第6話: 観客役をやめる
昼休みが終わる直前、教室に戻った。
階段を上りながら、先ほどの会話を反芻していた。榎本さんとあんな真面目な話をするとは思ってもみなかったが…なぜか気持ちが軽くなっていた。
「…さて、戻るか」
ドアの前で止まり、中を覗く。
――そこには二人の姿があった。
美月と晴人、互いの席で笑い合っている。特に深い話をしているわけではなさそうだが、美月の表情はいつもより柔らかく、晴人は心底楽しそうだ。
ついさっきまでなら、この光景に複雑な思いを抱いたかもしれない。でも今は違った。
これでいいのかもしれない。
背後から足音が聞こえ、振り返ると榎本さんが近づいてくる。
彼女は無表情のまま教室の中を見つめたが、何も言わず自分の席へ向かった。
私も静かに着席すると、すぐに美月が振り向いた。
「おかえりなさい、相沢くん」
「ああ。屋上は思ってたより風が強くてね」
「一人で食べたの?後から合流するかと思ってた」と晴人。
「ちょっと考え事があって」曖昧に笑うと、美月はそれ以上詮索しなかった。
だが…榎本さんに気になる様子があった。
ノートを開いてはいるものの、ペンが全く動いていない。
何かを強く見つめているようだ。
(…何か考え事してるのか、榎本さんは)
こっそり視線を向ける。
たった一日で、彼女について多くのことを知った気がする。
でも…まだ理解できない部分も多い。
自分自身についても。
もう「観客」でいるつもりはない。
美月の恋を応援すると決めた以上、どんな結末でも最後まで責任を持とう。
そのためには、積極的にこの物語に関わっていかなければ。
***
終業のチャイムが鳴り、美月が晴人に声をかけるのを見届けた。
「ねえ、桜木くん…今日一緒に帰ってもいい?同じ方向だし…」
晴人は少し驚いた表情を見せたが、穏やかに頷いた。
「ああ、もちろん」
教室のドア前でこのやり取りを目撃した私は、こっそり笑った。
「じゃあな。頑張れ」
二人に背を向け、教室を出る。
美月は静かに感謝の意を表した。
(ここまで来られたのは、間違いなく文也くんのおかげ…)
勇気と決意。秘めた想いを言葉に変えるきっかけをくれたのは、あの正直で不器用な優しさだった。
***
二人は並んで下校した。春の穏やかな風が制服の裾を揺らし、まだ冷たい空気が心地いい。
「ねえ、桜木くん…覚えてる?入学式の日のこと…」
「え?入学式…?何かあったっけ?」
美月はゆっくりと話し始め、微笑んだ。
「あの日…私は道に迷ってたの。制服のブレザーも着ていなくて、まるで別の学校の生徒みたいで」
「ああ…!もしかしてあの時…?」
「ええ。あなたも遅刻しそうに走ってたのに、私を見つけて手を引いて道を教えてくれた…」
「ああ…なんとなく覚えてる。ごめん、詳しくは」
「いいの。ただ…あの時ちゃんとお礼が言えなくて、今日伝えたかったの。ありがとう、桜木くん」
美月は少し顔を赤らめ、視線をそらした。
「いや、本当に大したことじゃないよ。文也だって同じことしたと思う。実際…彼から気づかされたこと多いし」
晴人は歩みを止め、ふいに悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「そういえば文也のことだが、この前二人で一緒に帰ってるとこ見かけたぞ?まさかランチデートでもしてたのか?ははは~」
美月の顔が真っ赤になり、
「あ、あの時は特別な事情で!普段は全然一緒に食べてません!」
慌てて腕を振りながら、今にも倒れそうな表情で答えた。
晴人は優しく笑い、美月の頭に手を乗せた。
「教えてくれて嬉しいよ…でも、照れてる顔も可愛いな」
「や、やめて…!」
美月は顔を真っ赤にして振り払った。
「はは、ごめんごめん。じゃ、行くか?」
歩き出した。夕日に照らされた道を、ゆっくりとした足取りで。
美月は思った。
(あの日の出会いが…今の私たちをつないだ)
胸の中で、小さくても確かな想いが少しずつ根を張っていく。