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我儘なお客と特別なパンケーキ1

 エプロンを締めて、髪は軽く結って。気合を入れて腕まくりをする。

 そんな私を、朔之介さんと青藍さんが心配そうに見つめている。


「フライパン、焦がさないでよね?」

「わかってます!」


 青藍さんの言葉に鼻息荒く答えると、私はそれに向かい合った。

 今日こそは、みんなの役に立ってみせる。

 胸を張って、この店の一員であると言えるように……!

 深呼吸をして、準備万端。気合も充分に調理に取り掛かる。


 ――さあ、作ろうじゃないか。

 彼女が「食べたことのないパンケーキ」を!




 しとしとと雨が降り続いている。桜の季節はあっという間に過ぎ、鎌倉には雨の季節がやってきていた。自室の窓際に座って、すっかり散ってしまった桜の枝を眺める。こんな雨の日は、さすがのあやかしも外出を控えるのだろう。特に変わったものは見えない。


『――聞いているの、詩織。最近どうなの?』

「平気だって。楽しくやってる」


 電話の向こうから、母の心配そうな声が聞こえる。

 急に仕事を辞めて、住み込みで新しい仕事をはじめた娘が気がかりなのだろう。やたら早口で、あれこれ聞き出そうとしてくる。


『ほんと、いい会社に入社したってのに、もったいないわよね。律夫さんのことだって……。ねえ、詩織。あの人、本当に浮気したの? アンタが何かしたんじゃないの?』


 母の言葉に、頭にカッと血が上る。

 親だからって、言っていいことと悪いことがある!


「……私が何かするわけないでしょ! 馬鹿なこと言わないでよ!!」


 私は途端に不機嫌になると、また連絡するとぶっきらぼうに言って電話を切る。そして、窓に着いた雨粒を眺めながら、盛大にため息をついた。


(どうしてこうも、上手くいかないのだろう)


 胸のなかのモヤモヤを振り払うように、勢いよく立ち上がる。そして部屋を出ると、階下にあるカフェスペースへと向った。


 ぎしぎしと軋む音を立てる階段をゆっくりと降りて、ひょいと店内を覗き込む。

 今日は店休日だ。なので、客の姿はない……はずなのだが、奥にある座敷席には大きな影がひとつあった。


 畳四畳分ものスペースを占領しているのは、巨大な女性の生首(・・)だ。おしろいを塗って、鮮やかな紅を差し、黒々とした髪を畳の上に散らしているそのあやかしは「大首」という。ああ、まだいるのかとため息を零す。すると、誰かのぼやきが聞こえてきた。


「まったく、いつになったら帰るのかしら」


 それは、この店のオーナーである青藍さんだった。大首が店に居座るようになって早二日。彼の機嫌は、悪化の一途をたどっている。今日の青藍さんは、あじさいを思わせる鮮やかな青紫色の着流しを着ていた。けだるげな雰囲気を持ち、どこか妖艶な雰囲気を醸し出している彼は、猫又のあやかしだ。青藍さんはこの辺り一帯を取り仕切っていているボス的な存在らしく、店には毎日多くのあやかしが訪れる。大首もそのひとりだった。


 彼は、気だるげにカウンターに頬杖を突き、客を無理やり追い出すにはいかないと、半ば諦めの籠もった眼差しを大首に注いでいる。まだ朝だというのに、苛立ち任せに次から次へと杯を空けて、頬を酔いで染めている。すでに酔っ払っているのだろう。そのせいか、彼特有の女性っぽい口ぶりが普段よりも大分刺々しい。


「でかい生首が転がっているカフェなんて、客が寄り付かないわ。まったく困ったもんだわね」

「は……はあ。そうですね……」


 ブツブツと文句を言っている彼に曖昧に微笑み、ちらりと座敷席を占領しているあやかしを見る。あじさいの精の件以来、私は人ならざる彼らのことを知るべく、出会った相手について調べるようにしていた。なので、大首に関しても若干の知識がある。


