聖女、断罪される
白い大理石の床に、かすかな靴音が響く。
王都の中心にそびえる第一王宮。その最奥にある謁見の間は、荘厳な静寂に包まれていた。高く聳える円柱と、金の装飾が施された天蓋。王国の威光を象徴するこの空間は、晴れやかな祝典にも、冷酷な断罪にも使われる。
この日、その場に集まった廷臣たちは、誰一人として口を開かない。ただ緊張に喉を詰まらせ、ひたすらに一点を見つめていた。
その視線の先に立つのは、一人の少女。
銀の髪を美しく結い上げ、深い紺のドレスをまとった彼女は、まさに貴族令嬢の鑑だった。けれど、その背筋には“ただの令嬢”ではない威厳があった。人々から“聖女”と讃えられ、神の声を伝える者として尊敬と畏敬の念を受けてきた少女――エレナ・アルディネ。
だがその存在が、今、断罪の場に立たされている。
「――エレナ・アルディネ。君との婚約は、ここで解消とする」
低く、よく通る声が響いた。
声の主は、王太子アレクシス・レーヴェンクロイツ。黄金の装束に身を包み、重々しい空気をまとって玉座の前に立っている。彼の左右には従者と廷臣たちが並ぶが、そのどの顔にも、かつての祝福の色はなかった。
アレクシスの言葉は、まるで儀式の一節のように、感情の一切を排除して読み上げられる。
場の空気が、わずかに揺れた。
それでも、エレナは微動だにせずに立っていた。まるでこの場に、彼女だけが本来の重みを知っているかのように。
「……その理由を、伺ってもよろしいでしょうか」
彼女は静かに、けれど毅然と問い返す。
その声に弱さはなかった。けれど静けさの中には、痛みと覚悟が同居していた。
「君が“予言”したこと――あれがすべてだ」
アレクシスは視線を逸らさずに続ける。
「三年以内にこの国が滅びる、などと王宮の大広間で言い放つなど、民心を惑わす行為に他ならない。王家の威信を貶め、国を不安に陥れる行為は、断じて許されるものではない」
ざわめきが、列席した廷臣たちの間に広がった。だが、それを制するように、アレクシスは一歩前に出る。
「君は聖女として国に仕えてきたはずだ。それが今になって“不吉な未来”を語り、混乱を招くなど――裏切りと何が違うというのだ」
壇上に立つその姿には、かつての面影がなかった。
民の幸福を願っていたあの若き王太子は、今や王国の均衡を維持するために、自らの手で“希望”を断ち切ろうとしている。
「……それは、神託に基づくものでした」
エレナは静かに答えた。
「民を守るため、あのような言葉を口にする他なかったのです」
王太子の表情が強張る。
「その善意が、国を揺るがす結果になると、どうして思い至らなかった?」
「……私には、真実を伝える責務がありました。聖女である以前に、一人の人間として」
その言葉に、誰かが小さく息を飲む音がした。
謁見の間を照らす燭台の光が、エレナの銀髪に反射する。その姿はまるで、最後の神託を告げる者のように、神秘と悲哀を纏っていた。
だが、アレクシスはなおも冷たかった。
「その言葉の重みを知っていながら、君は予言を口にした。その結果、王家は混乱に見舞われ、君への信頼は失われた」
そして、ついにその言葉が下される。
「本日をもって、君との婚約を破棄する。加えて、聖女の称号とその役職もすべて剥奪する。明日以降、君の居場所はこの王都にはない」
それは、追放の宣告だった。
祝福の鐘の音ではなく、断罪の剣が振り下ろされた瞬間だった。
エレナは一度、瞼を伏せ、ゆっくりと息を吸った。
この日を迎える覚悟は、すでにできていたのだろう。
「……王太子殿下のご判断、確かに承りました」
顔を上げた彼女の表情には、怒りも涙もなかった。
ただ静かに、ひとつの時代を終える者としての誇りと尊厳が宿っていた。
「ただ、いつか――あの言葉の意味が、真に理解される日が来ると信じております」
深く、静かに一礼する。
その瞬間、謁見の間に風が吹いたような錯覚を覚えた者もいただろう。
だが、誰も声を発せず、ただ彼女の背を見送るだけだった。
扉が開き、そして閉じる。
その音が、重く、長く謁見の間に響きわたる。
こうして、“聖女”エレナ・アルディネは、王都の舞台から姿を消した。




