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先古伝記クラマリオ  作者: 大川由宇
1/9

王と騎士、剣と魔法と着ぐるみと、勇者と怠惰と適当人生

 中心人物が適当過ぎる―――!

 勇者が出てくる剣と魔法とバトルファンタジー…になり切れないコメディ王国譚!

 書いてる人の楽しさだけは伝わってくる!?

     プロローグ


 ここは、豊かな荒れ地が広がるジャングル系ツォンバート地帯。

しかし今、ツォンバート地帯にある国、テラメッチャ王国は攻撃に見まわれていた。隣国のゴッツァレッラ国・ペメレッハ領が、戦争を仕掛けてくるという平穏ならざる情報が飛び交っているのだ。

「いざというときは、私が前線で指揮を執る。ヒビノワム、勇者を必ず見つけるのだ」

ヒビノワム、護衛隊最高司令官である彼は、鼻に指を突っ込んでいた時にちょうど命令されてしまったものだから、慌てふためいて姿勢を正した。が、その拍子にどうやら引っかいたらしく、つつー、と一筋の赤い鼻血が流れ出したのだった。

「…ヒビノワム…」

「か、畏まりましてございます!」

 鼻血を流したまま、ヒビノワムは敬礼をした。少し大げさな動きで、鼻血が王に散った。

「こ、これは!」

「…もうよい! 早く行け!」

「は、ははっ!」

 ヒビノワムがそそくさと王宮を去る後姿を見ながら王が、疲労が一杯に詰まった重厚感のある溜息を付いた。

「仮にも護衛隊最高司令官である彼を、王のお側に置いておかなくてもよろしいのですか?」

 王国騎士団第二支部隊長であるガンマ・レスタルゴは、あまり聞かれたくはない話なのか、声のトーンを落として王に言った。

「だってぇ、あいつ戦場に出ると弱いんだものぉ」

「……」

 いわゆる厄介払いだったのだが、それが逆にヒビノワムの遥かなる戦功に繋がっていくとは、第百十二代テラメッチャ国国王、ウッシャ・デ・ハルマイト・デルトーは思ってもいなかったのである。

 

「ああ~~、困ったなぁ…」

 ヒビノワムは、城下の喧騒にときに弾かれ、ときに煽られ、ときにさらわれながら、溜息をついた。

「勇者なんて…、伝説だろ、伝説‼」

 そう叫ぶヒビノワムの手が、近くを歩いていた若い女性の集団の一人の尻に伸びる。

「きゃばばばば!? 痴漢よぉっほぉぉぉぉ‼」

「げええ!?」

 ヒビノワムのこの悲鳴は大声を上げられたことにではなく、触ったお尻が狙いを定めた若い女性ではなく、その隣にいたよだれを垂れ流した腹のでっぷりと出たかなりの年増のものだったからだ。

 二十分後、ヒビノワムは馴染みの番兵に怒られながら、流れ出る血も拭わずに番屋から重い足取りで再スタートしたのだった。

 彼は、若い女性(そのお尻)をちらちらと盗み見ながら、城下を出ることにした。

 テラメッチャには、貴族から奴隷までという確固たる身分制はないものの、やはり城下には高貴な身分の者しか住めない。

「勇者とは、貧困の民から生まれる可能性の方が高いのだ!」

 その根拠は、勇者に関する本を彼が三冊読み、その中の二冊の勇者が下級の身分から生まれていたからというものだ。

 遠く緑の壁に覆われている遠望を望めるテラメッチャだが、方向によってはすぐ外に砂漠。風が吹けば砂塵が舞い散ってくることも少なくない。

 それを吸い込んでは飲み下しながら、半分困って半分にやけた笑みを浮かべて、時折勇者という言葉を溜息のように吐きながら、ヒビノワムは当てもなしに歩いていった。



   『最初の勇者は唐突に?』 ~今にも寝そうに~


 その頃―――。

 ヒビノワムが勇者の希望と奇麗なお尻を見出そうとしてだらだらと向かった、城端町と呼ばれる城下町を囲む城壁の外を更に囲むようにしてある町では、早くもこんな噂が立っていた。

「やべぇべ、やべぇべ!?」

「なんでも、王様御つきの方が、勇者様を探して下ってこられるという話じゃあな!?」

「どっしぇ‼ そりゃ、本当だげ!?」

「んと、んと! こりゃうかうかしとられんばい‼ 急いで帰って、わしも息子も勇者様のような格好ささせんしょ‼」

「あ、こりゃヒュンゴーどん、抜け駆けはいかんべぇ‼」

「早いもんがちじゃき!じゃあのぉ!」

「待ちんしゃぁや、こん年寄りがぁ!」

 とまあ、こんな感じの会話がそこかしこで見られていた。ヒビノワムが王に命令を受けて城下に出てからまだ一時間も経っていないというのに、どこから流れ出したものかすでにそのことを知っている。どこよりも迅速かつ正確な情報の蔓延。それが城端町の特徴だった。もちろん、戦争が始まるという情報も、王国騎士団全員に知れ渡るのよりも早く端町人は知っていた。

 本来なら最初に戦火にさらされるはずの彼らが最初に知るというのは、パニックが起こることを考慮すると憂慮されて然るべきなのだが、人々からはそこまでの危機感は感じられない。今は国境での警備隊や少数の騎士たちが小競り合いをしているだけというのもあるが、やはり安穏とし過ぎていた。

 そんな緊張感の欠片もないこの町で、更に奇妙な、一人の少年がいた。

 彼は人通りの少ない道で、何かを呟いている。

「蟻さ~ん、どうして真っ直ぐ歩かないのかな?」

 地面を見ながら、動く黒い虫に話しかけているようだ。

「あ~。無視? 無視? 虫だけに? …ひどっ‼」

 地面に手を付くと、しばらく四つん這いで静止していた。

 しかしすぐに立ち上がり、歩き出す。

 外見は至って普通だ。いや、顔がいかにも眠そうであり、体が猫背から動きの雰囲気まで、とてつもなくダルそうにしている、いう点。その点において普通とは言い難くなるかもしれない。

 少年はしばらく歩くと、ふと立ち止まる。そして首をスライドさせるように顔を上げ、しばらく青い空を見たと思えば、

「ふう」

 と溜息を付く。黄昏時か、この世への不満か。もしくは自身の存在への疑念?

