第101話 広がる輪
その日、教室では、私はずっとハラハラしていた。平原さんと富樫さんはこっちを見ながら、ひそひそ話しているし、それを菜摘はにらみつけているし。
小百合ちゃんは今日は、つわりもそんなにひどくなく、お昼のときだけ、匂いがつらいと保健室に行ったが、その後もどうにか授業に出ることができた。
「彼と昨日の夜電話で話したんだ」
昼休み、保健室に、私と菜摘が行ったとき、小百合ちゃんは話をしてくれた。
「私は迷惑をかけてないか、彼の未来を台無しにしていないか、負担になっていないか」
「そうしたら、なんて言ってた?」
菜摘が聞いた。
「大丈夫だって。返って、仕事も頑張れてるし、そんな心配必要ないって言われた」
「そっか。よかったね」
私がそう言うと、小百合ちゃんは嬉しそうに笑った。
「今度の大安の日に、籍を入れることにしたの。そのあと、私の家で、彼も暮らすようにするって」
「へえ。桃子のところと一緒か~」
「うん。高校通ってる間は、うちのほうが近いし。高校卒業して、子供生まれて落ち着いたら、アパート借りて二人で暮らす」
「そっか…。いいな。新婚さんだね」
菜摘が羨ましそうに言った。
「新婚?そっか。そうだよね」
小百合ちゃんは顔を赤らめた。
「式はどうするの?」
私が聞くと、
「子供生まれて落ち着いたら考えようって」
と、小百合ちゃんはまだ、顔を赤くしたまま答えた。
「桃子もでしょ?」
「うん。子供生まれてからにする」
「教会で式を挙げるの?」
「ううん。まだ決めてないけど、紋付袴もタキシードも着てほしいから、教会じゃないところかな」
「へ?」
菜摘の目が点になった。
「それ、兄貴にってこと?」
「うん!」
私が嬉しそうにうなづくと、菜摘は呆れたって顔をした。でも、小百合ちゃんは、
「聖君、紋付袴も、タキシードも似合いそう。きっとかっこいいね」
と目を輝かせてそう言ってくれた。
「いやいや、結婚式の主役は花嫁でしょう」
菜摘がそう言った。
「ううん。聖君だよ。絶対にかっこいいよ」
「おいおい」
菜摘は横で私に、つっこみをいれていた。
そんなこんなで、今日はヒヤヒヤしたものの、何事もなく無事帰れそうだ。
帰り、蘭は進路指導の先生に呼ばれていて一緒に帰れず、花ちゃんも、美術部の後輩に用を頼まれ、一緒に帰れなかった。
「桃子~~。ちょっと待っててくれる?苗代さん、一緒に帰れる?桃子と教室で待っててくれるかな」
「うん。いいよ」
菜摘は、卒業アルバム委員というのになってしまい、今日は簡単な打ち合わせがあるらしい。
「まだ9月なのに、もう卒業アルバムの製作が始まるんだね」
「うん」
私と苗代さんは、席に座ってそんな話をしていた。
「苗、ちょっといい?」
そこに富樫さんと平原さんが来た。
うそ。教室にいなかったから、もう帰ったかと思っていたのに。
「苗代さん、ここで菜摘を待っていようよ」
私がそう言うと、苗代さんも、
「うん。私、ここで榎本さんと待ってるから、悪いけど用があるなら今度にして…」
と、二人の顔も見ないで、そう言った。
平原さんと富樫さんは、怖い顔をしたが、
「行こう、果歩」
と教室を出て行ってしまった。
「よかった」
私は胸をなでおろした。菜摘も蘭もいなくて、どうしようかと思った。
いや、菜摘や蘭がいないから、あの二人は近づいてきたんだ。ああ、私じゃ頼りにならない。私は苗代さんを守れないのかな。
苗代さんは、顔色が悪かった。唇をぎゅってかみ締め、一点を見つめている。
「大丈夫?」
気になって聞いてみた。
「う。うん」
苗代さんはうなづいたが、大丈夫って顔はしていない。
「もしかして、苗代さん、あの二人に何か言われてたりするの?」
「え?」
「私たちが知らない間に…」
あまりにも顔色が悪いから、私は心配になった。
「…う、ううん」
苗代さんの目が泳いでいる。ああ、きっと何かあったんだ。
「いいよ、話してくれても。私も菜摘や蘭も、苗代さんの味方だよ」
「…」
敵、味方って言い方も変かな。でも、私もひまわりにそう言ってもらったとき、嬉しかったし。
「榎本さんの負担にならない?」
「大丈夫」
「…昨日二人が、うちに来たの」
「え?家近いの?」
「ううん。近くないよ。でも、来たの」
「そ、それで?」
「近くの公園で話をしたの。あの二人、今すぐに桃子ちゃんたちから離れなって言ってきた」
「うん、それで?」
「私、嫌だって言ったの。そうしたら…」
ゴク。苗代さんの顔が、青白くなっていくのがわかる。
「中学のときみたいになっても、知らないよって」
「何?それ」
「私、中学のころ、いじめにあってたことがあって、それで高校は私立にしたの」
ええ?!
