目指してるなら、必死かもしれないし。
「自分の気持ちはちゃんと伝えた?」
私が聞くと、杏樹ちゃんはくるくると首を横に振った。
「受験前だから、そういうことあまり言いたくない」
「彼のために?」
「うん」
そうか。杏樹ちゃんのほうは、彼のこと好きなんだろうな。
「お待たせ」
聖君が元気に店のほうからやってきた。
「店の前に車持ってきたから、こっちから出よう」
「え?うん」
聖君は私のカバンも持って、さっさとまた店のほうに行ってしまった。
「じゃ、杏樹ちゃん、またね。話はいつでも聞くからメールでも電話でもしてきてね」
私がそう言うと、杏樹ちゃんは、
「うん」
と嬉しそうにうなづいた。
あ、もしかして、そういう話を私にしたかったのかな。
聖君のお母さんが、スコーンを持たせてくれた。そして、聖君のお母さん、お父さんとクロまでが、車のまん前まで見送りに来てくれた。
「じゃあ、お父さん、お母さんによろしくね」
「はい」
私は車に乗り込み、聖君は車を発進させた。
「は~~」
聖君は大きなため息をした。
「どうしたの?」
「なんかさ、今日もいろいろとあったなって思ってさ」
「そうだね」
「紗枝ちゃんのことは、よかったなって思ってるけどさ」
「あ、それ、私も思った」
「え?」
「芹香さんが来たことで、聖君と紗枝さんの溝が埋まったって言うか、絆ができたって言うか」
「絆?」
「うん。心をお互い開けた感じがしてない?」
「ああ、そうかもね」
「芹香さんのことがなかったら、まだ、ぎくしゃくしてたかもしれないでしょ?」
「これもまた、必然ってか?」
「うん」
「はは。そうだね」
聖君は、さわやかに笑った。
「ね、聖君」
「ん?」
「私思ったんだけど」
「うん」
「桐太のときも、なんでこんな目に合わなきゃならないんだって思ったけど、でも、あんなことがあったから、聖君と結ばれたでしょ?」
「うん。あんなことがあったから、俺に抱かれたいって思っちゃったんだもんね?桃子ちゃん」
「…」
なんで、そういう言い回しをするかな。私の顔が一気にほてっちゃったじゃないよ。
「だから、桐太のおかげって言えば、おかげなんだよね?」
「だね」
「今日は芹香さん、ひどいこと言ったりしてたけど、でもそのおかげで、紗枝さんと聖君、心開けたじゃない?」
「うん」
「そうやって、悪役をかって出てくれてるんじゃないかって、そんなこと感じたの」
「悪役?わざわざ?」
「そういう人も、人生には必要なんじゃないかなって」
「…かもね」
「なんだか、そう思ったら、芹香さんのことも憎めないなって思っちゃって」
「だから、桐太のことも許したの?」
「ううん。桐太は、あっちが心開いてくれたから。なんだ、実は優しい人なんじゃないって、それがわかったからなんだけど」
「芹香さんもそうだと思う?」
「え?」
「心開いたら、変わるかな?彼女」
「うん。きっとね」
「相当偏屈だと思うけど」
「…」
「ま、いっか。もしかするとさ。その心を開いてあげるのは、俺らの役目じゃないかもしれないし」
「え?」
「他の誰かの役目かもしれないでしょ?それはわかんないじゃん」
「うん、そうだね」
聖君は、ラジオをつけた。するとちょうど、聖君が好きな唄が流れ出した。それに合わせて、聖君は気持ちよさそうに歌っている。
反対車線を走る車のヘッドライトが、すごく綺麗だ。聖君の優しい歌声と、優しい運転と、そして夜の道は、なんだかマッチしていて、私はうっとりと外を眺めていた。
「桃子ちゃん?」
「ん?」
「もう少しドライブ楽しむ?」
