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魔女物語  作者: 夜行
第一章「日常」
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第四幕


 

 リリーには重大な役目があった。それはその地域の魔女全体に関わることだ。王都アルヴェルトの王の病を治す事。それが魔女集会で課せられた使命だ。

 花の魔女と謳われるリリーにしかできない。すべての植物を操る事ができ、またさまざまな植物から薬を作りだす事ができる。断るのは簡単だった。しかしそれは自分にしか出来ないとわかっていたので渋々この役目を担ったのだ。

 家の一つの部屋の中でリリーは薬を作っている。その部屋の中には様々なものがあって、研究室のような部屋だった。魔女は探求心が強い。何かに没頭する事が楽しくて仕方がないのだ。

「よし、とりあえずこんなもんじゃろ」

 まだ王には会っていない。一度会ってみなければどんな薬が効くかもわからない。だが、リリーは一つだけ薬を作って持って行くことにした。これはただの栄養剤のようなものだ。少しでも身体が軽くなれば信用はされる。自分の価値がこれで決まるのだ。

「はあーあ、めんどいのぉ」

 作りたての薬を手に取って、盛大に溜息をついた。これから王都に向かわなければならない。これからは頻繁に王都へと行くことになるだろう。しかもお忍びでだ。アルヴェルトの王は魔女に理解ある人間だが、他の人間はそうではない。むしろ魔女が出入りしているとわかれば、王の病の原因は魔女だと思われる可能性がある。絶対に見つかるなとネルからきつく言われている。

 何もなかった頃に、何も知らなかった頃に戻りたい。だが、それは無理な話であって、歯車は回りだしたのだ。

「やるしかなかろうな……」

 今後の魔女の未来の為にも。

「うし、さっさと治してしまおう」

 治ればすぐにお役御免だ。リリーはそう思っていた。王に会うまでは。



「王よ、こちらが花の魔女であるリリーだ。私の次に長く生きている魔女で其方の病を治すであろう薬を作ってくれる」

 ネルに連れられて王と面会を果たした。

「お前がこの国の王か。我が名はリリーじゃ」

 見た目は自分の方が若くても、生きている年月は自分の方が圧倒的に上だ。自分の半分も生きていない小僧に敬意などない。

「これはこれは花の魔女様よ、噂はそのネルから聞いております。どうかこの病を治して頂きたく思います」

 謙虚な人間だとリリーは思った。王というのだから傍若無人で人の意見など一つも聞かない莫迦者を想像していたが、その想像は見事に打ち砕かれた。それを察したネルは言う。

「変わっている人間だろう。こんなのがこの国の王なのだぞ」

「こんなのとは言うてくれるネルよ。こんなのだからこそ王になれたのだ」

「さよけ」

 二人は声を殺して笑っている。どうやらこの二人は思っている以上に仲が良いのだろう。きっと旧知だ。だからあのネルが関わっている。

「で、どうだリリーよ。治りそうか?」

「どうじゃろなぁ。儂は医者じゃないしのぉ」

「お前に魔女の未来がかかっているのだぞ」

「そんな事言われてもなぁ」

 リリーは正直に言った。

「ネルよ。あまり困らせるものではないぞ。リリー殿よ。自分の身体の事だ。自分が一番わかっているとは言わないが、これはそう簡単に治る病ではない気がするのだ。それこそ死に向かっている」

「人間は生まれた瞬間から死に向かっとるわ」

「そう言われると返す言葉もない。だが、治すとまでもいかなくとも、延命は出来ないであろうか?」

「延命じゃと?」

「私には息子が一人いる。まだ王を継ぐにあたって教えるべき事を教えていない。だからそれまでの間でよいのだ。息子が育つまででよいのだ。それまで命が持てばよいのだ」

「王よ。其方の息子を私は信用できんのだ。お前が病を克服し、王を続けるべきだ」

「人間はいずれ死ぬ。魔女とは違うのだ」

 どうやら二人の思想にはズレがあるようだ。おそらくは二人で散々話し合っているのだろう。そして話は平行線で決して交わることはない。だからネルは自分の主張を通すためにリリーを呼んだ。