「果歩と椿、それを知ってた」
「…」
ひどい。それを知ってて脅してきたんだ。
「…。どうしてそれを知ったのかもわからないけど…。でも、私」
苗代さんは見る見るうちに、震えだし、泣きそうになっている。
「大丈夫!」
私は苗代さんの両肩をつかんだ。
「大丈夫だから!ね?」
他には何も言葉が浮かばなかった。でも、私が力強く言ったからか、苗代さんはちょっと安心したような表情を見せた。
「ごめんね、榎本さん。私も中学のころ、つらい目にあったっていうのに、榎本さんのこと悪く言って、傷つけて。でも、椿と果歩は、高校2年のころから、一緒のクラスだったし、あの二人から離れるのも怖かったの。一人にはなりたくなくって、一緒になって悪口言ってたら、あの二人から見放されないですむかなって、そんなこと思ってて」
「…」
「だけど、それじゃ何も、自分は変わらない。自分が受けたことを人にしてるだけで、自分が変わらないと、大事に思える人も、大事に思ってくれる人も、現れないんだって、聖君の話を聞きながら、思ってたんだ」
ああ、そうか。聖君の言葉が苗代さんの心に響いたのは、そんな体験をしたからなのか。
「菜摘にも今の話、してもいい?」
「うん」
苗代さんはうなづいた。
菜摘が教室に戻ってきて、私たちは3人で駅に向かった。その間に、平原さんと富樫さんの話をした。
「え?!何よ、それ。脅してきたってこと?信じられない!」
菜摘は案の定、憤慨した。
「あの二人、まじ、むかつく!」
鼻息も荒くそう言うと、
「でも、大丈夫だから、苗!私たちがついてるからね」
と、菜摘は力強くそう言った。
「え?」
苗代さんは一瞬驚いて、
「苗って呼んでくれるの?」
と菜摘に聞いた。
「だめ?」
菜摘が聞くと、
「ううん」
と首を横にふり、嬉しそうに微笑んだ。
「私も苗って呼ぶ」
私がそう言うと、また嬉しそうに笑った。
「私らのことも呼び捨てでいいからさ」
菜摘がそう言った。苗代さんは、にこりとまた笑って、ほっとため息をついた。
「そんなこと言われて、怖かったでしょ?でも安心してね」
私がそう言うと、
「そうだよ。桃子がいたら、鬼に金棒だから」
と菜摘が言った。
「え?私、鬼に金棒?」
「そうだよ。もう、力強いったらないんだから」
菜摘がまた、目を輝かせてそう言った。
そ、そうか。そんなふうに菜摘に思われてたか。それってあれかな。やっぱり桐太を殴っちゃったから、そう思われてるのかな。
「桃子には、もれなく強い兄貴がついてくるしさ」
へ?
「桃子が大事に思う人は、兄貴も全力で守ろうとするから」
ああ、鬼に金棒は聖君のこと?