 大首というあやかしの姿は、鳥山石燕の今昔画図続百鬼で見ることが出来る。


大凡(おおよそ)物の(おほい)なるもの皆おそるべし。いはんや雨夜の星明りに鉄漿(かね)くろぐろとつけたる女の首おそろし。なんともおろか也」と、石燕が本の中で述べたあやかしは、一般的に鉄漿――お歯黒をした既婚女性の生首で描かれる事が多い。何をするあやかしかというと、なんのことはない。突然落ちてきたり、転がってきたりして人間を驚かせるだけだ。


 けれど、目の前の大首は自分の「仕事」をまっとうする気は今のところないらしい。人間に見られていても構わず、バリバリと大量の袋菓子を食らい、1.5リットルの炭酸飲料に直接口を着けては、次から次へと空けている。その姿はまるで、自分の内に溜まった鬱憤を晴らそうとしているかのようだった。


「――アンタ。なんで、市販の菓子が食えてコレが食えないのよ! さっさと食べて帰りなさいよ!」


 青藍さんはこめかみに血管を浮かべて、もう何度目か分からない忠告をした。

 彼の指差す先には、テーブルに乗ったパンケーキの皿がある。しかし、大首はそれには一瞥もくれずに、持ち込んだお煎餅をバリバリと乱暴に噛み砕くと、ふんとそっぽを向いてしまった。


「こんなありきたりのもの。私、食べたくないわ」

「ありきたりですってぇ!? せっかく朔が作ったのよ! 謝りなさいよアンタ!」

「嫌よ。絶対に嫌!」


 どうやら、大首にも何か事情があるらしい。けれども、その内容を話すつもりはないらしく、彼女はただひたすらある要求をし続けていた。


「私は、私が『食べたことのないパンケーキ』を食べたいの! こちとら客なのよ! 早く持ってきてちょうだい。それまで、一歩もここから動かないんだから!」


 そう言って、威嚇するように真っ白な歯(・・・・・)を剥き出しにした。


「一歩も動かないって。……アンタ、生首なんだから足はないでしょうよ」


 青藍さんの呆れ返った声が店内に響く。私は、苦笑を浮かべながらも、また癇癪を起こし始めた青藍さんを宥めに掛かった。


 *


 あやかし「大首」――巨大な生首だけの彼女が私たちに突きつけた難題。


「食べたことのないパンケーキが欲しい」


 彼女にそう言われた時、私と朔之介さんは困惑するしかなかった。目の前のあやかしが今までどういうものを食べてきたのかなんて知らないし、具体的な内容を尋ねても、彼女は何も教えてくれなかったからだ。とりあえず、元々メニューにあったものを提供してみた。けれども、それは大首の求めるものではなかったらしい。口を付けてもらうことすら出来なかった。


 その後、朔之介さんとふたり知恵を絞って、トッピングを変えてみたり、普段とは違う小麦粉で作ってみたりと、色々と工夫を凝らしてみた。しかし、どうにも上手くいかない。テーブルの上には食べて貰えなかった可哀想なケーキたちが増えていくばかりで、途方に暮れてしまった。


「あのデカ生首、どうしてくれようかしら……」

「まあまあ」

「アレが席を占領しているせいで、普段より客が入れないのよ。これじゃあ、商売上がったりよ!」

「青藍、落ち着いて」

「だって、朔ぅ! あ~もう、苛つくわ!」


 青藍さんは勢いよくコップに酒を注ぐと、一気に飲み干した。そして、酔いにほんのりと頬を染めて、じろりと私を睨みつけた。


「ねえ、詩織。何かいいアイディアはないわけ?」

「うっ……。す、すみません」

「あっそう、ないの。……まったく! 腹立たしいわ」


 青藍さんはそう言うと、コップにまた酒を注いで呷り、貧乏ゆすりを始めた。


 ……また、失望されてしまった。

 居た堪れなくなって、しょんぼりと肩を落とす。


(私、役に立てているのかな)