「なるほどの。お前らが仲良しなのはよーくわかったわい。それで儂の意見を言わせてもらうぞ」

 そう言われて二人は押し黙った。

「儂はお前を治す気で薬は作る。じゃが、完璧に治るかどうかは知らん。魔女は万能ではないからの。治れば儲けもん。治らなくても延命ぐらいは出来るじゃろう。それまでに自分のやりたい事をさっさとやるが良い」

 王は深く頷いた。

「うむ。それでよい。感謝する花の魔女よ」

「人間の王が簡単に頭をさげるなよ。ただでさえ威厳がない癖に」

「これが人間としての礼儀だネルよ。私は人間の本質を見失いたくはないのだ」

「黙れよ人間。私のいう事を聞け。お前には生きてもらう。それが魔女たちの今後に関わって来るからだ。其方が死ぬならそれも運命だと思う。だが、それまでにお前の莫迦息子の頭をどうにかしろ。魔女についてだ」

「善処しよう」

 リリーはそんな二人のやり取りを見て、本当に仲がいいと思った。きっとこの二人には絆があるのだろう。自分とリンドウとは違った何かが。

 リリーは目を瞑ってフッとニヒルに笑った。

「これから定期的にここに来るぞ。よいな?」

「あぁ、宜しく頼む。報酬は何でも言ってくれ」

「まぁ考えておこう」

 こうしてリリーの役目は始まりを迎えたのだった。




 帰る前にリリーは少し王都の中へ行くことにした。

 目的は薬草を見る為。森にも色んな植物があるが、その地域のモノというのがある。この王都アルヴェルトはそれなりに大きい。他の場所から持ち込まれるものがお目当てだ。

 リリーは適当にぶらつく。

 さすがに活気に溢れている。荷を積んだ荷馬車が我先にと走り抜けているし、どこかの酒場からは昼にもかかわらずに陽気な笑い声もする。商会からは頻繁に人が出入りしている。その表情は様々だ。思うように商いが出来た者。その逆で、手に持った紙を見つめて頭を掻きむしっている者。

 これがこの国の日常なのだろう。

「騒がしい国じゃの」

 静かな森の中とは大違いだ。こんなところに長くいては頭がおかしくなりそうだった。早いところ目的のものを見つけて帰らねば。

 そう思っていたときだった。

 一人の人間に眼が止まった。

「あれは……」

 断じて知り合いなどではない。

 決して知り合いなどではない。

 それは言い切れる。見たこともない女だった。年の頃は二十半ばだろうか。長い髪を後ろで一つ結びにしている。隣には夫であろう人間がいて、仲睦まじく腕を組んでいる。

 それを見たときリリーは沸々と怒りが込み上げてきた。眉間にしわが寄り、眼は薄く開かれている。十四、五の少女のする顔ではなかった。それは醜悪とも言える魔女としての顔だった。

 なぜ自分だけ幸せそうな時を過ごしているのか。

 間違えるはずがない。

見間違えるはずもない。

 あれは――。

 あれは、リンドウの母親だ。

 初めて見るが確信できる。その生命としての雰囲気、生命の波動がリンドウに酷似していた。

 リリーは自然と眼で追ってしまう。

その行動、その視線、その仕草。

 それらはいたって普通だった。普通のどこにでもいる人間だった。

 なのに――。

 この怒りはどこから燃え上がってくるのだろうか。

 気が付けば、一歩足が前に出ていた。

 それに自分自身が驚いたことに驚いた。

 いったい自分は何をしようとしているのだろうか。文句を言ったところで何も変わりはしない。むしろ、自分とリンドウが出会うきっかけを作ってくれてありがとうとでも言うつもりなのか。

