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私は一人、桜の木の下で泣いていた。
私の心を反映してくれたのか、さっきまで晴れていた空は一変、今では雨が降っていた。雨は私の体にも容赦なく降り注ぐ。そのおかげで、体についたローションはほぼ流れ落ちていた。
感情と天候のリンクに普段なら喜ぶところだけど、今はそんな気に全くなれない。上宮ヘレナという存在がいる限り、私がいくら美顔をアピールしたって滑稽でしかない。
これまでの人生は自分磨き――というか、自分の顔磨きに費やしてきた。だから自分の容姿については絶対の自信を持っていた。
その自信は今日、いともたやすく打ち破られた。あんなの、整形したって勝てる気がしない。
私の15年とちょっとの人生は洗顔だけだったのね。過剰な洗顔は美容に逆効果。まさに私の人生がそれを体現しているわ。ひたすら磨き続けた私の顔は、全く手入れしていないあの顔には及ばない程にボロボロ…。
「探したわよ。こんなところにいたのね」
顔を上げると、美晴が立っていた。
「――何しにきたの?」
「自分語り」
「慰めや励ましに来てくれたんじゃないの?」
美晴は私の隣に立った。
「そんなものは期待されても困るわ。貴方の心を完璧に理解して的確な助言を与えるなんてさとり妖怪やカウンセラーでもない私には無理よ。ただちょっと語りたくなったの。オタクは自分語りが大好きな生き物だから」
美晴は息をふうと吐いた。
「ここは私の居場所じゃない――だったわね。そんな風に考えていた時期が私にもありました。私、リリアン女学園に憧れていたの。ミッション系のお嬢様学校で、穢れを知らない純粋無垢な乙女たちが通う、乙女の園――」
「うち共学じゃん」
長くなりそうなのでツッコんだ。
「まあフィクションの事なのだけれど。ただ、どうしても夢を諦められなった私は名前の似ていたこの高校へ進学を決めたの。ほら、リリアンとドリアンって一文字違いじゃない。間違い探しになるくらいのわずかな違いよ」
「たった一文字の違いでも、中身は全然違うじゃない」
そっか。美晴は乙女の園を夢見てこの学校に入学したのか。それならここは彼女の居場所でもないのかも。
そんな美晴は穏やかな表情だった。
「ええ。でも菅田将暉も歌ってたように、まちがいさがしの正解の方じゃ風花ちゃん、貴方という推しには出会えなかったのよ」
へ?
もしかして私を励ましてくれてる?
お、推しってと戸惑う私を見て、美晴は話し続ける。
「風花ちゃん、貴方は私から見ても相当に整った顔をしているわ。基本、三次元相手では役者や声優でもなければ萌える事はめったにないの。そんな私を貴方は外見だけで萌えさせたわ。それは十分誇っていいことよ」
「でも――外見だけなら上宮ヘレナの方が――」
「彼女はキャラデザや作画が他とは違うのよ。言ってしまえば別作品。異なる作品同士の全く似てないキャラを比べたって仕方ないじゃない」
そうか。私は人間であっちは神。比べること自体が間違ってたのか。
私は涙をぬぐって美晴の方を向きほほ笑んだ。
「ありがとう。ただ美人だの綺麗だの言われるよりも、元気出たわ」
「どういたしまして。推しの泣き顔もたまにはいいけど、やっぱり笑ってる方が私は好きよ」
「おーい、ここにいたのか。探したぞ、まったくよお」
遠くから私達に呼びかけてきた人がいた。担任の神津先生だった。先生は傘をさしながら、私たち二人の方へと駆け寄って来る。片手には傘がもう一本握られている。
そういえば私達は雨の中、傘を持たずに外で佇んでいたのだ。気づけば全身びしょぬれである。
先生は私たち二人にほらよと言って傘を手渡してきた。美晴がそれを受け取り、広げた。私も一緒に入れてもらう事にする。
「ありゃ鳥月、もう元気そうじゃねえか」
「はい!先ほどはご迷惑をおかけしました」
私は神津先生に頭を下げる。
「なんだよ…俺の出番は必要なかったってわけか」
先生はため息をついた。
どういうことですかと私は顔を上げて尋ねる。
「俺だって教員である以上、悩み多き子供たちを助け、時に支えて正しい方向へ導くカッコいい大人になりたいのさ。実際に出来た事は全くなかったけれどよ」
先生は肩をすくめた。
「大人の方でもカッコいい大人になりたいって思うんですね」
「そう思ってる時点で俺はまだ大人になれない子供なのかもしれねえや。年はバカボンのパパを超えちまったのに中身は未だバカボンさ」
逆コナンか。
「え、先生って41歳より上なんですか?」
「詳しいな有明。この度、42歳の春を迎えたところだ」
私と美晴は先生に拍手をしたけど、先生が止めてと言うのですぐ止めた。
悩み多き子供たちを助けるカッコいい大人か。
「先生、私の顔ってどう思いますか?」
私は自分の顔を指さして尋ねる。
「そういうのって、どう答えても後で問題になるじゃねえか。勘弁してくれよ」
答えは沈黙と美晴が口を挟む。
「安心してください。オフレコです」
「――まあ、整ってる方じゃないのか?」
「ありがとうございます!先生はもう立派に一人の生徒を支えてくれていますよ!」
私は先生に礼を言うと、駆け出した。私の後を、傘を持った美晴が追いかけてくる。
傘を持っていないから雨に濡れるのだけれど、そんな事はもう気にしていられない。行先はもう決まっている。ちょっとでも早くあの場所へ。