どれもが違う。ただ少年は、疲れただけなのだ。証拠としてはあまりにも特異で、しかし核心を突くような行動として、その場にゆっくりと横たわる。道の真ん中、大の字にだ。

「ん? 地面が…」

 横を向いて少年が見つけたのは、舗装が崩れて突起が出来ていた道の一点。だるそうに起き上がり、そこに近付いていく。

 と、そこへ少年の視界に、魚売りがはちまきをビシッと締めてふんどし一丁で走ってくる姿が入った。

 少年は、少し顔を歪めた後、素早く辺りを見回した。

 そこで目に入ったのは、新たに婦人群にやられて血のりを付けた、ヒビノワムだった。

 ヒビノワムは、ここに来るまでにかなりの体力を消耗していた。

「城端町の連中は、あんなにいっぱい鎧持ってたのか…?」

 噂が流れているなど露とも知らず、着の身着のまま正装のまま着ていたヒビノワムは、町人に見られては、「勇者はおんだっぺ!」「いんや、わしじゃあ!」という訛りのある言葉を浴びせられ、揉みくちゃにされたのだから疲れて当然だ。しかも、男なら誰でもいいというように、下は歩き出して間もないであろう子供から、腰が折れ曲がり顔が皺に埋まった老人まで出してくるのだから、たまったものではない。もちろん、そういう連中は鎧など着られるわけもなく、どう見ても紙であろうものを貼り付けているだけだったり、包帯でぐるぐる巻きにして色を塗ったりと、無茶苦茶だった。

そういった騒ぎのせいでヒビノワムは、元々あるかないかのものだった勇者探しに対する気力が、今ではさっぱり失せていた。しかしさすがに、老人や子供を連れて帰るわけにはいかない。

と、ヒビノワムの脇を通って一人の少年が彼の背後に回った。

「? 何だ、君は?」

 突然の事態に、ヒビノワムはそう尋ねるだけだったが、真相はすぐに身を持って理解することとなる。

「う、うわぁっ!?」

 そう、魚売りが少年が見つけた突起に躓いて、担いでいた魚入れをヒビノワムにぶちまけたのだ。

「げあっ!? ひ、冷ば!?」

 上手い具合に彼の口に魚がダイブ。口調がおかしいのはそのせいだ。そして、魚入れに入っていたかなりの量の水が、ヒビノワムを狙い澄ましたようにびしょ濡れにした。

「す、すみません、騎士様!?」

「…ひ、ひや、ひひ。はっはとはかあをおっへひへ」

 何を言っているのか全く分からないのは、相変わらず魚を口にくわえているからだ。

「本当に、すみませんでした!」

 しかし、魚売りはそれを理解したのかどうか。ヒビノワムの口から魚を抜き取ると、逃げるように走り去っていった。

「…あれを避けるために、私の背後に回ったのか?」

 ヒビノワムは魚売りが見えなくなると、水の滴る顔を、眠そうに笑っている少年の顔に向けた。

「うーん、そうなる、かな?」

「……」

 かなり重さを増したマントを絞りながら、ヒビノワムは笑顔ながら下地に眠気が貼り付いている少年の顔を、口の端を引きつらせながら見つめた。

「ああなることが分かっていたんじゃないのか?」

「うん、そだよ」

 口調はおっとりとしているが、楽しそうだという感じも混ざっているのが分かる。

「どうして、わざわざ…」

「おじさん、眠そうだったからさ」

「……」

 お前に言われたくないわ!

 と、ヒビノワムは心の中で、会ってまだ数分も経っていない少年に叫んだ。もしかしたら、生まれつきそう見える顔なのかもしれないのに。

 ヒビノワムは疲れていた。今の事件で、それは遂にピークに達した。

「少年、名前は?」

「僕? 僕は、タツノオドシゴ・ヴォラグラムだけど?」

 ふむ、といかにも何かに納得したような素振りを見せると、ヒビノワムは言ったのだった。

「君は今日から、勇者、タツレココシロ・ヴォラマッチャだ」

「タツノオドシゴ・ヴォラグラムなんだけど…」

 おおそうかそうか、というヒビノワムの照れたような笑いの後、やっとタツノオドシゴ・ヴォラグラムは反応を見せた。

「え…? 僕が、勇者…?」

「そ、勇者」

 一つの国を救うはずの救世主はこうして適当に、もとい、ヒビノワムの天性の鋭い直感の元、発掘されたのだった。



   《勇者が嫌いな男が一人》


「さて、名前長いな、お前」

「突然何てこと言うんです!?」

 意外にタツノオドシゴ・ヴォラグラムは怒った。

「そ、そんなに怒らなくても…」

「人の名を侮辱するものは死刑になる国だってある、かもしれませんよ?」

「い、いや、呼びにくいからさ…」

 確かにその長い名前は大変疲れる。タツノオド…、長い。

「というわけで、あだ名を決めよう」

「あだ名…?」

 君は勇者だ、と言われてからまだそんなに経っていないが、少年にはなんとなくヒビノワムの人となりは見え始めていた。そういうことをやらせると、きっとおちょくるように遊ぶ。そんな人柄のはずだと彼は思った。