 ここ数日、私は失敗続きだった。なにせ接客業なんて、学生の頃のアルバイトぶりだ。一日中立ちっぱなし、途切れないお客、あちこちからかけられるオーダー……。慣れないカフェの仕事にあたふたして、色々と失敗してしまった。同じカフェで働く仲間として、朔之介さんの負担を減らすべく料理にも挑戦してみた。けれど、すべてまる焦げ。店の調理器具をいくつも駄目にしてしまった。


『平気だって。楽しくやってる』


 強がって母にそう言ったものの、正直不安でいっぱいだった。

 ――28歳にもなって、新しいことを始めることのなんと大変なことか!

 若い頃ならすぐに順応できたであろうことが、なかなか上手くいかない。覚えようと努力するものの、思い通りに頭に入ってこない。理想通りにいかない自分に失望する。前職ではそこそこ出来ていたのに、職種が違うとこうも勝手が違うのかと愕然とした。まだまだ自分は若者のカテゴリにいて、新しいことも卒なくこなせると思っていたのに、どうしてこうなってしまったのか……。


「……本当にすみません」


 重ねて謝って、がっくりと項垂れる。若い頃なら、自分に合わないんだと割り切って、新しい職へ……なんて考えたかもしれない。でも、今はそうじゃない。一度始めたことは、きちんとやり遂げたい。アラサーだもの、自分のことはよくよく理解している。大丈夫、できるはず。慣れるまでの我慢だ。


「もっと、お役に立てるように頑張ります」


 ――でも。どうしようもなく不安になるのは、若い頃と変わりない。ウダウダ思い悩んだ挙げ句、落ち込むはめになるのはどうしようもない。


「えっ!? 何、どうしたわけ!?」


 すると、そんな私を見た青藍さんが急にオロオロしだした。椅子から腰を浮かして、宙に手を彷徨わせている。彼の青ざめた顔というのは初めて見るので、思わずきょとんとその様子を見つめる。するとその時、朔之介さんが盛大にため息をついた。そして、青藍さんの肩に手を置くと、少し冷たく聞こえる声で言った。


「はい、青藍。謝って」

「え? ええ? どういうことよ、朔ぅ!」


 青藍さんはわけも分からず困惑している。

 すると、朔之介さんは両手で青藍さんの顔を私の方に無理やり向けると、心底呆れ気味に言った。


「今の言い方じゃあ、まるで橘さんを責めているみたいじゃないか」

「――あっ!」


 すると、青藍さんの頭の天辺からぴょんと黒い猫耳が飛び出した。そして、金色の瞳で私をまじまじと見ると、まるでムンクの叫びのように両手で頬を挟んだ。


「アタシったら!」


 そう言って、いきなり私との距離を詰めると、私の両頬に手を伸ばした。


「ふえっ!?」


 唐突にむぎゅと頬を摘まれて困惑する。青藍さんは、形の良い眉を寄せて言った。


「誤解させちゃったわね。別に責めるつもりはなかったの。悪かったわ」

「え? あの、その」

「言い方がまずかったわ。気にしないで、八つ当たりしちゃった」


 そして、頬から手を離した青藍さんは、酷く優しげな表情を浮かべると、私の頭をゆっくりと撫でながら言った。


「『お役に立つ』だなんて、大げさね。誰だってはじめは苦労するものよ。失敗を恥じることはない。これから慣れればいいんだもの」


 ――それはどこかで聞いたことのある言葉。

 私は何度か瞬きをすると、小さく笑みを零した。


「このあいだ、朔之介さんにも同じこと言われたんでした」

「あら、そうなの? そりゃそうよ、これはアタシが、朔之介に何度も繰り返して言い聞かせたものだから。じゃあ、ふたりに同じこと言われたんなら、もうクヨクヨしないって約束できる? アタシ、しみったれた顔って大嫌いなのよね。だから……」


