序幕
さらに月日は過ぎていく。
懐かしむ事は出来ても、決して戻る事のない時間たち。何かが変わったようで、何も変わってないような感覚。
アルビノの背がペストを追い抜き、リンドウの背はリリーと顔一つ半ほどひらいていた。
二人は士官学校六回生になっていた。
ある季節の魔女集会。
この魔女集会は重要な集会となる。今後の魔女の存在にかかわるものだ。
黒い円卓の机に十三人が一堂に会した。そしてリリーが重く口を開く。
「……あれから十二年が経った。儂の薬はしっかりと役目をしたと言っても良いじゃろう」
その言葉に誰も反論する者はいない。
「じゃが……」
と、続ける。
「じゃが、それももう限界を超えておる。身体が薬に慣れてしまったんじゃ。治すつもりで薬を作ってきたが、病を遅らせ、延命するのが精いっぱいじゃった」
長老のネルは俯いている。
「時代が、変わる」
その言葉の意味はすぐに全員が理解した。それがどういう意味なのか、そしてこれからどうなるかもすべてわかる。
「アルヴェルトの王は……近いうちにその生涯を終えるじゃろう」
それを聞いた瞬間だった。今まで塞き止めていたものが一斉にダムの決壊のように流れ出た。
「ふざけるなッ!」
小さな拳を大きな円卓の上に叩きつけた。この場で小さな身体が小刻みに震えている。
「ふざけるなッ! ふざ……けるな……」
雪のように溶けていく声だった。認めたくない。そんな事実は否定してやると何度も拳を机に叩きつける。
「……ネル。これはどうしようもないんじゃ。お前じゃったらわかるじゃろう」
俯いて歯をギリギリと噛みしめる。
それが人間というものだ。自分たち魔女とは違う。
「王が変われば国のルールが変わる。おそらく儂らにとっちゃ……悪い方向へな」
誰もが脳裏をよぎる。
「始まるぞ――魔女狩りが」
わかってはいるが、いざそれを言葉に出すと同時に恐怖が身体を突き抜けた。他の地域ではすでに魔女狩りが行われた国も多い。それがついに自分たちの地域まで浸食されるのだ。このままでは殺されてしまう。
「ネル」
駄々をこねている場合ではない。それはネル自身もわかっていた。
「……おそらく……これが最後の魔女集会になるであろう。全員、この地域から逃げろ。戦いたい者は勝手に戦え。それぞれ選択の自由だ」
そう言われて一人の魔女が立ち上がった。
「じゃあね、みなさま。私はどこか遠いところへ逃げるわ。いつかまた、魔女集会で会いましょう」
そう言ってこの場からいなくなった。
「あたしは戦ってみるかなー。せっかくの場所を人間なんかの都合でとられてたまるかよ」
そう言ってこの場からいなくなった。
それと同様に、一人、また一人と言葉だけを最後に残して去っていく。だれもその選択を攻める者はいなかった。また生きていれば会うだろうし、死ねばただそれだけだ。
「ペスト、お前はどうするんじゃ?」
「さぁねぇ、どうしようかしら」
ペストとリリーには子供がいる。大事な大事な息子だ。子をおいて一人で逃げるなど断じてありえない。
「とりあえずアルビノと話をしてみい。こっちもどうするか話し合ってみる。まだ時間はあるはずじゃから」
「そうするわ」
そう言ってペストは帰っていった。
正直なところ、ペストが本気を出せば国一つぐらいは滅ぼせるだろう。だが、それが容易には出来ない。なぜなら愛しい我が子が人間だからだ。きっとそんな選択は許してくれないだろう。むしろ、魔女狩りを行う側につくだろう。
どうにも面倒な事になりそうだと、ペストはシニカルに笑った。
「ネル、お前はどうするんじゃ?」
「五月蠅い」
ネルはこちらに背を向けているのでその表情は読み取れない。リリーは一度大きく深呼吸をして別れを告げる。
「生きておったら、いつかまた、魔女集会での」
「…………」
ネルは何も応えなかった。
どこまでも白く高い雲、どこまでも続く青い空。日差しは容赦なく大地を焼く。水の音を聞けば温度が下がる。夕日はどこまでも朱く、どこまでも遠くを照らしている。
そんなある日だった。
すべての生命には限りがある。それは世の理で平等なものだ。そのカルマの輪から外れたのが魔女。
魔女はすべての理から除外された存在。
だから。
だから一緒に生きることなど、出来はしないのだ。
ネルはそれがわかっている。長い時代を生きてきた。それは嫌というほど知っているしわかっている。
だから。
だから納得などできるはずはない。
「……ネルか」
王はベッドに横になった状態でそう口を静かに動かした。顔色はシーツと同じような色をしていた。
「よくわかったな」
「来るような気がしたのだ。さしずめ、今日は魔女ではなく……死神かもしれんな」
表情と声に変化はなかった。それでも笑っているのだとネルにはわかった。すでに顔の筋肉すら動かす力がないのだろう。