「そうだな…」

「待って! 僕が考えます!」

「お、そうか?」

 ヒビノワムは、タツノオドシゴ・ヴォラグラム…、早くあだ名作れよ。を、最初は単なる眠そうでダルそうで生きていることに疲れているような少年だろうと考えていたが、共にいる時間が多くなってくると、それだけではないということが分かってきた。

 ダルそうでも、普段は口調がゆるりとしていても、突然はきはきと喋ったりするし、動きもしゃきしゃきしたりする。しかし、ダルそうなのもわざとではないようなのだ。総合的にに言って、さっぱり掴めないし理解できない。もちろん出会いからそれほど間もないというのはあるが、未解明が解明出来る気がしないというのが、ヒビノワムの正直な所であった。

「そうだ、なぁ…。タツノ、とか…?」

「よし、じゃあタツヴォラね」

「……えぇぇ!?」

 一瞬何を言われたのか理解できなかったタツノ、もしくはタツヴォラの驚きは、しばらくの沈黙の後に起こった。

「ちょ、待ってください!?」

「ところでタツヴォラ」

 聞いちゃいねぇ、に似たような言葉を思い浮かべたタツヴォラは、渋々ヒビノワムに従うことにした。

「…何ですか?」

「王城にな、勇者鑑定士というのがいるんだ」

「勇者…鑑定士?」

「ああ、恐らくこの国で一番の長生きだろう。その爺さんが…」

「死にかけとか?」

 その言葉に、ヒビノワムは顔を引きつらせる。

「お前、案外ひどいな」

「いえいえ、ワムさんほどではありません」

 ヒビノワムは、自分の名前を略されたことに気付いたのか否か、とにかく何の反応も見せずに、話を続ける。

「それが、随分な偏屈ジジイでなぁ」

「頑固で?」

「ああ。で、お前は爺さんに挨拶に行かなければならない」

「挨拶、ねぇ?」

 その口調にどこか嘲るような風味があったことに、ヒビノワムは少なからず不安を抱いた。

「かなり難しいだろうが…。お前って、そういうの向いてなさそうだもんな…」

「失礼ですよ、ワムさん!」

 プンスカプンスカ、と口で出して言いながら、タツヴォラはその場を後にした。

「大丈夫かなぁ、あいつ? っていうか…、どこか知ってるのか?」

 ヒビノワムとタツヴォラが話をしていたのは、親衛隊隊長というたいそうな役目を与えられたヒビノワムの、王城の中にある個室だった。執務などをこなすための部屋だが、一週間に一度寄るかどうかだった。お陰で仕事の資料が山積みだが、ヒビノワムは秘密裏にその特権を使って、一定量溜め込むと破り捨て、燃やし、消失させていた。

 ヒビノワムにとっても寄りにくいその部屋に寄ったのも、まだ王に報告していないからだ。聞いてみれば、タツヴォラはまだ十六歳だという。そんな子供を連れて行けば、どうせ隠し子騒動に発展してヒビノワムと嫌っている騎士連中に叩かれるに違いない。

 そこで、先に勇者の資格を頂いてしまおうというわけだ。

「む~、こうしちゃおれんな! 追いかけよう!」

 よく考えれば、タツヴォラは庶民の格好となんら変わらない。城内を歩くだけでも怪しまれるはずだ。ヒビノワムの部屋に来るのにも、細心の注意を払いながら誰にも見られないように来たのだから。


 スタートしてわずか数分、早速タツヴォラは自分がどこを歩いているのか分からなくなっていた。

「ワムさんもオヤジだよ~。場所くらい教えてくれるものだよな~。変態だし」

 その場にいないから出てくるのか、タツヴォラはヒビノワムの罵詈雑言を次から次へと吐き出していた。

 城下町が迷路のようになっているのは、敵の侵攻を防ぎ易くするためというので理解できるが、王城内が迷路のようになっているのは、タツヴォラには迷惑なだけだと思った。

「僕への嫌がらせかな?」

 彼の生まれるはるか前から王城はそういう造りだ。タツヴォラはすっかり被害妄想に駆られている。

 通りかかるメイドの服を着た女性が奇異の視線を向けているのも、タツヴォラにとっては迷路を抜けられないことを嘲笑われているように感じる。今にもメイドたちの意地悪い高笑いが聞こえてきそうで、今日の夜は寝付きが悪いだろうな、と深刻に考えた。

 しかし、進んでも進んでも同じような光景だった道もやっと抜けられたようで、少し広い休憩所のようなところへ出た。

「王城の中に…、休憩所?」

 休憩所ではなくここは兵士の詰める場所で、迷い込んだ敵を袋叩きにするための場所だが、タツヴォラは少し疑っただけで、早々に結論を出した。

「ということは、目的地も近い、うん!」

 なぜそうなるかはともかく、タツヴォラの本来行くべき道は王城の最高階だ。ヒビノワムの部屋は、すぐに逃げ出せるように賄賂を使って一階に設けてある。そしてタツヴォラは、まだ一度も階段を上っていない。ちなみに、この王城は第九層まである。

