第103話 パワーをあげる
ランチタイムが過ぎて、お客さんが減ったので、私はカウンターでお昼を紗枝さんと食べた。
「桃子ちゃん、結婚したんだって?」
いきなり紗枝さんが言ってきた。
「は、はい」
「おめでとう。赤ちゃんもできたって」
「はい」
「っていうことは、その…」
紗枝さんは、言葉を詰まらせ、真っ赤になった。
「?」
「聖君とはもう、その…」
「?」
「そういう関係に…。あ、当たり前だよね。だから赤ちゃんできたんだもんね」
そういう関係って?あ!
私まで真っ赤になってしまった。
「あ、あの…」
うわ。なんて言ったらいいんだか。
「ちょっと、それが信じられなくて、ずっと受け入れられなかったの」
「え?」
受け入れられないって、もしかして、メグちゃんみたいに?
「なんだか、そんなイメージがなかったっていうか、プラトニックなんだろうなって、勝手に思ってたから」
プラトニック?!
「だって、桃子ちゃん、そいうことしなさそうだし、聖君も、手を出さなさそうなイメージがあって」
「…」
ど、どんなイメージ?
「だけど、付き合ってたらやっぱり、そいうことするんだよね。あ、ごめんね。私、男の人と付き合ったことないから、そういうの無知で…」
困った。なんて答えたらいいのか。
「聖君も、男なんだよね」
「あ、もしかして、聖君が怖くなったとか?」
「え?」
「接していくのが、嫌になったんですか?」
「ううん。そういうのはないの。ただ…」
また、紗枝さんは真っ赤になった。
「本当に私は、付き合ったこともないから、想像すらできないんだけど、でも、ちょっと羨ましいっていうか」
「は?」
羨ましい?え?なんで?
「聖君って、優しい人だって思ってたの。私がコップを割ったときも、すごく優しかったし。桃子ちゃんと話してるのを見ていても、あ、クリーム鼻についてたのを取ってあげたりしたでしょ?それ見て、優しい人なんだ。良かった。私も優しくしてもらえるなんて、勝手に思い込んじゃって」
「え?」
「でも、あの日の帰りに、聖君は私がイメージしてる聖君とは違うってわかって、バイトに来てからも、桃子ちゃんに対しての聖君と違ってて、私、どう接していいか、どんどんわかんなくなっちゃって」
「そんなに違ってたんですか?」
「うん、なんか、どこかで線を引かれてるっていうか、桃子ちゃんに見せる笑顔と全然違ってたよ」
そうか。そういうの察してたんだ。
「桃子ちゃんにだけ、優しいんだって、なんとなくわかった。だから、すごく羨ましかった。そのうえ、赤ちゃんができたからって、結婚までしちゃって。すごいなって、桃子ちゃん、いいなって羨ましかったよ」
「…」
そうなんだ。そんなふうに思ってたんだ。
「桃子ちゃんはもう、聖君に身も心も捧げちゃってて、体ごと愛されちゃってるんだもんね」
どひゃ!その表現はさすがに恥ずかしい。私は真っ赤になってしまった。それを紗枝さんが見て、
「いいな。大事にされてるんだよね」
とつぶやいた。
「聖君は、私だけじゃなくって、妹も、友達も大事にしてます」
「杏樹ちゃんでしょ?」
「それに菜摘や、私の妹のひまわりもだし、ここでバイトしてる麦さんや、桜さんや、朱実さんのことも」
「私は違うんだよね。それ、見ててすごくわかる。聖君、笑顔引きつってるもん」
「心開いちゃえば、聖君、受け入れてくれますよ?」
「心を開くってどうしたらいいの?それがわかんない」
「えっと…、素直になるっていうか、正直に自分の思ってることを言うっていうのかな」
「できないよ」
「なんでですか?」
「怖いもん。今だって、聖君、怖い…。私、きっと嫌われてるよね」
「…」
嫌ってはいない。でも…。
「聖君、もともと女の子苦手なんです」
「…私のことも、苦手ってことでしょ?」
「他の子もです」
「でも、麦ちゃんや、朱実ちゃんは違うんでしょ?」
「…わからないです。初めは、緊張してたかも」
「…」
紗枝さんは黙り込んだ。
「紗枝さんは、聖君、嫌いですか?」
紗枝さんは、首を横に振った。
「聖君や、聖君のお母さんのいるこの店で、働いていたいって思ってるよ」
「じゃ、嫌ってはいないんですよね?」
「嫌いだったら、とっくにやめてる」
そうか。
「反応が怖いんだよね」
「え?」
「前のバイト先でもそうだったの。最初優しかった人がいたの。あれこれ教えてくれて、私、嬉しかった。でも、バイトの子が二人いっぺんにやめて、忙しくなったら、その人、なんだか態度ががらりと変わって」