「私や、蘭もいるし。蘭もめちゃ心強いよ。ね?桃子」
「うん!」
私は思い切り、力強くうなづいた。
苗代さんは目を真っ赤にさせて、うんうんってうなづいていた。
そうだよね。きっと怖い思いしてたよね。中学のころの恐怖がよみがえっていたに違いない。
私は中3のころ、菜摘と蘭に出会って、それから本当に大事に思われてきた。力強い、心強い二人がいて、高校生活はずっと、楽しいものだった。
聖君とのことがあって、一回は菜摘との関係も、だめになりそうだったけど、だけど、菜摘も蘭も、ずっと私と友達でいたいって思ってくれた。
それからも、ずっとそばにいて、支えてくれる友達だ。
小百合ちゃんといい、苗代さんといい、どんどん心開いて、仲良くなっていく友達が増えていく。
ううん。花ちゃんや、麦さんもそうだし、私にはそうやって、どんどん大事な人が増えていってるんだな。
ああ、忘れてた。忘れてるって知ったら怒られるところだ。もう一人親友がいたっけ。桐太っていう…。
私の周りには、いつの間にか、こんな輪が広がっていたんだな…。
「もし、またあの二人が何か言ってきたら、無視していいよ。それで、私らにすぐに言ってきてね。遠慮なんか絶対にしないでよ」
菜摘が新百合ヶ丘の駅に着き、苗代さんに力強くそう言った。
「ありがとう」
苗代さんは、またにこって嬉しそうに笑った。
私たちはそこで、別れて、家に帰った。
その夜、私は苗代さんのことを聖君に話した。あと、菜摘が聖君のこと、鬼に金棒って言ってたってことも。
「俺?」
「うん」
バスタブにつかりながら、聖君が聞いてきた。
「あはは、俺じゃないでしょ?桃子ちゃんが強いんでしょ?」
「え?」
「桃子ちゃん、人のこととなると、俄然強くなるから。あ、でも、無茶はだめだよ!お腹に凪がいることは忘れないで」
「うん」
聖君は後ろから抱きしめ、
「俺さ、なんとなく予感してるんだ」
と言ってきた。
「え?」
「きっと、みんなうまくいくよ」
「これもまた、必然?」
「うん。俺の話はきっと、苗ちゃんに必要だった。苗ちゃんの心が動かされた。そして、それがきっかけで、もっと周りの人も変わっていくような予感がしてる」
「聖君の話も、必然だったんだね」
「もちろん。みんなそうだよ。無駄なことなんか一個もないって思うよ」
「そうだよね」
聖君のそんな考えが好き。
「桃子ちゅわん」
聖君がうなじにキスをして、甘えてきた。
「もしかして、また何かあった?」
「桃子ちゅわ~~ん。むぎゅ~~」
あれれ?相当お疲れ?
「明日は店、来るよね」
「うん。聖君と一日一緒にいるよ」
「よかった」
「どうして?」
「明日、朱実ちゃんは旅行だし、桜さんは風邪ひいてるし、紗枝ちゃんが店出てくれるってことになったんだけど」
「うん」
「…今日もまた、意思疎通で…。俺、こんなこと言ったら悪いけど、ああ、明日も、紗枝ちゃんくるのかって、ちょっとブルーで」
「まだ、藤井さんとぎくしゃくしてるの?」
「ぎくしゃくなんてもんじゃ、ないかも」
ありゃ。こんな聖君って、めずらしくない?
「ちょっと今日は俺、切れそうになってた」
「え?」
「半分、顔に出てたと思う。母さんに注意されて、そのあとは平静を取り戻したけど」
「お母さんになんて言われたの?」
「顔が怒ってるわよって、紗枝ちゃんがホールに出てるとき、キッチンでそっと言われた」
「そう」
「く~~~!俺ってつくづく、短気だよね」
「そんなことないよ。きっと、聖君、がんばってるよ。優しいから、そうやって気遣って、疲れちゃうんだよ」
「俺、優しくないよ」
「ううん」
「桃子ちゃんにだけだから、俺…」
聖君の声は、いじけた声だ。私は聖君の両腕を両手で、ぎゅってつかんだ。
「大丈夫だよ」
そう言うと、聖君はまた、
「桃子ちゅわん」
と言って、私の首にキスをしてきた。
「心通えないって、つらいよね。なかなか相手が、心を開いてくれないのって、やっぱり、落ち込むよね」
私がそう言うと、聖君は、
「く~~ん」
とないた。
その日の凪の日記には、
「凪、大好きだよ。凪、どんなことがあっても、味方だよ。凪、どんなときも、パパがついてるってこと忘れないで。凪、いっつもいっつも、守ってるよ」
と書いてあった。ああ、今、自分が言ってほしいことなのかな。もしかして。
私も日記に、
「どんなつらいことがあっても、大丈夫だよ。ママとパパがいるからね」
と書いた。それから、ベッドに横になると、私は聖君に抱きついた。
「聖君、大好きだよ。聖君、どんなことがあっても、味方だよ。どんなときも、私がついてるよ。いっつもいっつもそばにいるよ」