 さまざまな葛藤が飛び交っていった。

 いったん冷静になるべきだ。リリーは眼を閉じて深呼吸をする。しばらくしたら落ち着きを取り戻した。

 文句を言うにしてもここは人が多すぎる。言い合いになってしまっては人目を引いてしまう。自分が魔女だとバレたら面倒になるかもしれない。

 この場所では、ダメだ。

 リリーはゆっくりと二人のあとを追う。

 男の方からは何も感じなかった。あの男はどうやら父親ではない。

 数十分。

 二人は街中を歩き、別れた。それを迷うことなく女のあとをつける。

 自然と手は握られていて力が込められている。自分はいったいこの握った手をどうしようというのか。

 答えはわからぬまま、言葉は女に届いた。

「もし」

 その声に女振り向く。

「少しいいじゃろうか」

 見た目とは違って老獪な言葉を使う少女を女は首をかしげて見る。もしかして知り合いだろうかと考えているとそれはリリーの言葉によって否定された。

「別に知り合いとかではない。初対面じゃ」

「はぁ」

 何の用だろうかと次の言葉を待つ。

 すると一瞬で少女の顔が変貌した。それに恐怖を感じる。

「お前、子がおるじゃろ」

 ひどく冷たい声だった。リリーは首を少しかしげて上目使いで言う。それがなんとも言えぬ恐怖を煽る。まるで地上から空の獲物を狙うかのようか視線だった。

「答えよ。おるじゃろ」

 返答がされないことにリリーはイラつく。すでに分かっていることだ。それをわざわざ聞くというのもおかしな話だし、即答できないでいる女にもイラついていた。

「え、えぇ。いるけど」

 嘘はダメだ。本能がそう告げた。

「……名」

 名前はなんというのか。そう聞こうとしてやめた。それは聞かない方がいい。もし聞いてしまえば、あの子はリンドウではいられなくなってしまう。正確にいうならば、自分の子としてのリンドウの消失。

「え?」

 なんでもないとリリーは首を横に振る。

 出し惜しみなどはしない。

「なぜ捨てた」

「――ッ」

 女は息をのむ。この少女はいったいなんなのだろうか。何を知っているのだろうか。何が目的なのだろうか。何がしたいのだろうか。

 背中には嫌な汗が流れ始めている。

 大声をあげてこの場から走り去ってしまおう。相手はまだ子供だ。本気で走れば振り切れるだろう。

 そう思っていても、身体は蛇に巻き付かれたかのように動かなかった。

「答えよ。なぜ捨てた」

 喉が渇く。

 言葉が言えぬほどに喉が渇く。

 それでも言葉に出さなければいけないと思った。なぜ、そう思ったのか女は自分でもわかっていないだろう。

「ぁ……かっ……」

 絞りだすようなかすれ声だった。

「……邪魔、だったから」

「…………邪魔、じゃった、からじゃと」

 少女の声ではない。

 まるで地獄の底から絞り出すような声だった。

 その声を聞くだけで女は意識が飛びそうになる。それを歯を食いしばり必死に耐えた。この今目の前にいる少女はいったい何なのだ。いったい何者なのだろうか。

「邪魔になったら、捨てたのか……。自分の子じゃろうッ!」

 言葉にのって強風が吹いた気がした。それだけで気圧される圧迫感。

 しかし、恐怖とは裏腹に女の口は自然と動いた。

「だって、だってあの人が……あの人が子供は嫌いだって。子供が嫌いだって言ったんですもの」

「男が嫌いだと言ったら自分の子さえも捨てるのかッ!」

「そうよッ! だから捨てたの! 悪いッ!?」

「ふざけるなよ! それであの子がどれだけツライ思いをしたのかわかっておるのか!」

 女はその場にペタンと座り込んでしまった。力なく俯く。

 そして先ほどとはうって変わって静かにしゃべりだす。

「あなたの言い方だと生きているみたいね……。最初は殺すつもりだったのよ。でも、でも出来なかった。だから――」

 まだマシでしょう。そう女は言った。

 リリーはいつの間にか女に手の届く場所にいた。

「お前に、母親の資格はない」

「わかっている。資格なんて、ほしくなかったわよ」

「…………」

 リリーは何も言わなかった。何も言わずに女を見下している。リリーが一歩足を前に踏みだしたとき、女の身体に緊張が走りビクリと震える。

 殺される。

 そう思ったが、女の視界の中からリリーの足は消えていた。顔を上げて前も見てもいない。後ろを振り向いてもどこにもいなかった。

 助かった。そう思ったときには涙があふれていた。





 ここまで激怒したのは何年ぶりだろうか。

 長く生きているが記憶にない。むしろ初めてではないのか。怒りが頂点に達したとき、自分はいったいどういう行動をとってどうなってしまうのだろう。

 リリーはそんなことを冷静に考えていた。自分の掌を見れば、爪が食い込むほど強く握っていたらしく、少し血が滲んでいた。長く生きてきて、見た目は変わらないが大人になったつもりでいたが、まだまだ自分も子供なのかもしれない。

