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心に沁みる珈琲5

 その日の夜。閉店したカフェに来た私と青藍さんは、ふたりで日本酒を酌み交わしていた。なんとなく興奮して眠れないのもあったけれど、どうにも理解できないことが多かったので、情報を整理したかったのだ。


「あの木箱に詰められた折り紙なんですけど、どうしてそれが、土蔵に入れられていたんでしょうか」

「どうせ、正妻の息がかかっていたという使用人が、意地悪をしようとしたんじゃないかしら。年端もいかない子どもに、冷たい態度を取れるような人間だもの。ありえるわ」

「そう、ですよね。そうとしか、考えられませんよね……」


 深く嘆息して、お猪口になみなみと継がれた日本酒に口をつける。青藍さんオススメの辛口のお酒。以前味わったことがあるお酒だが、すっきりして飲みやすいはずなのに、今日ばかりはほろ苦く感じる。


「そうだとしたら、すごく罪深いですね。その行為が、人が鬼になってしまうほどの孤独を与えたんですから。……本人は、まったくその意味を理解していなかったでしょうけど」


 思わず、顔を顰めてお猪口を置く。どうも、今日は美味しくお酒を飲めそうにない。すると、青藍さんはぐいとお酒を飲み干すと、忌々しげに言った。


「その場にアタシがいたら、切り裂いてやるのに。本当に腹立たしいわ」


この後、しばらくふたりで当時のことに妄想(・・)を巡らせた。それを妄想だと思うのは、一世紀以上も経った今、真実は誰にもわからないからだ。当時を直接知らない私たちにとって、いくら知り得た情報を元に事実らしきものを創り出してみても、それは想像の域を出ない。はっきり言って、意味のないことだとは思う。けれども、愚痴らずにはいられなかった。それだけ、ふたりとも憤っていたのだ。


 そして、もうひとつの疑問。――あれは、朔之介さんの母親だったのかということだ。

 そのことを尋ねると、青藍さんはゆっくりと首を振った。


「違うと思うわ」

「え、そうなんですか? 私、てっきり……」

「なんて説明したらいいのかしら。あれは、念の塊みたいなもので、本人じゃないのよ」


 青藍さんによると、あれは朔之介さんを想う母親の情念が基になった存在であるという。息子に届かなかった想いは、長い時を経て力を得た。そして、現世に「息子の安否」をひたすら確認するだけのあやかしとして、存在を持つに至ったのだ。


『ごちそうさま。こんなに美味しい珈琲、私はじめてよ……』


 その時、ふと、最後に聞こえた声が脳裏に蘇ってきた。あの影が、遺された情念があやかしになったもので、事実本人ではなかったのだとしたら、あの声は一体なんだったのだろう。もしも、あの数々の問いへの答えが、本当に朔之介さんの母親に届いていたのなら――なんて、素敵なことだろうと思う。


 私は、うっかり滲んできた涙をこっそり拭うと、またぐいと日本酒を口にした。


(……ああ。苦いなあ)


 すると、じっとお猪口の中を見つめていた青藍さんがぽつん、と言った。


「人間の念があやかしになることなんて、滅多にあるもんじゃないのよ。本当に……母親の愛情って、強いものね。本物の母親には絶対に勝てない。今回のことで思い知ったわ」


そう語った青藍さんは、やけに寂しそうで――辛そうだった。

 朔之介さんを自分の子どもだと思っている。彼の母親でありたい――そう、言っていた青藍さん。彼にとって、今回のことは心中複雑らしい。そんな青藍さんに、私は素直に思っていたことを告げた。


「青藍さんだって、立派なお母さんだと思いますよ?」

「……っ!」


 すると、途端に青藍さんは、全身を茹でダコのように真っ赤に染めて、素っ頓狂な声を上げた。


「な、ななななにを言ってるのよ!?」

「朔之介さんだって、きっとそう思ってます。自信を持ってください。あちらが鬼になる前のお母さん、青藍さんが鬼になってからのお母さん。私は、それでいいと思います」

「あっ……なっ……!!」


 青藍さんはわなわなと唇を震わせると、「何を言っているのよ、馬鹿!」と照れ隠しに大声を出して、ドスドスと乱暴な足取りで店を出ていってしまった。その後姿を笑いながら見送った私は、お猪口に残っていた日本酒を一気に飲み干して、後片付けをするために動き出した。




あれから数日。

今日も、いつもどおりにカフェは営業している。

鎌倉を包む空気の暑さは日に日に増し、冷たいものを求めて、もしくは夏の暑さに耐えかねて、開店からどんどん客がやってくる。店内は、あっという間に満席になってしまった。


「はい、ブレンド上がったよ」

「はーい! 源五郎さん、おまたせしました!」

「おお、ありがとよ!」


いつものように常連客たちに飲み物を運んで、帰っていった客が残した食器を下げる。入り待ちの観光客が、私に呼ばれるのを今か今かと待っている。急がなければと、テーブルを綺麗に拭き上げて、客を呼ぼうと口を開いたところで――。


「うおっ!?!?」


源五郎さんの上げた素っ頓狂な声に、思わず舌を噛みそうになった。


「び、びっくりした〜。どうしたんですか?」

「おいおいおい。まじか。いや、まじか……」

「……?」


怪訝に思いつつも、お客さんが待っているのだったと動き始める。すると、視界に入ってきた常連たちがみんな、驚いたような顔をしているのに気がついて、思わず足を止めた。すると、私の様子に気がついた彼らは、揃ってカップの中を指差し始めた。何かを伝えようとしているのは理解できるのだけれど、どうにも意味が汲み取れずに首を傾げていると――彼らは、口を揃えて言ったのだ。


「「「これこれ、この味!!」」」

「えっ……」


驚いて、朔之介さんを見る。すると彼は、はにかみ笑いを浮かべて言った。


「ずいぶんと面倒をかけたね。ようやく――思い通りの味が出せるようになったよ」

「……!!」


それは、うちのカフェに「いつもの変わらぬ味」が戻ってきた瞬間だった。


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