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駅に隣接する向かいの予備校から真季子が出てくるのに気づくと、美保は読んでいた雑誌を棚に戻してコンビニを出た。
周囲を高層ビルと駅に囲まれ、タクシーやらバスやらがひっきりなしに行き交うロータリーにこもる熱気はほとんどサウナだ。
「今日も暑いねー」
「早く中、入ろう」
「でも美保、本当に今日よかったの? 中学の同窓会とかって言ってたじゃん」
「うん、いいのいいの、気にしないで。早く行こう」
美保は言って真季子の背を押した。やや強引とも思われる言動に、真季子は戸惑いながらも詮索を控え、黙って友の歩調に歩みを合わせる。察しのいい友だちを持つとありがたい。
同窓会をやろうと、一斉通知が回ったのは夏休みの少し前。
もともとそこまで気乗りのしていなかった同窓会だ。半年前に卒業したばかりで、まだしみじみと懐古することもあるまいし、それに今回の集まりはクラス単位のもので、先日会った杉原と山下も会に参加することになっていた。
それでも、あいつらと思いがけない再会をするまでは、中長期的にみた今後のための友人の確保だと思ってやむなく参加すると返事をしたが、
『友だちじゃねぇし』
山下のひと言でその気も失せた。
それに、やっぱり行かないことにしたと、友人のひとりに詫びの電話を入れたとき、
『来なくて正解だよ。あれから食事代の他に、追加で徴収があってさ』
その理由があの山下へのサプライズプレゼントを用意するためだと聞けば、わずかなりとも胸を痛めていた友人への裏切りさえ吹き飛ぶほどに、やっぱり行かなくて正解だったと思った。
ふたりは駅構内にあるカフェへ向かって歩き出す。
地元の彼女たちにとって、遊び場といえば定番のイオンか、駅の中のショッピングモールと相場は決まっている。今日は真季子の夏期講習があったために駅になった。
「真季子、夏休み全然休みないんじゃない?」
部活に学校の宿題に予備校(+その宿題)に、そのうえ始業式前には学校の夏期講習も待っている。
なんだか、一学期より一回りほど顔も小さくなった気がする。一概に日焼けのせいだけとは思えない。
「んー、そうでもないよ。わたしは午前中しか講習取ってないし。Bチームの監督はそこまで厳しくもないし」
真季子はソフトボール部に所属している。二人の学校は、とくにソフトボールと陸上が有名な名門校で(美保はそれを入学してから知った)、真季子も推薦入学だ。
ソフトボール部だけで50人の部員を抱え、それをプロのようにA・Bチームに振り分けて練習している。
「Aチームとはやっぱり練習内容もちがうんだ?」
「ちがうちがう。それに、Aチームは明後日から県外で合宿で、アホみたいに練習試合組まされてるんだよ。しかもそれで勝てなかったら、帰ってきた後、負けた試合×五キロのマラソンが待ってるんだって。たかだか練習試合なのに、ありえない」
「でも、真季子もAチーム、行きたいんでしょ?」
「そりゃあね。推薦で来てるわけだし、それに、Aチームに入れたら予備校も行かなくていいって言われてるし、でもそんなハードな練習と容赦ない罵声に最後までメンタルがついていくか……」
「何言ってんの。真季子はメンタル強いじゃん。強くなかったら安奈の面倒にいちいち付き合ってらんないし」
安奈は、先日、カラオケ店まで美保をパシリに使った真季子のチームメイトのことだ。
彼女の名前が出るや否や、真季子は頭を抱えてうなだれた。
今日の遊びは、名目は美保へのお礼だが、美保にとっては忘れてもらってもいいくらいの些事であり、むしろ夏休みになってますます安奈と行動をともにせざるを得なくなった友を労い、機嫌を取ろうという計らいのつもりだった。
「もうさ、ほんとあいつなんなの。クラスではおとなしいくせに、部活になると急に調子のって生意気でさぁ。しかもなにがむかつくって、あいつ、わたしら仲良しメンバーがいるからわざと選抜でヘマやってBチームに来たんだよ。わたしなんか真面目にやってBチームなのにさぁ。マジ、信じらんない。バカにすんなよって感じだよ、もう」