「それはしかたないと思います。忙しかったら、その人も、大変だと思うし」
「うん、そうなんだけど、でも、私のほうがどう接していいかわからなくなって。どんどん話しかけずらくなって、でも、へますると怒られて」
「…」
「優しい人だと、話しやすいけど、一回でも怒られると私、萎縮しちゃうみたいで」
「聖君、怒ったんですか?」
「ううん。怒られてはいない。でも、なんとなく表情が冷たいってこともあるし、声が低いこともあって。きっと、今、心の中じゃ、怒ってるとか、私、嫌われてるとか、そういうふうに感じちゃって」
そうか。
「桃子ちゃんが羨ましい。いつでも、聖君、優しいんでしょ?」
「えっと。私も嫌われるのが怖くて、言いたいことが言えないこともあったし、最初は何を話していいかわからなくって、黙り込んでたこともあったし」
「え?」
「聖君のこと、いらだたせてることもありました」
「桃子ちゃんが?」
「はい。聖君って、けっこう短気なんです。男友達には、がんがん言いたいこと言っちゃってるし」
「桃子ちゃんにも?」
「え~~と、私にも、心のうちを見せてくれるけど。でも、多分、友達に見せるのとは、違うかもしれないけど」
「どんな聖君なの?」
「それは、あまりばらしちゃうと、怒られちゃうかも」
「怒ること、やっぱりあるの?」
「あ、怒るっていっても、声が低くなって、その…」
「おっかない?」
「ぜんぜん…。聖君、怖くないですよ」
「…そうかな」
紗枝さんは、ご飯がなかなか進まないようだ。私は食べ終わってしまい、
「食器片付けてきますね」
と言って、カウンターを離れた。
キッチンに行くと、聖君がガチャガチャと手際よく洗い物をしていた。お客さんは、一組しかいなくて、それも、ランチのあとのコーヒーも飲み終わり、のんびりとしている。
「ごちそうさまでした」
私が食べ終わった食器を、聖君のところに持っていくと、
「桃子ちゃん、どうだった?」
と聖君が聞いてきた。
「え?」
「紗枝ちゃん、なんか言ってた?」
「うん」
「俺、これから昼なんだ。リビングで食べるから、聞かせてもらってもいい?」
「うん」
「じゃ、先にリビング行ってて」
「わかった」
私は、リビングに向かった。聖君も、
「母さん、俺の昼飯はリビングにお願いね。じゃ!」
と言って、後ろからやってきていた。
カウンターに座っていた紗枝さんはそれを聞き、慌ててご飯を食べ終え、食器を片付けようとしていた。
リビングにはクロと聖君のお父さんがいた。
「おや、聖、昼飯?」
「うん、父さんは食べ終わった?」
「うん。じゃ、食器を片付けるついでに、店の手伝いでもしてこようかな」
「仕事は?」
「ひと段落ついたところ」
「そっか。じゃ、俺ゆっくり食べてもいい?」
「いいよ。くるみも食べ終わったのかな?」
「母さんはまだ。父さんがキッチンに入ったら、食べられるんじゃない?」
「そうだね。あ、桃子ちゃんもゆっくりしてていいからね」
聖君のお父さんはそう言うと、お店のほうに行ってしまった。クロは、私がソファーに座ると、私の足元にひっついて寝転がった。
「聖、はい」
すぐに聖君のお母さんが、聖君のお昼を持ってやってきた。
「サンキュー。母さんも食べる?」
「私はカウンターで食べるわ」
「そう?」
「桃子ちゃん、ゆっくりしてて。今日、忙しかったし、疲れたでしょ?」
聖君のお母さんは私のほうを向き、優しく話しかけてきた。
「いえ、大丈夫です」
「これからは、爽太も手伝ってくれるし、早めに桜さんのお母さんが来てくれるっていうし、もうお店のほうは大丈夫だから」
「はい」
聖君のお母さんは、またお店のほうに戻っていった。
「は~~~~~。やっとこ、昼飯」
聖君はそう言うと、いただきますと元気に食べだした。あ、よかった。元気そうだ。
「うめ!」
聖君があのかわいい笑顔で、そう言った。よかった。ほんと、安心した。
ずっと、紗枝さんの前では、無表情だったし、なるべく目を合わせないようにしてたのもわかってた。
聖君はご飯を美味しそうに食べてから、水を飲み、
「は~~。腹がいっぱいになると、気持ちにも余裕が出るよね」
と言って笑った。
「さっきは、俺、暗い顔してなかった?お腹空いてると、気持ちも暗くなるっていうか、紗枝ちゃん、俺のこと怖がってなかった?」
あ、自覚してた?
