EP1
古き良き時代より今も尚引き継がれている黒電話のコール音。
まだ幼い頃は友人の家の電話番号を把握しており、良く学校から帰ると「~君のお宅ですか?」とお母様方を通して友人に繋げてもらったものである。
懐かしさを感じるけれど、音源は最先端のスマホから。
その由緒正しきコール音にて僕の土曜日の朝は始まった。
――リリリィィン!
スマホの充電器を枕元に置いている為か大音量のベル音が眠っていた僕の脳に直接働きかける。
1秒も掛からずに意識が覚醒したのではないだろうか。
慌てて何事かと携帯画面を見ると"橋爪要"と表記され、ご丁寧に出るか出ないか選択できるボタンが2つ存在し、時刻は8:10を指している。
しかし、案ずること無かれ。
選択肢には3つ目が存在するのだよ要君。
目の前の選択だけに囚われない、すなわちそれは放置。
留守番電話へと直通させる方法なのだ。
コール中の電話を切ると「なんだよ見てるじゃねぇか!」ってなってしまうところを「なんだ、いないのか」と思わせることにより居留守が使えるという有効手段の一つなのである。
ただしそれは初見の相手であった時の話であって僕の性質を良く知る要君は再度コール音を鳴らすのである。
―――リリリィィィン!!
要の気持ちと連動しているのだろうか、心なしかコール音にも力が入っているように感じた。
「やぁ」
仕方なく通話するほうのボタンに指を翳し、手短に挨拶を済ませるように心掛けた。
「やぁ。じゃねぇよ!お前一体今どこにいるんだ!?」
少し音声がデジタル化しているが間違いなく要の声である。
「アパートだね。具体的には布団の中さ」
なんと正直な回答なのだろうか。
これほどまでに嘘偽りも無く、また相手からも嘘をついているという疑心を微塵も感じさせることが無い、隙の無い回答である。
「お前、今日の朝8時に駅前に集合って言ってたの忘れたのか!!」
耳元で再び要の怒鳴り声が聞こえてくる。
うーん、そういえば何かそんな約束をした記憶があるような無いような。
二人を繋ぐ電波にはしばしの沈黙が流れる。
「……」
どうしてこう、寝起きというものは二度寝が直ぐに出来る気分になるのであろうか。
横になっているだけでもう一眠りいけそうだ、枕で3秒の気持ちが今なら分からなくも無い。
「こんなこともあろうかと、一樹に渡したレポートは一回生の分なんだよなぁ」
「直ぐ行きます。はい、……行きます」
再び眠りにこけようとしていた僕は身体に鞭を打ち、布団から飛び上がって急いで家を出るのであった。
まさか要が僕の行動を先読みしてくるとは思わなかった。
というか、内容を良く確認しなかった僕の完全敗北である。
飛び起きた後、洗面台へは顔を洗うことだけを優先し、髪は梳かさず服は大学へ行くときのパーカーを手に取り急いで家を出た。
どうしてあそこで、レポートを手にした時点で満足してしまったのだろうと後悔しつつ、僕は駅前の集合場所へと歩を進める。
何人いるのか分からないが数名単位のグループに顔を合わしたことが無い人が来るってだけでも浮いているのに遅刻ときた。
あぁ、行きたくないなぁ、実に行きたくない。
注目の的を通り越して良い的(標的)だ。
対して仲良くないメンバーが、一人を弄る事で何故か結束するアレだ、そうに違いない。
このまま反転して帰りたい、あわよくば自宅の布団へと遡行したい。
そんな足に蔓が巻きつくかの如く、歩を重くする思考が脳裏に過ぎるに過ぎる物だから本当に行く気が乗らないのである。
可愛い子がいるからなんて言われてついていくのは、自分に自信のある奴か調子の良い奴だけだと僕の持論を展開しよう。
それでも家を飛び出し歩く事約10分、比較的駅前の近場にアパートを借りていたことが功を成したのかそれほど時間を掛けずに到着するのであった。
集合場所となる中央改札口へ向かえば既に多数の人だかりが出来ており、どのグループなのか初見の僕には分からなかったが要がいるものだから直ぐに分かる事になる。
「やぁ」
どこまでがこのグループなのか分からないため一先ず要に声を掛ける。
「やっときたか…、一樹、せめて髪くらいは梳かしてから来いよ。ぼさぼさだぞ」
全く、と呆れながらもボイコットしなかった僕に安心しているのか表情が少し和らいだ。
ばっちり今トレンドの服で身なりを固めている要とは対象的に、僕は手持ちのジーンズにロングTシャツ、いつもの通学時に着るパーカーと至ってラフな格好となっている。
心なしか一部の女子から「あれが橋爪君のお友達?」みたいな声が聞こえてこなくもない。
別に新しい出会いを探しに来た訳じゃないからいいだろう?パーカーの何がいけないのさ!
