EP5
「えっと日笠さん? 念の為に確認させて頂きたいのですけど、飛ぶとは」
人は自力で鳥の様に空を飛ぶことが出来ない。
だから飛行機やヘリコプターといった飛ぶ物を作ったのだ。
ここでもし日笠さんが飛んだとしたら、飛べたとしたのならそれはもう人智を越える日笠という別の個体になってしまう。
「私が斉藤を背負ってここから飛ぶんだ」
「それ、落下するの間違いでは」
その証拠に日笠さんの指は飛ぶといいながら地面を指していた。
――あぁ、なるほど飛び降りるということか。
「僕が思うにここは大人しく彼らと交渉した方がいいと思うんですけど」
さすがにまだ死にたくないという思いが先走って僕は現実的な提案をした。
いやだって、ここ2階だよ。所謂2階だよ? 飛び降りるのに躊躇する高さを遥かに超えてしまっているじゃあないか。
「刻一刻を争う事態にそんな悠長なことを言っている場合か!!」
その原因を作ったのは遠藤さん本人であることをお忘れなきよう。
「や、だからって飛び降りるのはダメですって」
しかし日笠さんは容赦なく僕の腕を取って右足を窓淵に掛けるものだから「いやいやいや」と僕はその場に踏みとどまろうとした。
が、ずるずると僕の身体は腕一本で窓辺に引き寄せられていく。
もうね、すんごい力だね。
成人男性が全力で2階の窓から飛び降りようとする女性を引き止めている構図を思い浮かべてほしい。
なんなら周囲の方々も手伝ってほしいくらいである。
そう思ってちらりと通路を塞いでいる彼らに目を向けると一歩下がってどこか憐れむような表情でこちらを見ているじゃあないか。
それはまさしく俺らが手を下さなくても勝手に制裁を受けてくれそうだとでも云わんばかりだ。
「よし、口はしっかりと閉めておくんだぞ」
やがて抵抗空しく日笠さんの脇に収まった僕は釣り上げられた魚よろしくな姿をしていたに違いない。
もし落下している最中に日笠さんが手を離そうものなら僕に命はない、が"そんなことより"も気になることがあった。
そう。脇腹辺りにふくよかな感触を感じているのは、そこに全神経が集中しているのは致し方ないことなのかもしれない。
そして僕は飛んだ。
◇
人は想像を絶する苦痛を味わうことになった時、無意識に防衛本能が働いてシャットダウン――つまり気絶状態に陥るのだと聞いたことがある。
だから事故を受けた直前の記憶が曖昧なのだとかなんとか。
確かに飛び降りる瞬間まで感じていた感触の記憶が鮮明に残っている僕は公園の長椅子に寝ころんだ状態で目を覚ました。
そして後頭部に公園の椅子には似つかわしくない柔らかさを感じると真上から聞きなれた女性の声が聞こえてきた。
「おはよう斉藤君。といってももうお昼は過ぎているのだけれど、随分と情けない寝顔だったわよ」
どうやら気絶した後、日笠さんが送り届けてくれたようで起きるまでの間、遠藤さんが膝枕をしてくれているらしい。
「やぁ。君のせいでとんでもない目にあってね」
包み隠さず、こうなったのはお前のせいだと言ってみせた。
「私のせいだなんて。斉藤君の無色透明な日常にちょっとした刺激を入れてあげただけよ」
「僕にとってはそのちょっとした刺激がハバネロ級だったよ」
「辛いのは苦手かしら?」
「いや、食べ物としてはそこまで嫌いというわけではないのだけれど」
そう答えながら下から遠藤さんを眺める形になっている僕は遠藤さんの胸から始まり、顎下、下唇、鼻の穴となんとも普段はお目に掛かれないようなニッチな部位に目をやっていた。
「じゃあ次は甘くいきましょうか」
そんな所をあえて見せているのか、それとも気が付いていないのか遠藤さんは僕の目に手を被せ、視界を遮りながらそう言った。
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「裏切りのアルカ ―元騎士団長の奴隷落ちから始まる傭兵物語―」 更新中です。