「怖いって言ってた」
「まじ?やっぱり?」
聖君の顔が引きつった。
「やべ~。もっと笑顔で接しようと思ってるんだけどさ」
そう言って、頭を抱えてしまった。
「あ~~あ。俺、桃子ちゃんの学校ではあんな偉そうなこと言って、てんで実行できてない」
「実行?」
なんのかな。
「大事な人は大事にする」
「え?でも」
紗枝さんのことだよね?
「母さんが前に言ってた。れいんどろっぷすで働いてくれてる人はみんな、家族なんだって。だから、大事にしようねってさ」
そうか。そういうことか…。
「でも、俺、駄目だよね。ほんと…」
聖君、落ち込んでる。
「怖がられちゃったか。俺、嫌われたかな…」
「ううん。嫌ってないよ。むしろ好きなんだと思うよ」
「へ?紗枝ちゃんが?」
「うん。怖いのは嫌われること。聖君の表情を見て、嫌われてるかもって思っちゃうみたい」
「そっか…」
「それに私が聖君に大事にされてるのを、羨ましいって言ってたし」
「羨ましい?」
「優しくしてもらってるのも、大事にしてもらってるのも、羨ましいんだって」
「…」
聖君は顔が固まった。
「それに結婚したのも、赤ちゃんがいるのも、なんか全部羨ましいみたいだよ?」
「えっと。それって…」
あ、聖君、今、ものすごく困ってる?
「あ~~。それってさ、桃子ちゃんどう思う?俺のこと、一人の男として意識してて、桃子ちゃんが羨ましいのかな。それとも、ただ、自分も彼氏とかが欲しいって思ってるのかな」
「わかんない。だけど、聖君に対しては、好意を持ってると思う」
「嫌われてはいないんだ」
「うん」
「そっか…」
聖君は一点を見つめた。
「あのね…」
「ん?」
聖君は私のほうを見た。
「紗枝さん、なんかね。人に心を開くの、苦手なのかも」
「え?」
「一回、怒られたりすると、怖くなるみたい。前のお店でもそうだったって」
「俺、怒っちゃったのかな?そう思われたかな」
「ううん。聖君は怒ってないって。でも、顔色とか見ちゃうのかもしれない」
「そっか」
「そうすると、話しかけるのも、きっと勇気がいることになっちゃうんじゃないかな」
「え?」
「恐々、話しかけるようになっちゃうんじゃないのかな」
「…」
聖君は黙り込んで、また一点を見つめた。
「俺が怖がらせちゃったんだよね…」
「ううん。きっと、紗枝さんが勝手に、聖君のこと、あれこれ決めてかかっちゃったんだと思うよ」
「そういえば、俺のこと、こんなやつだって、思い込んでいたっけ」
「そうじゃないってわかって、きっと戸惑っちゃったんだよ」
「…」
聖君は私のことを黙って見つめた。
「ね。桃子ちゃんは、俺のことどう思ってた?」
「え?」
「第一印象。それから、そのあとも。俺のことどんなやつだって思ってた?」
「…」
私はそう聞かれて、考え込んだ。
「第一印象は…、笑顔が素敵で、一生懸命に働いていて、なんかそれだけで、惹かれてたかな」
「うん」
聖君は顔が少し赤くなった。
「それからは…。それからは、あまり私と話をしてくれなくて、寂しかったけど、でも…」
「でも?」
「笑顔が素敵だなって、ずっと思ってたかな」
「…それだけ?」
「え?」
「優しそうだの、おっかなそうだの、そういうのはないの?」
「内面のこと?」
「うん」
「それは、徐々に聖君と近づいていって、わかっていったかな」
「どんなやつだって、わかった?」
「優しい」
「俺が?」
「うん。優しかった、すごく。それから、花火を見てる目、きらきらしてたり、友達とふざけてるときも、思い切り笑ってて、なんかいつでも、楽しんでいるんだなって、そんなふうに思ってた」
「そっか」
「それ、当たってたよね?」
「俺、優しかったかな」
「優しかったよ。いつでも…」
「…だけど、情けないやつだとは思わなかったの?情けないところも見せてたでしょ?」
「思わなかったよ」
「ほんとに?」
「菜摘のことで、苦しんでいるんだろうなって、私、何か役に立てることないかなって、そういうことばかり思ってて、役に立ってるって言ってくれたとき、すごく嬉しかった」
「桃子ちゅわん」
「え?」
いきなり聖君が抱きしめてきた。
「だよね。桃子ちゃんって、いつもそんなふうに、俺のことばかりを思ってくれてたよね」
「え?」
「俺の役に立てること、喜んでいたし。俺が傷ついたりしてないかって、気遣ってくれてたし、自分はつらいの我慢して、俺から離れようとしてみたりさ…」
「…」
「俺、感動」
「?」
「やっぱ、桃子ちゃんが奥さんでよかった」
「?」
なんか、話がずれてきてるような。ううん、そう言ってもらえるのは、嬉しいんだけど。
聖君は抱きしめてた腕をゆるめて、私にキスをしようとしてきた。でも、すぐ近くまで唇を寄せていたのに、やめてしまった。
なんで?
