狐神の嫁探し
むかしむかし、
吉備国のとある村はずれにある古びた神社に、双子の美しい狐神が住んでました。
妹ホムラは、活発で好奇心旺盛。しばしば神社の務めを忘れ、外で遊ぶことに夢中でした。 一方、姉イネは物静かで生真面目。奔放なホムラを心から愛し、そっと見守っておりました。
ある日のこと―― ホムラは神聖な「真言の滝」でひとり戯れておりました。その滝は、神々の住処とされ、村人が近寄ることを許されぬ場所。 そこに、都から来た若き下級武士が迷い込みました。運命の悪戯か、二人は出会い、瞬く間に恋に落ちました。
それ以来、ホムラは彼に会うため、幾たびも神社を抜け出します。 イネはその変化を察し、妹に問いただしますが、答えは得られません。
とうとう、イネは妹のあとをそっと追うことに決めました。そして見てしまいました。 滝で武士を待つ嬉しそうなホムラの姿を―― その瞳の輝きを見て、イネの胸は締めつけられるように痛みました。
「この想いは……」 イネには理解できぬ感情でした。そして、不覚にも涙がこぼれました。
その時――彼女の肩に優しく温かな手が触れました。 それは、妹を待ち続けていた武士でした。
イネの頬を伝う涙に気づいた若き下級武士は、静かにその肩へと手を置きました。 「どうしたのだ、ホムラ?」と、その声には優しさが滲み出ておりました。
しかし、その言葉にイネの胸は一層締め付けられます。武士は、目の前にいる彼女を妹ホムラと勘違いしていたのです。 否定しようとも、声を張り上げようとも思えばできたはず―― だが、イネの口元から出た言葉はただ、「なんでもないよ」というものでした。
そのまま、イネは武士を連れ出し、日が暮れるまで共に過ごしました。 滝のそばの草木の下で、イネは武士に「明日も、またこの滝で」と約束を交わし、その場を後にしました。 けれど、約束通り次の日も、その次の日も、武士が滝で待ち続けても、ホムラもイネも二度と現れることはありませんでした。
それから月日が流れ――時代の風が変わり始めた頃、武士の住む国と隣国との間に不穏な空気が漂い始めました。 やがて戦の足音が近づく中、武士は決意を固めます。 「戦に出る前に、もう一度ホムラに会いたい。そして心を結びたい」と。
村中を探し回った末、武士はついにホムラが村外れの神社にいると知ります。 神社の敷居を跨ぎ、迎えに出たイネに向かって武士は訴えました。 「ホムラに、どうか嫁になってほしい!」
イネは静かに首を振りました。 「私たちは狐神――人と結ばれることは叶わぬ」と告げ、正体を明かします。 ですが、武士の目には諦めの色は見えません。 三日三晩、飲まず食わずで神社に居座り続けた武士に、ついにイネは折れました。
「それでは…儀式を試みましょう。成功すれば、ホムラと結ばれることを許しましょう」と。
その儀式は、狐の刻に神社の裏鳥居で行われるものでした。 「裏鳥居にはホムラと私、二人が待つでしょう。だが、どちらがホムラか見極めねばなりません。 狐面を剥がし、ホムラを選び出せたならば、彼女はお守りを渡すことであなたの想いに応えるでしょう。 ただし、選びを誤れば――儀式は失敗、二度と神社には近づけません」
武士は目を閉じ、深く息を吐きました。 「それでもやり遂げる」と告げ、儀式に臨むのでした。
狐の刻、下級武士が儀式に挑む夜が訪れると、神社は静寂に包まれ、不思議な空気が漂いました。 月明かりに照らされた裏鳥居の向こう側には、ふたりの狐が佇んでおりました。どちらも美しき姿、どちらも同じ面差し。 ただ、その沈黙の中、微かに風が揺らす木々の音が、心の迷いを映し出すようでした。
下級武士は、胸に抱く想いを頼りに、一歩、また一歩と近づきます。ですが姿は同じ、声も同じ―― 武士の心に浮かぶのは、ホムラとの微笑み、そして彼女が見せたほんの僅かな癖や仕草でありました。
「これは試練か、それとも運命の導きか…?」 武士は静かに考え、手を伸ばし――
選びしは、ホムラの狐面でありました。
その瞬間、柔らかな光がふたりを包み込み、面を取られたホムラは微笑みます。 「お前を信じた、その心を受け止め、いつまでも供にあろう」と。
儀式は成り、ふたりは誓いを結びました。イネはそっと見守りながら、顔に淡い微笑みを浮かべ、言葉なく二人を送り出したのでした。
程なく起きた戦において、武士は何とか生き延び、戻ってきた後に、ホムラと共にイネがいない神社を訪ねました。 そこにはどこからともなく柔らかな風が吹き、イネの気配が僅かに漂うようでした。イネは姿を見せず、神々の領域に戻ったのです。
村ではその後、イネの帰還を願い、毎年、夏に狐祭りを開くようになりました。 狐火の舞が夜空を照らし、神秘的な歌が響き渡るその祭りは、村人たちの心に伝承として深く刻まれることとなりました。
また、イネとホムラに習い、祭りでは未婚女性は狐面を被り、もし、男性が女性の狐面を外した場合は、求婚とする風習が受け継がれました。
~~おしまい~~
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