「え?どうして?」
「なんだか、うっとりと外の景色見てたから」
「…わかった?」
「うん」
「でも、聖君、早く帰りたいでしょ?今日疲れてるでしょ?休憩もなかったし」
「ま、ね…」
「早く帰って、お風呂に入ろう、聖君」
私がそう言うと、聖君は目を輝かせ、
「うん!」
と元気に返事をした。うわ。ほんと、かわいいんだから。まいっちゃうな~。
「そっか。桃子ちゅわん、俺と早くに風呂に入りたいのか。もう、まいっちゃうな~~」
聖君はでれでれの顔になりながら、そう言った。
ええ?それは聖君のほうでしょ?と思ったけど、あまりにも聖君が嬉しそうだから、私は黙っていた。
聖君は家に帰ると、案の定、ものすごく機嫌よくただいまって、家に入っていき、そして、
「聖君、おかえりなさい。お風呂開いてるけど」
という母の言葉の途中で、
「入ります!」
と元気にそう答え、さっさと私を連れて、2階に上がっていった。
ああ、ほんと、わかりやすいよな~~。
「さ、お風呂、お風呂」
聖君はにこにこしながら、着替えを出し、
「桃子ちゃんも早く、早く」
と私をせかした。
「わかってるよ。あ、聖君、さきに行ってて」
「え?うん」
聖君は元気に一階に下りていった。
「さて、困ったな」
私は実は、パンツをどれにするかで、悩んでいた。お腹が大きくなり、今までのでは、もうぱんぱんになってきている。
一応、大きめのとか、マタニティ用のとかも、買い揃えてあるんだけど、これ、どう見ても見栄えがよくない。はっきり言って、ばばくさい。
こんなのはいたら、聖君、いやがらないかな。
しばらく悩んだ。でも、ぱんぱんのをはいてるのも、見栄えがよくないよね。仕方ない。ちょっと大き目のパンツを手に取り、私は一階に下りていった。
お風呂場に入ると、
「遅いよ、桃子ちゅわん」
とすでに、体も洗い終えたのか、バスタブにつかっている聖君がいた。
「迷っちゃって」
「え?何を?風呂に入るかどうか?」
「ううん。パンツ」
「へ?」
「もう、今までの小さくて入らないんだもん」
「大きいのないの?俺のでもはく?」
私は思い切り首を横に振った。
「ある。ただ…」
私がいすに座り、体を洗おうとすると、聖君はバスタブから出てきて、
「俺が洗うよ」
と私のタオルを、手にとってしまった。
「聖君」
「うん」
「パンツ、ばばくさい」
「へ?」
「いやじゃない?」
「何が?」
「そういうばばくさいパンツはいてるの見るの、いやじゃないの?」
「…」
聖君はしばらく黙り込んだ。そしてそのあと、ぶぶっと思い切りふきだした。
「何?それで悩んでたの?もしかして」
「う、うん」
「あはははははは、駄目だ、腹いて~~~!!!桃子ちゃん、面白すぎ!」
あれ?笑うところ?そこ。
「どうして、そんなに面白いんだよ、いっつも」
いっつも?
「前には確かさ、子供っぽい下着で、恥ずかしいって言ってたよね?」
「うん」
「今度は、ばばくさい下着?!」
「だって、本当にそうなんだもん」
「俺、そんなの気にしないって」
「ほんと?」
「本当だよ。なんで、そんなの気にするんだよ」
「…」
私が黙りこむと、聖君はまた、ひ~~って声を出さずに笑っている。
「そんなに笑うこと?」
私がそう聞くと、聖君は黙ってこくこくとうなづいて、また、ひ~~って笑い出した。
「いいよ、無理して笑いこらえないでも。声出して笑えばいいじゃん」
私がそう言うと、聖君は後ろを向いて、笑い転げていた。
聖君ってそういえば、一回つぼにはまると、ずっと笑い続けるんだっけね。忘れてたよ。