「いや……」

 むしろ、あれで怒れないようでは逆にダメだ。愛する者を傷つけたのだ。怒って当然。怒るのが普通だ。

「はあああああっ……」

 盛大なため息をつく。あんなつもりは毛頭なかったのにと。問題があるとすれば一つ。このあとの事だ。きっとリンドウと顔を合わせることができない。というか、隠すことができずに話してしまうだろう。そうなったとき、リンドウは傷つくかもしれない。むしろ嫌われるかもしれない。

 それだけは勘弁してほしいが、してしまったものは仕方がない。

「……どうしよおおおおおおおおおおおおおおっ」

 帰りたくない。とゆーか、リンドウと顔を合わせたくない。勝手なことをして勝手に怒って勝手に落ち込んで。

 頭を抱えて地面と睨めっこするリリー。しかしながら、ずっとこのままという訳にもいかない。早く帰らなければリンドウがお腹を空かせて待っているかもしれないのだ。

「………………かえろ」

 気が重い。まるで怒られる子供のようだ。

 リリーは下を向きながらとぼとぼと歩みを進めた。

 何度も頭の中で考えて考えて、それを肯定し否定し、気が付いたら家の前にいた。道中の道のりはさっぱり覚えていない。本当に通ってきたのだろうかと、もう一度引き返したくなる。自分の家がこんなにもおぞましく見えたのは初めてだろう。

「……んぎゃぁぁぁぁああッ」

 とりあえず家の前で頭を抱えて叫んでみたが解決策は見つからなかったようだ。むしろ悪い方向に進んでしまった。

「あっ、まま、おかえり~」

 リリーの叫び声を聞いて、リンドウが家から出てきてしまったのだ。

「たたただいま?」

 リリーの不自然な返しにリンドウは首をかしげる。

「どうしたの? はいらないの?」

「はははいるよう?」

 右手を右足が同時に前に出ていた。本人はどうやら気が付いていないらしい。きっとこの時のことをあとで話せと言われても、きっと記憶にないだろう。

 どのタイミングで話そう。リリーはずっとそのときの事を考える。このモヤモヤとした気持ちをずっと感じているのはもはや拷問に近い。早く言ってしまったスッキリとしたい。

 そう考えた時、リリーはハッとした。

 これでは自分がスッキリしたいだけではないか。リンドウのことなどではなく、自分のことしか考えていない愚か者ではないか。リンドウの為、リンドウの為と思っていたのに、居いつの間にか自分が一番になっていた事に気が付いて愕然とする。すると妙に冷静になれた。

「……リンドウよ。ちと話があるんじゃが」

「うん? お話? なに?」

「ちょっとお前には酷かもしれぬ」

「こく? こくって?」

「嫌な話という感じじゃ」

「だったら聞きたくはないけど、聞かないといけないんでしょ?」

 どっちが大人で子供かわかったものではない。しっかりとわかっている。

「そう、じゃな。しかしじゃ、別に今聞かなくてもよい。もっと、こう、成長してからでもよい」

「いずれ聞かなきゃいけないなら今きくよ。それに嫌な話って言われても気になっちゃうから」

「そうか」

 この子ならきっと大丈夫。幼くてもしっかりしているし、理解してくれるはずだ。

「風呂で話そう」

 二人は向かい合って湯舟につかった。

「う~ん、気持ちいい~」

 リンドウは両手をぐっと天井にあげた。そしてその手が湯舟に浸かったとき、リリーは重く口を開く。

「実はの、お前の親に会ったんじゃ」

「おや?」

 親と言われてもリンドウはピンとこなかったらしい。

「お前の、生みの親じゃ」

 そう言われて、リンドウは初めて土が水を吸うように言葉の意味を理解した。

「会ったのは、偶然じゃった。じゃが、一目でわかった」

 魔女の感覚じゃな、とリリーは言った。リンドウは黙ったままだ。リリーは先を続ける。

「気が付いたら儂は……後をつけておったよ。そして問いただした」

「なにを、聞いたの?」

「なぜ、お前を捨てたのかと」

「…………」

 リンドウは黙って俯いた。きっと過去のなかったことにしたかった記憶だ。それを今、自分がほじくり返そうとしている。だが、これは聞いておくべきことだろう。それが人を成長させる。

