悔いに跪く王、赦さぬ元聖女
最終話です
騎馬の一団が村の広場へと静かに入ってきた。
最初に駆けつけたミリーが、息を呑む。
馬車の扉が開き、礼装に身を包んだ若い使者が姿を現した。背筋を伸ばし、村人たちの前に立つと、彼は大きく息を吸い込む。
「こちらにおられるはずの、元聖女エレナ・アルディネ様に、陛下の言葉をお伝えに参りました!」
その声が村中に響いた瞬間、まるで時が止まったかのようにあたりが静まり返った。
畑の手を止めた者、家の中から顔を出す者、遠巻きにしていた子どもたちまでが足を止める。
「……何かの間違いじゃないかしら」
誰かが小さく呟いた。
だが、エレナだけは微笑んだまま、静かに歩み出る。
「私が、エレナです。……まずは、お話をうかがいましょうか」
そう応じたエレナに、使者は驚いたように目を見開いたが、すぐに深く頭を下げた。
「……いえ、本日は“お伝え”ではございません。陛下ご自身が、直接こちらへお越しです」
その瞬間、ざわめきが村全体を走り抜けた。
「陛下って……まさか、王太子殿下が……?」
「違うよ。今の陛下ってことは、王様その人が……!」
村人たちの声が騒がしさを増す中、馬車の奥の扉が再び開いた。
中から現れたのは、見覚えのある男だった。黄金の装飾をあしらった上着こそ身につけているものの、王都で見たときよりもその顔は疲れていた。
「……久しいな、エレナ」
低く押し殺した声でそう言ったのは、かつて婚約を破棄した男、王太子アレクシス――いや、今や“国王陛下”となったその人だった。
エレナはわずかに瞬きをし、しかし表情を変えずに一礼する。
「お久しぶりです、陛下。こんな辺境まで直々にとは、光栄ですね」
その言葉に、アレクシスは苦笑とも溜息ともつかぬ顔を浮かべる。
「――おまえの“予言”は、三年かけて、ことごとく現実となった。国は分裂しかけ、民は不安に怯え、信頼していた貴族の多くは離反した。……私は、間違っていた」
その場にいたすべての者が息を呑んだ。
王が、自らの非を認めた。その相手は、三年前に断罪した元婚約者であり、元聖女である一人の女。
「……だから、どうかもう一度、私たちの国に戻ってきてくれないか。今こそ、おまえの力が必要なんだ」
彼の声には確かに悔いが滲んでいた。
だがそれでも、エレナの瞳は揺れなかった。
「私は、あなたの国に戻るつもりはありません」
エレナは、ゆっくりと言葉を選ぶように続けた。
「三年前、私が発した“予言”に、あなたは耳を傾けるどころか、私を非難しました。それが陛下のご判断であり、国の決定だったのです。ならば、その責任もまた、国として――あなた自身が、引き受けるべきではありませんか?」
あまりにも正論だったため、反論する者など、誰ひとりいなかった。
王の側近たちは言葉を飲み込み、ただ沈黙のまま立ち尽くしていた。
気まずさではない。弁解の余地がないと、誰の目にも明らかだったのだ。
アレクシス自身もまた、視線を伏せた。
拳を握ったまま、言葉を探そうとする素振りさえ見せない。
村の空気は静まり返り、夏の蝉の声だけが、遠くで鳴いていた。
やがてアレクシスは、ひとことも発さずに踵を返す。
その背中を、誰も追わなかった。
馬車が遠ざかり、王の一行が村を去ったあと。
ミリーがぽつりと呟いた。
「……なんだか、夢みたいでしたね。あの人が頭を下げに来る日が、本当に来るなんて」
エレナは小さく笑い、風にそよぐ前髪を指で払った。
エレナは小さく微笑み、遠くに去っていった馬車の影を一瞥する。
「“聖女”の予言は、あくまで現時点での未来にすぎないのよ」
そう言って、ゆっくりと村の方へと歩き出す。
「国が変わる余地はあった。民も、王も……誰だって選び直すことはできたはず。それをしなかったのは、あの人自身の怠慢。彼の選択の結果です」
ミリーはしばらく黙ってその背中を見つめていたが、やがて足早に追いつき、並んで歩き出す。
二人の背中に、村の子どもたちの笑い声が遠くから重なっていく。
それこそが、彼女の選んだ未来だった。
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