「今度、一緒に服買いに行こうな」
失礼な奴だな君は。
生優しい言葉を掛けてくる要だが、そんな言葉は早く彼女を作って女の子に言ってやれと言い返した。
「それで、これからどうするんだい。ここにずっといる訳じゃないんだろう」
「ありきたりだけど、居酒屋だよ」
うへぇ…、大学生が昼から酒の席って。
これプレゼンの打ち合わせも兼ねているんだよね、要君。
そうだよね?
「あぁ、勿論いまからって訳じゃない。どうやら色々と周ってから行くらしい」
「勘弁しておくれよ」
ははは、どこへ行こうというのだね?
インターンシップなんて1週間程度の期間だったんだろう?こぞって外出するほどまでに君達は仲が良くなったのかいと問いたくなるが、見渡すだけにとどめる事にする。
すると目に付く光景がその中にあった。
ざっと見積もって7人程の男子がまるで何かを囲うかのように束になっている所があるではないか。
察するにあの中心に"遠藤晴香"がいるのだろうと想像は容易につくのであるが、わざわざあの中を掻い潜ってまでお目に掛かりたいとは思わない。
「そういや一樹は遠藤さんを見た事がないんだったな」
僕がそちらの方向を見ている為か、興味があるのかと要は声を掛けてきた。
「同じ大学だってことすら知らなかったくらいだし、そもそも縁が無かったからね」
「それもそうか」
新聞にも掲載されていたくらいには有名だし、自分の大学のミスキャンパスくらいは知っておけよというものではあるのだろうが、斉藤一樹という人物に対してはこの限りではないと要は納得する。
「要から見てその遠藤さんというのはどうなのさ」
イケてるメンズである橋爪要の目にはそのミスキャンパスである遠藤晴香はどの様に映っているのか気になったので尋ねてみることにする。
「どうなのさと言われてもなぁ……、綺麗な人だよ、綺麗な人。さすが選ばれただけはあるなっていう感じはする」
ふむ、つまるところ要の目には好意を持って彼女を見ていないということなのか。
僕は要の意見を聞いて、もし好意を抱いているのならば背中を押してやらん事もないくらいには考えていたのだが。
「俺の心配より自分の心配しろよな。一樹は女っ気が無さ過ぎるんだ」
と、要が申してくるがこれといって痛いところを突かれた訳ではない。
こう見えて別に女の子に興味が無いということではないのだ。
一般的と云われるくらいには反応するし、気にもする。
高校生の頃には、一応は彼女と呼ぶべき関係になった子だっていた。
だけれど、どうも僕にはそういうのは合わないのだと気がついてしまったのだ。
まず、何をすればいいのか分からない、これが何よりも問題である。
例えば手を繋いで歩く。
実に幸せそうで微笑ましい光景だがノープランともなれば、ただただ歩くだけの、さらに言えば歩き疲れて手汗すら滲み出てしまい自殺行為といっても過言ではない。
毎日遊園地に行くとかあり得なし、同じショッピングモールを何回回るんだよって話だよね。
そして何よりも神経質になるのが会話。
「今日ね、~~があったんだよ」から発展する話題は精々、身内ネタで終わってしまう。
延々と喋り続けられるのもどうかと思うが、会話が途切れて10分も経てば沈黙気まずくて仕方が無い。
何か話さねばと何故か焦る羽目になる。
以上が僕が実際に体験して得た恋人に対する認識である。
多少の捻くれている部分があるかもしれないけれど、僕には女の子を楽しませる為のスキルが圧倒的に足りないのだ。
「そうだね、気が向けばね。僕だって男だからさ」
「その気はいつになったら来るのか、俺は不安だよ」
何故か心配された。
そんなどうでもいい話をしていることより、僕は気になっていることがあるのだよ要君。
さっきから君に好意を寄せていそうな子たちからやたらと細い目で僕が見られているような気がするのさ。
「ねぇ要。一度あそこの女の子のところへ行っておいでよ、どうやら僕が邪魔なようだ」
なんだか要を独り占めしているような……、いや全く全然これっぽっちもその気はないけれどね?うん、ないのだけれどそういうシチュエーションに陥ってしまいそうになっていると思うんだ。
「あー……、そうだな。とりあえず一樹について色々言い訳してくるか。そろそろ移動すると思うし悪いがもうしばらく待っていてくれ」
「了解した」
要の言葉に僕は簡単に返事をする。
へいへい要君、ところで僕に対する言い訳って何さ?