 青藍さんは悪戯っぽい笑みを浮かべると、私の顎をくいと持ち上げた。


「いつまでも暗い顔してたら、頭から齧るわよ」

「目が本気!?」

「オホホホホホ! たまには人間を味わうのもいいわよね!」


 青藍さんは冗談とも本気ともつかないことを言うと、今度は私の目をまっすぐに覗き込んで、お月さまみたいに金色の瞳をうっすらと細めた。


「――可愛い可愛い人間のお嬢さん。アタシから見れば、アンタはまだまだよちよち歩きの赤ん坊みたいなものなんだから、失敗に目くじら立てたりしないわよ。素直に甘えなさい。ゆっくりでいいの。人間は成長する生き物なんだから」

「……っ、はい」


 小さな声で返事をする。すると、青藍さんは笑顔で頷くと、カフェの奥に去っていった。彼の後ろ姿を見送りながら、熱くなった頬を手で冷ます。まるで子どもみたいに扱われて、泣く子どもをあやすみたいに慰められた。……ああ、なんて懐かしい感覚。それはとてもくすぐったくて、恥ずかしくて。でも、不思議と悪い気分はしなかった。


 すると、隣に朔之介さんがやってきた。


「ゆっくりやっていこう」


 そして、そう一言だけ声をかけてくれる。シンプルが故に、その言葉は私の胸に深く響いた。


(――あ、泣きそう)


 ふいに、じわりと涙が滲んできて、慌てて袖で拭う。

 社会人になってから、失敗を咎められることは多かったけれど、歳を経るにつれて、こういうふうに励ましてもらった記憶というのは、ずいぶんと遠くなってしまった。


 それはまるで、ふわふわの羽毛に包まれて、大事に大事に暖められているような。

 忘れかけていた「誰かに育ててもらう」感覚。

 ――この歳になって、こんな気持ちになるだなんて、思いもしなかった。


「私、もっとがんばりますね」

「ゆっくりでいいって言ったばかりなのに。まったく橘さんは、真面目だね」


 朔之介さんはやや呆れ気味に笑っている。

 私は「へへ……」と普段より少し子どもっぽい笑みを浮かべると、小さく息を吐いて思考を切り替えた。


「私のことは置いておいて――まずは、パンケーキの問題ですよね。これからどうしましょう? 幸い、今日は店休日ですし、時間はたっぷりあります。今日中に解決できればいいんですが……」


 しかし、すぐにいいアイディアが浮かぶはずもなく。ふたりしてウンウン唸っていると、するとそこに、扉が開く音と、やけに陽気な声が聞こえてきた。


「なんだいなんだい、揃いも揃ってしみったれた顔をして。雨だからかな。梅雨はじめじめして嫌だよねえ!」


「定休日」の札がかかっているはずの扉を、遠慮なしに開けて入ってきたのは、竹の笠を被り、でんでん太鼓柄の着物を来た少年だ。ぺちゃっと潰れた鼻に、小さな目。真っ赤になった頬は、なんとも垢抜けない。腰には屋号が染め抜かれた前掛けを着けていて、如何にも時代劇で見る丁稚奉公らしい恰好をしている。

 そんな彼は、やけにご機嫌な様子で私に近寄ってきた。


「何やら行き詰まっているようだね? 雨の日に頭が回らないのは至極当然なことさ。そういう時は、休憩だ。栄養を摂取して、鈍った脳を叩き起こすんだ。そら、休憩にぴったりのものがここにある――」


 その少年は、見かけによらず気障な物言いをすると、手に持っていた袋を掲げた。


「――さあ、豆腐を食おう。こういう時は、豆腐を食べるに限る」


 これが、私と豆腐小僧の出会いだった。


今回から新しいお話です!

どうぞよろしくおねがいします~!

ブクマ、評価本当にありがとうございます……!


明日からは毎日朝七時更新です!

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