 こういった場所は、いつもなら番兵が待機する部屋になっているはずなのだが、たまたま改装し立てで、誰もいないどころかほとんど空白の空間だった。

 こうなれば、タツヴォラのすることは一つだった。

 血が目立たないように赤敷きの床、赤塗りの壁、窓をなくしてあるドアもない部屋の中央に、ゆっくりと歩いていく。そして、

「よっこいしょ」

 タツヴォラは、どうどうと大の字に横たわると、満足げに目をつぶるのだった。

「お休み~」

 こうして、タツヴォラは夢の世界に旅立っていった。


「謁見って、明後日じゃなかったっけ?」

 ヒビノワムは、王城の迷路のような道を迷いなく歩いていた。

「い、いえ、今日ですよ!」

 ヒビノワムに引っ張られるように歩いている簡易の鎧を着た若い騎士が、勢いに流されながらも踏ん張ってヒビノワムに言い切った。

「うっわぁ~、やべぇな?」

 足取りとは対称的に、顔が引きつっているヒビノワム。

「僕は別にやばくないですけどね…って、どこに行くんです!?」

「ロドリゴの好きなと・こ・ろ!」

 浅黒い肌をした、まだ見習い騎士のロドリゴ・シュピーハは、抵抗力足らず、ヒビノワムに引かれていく。

「ロドリゴぉ。お願いが、あるんだよ、なぁ?」

「…だ、だからって、どうしてこんな所に来るんです!?」

 ヒビノワムが立ち止まると、ロドリゴが素っ頓狂な声を上げた。

 着いた場所は給仕所。簡単に言えば、メイドたちが様々な仕事をしている所だ。

「え?」

 最高ににやついた笑みでロドリゴに笑いかけるヒビノワム。そうすると、ロドリゴは泣きそうな顔をしながら、目をちらりと動かす。

「視線の先にはぁ~?」

「わ、分かりました! なんです、お願いって!?」

「さっすがロドリゴちゃん! メイド好き!」

「ち、違いますよ!」

 ヒビノワムの言葉に焦りながら、またもや視線をある一点に移すロドリゴ。

「君は夜の城下街よりもこっちの方が嬉しいんだよな?」

「もう! 分かりましたから! なんです、一体!?」

 ロドリゴの凄い剣幕に、ヒビノワムは思わず噴出した。この様子に、慣れているのかメイドたちは驚いた様子もなく、時々見世物を見るようにちらちらと視線を向けては、自分の作業に没頭している。

「実はな、謁見の順番をずらして欲しいんだ」

「ええ!?」

 ロドリゴの大声には、さしものメイドたちもみんな顔を向けた。そして、どさくさに紛れて、ヒビノワムは近くにいた若いメイドのお尻を撫でた。

「きゃあっ!?」

「ううん、若いのはいい」

 目の前の破廉恥人間に、ロドリゴは絶句している。メイドは、マントを着た正装の騎士にどうすることも出来ず、ただ泣き寝入りだ。ヒビノワムもそれで顔を綻ばせていたが、一転、豪快な足音が聞こえると、彼の顔は寝たきり病者の死ぬ間際のように蒼白になった。

「またかい、ヒビノワム‼ 今度という今度は許さないよ‼」

「ひ、ひええ!? マザー・メイド、ブーコ・ブランカ!?」

 給仕室の扉から巨体が見えたかと思うと、ヒビノワムの体は、ロドリゴごと彼女のエルボーによって部屋の反対側の壁にぶっ飛ばされた。

「オー…、ノー…」

 ぴよぴよとひよこがヒビノワムの頭の上を何匹も走り、ロドリゴの目に星がちらついた。

「ヒビノワム、様。謁見というものは…、まず位の高い者から…」

 苦しげながらも、上に乗ったヒビノワムに説明するロドリゴ。

「そこをなんとかって…、言ってんだよ。君は見習いながら、名誉騎士のフォンセ様のお気に入り。見習いながら、そういう整理などをやらせてもらっているんだ、ろう?」

 男二人が壁際に積まれて、密かに話を進めている。その様子には、マザー・ブランカも呆れ顔で呟く。

「まったく、懲りないんだから!」

 ロドリゴは巻き込まれただけだが、ヒビノワムがマザー・ブランカに弱いことは、今のですぐに分かることだろう。いや、彼女の強さを理解いただけたことだろう。

「ほらあんたたち、仕事しな! こんな連中の相手するほどあたいらは暇じゃないだろう!?」

 はい、と甲高いメイドたちの返事が響く。その返事を聞くと彼女は軽く溜息を付いて、また給仕室を出て行った。

「どうして、です?」

「王に言われたこと、まだやってないんだ…。次の謁見までに、って追加命令が来て、さ」

「それは、あなたが…」

「あ、リンダちゃんが見てる」

「え!?」

 どん、とロドリゴがヒビノワムの体を押しのけて立ち上がった。

「うっそー。さっきマザー・ブランカと一緒に出てったよ」

「…。最低です、ヒビノワム様…」

「そ、そんながっかりするなよ。な、頼むよ、この通り」

 手を合わせて頭を下げたヒビノワムに、逆にロドリゴは困ってしまった。

「わ、分かりましから、頭を上げてください! 分かりました、なんとかします…」

「サンキュー! だからロドリゴ好きだよ! リンダちゃん、本当はあそこだよ?」

「え!?」

 どん、とロドリゴに押し飛ばされるヒビノワム。ふらふらと死界になって見えなかったリンダという名のメイドに話しかけに行ったロドリゴ。釈然としないながら、ヒビノワムは出口に向かいながら最後にそっと手近なメイドのお尻を撫でた。

「…? 何か、妙に引き締まった…」

 不思議なことに、悲鳴も聞こえない。おかしいなと思って、ヒビノワムが振り返ると…。

「本当に懲りない奴だねぇ、あんたは!」

「…は、ははは。マザー・ブランカ…。今度、食事でも一緒にどう…?」

「この世にいない奴とは一緒に食べらんないね‼」

 ドゴッ!

