EP10
「ねぇ、斉藤君」
しばしの静寂が流れた後、再び遠藤さんが口を開いて僕を呼び、それに応じるようにして答えた。
「なんだい」
しばらく静寂の間、僕は目のやり場に困り目線を遠藤さんや遠藤父の足元に向けていた僕は、問いかけてきた彼女の表情を確認すべく目線を上にあげた。
「斉藤君って――、もしかして足フェチ……?」
「今、僕はとんでもない誤解を受けている気がするよ」
即答だった。
気まずくて目のやり場に困ったから視線を下していただけだというのに。
そんな状況下におかれていたにも関わらず、遠藤さんのパンストにうっすらと透けて映るくるぶしから指先まで誰が見ていたというのだろうか。
「その割には随分と目がせわしく動いていたようだけれど」
「いや、決してフェティシズムな感情を抱いて遠藤さんの足元を見ていたわけじゃないよ」
即答だった。
そう偶然にも僕が見ていたところが、偶然にも遠藤さんの足元だったということであるのだ。
決してパンストの繋ぎ目が邪魔で指の関節部分が見えないだとか、そんな不憫なことなど思っていない。
「ねぇ、斉藤君」
再び遠藤さんが口を開いて僕を呼び、それに応じるようにして答えた。
「なんだい」
すると僕を見下ろせる位置まで移動してきた遠藤さんは目を瞑ってから腕を組み、こう言った。
「触りたい?」
思わずかけていた眼鏡が鼻の頭までずれ落ちてしまった。
きっとこれがファンの人たちならば、唾涎もののお触りOKが本人から下りたのである。
そしてすらりと僕の目の前に遠藤さんの無駄な筋肉の付いていない、きれいな右足が差し出された。
だが、僕は遠藤さんの足を触りたいだなんで思ってなんかいないのである。
「いや、別に」
けれども差し出されたからには見ないわけにはいない。
なるほど、遠藤さんの足の形はギリシャ型なのか。
僕はあまり占いとかは信じない方だけれど確かに遠藤さんのそのままである。
「そう……。――ッ!?もしかして……、踏まれたいとか?」
それはあまりにもニッチすぎやしないだろうか。
「遠藤さんの中で僕は一体どういう変態に仕立て上げられているのか、一度詳しく聞く必要があるようだね」
何度も言おう、女の子の父親の前で何故こんな話を展開しなければならないのだ。
「ハッハッハ!!」
はぁ、と僕が深くため息をつくのにまるで合わせるかのように笑い声が部屋に響いた。
遠藤父の笑い声である。
「いやいや、斉藤君」
そして自身の膝に手をつき、前かがみになるような体勢で僕の名を呼んだ。
そこまで苦しくなるほど面白かったのだろうか。
思い返しても、痴態を晒しあっていたことしか記憶にないのだけれど……。
「少し前から君の話題は晴香から直々に聞いていたものだが……。ここまで晴香が男の子と話せる日を拝めるとはね」
随分と遠藤父は嬉しそうな表情をしているが、それは父親としてどうなのだろうか。
もしかして仕事が忙しくて娘の成長を見守ってこられなかったとかだろうか。
「いや、あの。別に僕じゃなくても割と大学に行けば男子生徒と話しているシーンに出くわすと思いますよ」
ただ、今回はこの場に偶然僕が居合わせていただけであって、他の男子生徒と遠藤さんが話している様子は大学にいけばすぐに目につくのではないだろうか。
それもかなりの高確率で。
「あぁ、すまない。違う違う、違うんだよ、斉藤君」
「はぁ」
そうか、違うのかと相槌を打つように僕は声にならない声を漏らした。
「今ではこんなに飄々としている晴香だけどね、昔は色々とあったものなんだよ。色々と、ね」
「色々ですか」
何か過去にあったのだろうかと横に立つ遠藤さんを見上げると腕を組んだままドヤ顔で僕を見下していたものだから、見なかったことにした。
とても過去に色々あったような人がする表情ではなかった。
「あぁ、色々さ。斉藤君、君には先日の件で助けてもらったという恩もあるが、別の意味でも感謝することになりそうだね」
もはや遠藤さんのドヤ顔のせいで色々の部分が薄れてしまって何の意味も持たなくなってしまったのは気のせいだろうか。
「あの、僕自身も今一度良く分かっていないので本当にお礼とかはいいですよ」
それでも改めて過剰なお礼なんてものは必要ないと告げる。
こういうのは気持ちが大切であり、それで充分なのではないだろうか。
いちいち見返りを求めていたら罰が当たりそうだ。
「無欲と遠慮は違うのよ」
するとこのままの話の流れを断ち切るまいと先ほど見上げた時にドヤ顔をしていた遠藤さんの声が頭上から聞こえてきた。
そうは言うものの結局のところ無欲だの、遠慮だの、一体どういう答えが欲しいだろうか。
どう答えれば、この無限にも続いているようなループを抜け出せるのだろうか。
「じゃあ遠藤さん、君は僕に何をくれるんだい?」
あぁ、それじゃあ聞けばいいじゃないかと思った僕は素直に質問することにした。
ここまで引っ張っておいて、こちらが折れたような、負けた気がするのは気のせいだと思いたい。
しかし、どうやら僕からのこの返しは想定していなかったのだろうか。
少し驚いた表情を遠藤さんはみせるのであった。
「そうね――」
そして少しいじわるな返しだったかもしれないと、僕は少しだけ後悔した。
こちらが欲しい物を申し出るように仕向けてくれていたというのに、結局は相手に委ねることを選んだのである。
でも、別にいいですとか言っていたのに推してくるのだから、仕方ないじゃあないかと開き直ることを許してほしい。
どうやら、僕が後悔と開き直りを繰り返している間に遠藤さんの答えは決まったようだ。
「それじゃあ」
何をくれるのだろうか。
「私、とかどうかしら?」
言い放たれた言葉の意味を理解するよりも速く、思わず鼻水が飛んでしまいそうになるのを僕は懸命に堪えることになろうとは思いもしなかった。




