2 ロックダウンくん
午前6時。
ロックダウンくんはいつも通りに出発する。
ここのところねぐらにしているネットカフェから仕事場へ向かう。
今日も高レベル汚染区域内での作業だ。
ロックダウンくんはもう何年もそうした危険エリアでの日雇い労働を続けていた。
危険エリアといっても、ロックダウンくんは抗体保持者だから感染の心配は不要だ。
同一の作業でも格段に時給が高いから、いつも汚染度が高いエリアでの仕事を選んだ。
貯金は十分にある。
そろそろ固定した住居を持ちたいと思わなくもない。
でも仕事場は毎日変わるし、時にはかなり遠方まで足を延ばすこともあるから、いまのようにネットカフェ中心の生活の方が機動性が高いし、気楽でもあると思う。
それに、住居を借りるための審査に通るかわからない。
なにより審査の際にマイナンバーカードの偽造がバレることも恐れた。
偽造マイナンバーカードの氏名欄には「ロックダウン」とだけ書かれていた。
奇妙な名前だ。
物心ついたとき、ロックダウンくんはすでにこの偽造カードを持っていた。
というかそれしか持っていなかった。
だから周囲の人間は彼をロックダウンと呼んだし、自分でもそう名乗った。
「名前は?」
「ロックダウン」
「ん……? 氏名を言え。フルネームで」
「……。ロックダウン」
「カードを出して」
作業場へ向かうバスの受付の男に、ロックダウン君は偽造カードを差し出した。
男はしげしげとカードを眺めたあと、バスの入り口の読み取り端末にカードをかざした。
ピローンと音が鳴る。
「問題ないみたいだな。中に入って待て。出発は2分後だ」
偽造カードといっても見た目や機能は本物とほとんど変わらない。
少なくない数の偽造カードが流通していることはよく知られていた。
もとよりマイナンバーは欠陥だらけの制度だ。
記載された氏名が普通ではないからといって、こういう場所でそれ以上追求されることはまずない。
ただし、家を借りるとか、正社員として雇用されるとかの場合は、きちんとした身元調査をするらしい。
一度だけ、カードに銀行口座を登録しようとしたときには偽造が疑われトラブルになりかけた。
結局口座登録はヤミ業者に高い手数料を払って依頼した。
バスにはロックダウンくんを含めて8人が乗っていた。
みんなロックダウンくんとさして年齢が変わらない10代の少年たちだ。
ひとりだけ少女がいた。
女性がいるのは珍しいな、と通路を挟んで真横の席に座っている少女を横目で見ながら、ロックダウンくんは思った。
「こんにちは」
「……」
「ねえ、あなた」
「え……? ぼくですか」
「そう。あなたに話しかけてるの。私の横にはあなたしかいないでしょ」
「はあ……。こんにちは」
こういう場所では、労働者同士は個人的な関係を持ちたがらない。
たいていの場合、必要最小限の会話しか行われない。
だからバスに乗り込んですぐに少女が話しかけてきたのがロックダウンくんには意外だった。
「あなた、この手の仕事、よくやってるの?」
「まあ、ときどき……」
「ふーん。私は初めてなんだよね。別にあなたとお友達になりわけじゃないよ。ただ、今日一日一緒にいるわけだから、一応あいさつしておこうと思って」
「そう……。よろしく」
「あなた、名前は?」
「え……。ロックダウン」
「ロックダウン? 変わった名前ね。それ、本名なの?」
「どうだろう……。でもこの名前しかないんだ」
「そうなんだ。でも嫌いじゃないわ」
少年がひとり、バスに走って乗り込んだ。
これで乗客は9人。
バスは走り出した。
「いい名前だと思う」
「ありがとう。きみの名前は?」
「私? 私はコロナ」