 その巨躯から繰り出された掌底のような平手打ちは、ヒビノワムの顔の形を崩して、視界から彼を消した。

「まったく! 帰ったと見せて密かにいたら、これだよ!」

 彼女の巨体では密かにも何もないが、とにかくヒビノワムは見事に彼女の策に引っ掛かり、いずこかへ飛んでいったのだ。


「君、君!」

 地震が起きたのかな、と思った。うっすらと目を開けると、誰かに揺さぶられているのだと分かった。

「起きたか? 本当に寝ていただけなのかい?」

 ぼんやりとした視界で、タツヴォラは自分を起こした憎き敵を冷たい目で見た。

「…なんだい、その目は?」

 若干、気に障ったらしい。その人は、頬を痙攣させながら、タツヴォラを見ている。

「ふ、ああぁ。寝てただけです…、よ」

 大欠伸を手で隠そうともせずに面倒臭そうに起き上がるタツヴォラ。

「…君は、どうしてこんなところにいるんだい?」

 涙をこぼれさせて、タツヴォラはその人物を初めてまともに見た。

 鎧を着た騎士だった。その鎧は、本来の形よりも遥かに軽そうに見える。普段着としての簡易な作りの鎧もあるが、その騎士が着ている鎧は、特注なのだろう。子供でも耐えられそうに極限まで簡略化されている。

「…なんだい?」

 自分の質問に答えず、じっと眠そうな顔で見つめてくるので、騎士は眉根を寄せて聞いた。

「あんた、男? それとも女?」

 その一言に、明らかに騎士は不快感を顔に出した。

「私は男だよ」

 その口調は怒りを抑えているかのように震えていたが、タツヴォラは気にするようでもなく、淡々と返した。

「ふーん」

 またもや顔をぴくぴくと引きつらせる騎士。だが、タツヴォラがそう聞くのは無理もない。その端正な顔立ちは、女性が持つ柔らかな美しさを湛えているし、体もスマート。おまけに声も、顔を見て聞けば、女の声と勘違いしてもおかしくない声色だった。

 その女性として見ても美しいと言える顔が、タツヴォラのお陰でかなり崩れていた。それでも、その顔からは気品のようなものが溢れていた。

「で、君は…?」

 まだ震える口調は直っていない。ようやくその質問に認識が回ったタツヴォラは、相変わらずのとぼけた様子で考え込むようにした。

 実際、困っていた。その質問にどう答えればいいのか。一般民だと知られれば、城を追い出されるかもしれない。かといって、見習い騎士と言ってもこの服装では信じてもらえるはずがない。

 大人しく帰ろうか、となんとなく思った。

 元々、自分が勇者などと信じているわけでもない。ただ、ヒビノワムが自分の仕事を助けると思って、人助けだと思って付き合ってくれと言ったので、やはりなんとなく付いて来ただけだ。ヒビノワムともはぐれた。場所が分からなければ、行きようがないのだ。城端でヒビノワムにまた会えれば、そのとき考えればいい。

「僕は…」

 城に迷い込んだ子猫です、そう言おうとした瞬間。

「お兄様!」

「シュ、シュール…」

 ゴツイの入って来たぁー!?

と、タツヴォラは心で叫んだ。

 タツヴォラと騎士がいる空間に、何者かが入り込んで来たのだ。声は奇麗な、まだ若い女の声だったのだが、いかんせん見えた姿がとんでもなかった。

 タツヴォラよりもずっと大きい熊の格好をした、恐らく着ぐるみを着た人間が入って来たのだ。恐らくというのは、顔を出すのであろう穴が顔の部位に開いていながら、その穴に人の顔が見当たらないからだ。

「あれほど部屋で大人しくと言ったではありませんか…」

「す、すまない、シュール。しかし、たまには体を動かさないと…」

「お兄様はもうすぐ戦場に出られるのですよ? 今安静にしておかないと、どうなるか…」

「シュール…。すまない、心配掛けたな」

「いいえ、いいんです。でも、お兄様は私にとってたった一人のお兄様です。私、お兄様がいなくなったらと思うと…」

 話の内容はかなり真に迫った感動味のあるものなのだが、タツヴォラにはどこから声を出しているのか分からない熊を、呆けた顔で見ているしかなかった。しかも、その熊はただのぬいぐるみなのだろうに、まるで本物のような質感を表皮と毛皮に出していた。

「シュール、我が妹よ…。これからは君に黙って出て行ったりはしないよ」

「う、うう…。お兄様!」

 どうやら中身は泣いているらしい。タツヴォラは、口をぽかんと開けてその様子を見ている。熊の両腕が、顔を覆うつもりなのだろう、上に上がっていく。

 しかし、それは熊の顔に到達することなく肘部分が首の下辺りに当てられる。熊の腕は半ばでべろんと折れ曲がる。本体の腕が、熊のものの半ばまでしかないのだろう。その腕のあるであろう位置は、タツヴォラで言えば胸辺りだ。

 そのあまりにも間抜けな姿に、タツヴォラは顔を紅潮させ始めた。

「おお、シュール!」

「お兄様!」

 感動の一シーンは、熊と美しい騎士が抱き合うというものだが、その熊は頭をだらりと騎士に被せ、潰れている。背中に回された腕も、途中から急に地面を向いていた。

「ぷっ、はっはっはっは‼ ひ、ひぃ、ひはははははは‼」

 ついに、タツヴォラの堪忍袋の緒が切れた。怒りではなく、笑いの堪忍袋だ。

「ぎゃは、ぎゃは、ぎゃはははは‼ ひ、ひ、ははははは‼」

「……」

 その声に、動きを止めたのは騎士一人だ。熊は、今はじめて気付いたのか、騎士から離れてタツヴォラのほうを見ると、兄に尋ねる。

「あの、あの方はどなた?」

「……知らん」

 騎士は、振り返ることもなく冷たく、さも不機嫌そうも答えた。

 熊は、怪訝な顔をしています、というような体の動きをし、タツヴォラに近付いてきた。

「あの、あなたはどなたです?」

「少なくとも熊じゃないね」

「……」

 タツヴォラの言葉をどう取ったのか。一瞬、熊は沈黙を見せたが、再び質問を始めた。

「騎士ではありませんね? このお城には、そう簡単には入れないはずなのに…。何かご用ですか?」

 上半身を起こしているだけのタツヴォラに対して、熊は少し屈んだ状態で尋ねてくる。情けなく、熊の頭は傾いていた。

「い、いや、その…。勇者鑑定士っていう、お爺さんに用があって…」

 騎士を怒らせてなんとも思わないタツヴォラが、熊に恐怖を覚え始めていた。近くで見ると、まるで生きているようなリアルな作りなのに、その頭は垂れ、光が後ろから差しているため、逆光でタツヴォラからは陰って見える。笑いを収めると、急にその奇妙さに怖くなって来たのだ。

