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本当に私のクラスはここなの?周りに他のクラスもなく、あるのは社会科準備室と社会科資料室だけ。これじゃあ他のクラスの子に忘れ物を借りたり、昼休みに遊びに行ったりとした交流ができないじゃない!
私の平凡かつ華やかな高校生活が音を立てて崩れ去るイメージが浮かんだ。
いいや、こんなところに一つだけ教室を置く筈が無いわ。中に入ると、ドッキリ大成功と書かれた看板を持った人たちが私を待ってるんだ。これはきっと愉快な先輩たちの悪戯よ。
私は2年∞組の扉に手をかけた。木造の古い扉だった。力を込めて思い扉を横にスライドさせると、鈍い音を上げて扉が開いた。
中はオンボロで古臭い教室だった。既に結構多くの生徒がいた。
どうやら桜の妖精に気を取られて、来るのが遅くなったのかも。
自分の席に座って各々時間を潰している人もいれば、既に楽しそうに話しているグループも見られた。
ドッキリ大成功の看板を持った先輩たちはいなかった。
つまり私のクラスは本当にこの∞組ということ。私の思い描いていた夢の高校生活は打ち砕かれた――。
いや、諦めるのはまだ早いわ。別に他のクラスとの交流が絶対なわけじゃない。このクラスメイトたちと楽しくて美しい学生生活を送ればいいのよ!前向きに考えなくっちゃ。そうだ、去年同じクラスだった子が何人かいるはず。その子らにちょっと話を聞いてみよう。
深呼吸をして落ち着いてから、教室を見渡す。
机や椅子、床といった教室全体は何だか古臭い。ちゃんと窓もある。教室の前後に黒板。その黒板にはいろんな色のチョークで書き込みがされていた。
『祝!卒業!』『2年∞組は永遠だ!』『友情は不滅』『みんな友達!みんなありがとう!』
さらには妙に上手な桜や、笑顔で肩を組んだ男女のイラストが描かれていた。
なるほど。今流行の黒板アートってやつね。
いやいや、終わってんじゃん。卒業じゃん。
今日が進級初日なんだけど。クラスメイトの名前も顔も知らないし。思い出なんて一切無いんだけど。どうやらとんでもないクラスに割り振られてしまったみたい。いっそこのクラスから卒業して他のクラスに編入させてほしいわ。
それよりも。
今クラスを見回してある事に気付いた。
知ってる人が一人もいない――!
ちょっとどういうこと?旧1年1組は私だけじゃん。仲の良かった子は勿論、ほとんど交流の無かったクラスメイトが一人もいない。私だけが1年1組から2年∞組送りですか!?
私は頭を抱えながら、指定された自分の席を探して座った。
隣の席には既に一人の女の子が座っていた。イヤホンで何やら音楽を聴いているようで、目を閉じてうっとりとした表情を浮かべていた。
顔は――まあまあ整ってるわね。私には及ばないけど。
その少女は明るい茶色の髪を背中まで伸ばしていて、後ろ髪の一部を水色の細いリボンでまとめていた。
私はその子の机を指で叩いた。
その子は目を開いた。澄んだ青い目の持ち主だった。彼女はイヤホンを外すと私を見た。
私は即座に首を傾げ、美しく微笑んだ。
私の美顔が最も映える角度はとっくに知ってるから。いつどこからカメラを向けられても、最高の笑顔を作るのは私には造作もないこと。
「初めまして。私、鳥月風花。一年間よろしくね!」
「こちらこそよろしくね。有明美晴です」
彼女、美晴は丁寧にあいさつを返してきた。それだけだった。
私の顔を褒めたたえはしなかった。でも初対面で緊張しているのかも。こんなに美しい顔を見たのなら仕方ないか。
「今、何を聴いてたの?」
私は気軽に声をかける。相手の緊張をほぐすのもそうだけど、誰一人として知り合いがいないこの状況で、何も情報が無いのは怖い。とりあえず誰かと会話をしておきたかった。
「聴く?」
美晴が手渡してきたイヤホンを受け取り、私は耳に差し込んだ。
カリカリと、私の耳を掃除するような音。音なのに、まるで実際に耳掃除をされているような感覚を覚える。さらには時々、女性がそっとささやく。なんて高貴で上品な声なの!?
はうぅ――と不意に声が漏れる。
私は自分の中で新たな扉が開きかけた事にわずかながらの恐怖を覚え、イヤホンを外した。
どう?と美晴が尋ねてきた。
「自分が生まれ変わりそうで怖かった」
「あら。どうせなら生まれ変わっちゃえばよかったのに」
美晴が柔らかく微笑んだ。
美晴によるとこれはASMRというものらしい。美晴は熱く私に説明をしてくれたけど、私には彼女の言ってる事の大半が分からなった。
「ところでさ、ちょこちょこ囁いてきた、上品な女性は誰?」
「根本七保子という方よ」
「うーん、知らない。声優さん?」
「声優でもあるわ。ラトナ・サリ・デヴィ・スカルノと言ったら分かるかしら?」
デヴィ夫人じゃん。最初からそう言ってよ。それにデヴィ夫人って声優経験あったんだ。
そもそもデヴィ夫人の旧名を普通の女子高生は知らないし言わない。有明美晴――朝から学校でデヴィ夫人のASMR動画を見ている点からして、間違いなく変わっている子だ!