第九話
その場にいた誰もが己の耳を疑った。
それは伝説だ。魔女が生涯追い求めるであろうたった一つのモノ。
そしてそれはまだ誰一人として見つけれていないモノ。
そしてこの世にあってはならないモノだ。
それは世界の秩序を平然と壊してしまう。それこそ黒死病よりも。
そんなモノが目の前にあるのだ。信じられるはずもない。魔女が追い求め、恋焦がれるほどに欲する。それはネルとて例外ではない。
椅子から静かに降りてネルはサクラの前に立った。
「それを渡せ」
唸るように静かにそう言った。空気がぴりつくのわかる。
「いやだよ」
サクラは臆することなく拒絶の言葉を言い放った。
ネルはそれでも無表情だ。その顔から次の行動は読み取れない。二人はにらみ合いを続ける。その間、わずか数秒。ネルが先に視線を床に向けて、自身の左手で顔を覆った。冷静に、落ち着こうとしているのだろう。
「……それが本物とは限らない」
「うん、そうだね。でもおかあさんは言った。これを二人に飲ませればきっとうまくいくだろうって。これ、たぶん本当はおとうさんに飲ませたかったんじゃなかったのかぁ……」
だが、それは叶わなかったのだ。薬が出来上がるよりに先にリンドウは――。
花の魔女が創りあげた不老不死の薬。
ネルはリリーの事を知っている。信用もできるほどに。他の魔女が創ったといったら、見向きもしなかっただろう。しかし創ったのはリリーだ。一番可能性が、ある。
「……それを寄こせ」
先ほどとは言葉が違った。その意味は力づくでも奪い取るという気持ちが込められていた。だからといって、渡すわけにはいかない。
サクラは同じ言葉を返す。
「いやだよ」
瞬間、空気が弾けた。
ネルの身体からほとばしる波動。それは並みの魔女ではない。サクラは距離をとってすぐに薬をカバンに締まった。
それを見たネルはすぐに釘を刺す。
「お前は私に恩があるはずだ。手を出すな」
「――ッ!」
ロゼはその言葉に身体が膠着した。たしかにネルは恩人だ。それこそ妹や友人の元を離れてネルを探しに一人で旅をしたほどだ。
しかし、サクラは大事な友人の忘れ形見だ。何をおいても護らなければと決意したばかりだった。この二つを同じ天秤の上にかける事は出来ない。どちらに傾くなど想像すら出来はしなかった。
だから身体は硬直する事を選んだのだろう。だからそれがわかっているサクラはそれに関して特に何も言わなかった。
「お外、でよっか。建物が壊れちゃいけないし」
これから起こる事をわかっているし受け入れている言葉だ。ネルは黙って外にでた。