「勇者鑑定士!? デュデュ様のことよね!? 彼にどんな用が!?」

 興味深々と言わんばかりに、熊の声のトーンが上がる。タツヴォラにはどこから声が出ているのかも分からず、恐怖が増大するだけだったが。

「君、一般人は城に入ってはいけないんだよ?」

 突然、横から騎士が現れた。すっかり忘れていた存在だが、人間を見るとなんだか安心した。

「いいじゃない、お兄様! 勇者に関してのことよ! ね、どんな用なの?」

「それは、秘密…。ヒビノワムっていう人からの、密命なんです」

「ヒ、ヒビノワム!?」

 その言葉に、熊も、そして騎士も驚いたようだった。

「あ、あんなやつの密命を帯びているなどと…! ここで斬り捨ててしまおうか!?」

 冗談ではないようで、佩いている剣に騎士が手をかける。

「お、お兄様!? ヒビノワム様も、そこまで悪いお人ではないでしょう!」

「ええい、放せ、放せ!」

 騎士を必死に取り押さえる熊。相変わらずの不恰好さに、タツヴォラは恐怖も忘れて再び笑っていた。

「何をしているの!? デュデュ様は最上階、九層よ! ここを出てすぐ右に曲がれば先に階段があるわ!」

「ええい、シュール、放しなさい! ここで斬っておかなければ、奴がまた…!」

 その凄い剣幕に、タツヴォラはこの騎士とヒビノワムの間に何かあったということは考えず、やっぱりヒビノワムは嫌われているのかなと思った。そんなことを考えても、やはり笑いは止まらなかった。

「何を笑っているの! 階段はずっと続いてないから! 階段を出て右へ右へと曲がっていけば、階段へは着けるわ!」

「ははは…。あ、ありがとうね」

「待て、待たないか‼」

 その線の細い体を、獰猛な野獣のように暴れさせながら、騎士はいつまでも熊に組み付かれていた。


「やばいなぁ、あいつどこに行ったんだ?」

 ヒビノワムは、腫れた顔を時々さすりながら、城内を捜し歩いていた。

「まさか、騎士に見つかって城を追い出されたってことはないだろうな…?」

 そうなると、ロドリゴに頼んだことは無駄になってしまう。

 タツヴォラに話した時は、まさか謁見が今日あるなどとは思ってもいなかった。そして勇者発掘の任の報告は、今日の謁見でしなければならない。それも発見したという報告を、だ。

「頼むよぉ、タツヴォラ。缶詰は嫌なんだよぉ!」

 失敗した時、親衛隊隊長を降格、などということはない。恐らくは、ヒビノワムの言ったとおり彼の自室、仕事のたっぷり溜まったあの万年物置で、缶詰状態見張りつきでペンを走らされることになるだろう。

 タツヴォラが外へ追い出されたとすると、アウトだ。特に待ち合わせ場所も決めていないし、城を抜け出すのも難しい。謁見のある日は、城を出ることが許されないのだ。

「でも、デュデュ様のいる所、教えてないしなぁ…」

 人に聞けば怪しまれてしまうし、デュデュのいるのは最上階、九層。どちらにしろアウトだ。

 はあ、と溜息を付くヒビノワムの前を、一匹の熊が通った。

「…熊?」

 その二足歩行の熊は、ヒビノワムから少し離れた所で立ち止まると、振り向いた。

「まあ、ヒビノワム様ではないですか?」

「…その声、というか着ぐるみは、シュールちゃんか?」

「はい」

 ヒビノワムは苦い顔でシュールを見る。

「君がいるってことは、あいつも…」

「いえ、兄はまだ自室で休んでいます。そういえば、ヒビノワム様。勇者様、見つかったのですか?」

「…え? なぜそんなことを?」

「先ほど、ヒビノワム様のお使いの方が迷ってらっしゃって。道をお教えしたのですが」

 それを聞いて、ヒビノワムの顔がぱあっと明るくなった。

「そ、そいつ、眠そうな顔してなかった!?」

「え…と、すいません、よく見てなかったもので」

 そりゃあ見えないよな、と熊を見ながらヒビノワムは思ったが、口には出さなかった。

 ヒビノワムの使いなどという者は、タツヴォラしか思い浮かばない。そうなると、順調に勇者への階段を上っているということだ。

「でも、話はしたんだろう?」

「はい。あの人が、デュデュ様に勇者様が見つかったという報告をするのでしょう?」

「…ま、まあそうだ」

 さすがに、一目見ただけのタツヴォラを勇者とは思えないだろうが、あの人がまさか勇者様、という言葉を淡い恋心のように期待していたヒビノワムには、少なからずショックがあった。

「ま、そんな風に見える奴なら、俺だって探すの苦労しないよな…」

「? 何か?」

「い、いや、こっちの話だ。それより、そういえばデュデュ様の部屋を、シュールちゃんは知っているのか?」

「いいえ。だから九層への道だけ、お教えしましたわ」

「……。結局、アウト、か?」

 頭の垂れた熊を目の前にして、少し自分のいい加減さを考えたヒビノワムだった。


「疲れた…」

確かに熊(?)の言ったとおり、階段は一階上に上がると途切れ、また上への階段を探さなければならなかった。しかしそれも、熊の忠告通りに進んで、なんとか今は九層にいるはずだった。