きっとネルが最期の日に会いに来てくれるだろう。次に会う時が最期の時だと、王にはわかっていた。
「…………」
この状況で、王の冗談に付き合うのは難しかった。いつもなら応えてやれるが、口が、声がうまく出せなった。自分の声はいったいどこに忘れて来たのだろうかと考えていたら、それを感じ取った王が口を動かす。
「もはや眼が見えんのだ」
「……そうか」
「お前の顔が見れないことを残念に思う」
「…………」
ネルは何も応えなかった。
「隣へ、私の近くに来てくれないか」
眼は見えずとも、気配を感じたいと王は言った。
それに従ってネルはゆっくりと王が横になるベッドへと近づいていく。よく見えなかった王の顔が次第に鮮明に見えてきた。
この焦燥感はいったいなんだろうか。顔は痩せこけていているし、もうすでに死んでいるようにも見える。自分の知っている顔とは違った。
「…………ッ」
言葉に、ならない。
「ネルよ」
そう名前を呼ばれて身体がビクリと反応した。
「手を、手を握ってはくれまいか」
「……私になんのメリットがあるというのだ」
「何もない。ただの私のワガママだ」
断っていい。そうだ、わざわざ人間の言う事を聞く義理はない。そんなことを考えていると、頭とは裏腹に自分の手は王の手を握り締めていた。
それに自分で驚いてしまった。
「ネルよ、どうしたのだ? 震えているのか?」
ネルの手は小刻みに震えていた。だが、ネルはそれを否定する。
「……さ、寒いのだ」
今の季節は、夏だ。
「そうか、寒いのか」
沈黙が支配する。
するとポタと何かが王の手に当たった。
「ネルよ、どうしたのだ? 泣いているのか?」
ネルは俯いて自分と王の握っている手を見て言う。
「……なぜ私が泣く、のだ? あ、雨漏りでもしているのではないのか」
「そうか。それはいけないな。修理をさせねば……」
沈黙が再び支配する。
「ネルよ、訊きたい事があるのだが、良いだろうか」
「なん、だ?」
「私たちが夫婦になれた可能性は、あったか?」
「…………ッ」
その問いにネルは息をのんだ。
「あ、あるわけがないだろう。私は、魔女で、お、お前は人間だ」
「そうか。私は最近いつも考えるよ。考えられずにはいられないよ。もし、私が王の座を捨ててお前と共に生きる道を歩んでいたのなら、どんな人生が待っていたのかと」
「それは、お前が、子供のときに話しただろう。お前の人生のレールは決まっているのだ。抗うことなど出来はしないと」
「そうだったな。忘れていた」
ふぅ、と命を吐き出すかのように王は深呼吸をした。
「ネルよ、今でも人間は嫌いか?」
「当たり前、だろ。人間は、嫌いだ」
「お前のその人間嫌いはどうにかならんものなのか」
「ならん」
「そうか、それは残念だ」
「ネルよ、人間は死んだらどうなるのだろうな」
「どうにもならんだろうさ。死ねば終わりだ」
「もし、もし魂というものが存在するのなら、ネルよ、私の魂を捕まえてずっと持っていてくれまいか」
「……そんなものは、存在しない」
「わかっておる。もし、の話だネル。最期の頼みだ」
「……いいだろう」
「感謝する。これで心残りはなくなっ、たよ。これ、からの時代、お前たち魔女、は生きにくい世の中になるだろう。だから、お前は逃げて、くれよ……」
返事をしよう。なんと返事をしよう。たった数秒、そう考えていた。するとあることに気が付く。
お互いに握られていた手から力が抜けていたのだ。それでネルは覚る。
「…………こ、これだからッ――これ、だから、人間は嫌いなんだッ」
ネルは握っていた手を自分の顔にこすり付けて泣いた。もう相手に気づかれる心配もない。だから盛大に、泣いた。
しばらくすると、王の身体から何か光のようなものが出てきた。ネルはそれをそっと手繰り寄せた。
それは王の魂だった。そしてネルはこのことを知っている。
何度も、何度も繰り返し見たからだ。
王の願いは魂をずっと持っていてほしい。だがネルは――。
「往け、人間の魂よ。お前はまた輪廻転生を果たすのだ」
そう言ってネルは王の魂を解き放った。薄っすらと、ゆっくりと魂は消えていく。
「また、また見つけてやる。何度でも、何度でもお前の魂を見つけてやる」
いったい何度この光景を繰り返してきたのだろうか。何度このセリフを言ってきたのだろうか。
そして、何度この先同じセリフを言うのだろうか。
「また、必ず会おう」
ネルは振り返らずにその場を離れたのだった。
時代は変わった。
前国王が死に、その息子へと王権が引き継がれたのだ。それは国のルールが変わる事を意味する。
新たな王は言った。人外なるモノを駆逐せよ。それらはいずれ我ら人間の脅威になるであろう。
それが何を意味するのかは、考えるまでもなかった。教会が中心となって立ち上がる。
かくして――魔女狩りが始まったのだった。