「……おせっかいな事をしたとはわかっておるよ。すまなかったの」

 俯いていて表情は見えない。きっと顔を見られたくないのだろう。だが、こんな状態が続くのはダメだ。

「リンドウ、顔をあげるのじゃ」

 リリーは両手でリンドウの顔を包みこみ、自分と眼を合わせた。

 その瞳には何も映っていなかった。怒りも、悲しみさえも。何もなく、ただ無が広がっていた。

「理由を言ってもよいか?」

 かすかにリリーの両手にリンドウが頷いたのがわかった。

「……新しい男と暮らすのに、邪魔じゃったんじゃと。男が子供が嫌いで、それで捨てたと」

 それを聞いたリンドウの瞳がわずかに揺らいだ。

「儂は、それを聞いて……正直、殺してやろうかと思ったわい。胸糞悪くての。本当にこんな最低な人間がお前の親かと疑った。自分が人間違えをしているだけじゃと、そう思いたかった。あやつは、泣きながら儂にそれを言ったよ。本当に人間というのは……」

 それから先は言葉にならなかった。リンドウもまた人間だし、その幼い瞳は涙で何も映していないからだ。

 泣きたくはないのだろう。声をかみ殺して嗚咽のように泣いた。きっとこんなにも近くにいるのに自分のことが見えていない。まるでこの世には自分が一人で泣いていると錯覚してる。

 だからリリーはリンドウをそっと包み込むように抱いて頭を撫でた。世の中には知らなくていい事が腐るほどある。しかし、これは必要なことだ。

「強くなれ、リンドウ。儂がおる。儂が立派にお前を育ててやるからな」

 リンドウの涙は湯舟へと消えていった。








 翌日。

 正直言って、どんな薬を作ったらいいのかわからなかった。リリーは医者ではないし王が何の病なのか、どんな薬が効くのかがまったくわからない。だから適当に薬を作ってその後の調子を聞いての繰り返しになるだろうとリリーは思った。

 花を煮詰めて成分を出していく。花の色と同じ綺麗なピンク色の液体が抽出された。それをさらに気化させて残った成分だけを取り出していく。

「よし、ま、こんなもんじゃろ」

 リリーはなるべく気化されたものを吸い込まないように顔を布で覆っていた。

「ペスト、これをちっと飲んでみてくれ」

「いやに決まってるじゃないの」

 少し離れた場所に座って、リリーの薬づくりを眺めていたペストはリリーにそんな事を言われて即答で返事を返した。

「なぜあたしが実験体にならないといけないのかしら?」

「ちょうどそこにいたから?」

「…………」

 納得の沈黙だった。理屈がわかってしまうのは自分も魔女だからだろう。

「でも大変そうね。薬つくるの」

「まぁのぉ」

 会話をしながら作業を続ける。次にアルヴェルトに行くまでに何十種類もの薬を作って持って行くのだ。時間はいくらあっても足りない。

「時間がいくらでもあるんじゃったら長い時をかけてじっくり取り組むんじゃが、今回は時間が限られとるしのぉ」

 ペストは椅子から立ち上がって窓の外に視線をやる。その赤い瞳に映るのは元気よく遊んでいるアルビノとリンドウの姿だった。

「魔女たちの未来の為、なんて表向きの理由でしょ?」

「バレたか」

「そりゃね。あたしも同じだから」

 リリーが薬作りを引き受けた本当の理由はリンドウの為。息子の未来の為だ。

「きっと王が変われば時代は変わるじゃろ。今のままという訳にはいかんじゃろな。儂は今の時代がそれなりに気に入っておる。じゃからそれを少しでも長く、リンドウがいる間ぐらいは、な」