問題はデュデュという勇者鑑定士のいる所がどこか、ということだった。明かりが等間隔に灯してある道を進んでも、同じ光景が続くばかりなのだ。

「どうしよ…」

 どうしようもない。熊は親切にも教えてくれたが、他の人間もそうとは限らない。自力で探し出すしかないのだ。

 幸いなのは、人影が八層以下と違って少ないことだ。足音がすれば、タツヴォラらしくのろのろと悠長に隠れていたのだが、ここはその必要がなさそうだ。といっても、油断は出来ないが。

 しかし、意外にもその場所はすぐに分かった。

 案内者がいたからだ。

 目の前に明かりを持った人形のような人間ではなさそうなものが、突然タツヴォラの目の前に現れたのだ。その人形は、タツヴォラの腰ほどもなく、タツヴォラは一瞬身を引いていた。

『何用で来た? 騎士ではあるまい?』

 唐突に頭に響いたその声に、タツヴォラは思わず辺りを見回した。だが、辺りには誰もいない。いるのは、自分と、自分の足下で停止している人形だけだ。

「お前が、喋ったの…?」

 ゆっくりとその人形に手を伸ばすと、その人形はその手をすり抜けるようにタツヴォラの股下を通って進み始めた。

「……?」

 怪訝な顔をして、人間とは違う歩き方をする人形を見るタツヴォラ。しかしそれもほんのひと時。すぐに眠そうな顔に戻ると、その上に軽い笑顔を浮かべて、それを追いかけ始めた。

『何用で来た、と聞いた』

 まただ。

 耳が震えているのを感じるが、確実に声ではない。頭の中からの衝撃に、耳は震えているのだ。

「あんた、誰?」

『先に自分の名目を名乗るのが礼儀じゃ』

 人形は、タツヴォラをだんだんと狭くなる廊下に連れて行く。

「僕は、タツノオドシゴ・ヴォラグラム。テラメッチャの城端町のシーバに住んでる」

 わざわざフルネームで自己紹介する面倒な男、タツヴォラ。

『城下の民か。それがどうして城に入れた』

 タツヴォラは、頭に入る声を聞きながら、人形の動きが気になって仕方がなかった。頭に入ってくる声は、聞き流すことなど出来ないはずなのに、それでも彼は意識をそちらに向けていた。

『聞いているのか?』

 声の主も同じようなことを考えたのだろう。タツヴォラに少し強めの口調で問いただす。

「え? ねぇ、これって何なの?」

 ……、と声の主の台詞を表すとこうだろうか。だが、タツヴォラにそれは伝わらない。

 やがて、明かりが人形の持つもののみの道になった。狭く、じめじめしている。城の外から見て、こんな場所が城内にあると、誰が信じられるだろうか。

 螺旋のような道なのが、唯一こんな所があってもおかしくないと思わせる。ただし、道は上り坂になっているが。つまり、九層よりも上があるということ。

「へぇぇ、お城にはこんな所もあるんだねぇ」

 感心しているタツヴォラをよそに、人形は速度を落とすことなく進んでいく。足を交互に出すわけでもなく、滑るように進んでいる。不思議な声も、あれから一度も聞こえてこない。

 明かりが、見えた。螺旋の先。タツヴォラは、その顔からは想像できない機敏さを発揮して、人形をひょいと持ち上げて走った。

 小さなドアだった。それを囲む壁は僅かしかなく、その僅かな壁に左右対称に明かりが灯されていた。

「開けて、いい?」

 誰にともなく聞いていた。いや、心の中では、あの声の主とこの部屋の主が同じものだとなんとなく分かっていた。

『ふん、話だけは聞いてやろう。下位の民よ』

 ギイィィィ、大げさに音が響いた。掴んでいる人形の足の何かが、なにかキュラキュラといって回っているようだった。

「お邪魔しま~す」

 入った部屋には何もなかった。明るくて、何もない。ただ、壁と天井と床の色があるだけ。しかし、奥が見えない。どこまで続くように思える空間、その色は、淡く光る白。

 タツヴォラは、一歩前に出た。

 ギイィィィ、と再びドアが動く音。ちょうどタツヴォラが振り返ったときに、ドアは音を立てて閉まり切った。

 完全な闇。なぜ、とタツヴォラは瞬間思った。ドアの外からの明かりでこの部屋は輝いていたのではない。しかし、ドアを閉めると光を失った。

 再び、眉根を寄せながら一歩前に出た。

 とん、と肩を叩かれた。

 振り返る。そこには、先ほど閉められたドア。なぜ見えるのか。明かりが点いたからだろう。しかし、自分の肩を叩くようなものは何もない。

 視線を前に戻す。

 何が起こったのか。そこには、ベッドがあり、本棚があり、椅子があった。そして、最初に入ってきたときに見たような明るさはなく、埃っぽくて、じめじめしていて、ずっと使われていないような、古びた部屋。

