第十話
「これが最後だ。怪我をしたくなければそれを寄こせ」
「なんでこれがほしいの?」
「答える必要はない。仮に答えたとして、渡すのか?」
「いやだよ。絶対渡さない」
「なら答えは無意味だ。もうこれ以上は意味がない」
話し合いは終わりだ。ネルはおもむろに視線を地面に落とした。その先にはネルの拳と同じぐらいの大きさの石が転がっている。それを迷う事なく軽く蹴とばす。
しかし、軽く蹴とばしたはずの小石はその軽く蹴とばした力で弾かれたスピードとは到底思えないほどの速さでサクラの顔面に向かって行った。
あまりの事でサクラは眼を見開いて驚くしか出来なかった。しかし、それに反応した者が一人だけいた。
とっさにサクラの前に割り込んだ。
右手を前に突き出し、結界を構成してシェルはサクラを護ってみせたのだ。
「司教様?」
サクラの言葉にシェルは応える事もせずに振り向こうともしない。理由は簡単だ。目の前の敵から視線を外すべきではない。
シェルは両ひざを地面に着き、顔の前に手を組んだ。
「祈れ、祈れ。汝は独りではない。我の中に汝はいる。そしてまた、汝の中にも我はいる。忘れるな。例え独りになろうとも。忘れるな。誰も応えてくれなくとも。祈れ。さすれば祈りは我に通じるであろう。Amen」
サクラを護ったはずの結界はひび割れて砕け散り、その破片がネルの覆うように再び形成される。
「小癪」
シェルを中心に地面に亀裂が入り、地面が空中に静かに浮遊を始めた。サクラは浮遊を始めた瞬間に素早く降り立つ。
「司教様っ?」
しかしそれでもシェルは態勢を崩さす祈りを捧げる。
「罪に十字架を突き立てろ。かつて何処かでそうしたように。嗚呼、我は願う。その全ての罪が、不浄が地の果てへと消えるようにと――」
「何をやっている!? シェル司教殿逃げろ!」
しかし、誰の声も耳に入っていない。唯一聞こえるの詠唱をしている自分の声だけだろう。
既に飛び降りては無事に済まないほど高さまで上昇している。しかし、シェルにはそんな事は関係がなかった。唯一の足場が崩れ去ろうとも。
「くそっ、あの馬鹿!」
ロゼは石をシェル目掛けて投げる。
「雲竜石! いけッ!」
瞬く間に石はドラゴンへと姿を変化させて飛翔した。落下を始めているシェルは姿勢を崩さない。そのまま落ちれば即死だろう。
落下からの浮遊感。大きな何かに身体を掴まれて上を見上げれば、そこに居たのは伝説上の生き物だった。
「なななななんっ!? だッ! こりゃぁっ!」
初めて目の当たりにする姿に思わず言葉を繋ぐことすら忘れて、思った事が口から出てしまった。繋がれなかった言葉は力を持たずに、ネルを捕えていた結界は消滅する。