「そうね……」

 人間は、自分の子たちは絶対に自分たちよりも先に死ぬ。

「あなたなら……できるんじゃないの?」

「…………」

「研究をしているのでしょう?」

「まぁそんなときもあったが……今はしとらんよ」

「すればいいじゃない。不老長寿の薬」

 その薬を作ろうとしている魔女は多い。しかし今まで誰もその薬を作り上げたという話は聞いたことがない。不老長寿の薬は魔女たちの共通の夢だ。

「なんで魔女たちはそんな薬を追い求めるのじゃろうなぁ」

 リリーはどこに視線を合わせているのか自分でもわからなかった。ただ虚空を見つめて誰に聞くでもなくぼそりと呟いた。

「きっと魔女が人間に恋をするからじゃないかしら」

「甘い答えじゃの」

 二人してクツクツと笑っているが、それがきっと答えだというのはわかっている。寿命の差を埋める理由はそれしかない。

人間との共存。

魔女だって元は人間だ。人間として生まれて人間として生きている途中で道が変わる。血が覚醒して人間から進化する。心の奥底では人間を羨んでいるのだろう。

「いつでも魔女を惑わせるのは人間、か。どっちが魔性なのやら」

「本当ねぇ」

 きっと自分たちも惑わされている。なんの因果か人間の子を育てているのだ。まさにカッコウ鳥に卵を渡されたかのような気分だった。

「でも、後悔なんてないでしょ?」

「当たり前じゃ!」

 だから困っているのも事実だった。

「ま、この件が片付いたら作ってみるかな。不老長寿の薬」

 誰にも聞こえない声でリリーはぼそりと言った。

「実は昨日――」

 と口にして息と言葉を飲み込んだ。自分はいったい何を話そうとしていたのだろうか。なぜ、こんな話をペストにしようとしているのだろう。自分たちはそんなにも仲が良かっただろうか。

「昨日、なによ?」

 早く先を言えとばかりにペストがこちらを見てくる。

 考えても仕方がない。それに誰かに聞いてほしかった。

「実はの――」

 かくかくじかじかで、とリリーは語りだした。その間ペストは腕と足を組んで黙って話を聞いている。

「――という訳なんじゃ」

 話し終えたリリーはペストからの意見を待つ。ペストは一度目を閉じて、頭の中で言葉を選ぶ。そして開口一番こう言った。

「馬鹿じゃないの?」

 そのセリフは矢のようにリリーの心にグサリとささった。

「……やっぱし?」

「馬鹿ね。大馬鹿だと思うわよ」

 呆れたようにため息をつくペスト。

「普通に考えて、言うの早すぎると思うわね。さすがに大きくなるまで待った方がよかったわよ。それを待てなかったのは貴女が言わないとモヤモヤするから。つまり貴女は子どもの気持ちよりも自分の気持ちを選んだのよ。母親失格ね」

 グサグサと遠慮なく言ってくれる。本当なら反論したいが、ペストの言う通りなので言葉を探すのをやめた。

「王の薬を作る前に自分の薬を作った方がいいんじゃないの?」

「……そこまで言うか」

「まだマシな方と思うわよ。もっと反省した方がいいんじゃない?」

「……はい」

 やはり第三者から見ても悪いのは自分らしい。

「反省しろとは言ったけれど、そのあとのどうするかの方が大事だと思うわよ」

「そ、そのあととはっ?」

「それって昨日の出来事でしょ? 今日、あの子に何か言葉をかけたの? きっと今の感じからすると気まずくて何も話してないでしょうね。きっとあの子は今、孤独よ。それを救えるのって誰だと思う?」

 リリーはそう言われて考えるよりも早く椅子からバッと立ち上がった。椅子は勢いよく後ろに倒れて悲鳴をあげる。それをペストは呆れたように見やる。

 そのままリリーは外へと飛び出していった。

「やれやれ。本当に五百年以上生きた魔女なのかしらね」

 誰が子供なのかわかったものではないとペストはため息をついた。ペストはゆっくりと立ち上がってリリーが倒した椅子をもとに戻す。

 そして窓の外を見る。するとそこには今まで二人で遊んでいたアルビノとリンドウがいたが、どうやらアルビノが追い出されたようだった。アルビノはとぼとぼと家の方に歩いてくる。