「紗枝ちゃん、何?」
聖君がくるりと後ろを向き、誰もいない壁に向かって話しかけた。いや、誰もいなくはない。人影がある。
「ごめんなさい。立ち聞きするつもりは全然…。あの、食後のコーヒーを持っていってあげてって、聖君のお母さんに頼まれて…」
「ああ。そっか。ありがとう。じゃ、悪いけど、これ、片付けてもらってもいいかな」
聖君は、コーヒーカップを受け取ってから、食べ終えた食器を紗枝さんに渡した。
「あ、はい」
紗枝さんは、真っ赤になりながらそれを受け取り、慌てて、店に戻っていった。
「び、びびった」
聖君が顔を青くしながらそう言った。あれ?さっきまで、クールな顔してたのに。
「テレビに人影が映ってるのが見えてた。まじ、びびった。誰が覗いてるのかと思ったけど、紗枝ちゃんだってわかってさ。ああ、なんで話しかけてきてくれないかな」
「話しかけるのも、きっと」
「勇気がいること?」
「うん、多分」
「そっか。は~~~。なんかさ、俺の周りって、桃子ちゃんとキスしてたって、遠慮なく上がってきて、文句言うやつばかりじゃん?」
「え?」
「たとえば、桜さんでも、麦ちゃんでも、ひまわりちゃんや、杏樹だって」
「ああ、そういえば」
「だから、あんなふうにそっと見られると、びびるよね」
「う、うん」
でも、もし私だとしても、話しかけられないだろうな。っていうか、ちょっと見ただけでも慌てちゃって、その場から逃げ出してると思う。
「桃子ちゅわん」
あれ?また甘えモード?
「どうしよう。俺、やっぱり、紗枝ちゃん、苦手かも…」
ありゃりゃ~~。振り出しに戻っちゃったか。
私のことを抱きしめてきた聖君の頭を、優しくなでた。
「きっと、いつか、大丈夫になるよ」
「そうかな?」
「弱気の聖君もかわいいよね」
「桃子ちゃん」
「え?」
「やっぱり、変態…」
「そ、そう?」
「そんな変態の桃子ちゃんも、俺、大好きだけどさ」
「…」
やっぱり、バカップルだ。なんて思ってる場合じゃないかな。ううん。聖君にはちょこっと、しばらく精神的にもきついかもしれないけど、もしかしてもしかすると、乗り越えないとならないことなのかな。
でもね、聖君。
「聖君には私がついてるからね」
私はそう言って、ぎゅって聖君を抱きしめた。
「うん。一万馬力だね」
「…それ、こういうときに言うっけ?」
「じゃ、鬼に金棒」
「それも、こういうときに言う?」
「あれ?じゃ、え~~と」
聖君が考え込んだ。でも、なんだか、いつものかわいい聖君に戻ってて、私はほっとした。
「桃子ちゅわん」
「え?」
「休憩もらえたら、部屋でいちゃつこうね」
「…」
「なんで無言?もしかして呆れてる?」
「ううん。ちょっと嬉しいなって思っていただけ」
「もう~~、桃子ちゃんってば、エッチ!」
「…」
ああ、もうしっかり、すっかりいつもの聖君だ。
私は聖君をもう一回、力強く抱きしめた。聖君も、
「むぎゅ~~」
って言って、抱きしめてきた。
「やっぱ、桃子ちゃんパワー、すげ!」
なんてかわいい声で言ってるし。ああ、そんな聖君を見てるだけで、なぜだか私も力がわいてくるんだよ。不思議と…。