 カーテンに覆われたベッドに、一人の老人が座っていた。

「今、お前は何を見た?」

「あんた、あの声の人か?」

「……」

 相変わらず人の質問に答えないタツヴォラ。

「私に何の用じゃ?」

「あんた、誰だ?」

「ワシは、デュデュ・クロック。この城で、最も年長で偉い男じゃ」

「デュデュ…、って。じゃあ、あんたが勇者鑑定士の?」

 苦労して見つけたにも関わらず、タツヴォラの口調はゆるりとしていた。

「勇者鑑定士でもあり、王子お目付役けでもあり、騎士団筆頭でもあり、民生大臣でもあり…。まあ、色々なことをやらされておる」

「ふーん。いっぱいあるってことね」

 理解しているのかいないのか分からないタツヴォラの言葉に、デュデュは、その皺に埋め込まれたようにしてある顔を少し動かした。どういう表情なのかは、見当も付かない。

「で、何の用じゃ?」

「あんたに、俺が勇者だって証明して欲しいんだ」

「なんじゃと……?」

 明らかに、そのくぐもった声の調子が変わった。

「誰が、勇者じゃと……?」

「一応、僕だけど」

 ひゅ、と音がしたと思うと、カーテンが舞い、タツヴォラの頬を何かが叩いていた。拍子に、ずっと持っていたもう動かない人形を落として、かつんと音が響いた。

「いっ…‼」

「このたわけが‼ 貴様が勇者とぬかすか!?」

 何も持っていなかったはずのデュデュの手に、木でできた杖が握られていた。

「いってぇー。本当に勇者嫌いなんだなぁ」

 筋状に赤くなった頬をさすりながら、タツヴォラが淡々と言う。

「なに? まるで誰かに聞いたような口じゃな?」

 相変わらず老人の顔は皺で覆われていたが、先ほど激昂したときは口だけはその怒りの凄さを物語っていた。そして、再び老人の口がぴくぴくと動いている。

「ヒビノワム」

 ひゅ、とまた杖が振られる。が、なんとなく予想していたタツヴォラは、今度はそれを掴んだ。

「あんな奴に、勇者のなにが分かるというのじゃ!」

「あの人が俺を勇者だと言ったよ。そして、デュデュさんに会えって言った」

「バカな…!」

 タツヴォラがゆっくりと杖を放すと、デュデュは背を向けてタツヴォラから離れるようにベッドを降りた。

その動きはまさしく老人で、危なげだった。

「ヒビノワムは親衛隊隊長になりながら、まだそのような馬鹿げたことばかりしておるのか!」

 そう言いながら、杖を突いてタツヴォラの方に歩み寄ってくるデュデュ。ベッドを回り込む途中に、一つの書物を本棚から抜いた。。

「お前は、学校には行っておるのか?」

「小さい頃はね。でも、お金がなくなって、行かなくなった」

「勇者は、どんな貧民の出でもなんとかして独学で勉強していた。お主はどうじゃ?」

 そう言いながら、先ほど取り出した、黄ばんでカバーもぼろぼろの本をタツヴォラに渡すデュデュ。

 胸に押し付けられるようにされて、タツヴォラは怪訝な顔で尋ねた。

「お爺さんは、勇者が嫌いなの? それとも好きなの?」

「なに!?」

「勇者が好きだから、それを名乗る人間に冷たいの? それとも…」

「誰がお爺さんじゃい‼」

 どん!

「げほぉっ!?」

(そ、そっちで怒るのかよ…)

 そう思いながら、杖で胸を突かれた勢いを消せずに、タツヴォラはその場にひっくり返った。

「わしは、まだ百五十歳過ぎじゃ! まだジジイ呼ばわりされたくはないわい!」

(僕の十倍近く生きてんじゃん…)

 その考えは、咳に止められて言葉にはならなかったが、目には出ていたようで、

「なんじゃ、その目は!?」

 と、デュデュの反感を買ってしまった。胸を抑えて倒れたままのタツヴォラは、彼の杖で転がされた。

「いててて! ちょ、ちょっと」

「ふん! わしはな、勇者が嫌いなのじゃ! その、名前だけの存在がな! じゃから、それを名乗る連中も全員ペテン師じゃ!」

「そっか…。残念だな…」

「なに?」

 タツヴォラの小さな呟きに反応したデュデュ。その皺の奥に隠された眼から、一瞬光が発せられたのは気のせいではないはずだ。

「勇者が好きなんだったら、それを名乗る人間が、勇者に相応しい人間になるよう努力すればよかった話だったのに」

「……」

「勇者自体が嫌いなんじゃあ、仕方がない。それどころか、その人が勇者鑑定士なんてね…。ワムが言ったこと、本当みたいだな」

「あやつが何を言ったと?」

「気難しい偏屈ジジイだってさ」

 ぴくぴく、とデュデュの口だけではなく眉も動いていた。

「ふん、わしはもう知らん! 勝手にするがよい!」

「この本、くれるの?」

「欲しいのならくれてやる!」

「どうして、勇者の本なんか持ってんの? しかも、大量に」

 タツヴォラが、部屋に幾つもある本棚の群の方を指差して言った。

「…お主…」

 そのデュデュの呟きが、どういう感情から発せられたものだったのか。そして、眠そうな顔に、薄く笑いを貼り付けたタツヴォラが、どういうつもりでそれを言ったのか。その言葉は、少なからずデュデュの心持を変えたようだった。

「ふん! お主は、自分が勇者だと証明できる何かがあるのか?」

「え?」

「もしそんなものがあるのなら、持って来るがいい。そうすれば、勇者と認めてやる」

「僕が、勇者である証…」

 誰にともなく、囁くように言ったタツヴォラ。その瞳は、デュデュの目に向けられながら、まったく別のものを見ているように思える。

 からからと、床に落とされていた人形が、音を立てた。

「持っているなら、な」

「分かった。行ってくる。そして、探してみるよ」

 僕が、勇者であるかどうかの、証を。

「その人形に付いて行った方がいい。帰れなくなるかも知れんからな」

「あん。ありがと」

 からからと空回りしていた人形が、ぴょんと跳ね起きると、またタツヴォラを先導するように進み出した。

「ふん。眠そうな顔をした勇者など、聞いたことがないわい!」

 ドアが静かに閉められた部屋の中で、デュデュは言った。その皺だらけの顔が、無邪気に笑っているように見えた。


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