「おかえりなさい。おいだされちゃったの?」

「……大事な話があるとか」

「大事な話というか、うん、まぁ……」

 歯切れの悪いペストにアルビノは首をかしげる。

「とりあえずお茶でも呑みなさい」

 アルビノは訳もわからずにお茶を口に入れた。

 外では息も切れ切れのリリーが焦っていた。

 勢いよく駆けて来て、アルビノを追い出してリンドウの前に立ったはいいが、何もセリフを考えていなかったのだ。

 頭はパニック状態で目がグルグルと回る。

「……だいじょうぶだよ、まま」

「――――ッ!」

 先に言葉を口にしたのはリンドウの方だった。

「そんなに心配しなくてもだいじょぶ。とつぜんだったからビックリしただけ。知れてよかった、とは思わないけど……強くなれる気がする」

 人として成長できるはず。リンドウはそう言った。

「……こんな母親ですまんの。お前にかけてやれる、言葉が……よく、わからん」

 そう言われてリンドウは眼を瞑って首を横に振る。それは否定の動作だ。

「ぼくはままに拾われてよかった。うれしかったよ」

 そう言ってもらえると心が救われる。

 自分は母親として見事なまでの失敗を犯したと言ってもいいだろう。もう、二の轍は踏まない。

 だからケジメをつけなければいけない。これは単に母親としてではなく、魔女としてだ。

 リリーは小さな身体をくの字おった。

「……儂は、立派な母親になる。お前にふさわしい母親になる。なってみせる!」

「じゅうぶん、いい母親と思うよ」

 リンドウはそう言って頭をさげるリリーの顔を優しく抱いた。

 母親というのは難しい。これから先、我が子に嫌な思いはさせないと誓いたい。だが、それは難しいだろう。感情はコントロールできない。自分の感情さえも出来ないのに相手の感情をコントロールなど絶対に無理だ。

 しかし、だからといって諦めるわけではない。適当な言葉だが、出来るだけ、出来るだけでいい。ほんの少しでもそれを減らせればいい。

 言葉には出さないがリリーは心に誓ったのだった。




 その後、話は終わったらしく、アルビノはリンドウの元へと戻った。

 なんの話だったのか気にはなるが、はたしてそれは聞いてもいいものだろうか。だからアルビノは、少し論点をズラして聞く。

「お前は魔女のことを恨んでないのか?」

 リンドウはアルビノに唐突にそんな事を聞かれて、一瞬意味がわからなかった。顔を見ればふざけて聞いているのではないと簡単にわかった。だからリンドウは本心を告げる。

「感謝はしてるけど恨んだ事は一度もないよ」

「そうか」

 アルビノは一言だけそう返した。自分とは出会いが違っているのをリンドウは知っている。もし立場が逆なら自分は生きる事を早々に諦めていたのだろうと思う。だから純粋に尊敬できた。

「僕の本当の親はね」

 そう思ったからこそ、アルビノには自分の過去を話してもいいかと思ってリンドウは語りだした。

「僕を捨てたんだよ」

 笑いながら言った。今だからこそ、今が幸せだからこと笑って話せている。それに、それ以上に想ってくれている人がいるのだ。

「とにかく僕は捨てられた。森の中に捨てられた。殺されなかっただけでもマシだとそのときは思ったよ」

「……そうか」

「そしたらままに拾われた。うちに来るかって言われた。あの時のことを僕は一生忘れない。だから恩返しがしたい。どんなものからもままを守れるようになりたい。強くなりたい」