私は聖君にそう言った。聖君は、
「桃子ちゅわん。俺も愛してるよ!」
と言って、私を抱きしめてくれた。
「俺らは幸せでいてさ、いつもこうやって、心通わせていてさ、それで、周りにも幸せを撒き散らしていこうね」
「うん」
「きっと、紗枝ちゃんも心開いてくれるよね?」
「うん」
「…っていうか、きっと紗枝ちゃんは、桃子ちゃんになら、心開くんだろうな。店きたときから、あれこれ話してるんでしょ?」
「え?ああ、そういえば」
「だよね。じゃ、明日は、桃子ちゃんに俺じゃなくて、紗枝ちゃんのそばにいてもらおうかな」
「え?どうして?」
「紗枝ちゃんのほうがつらいかもしれないってことだよね?だって、一緒に仕事してる俺に、ずっと心開けないでいるんだよ。たまに、俺、怖い顔をしてると思うし。母さんも忙しくて、なかなか紗枝ちゃんと、話す時間もないんだ。ちょっとでも、合間があけば、気遣って、明るく話しかけたりしてるけど、でもまだ、紗枝ちゃん、母さんにも緊張してるみたいだし」
「そっか。じゃあ、仕事してても、緊張しっぱなしかな?」
「うん。多分ね」
「わかった。明日は、私から藤井さんに話しかけてみる」
「それも、変えてみたら?」
「それって何?」
「藤井さんって呼び方。紗枝ちゃんって呼んでもいいんじゃない?」
「でも、ひとつ上だよ」
「じゃ、紗枝さんとか。苗字より、嬉しくない?名前のほうが」
「そっか、うん、わかった。そうする」
聖君、なんだかんだ言いながらも、紗枝さんのこと気にかけてあげてるんだな。ちょっとやける。
あれ?やけるってことはないか。私のことも、こんなに大事にしてくれてるんだし。
っていうか、今日は大事にされてるというよりも、思い切り甘えられてるけど。
聖君はさっきから、べったりと私にひっついている。たまに胸を触ったり、顔を胸にうずめたり、足をからませてきたり。
「桃子ちゅわん」
「え?」
「明日、ちょこっと寝坊しても大丈夫だよね?学校休みだし」
「うん」
「…じゃあ、今日いい?」
「え?」
「抱いてもいい?」
ああ、それで、こんなにひっついていたのか…。
聖君の目は、いつにもまして、甘えモードの目で、やたらとかわいい。
きゅ~~~ん。その目にやられた。
く~~~!かわいいよ。私は聖君を思い切り抱きしめた。
「あれ?俺のこと襲ってくるの?」
聖君はそんな冗談をまた言った。
でも、そんな言葉を無視して、私は聖君の目を見つめながら、
「聖君って本当に、かわいいよね」
と言って、キスをした。聖君は真っ赤になった。
「桃子ちゃん、それ、照れる…」
ああ、照れてるし!かわいすぎ!
聖君は私の上に覆いかぶさり、
「俺が襲っちゃうよ?いい?」
と聞いてきた。
「いいよ」
と言うと、聖君は首筋にキスをしてきた。
聖君のキスも、ぬくもりも、すべてが今日も優しい。
私も聖君を抱きしめた。髪をなで、ほほにキスをして、おでこにキスをして、鼻にキスをして、首筋にもキスをした。
「うわ。桃子ちゃんのキス攻撃」
聖君がそう言って、笑った。
「あ、だめだ。そこはくすぐったい」
聖君は首にキスをしたら、ちょっと体をくねらせた。
「首?弱いの?」
私はそう言って、また首にキスをした。
「だ~~か~~ら~~。桃子ちゃん、やめてってば」
聖君は、困ったような、でも半分、嬉しそうな顔をしている。それ、どっち?嬉しいの?困ってるの?
私は首にキスするのをやめて、唇にキスをした。
聖君はそのまま、濃厚なキスをしてくれて、そして優しく微笑んだ。
「桃子ちゃん、俺のこと襲っちゃだめだよ」
「え?でも、聖君はいいの?」
「ん?」
「聖君は私のこと襲ってもいいの?」
「そう、いいの」
「ずるい」
「ずるくないよ」
「ええ?」
「うそ、俺のこと襲いたくなったの?」
ドキ。ちょ、ちょっと思ってた。その表情を読み取られ、
「もう、桃子ちゃんのエッチ~~。俺の夢、正夢になったりしないよね?」
と顔を赤らめて言ってきた。
「夢?」
「寝込み襲う夢」
「ええ?寝込みは襲わないよ~~」
と、思う。けど、わかんない。
聖君は、私のほほを優しくなで、
「襲うときには、優しくしてね」
とそんな冗談を言ってきた。
「も、もう~~~~!」
私が聖君の腕をぽかってたたこうとすると、聖君は私の腕をつかんで、そのままキスをしてきた。
聖君、大好きだよ。今日も何回言っただろうか。聖君も、何回も、桃子ちゃん、大好きだよって言ってくれた。
聖君のあったかいぬくもり、優しいオーラに包まれて、その日も私は安心して眠りについた。