イケメンの連れはイケメンだとでも思ったのかな。
それなら確かに、期待を裏切ってしまった女の子へのケアも必要だけれど平々凡々な僕の心のケアも必要だよ要君。
女の子たちの元へ向かっていく要の背中を見送りつつ、お座りの命令をもらった僕は某ハチ公にも劣らずの忠誠具合を魅せている。
主人(要)が帰ってくるまで僕は動かない、絶対にだ。
まぁ、正確にいうならば動きたくても行く所がないのだけれど。
それから数刻が経ち、少し離れたところでジェスチャーの様な動きを見せる彼の背中をみながら気がついたことが一つほどある。
ここにいる男子はその遠藤って子に夢中な訳で、女子は要が相手していれば満更ではなさそうに見えるし、これって僕が来る必要があったのかということだ。
男子からすれば要が女の子たちに絡まれていれば遠藤さんと話せるわけで、女子からすれば男子が遠藤さんを抑えていることにより要と話せる。
そこに僕が入る余地はないのである。
これって本当に帰っていいのでは?と思ってもきっと誰も引き止めはしないだろう。
「んぅー」
なんともいえない感情になり、僕は声にならない声を漏らしつつ息を吐いた。
空を見上げれば気持ちのよい晴れ空が広がっている。
その空を見て、風になりたい、鳥になりたいと比喩されることが詩的に存在するが僕は直球で布団に入りたいと思った。
しかしそんな怠けの煩悩が散布することになるのは、背中を壁に任せてぼーっとしている時のことだった。
「あのぉ、斉藤さん……、ですよね?」
やわらかい声の、女性の声が僕の苗字を呼ぶ。
はて、ここに僕の女性の知り合いなんていただろうか、いやいないはずである。
「ん?」
完全に意識を手放し時の流れを忘れていた僕は視線を空から地上へと戻し、声のするほうへと目を動かす。
「あ」
そしてその声の主である人物が目に入ると同時に情けない声を上げてしまう。
喫茶店でのバイト仲間であり同じシフトに良く入ることのある木下千尋さんではありませんか。
いつもの見慣れた布巾を頭に巻いたバイト姿ではなく、栗色の髪は巻かれてサイドで留められているし、薄い黄色のワンピースにカーディガンを羽織っている。
ちゃっかりダテメガネなんてオシャンティーな物を身に着けていらっしゃるではないか。
まさに雑誌に載っていそうな、若い女の子のお手本のようなお出かけスタイルだと少なからず疎い僕でも思う。
可愛いという言葉がとても良く似合う僕と同い年の他大学の女子学生だ。
「き、木下さん?」
対する僕は"しっかりものの斉藤君"ではなく髪は寝起きのままでボサボサの"いつのもだらしない斉藤君"を曝け出しており、せめて態度だけはと雰囲気を変えてみようと試みたがごまかしにもならなかった。
「えへへ、やっぱり斉藤さんだー。普段と雰囲気が違うから別の人なのかなと思ったよ」
「おぅふ……」
とんだ伏兵がいたものだと、出来れば数時間前の朝からやり直したいと思うのであった。
「橋爪君のお友達って聞いてたからどんな人なのかなーって思ってたけど斉藤さんだったんだね」
あぁ、止めておくれ。木下さんよ止めておくれ。
今ここにいる斉藤さんは君の知っている"斉藤君"じゃないんだよ。
「まぁ、その……、なんといいますか」
目を逸らし、正直にゲロる僕の姿は情けないことこの上ないだろう。
下手にここで仮面を付けようものなら更にバランスが崩壊してしまうと判断したのである。
ならば僕は無様なピエロを辞めよう。そうしよう。
「ううん!なんか斉藤さんの意外な一面が見れて役得かな!」
屈託の無い笑顔を振りまく彼女は、とても眩しく僕の目に映った。
「ところでどうして木下さんがここに?」
「私もここにいる人たちと一緒でインターンシップに参加してたんだー」
「なるほど」
いや、なるほどじゃないよ僕。
ということはこれから一日木下さんと一緒に行動するってことじゃあないか。
どうやら長い、長い一日が始まりそうだよ要君。