「そこは俺と一緒だな。俺の場合は殺す為だが」

「僕は別にアルビノの事を否定はしないよ。それぞれの人生だし。でも一つだけ忘れないでほしいことがある」

「……なんだよ?」

「あの人がアルビノに向けている愛情は本物だと思うよ」

「…………」

 そんな事は言われなくてもわかっている。しかしだからなんだと言うのだろうか。そんな事で自分の決意は揺らいだりはしない。

「あのさ、アルビノ。前から一つ思ってたんだけど聞いてもいい?」

「……なんだよ」

「本当にアルビノの両親を殺したのっておばちゃんなの?」

「他に誰がいるんだよ」

「いるかもしれない。アルビノはおばちゃんが殺すとことを見たの?」

「……いや見てはない」

 アルビノが目撃したのは血まみれで倒れている両親を見下しているペストの姿だった。実際に殺した瞬間は見ていない。

「だったら――」

「あいつ以外にありえない。あの場にはあいつしかいなかった。あいつがナイフで俺の親を刺して殺したんだ」

「…………」

 そう言われてもとても信じられなかった。でもアルビノが言うならそうなのだろうとリンドウは無理やり納得した。

「で、殺せそうなの?」

「今のとこ全然無理だな。俺が子供すぎる」

「まぁたしかにねぇ。僕もさすがにままを守る自身ないなぁ。早く大人になりたいね」

「そうだな」

 どんなに頑張ったとしても成長するスピードは、時間が流れる速さは決まっている。それは絶対に変わる事がない世の理だ。遅かれ早かれ自分たちは成長する。だったら急ぐ必要はどこにもなくて、今できる事をするしかない。

「お前、勉強とかしてる?」

「うん? してるよー。知識は力だってままがいつも言ってるしね」

「俺もした方がいいか……」

「まぁそうだよね。身体を鍛えるのも重要だけど頭も鍛えないとバランスが悪くなると思うよ。そうしないと殺す作戦もたてられない」

 理屈はわかる。

「毎日教えてくれる人がいればな。アレ以外で」

「……厳しい現実だね」

 さすがにリンドウ自身が教えるというのは無理がある。自分が人にものを教えられるほど知識がない。

「どうしたもんか」

 子供では限界がある。今できることすら考えて答えを出してそれを実行に移すのは難しい。

「まぁ今度遊ぶまでにいろいろと調べてみようよ。数は力だって本にも書いてあったし、二人で考えた方が早い」

「二人が数という表現にあてはまるか?」

「一人よりいいのは事実だよ」

「まぁ」

 きっとそういう答えを見つけるのは自分ではなくてリンドウの方だろうなとアルビノは思った。自分とは頭の出来が違うと感じている。まだ数回しか会っていないがそれだけで十分わかった。本当に同じ人間なのかと思ったこともある。

 きっとその答えは魔女に育てられているからだろう。

 だったら自分は?

 自分だって一応反発しながらも魔女に育てられている。

「魔女から何かを吸収する、か」

 知識や行動。

 魔女独特の感性など。

 それが人間離れした力に繋がるのかもしれない。

「よし、とにかく今日は遊ぼう。向こうの川に魚いたんだけど、捕まえてみよーよ」

「魚か。今日の晩御飯だな」

 二人は我先にと川を目指して走り出したのだった。




 ペストは闇の中にいた。

 完全に夜と同化し、真っ赤に燃える真紅の瞳だけが闇の中で蠢いているように見える。それを見れば、見られれば、身体は恐れおののくだろう。

 誰もいない。

 それは魔女の感覚でわかる。この場所に生命は存在しない。

 この場所に来るのはいつぶりになるだろうか。

 ペストは躊躇うことなく、家の中に足を踏み入れた。もちろん明かりなどはないので真っ暗なままだ。それでも手に取るようにわかる。窓枠を指でなぞればホコリがたまっていた。

 家の中は当時のままだ。椅子は壊れ、机は倒れているし花瓶は割れて花は枯れていた。床に残るドス黒いあと。ペストは思わず膝を曲げてそれを見つめる。

 あぁ、ここにいたのだろう。

 もはや、その場所からは何も感じなかった。

 この場所はアルビノと出会った場所。すなわちアルビノの家だ。リリーの話を聞いて、ペストはこの場所に来た。理由があったとは思えない。

 ただ、足が向いたのだ。

 ペストは立ち上がって部屋の中を見ていく。ここにはきっと幸せな家庭があったのだろう。残像を視るかのように流れていく。

 特に何かを探しているわけではなかった。だが、ある引き出しが気になってペストはそれを開ける。

「これは……」

 そこにあったのは一枚の紙。その紙には人が三人描かれていた。子供が描いたであろうヘタクソな絵だ。しかし、それは紛れもなくアルビノが描いたものだろう。

「あの子、こんな絵を描くのね」

 紙の感じからして数年は経っていそうだった。おそらく初めて描いた絵なのだろう。それを両親は大切に、何よりも大切にしていたに違いない。きっとアルビノ本人はこの絵の事を覚えてはいないだろう。

 ペストはその絵をしまわずに引き出しを戻した。

 いい土産ができた。そう思ってペストはシニカルに笑ったのだった。



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