案の定、口を開けば立て板に水のごとく喋りだし、言いながらまたぞろ選抜のときのことを思い出したのか、真季子は指で眦を吊り上げながら、とても他の人には聞かせられないような暴言を羅列する。
「それはさすがに失礼だよね。安奈ってそういうとこあるよ。クラスでもさ、こっちが集中したいときに限って猫なで声で気ぃ逸らしてくるじゃん。で、構わないとすぐぐずるでしょ? あれ、勘弁して欲しい」
「特に、切羽詰った宿題やってるときとか多いでしょ。あれわざとやってんだよ、きっと。だって、そんなときいっつも自分は宿題終わってんだもん。ほんと勝手だよ」
出会ってまだ半年足らずにもかかわらず、真季子の打擲するような物言いはすでに積もり積もった怨念もかくやだ。
しかし、そうまで憎らしく思っていてなお、そう簡単には突き放せないのが情けなくもぼっち嫌いの中堅の弱みだと美保たちはよくよく知っている。
「あと半分、あいつと一緒のチームかと思うとうんざりするわ。せめてもの救いはポジションがちがうことくらいか」
「ああ、安奈は内野なんだよね」
真季子は外野だ。華奢なわりに、一時期ピッチャーで鍛えたという強靭な肩も武器のひとつである安奈は、それゆえにとうぜん外野行きも薦められたらしいが、それは辞退したらしい。それよりもコントロールのよさを買って欲しいと阿ったであろうことは明白で、そのへんも外野を軽んじられている気がすると真季子は憤懣やるかたない。たしかに、女子でキャッチャーや外野守備というのは、やや男勝りな立ち位置ではあるけれど……。
「ところでさ、こないだの合コン。安奈は気になる人がいたって息巻いてたけど、そのへんどうだったの? 見てた?」
安奈は小動物系の顔立ちで、愛嬌もあり、男受けは悪くない。本人もそれと自覚しているようなのがまた小癪なところだ。
「……」
「真季子?」
それまでするすると悪態をついていた友人が急に黙り込んでしまったので、美保はなにか余計なことを言っただろうかと不安になる。
「じ、実はね、美保……」
ようやく口を開くと、真季子は妙に言いにくそうにそわそわとあたりに視線を巡らせてから、
「実はあのあと、あ、解散になった後って意味ね、安奈が狙ってた人が、わ、わたしのこと追いかけてきて」
「えっ」
「そ、それでね、その、連絡先を聞かれて……」
「やったじゃない」
思い余って美保は真季子の手を掴んだ。
「願ってもない展開よ。これであいつに一泡吹かせられる」
勢い込んで言うと、み、美保……、と真季子は真っ赤になって俯いた。はっと周囲を見回すと好奇な視線がもれなく二人に注がれている。それでなくとも注目されることが苦手な真季子はますます萎縮して、美保は首をすくめつつ、ごめん、と心から詫びた。
「……でもわたし、断ったの」
無遠慮な関心の波が去った頃、真季子はおもむろに言った。
「え――なんで。どうしてよ」
「だって、別にそこまで興味なかったし、カラオケでは安奈とすごくいい雰囲気だったから、実はわたしと喋りたかったなんて言われても本当かどうか疑わしかったし」
「ああ…それは、そうか……」
「だから、その人とはそこで別れたんだけど、それからすこしして、またその人が追いかけてきて」
「ええ? なにそれすごーい、積極的ー」
情熱を感じずにはいられない展開に、美保まで胸が高鳴ってしまう。
美保の反応に感化されてか、うん、と真季子も今度ははにかむように頷いた。先ほどとはちがう種類の赤面に、もしや、と美保の期待も高まる。
「それでね、その人、宇喜田くんって言うんだけど、宇喜田くん、去年、わたしの出てる試合を球場で見たんだって」
そのときに見た、真季子の、うつ伏せに跳びながら長打フライをキャッチする姿に心底しびれたのだという。
今でもあの瞬間の映像ははっきり覚えていて、思い出すだに胸が熱くなる。
今日ここで会えたのはきっと見えないなにかに導かれたからにちがいない。
「――告白しないほうが嘘だから、って……」
言い終える頃にはすっかり女の子の顔をして、真季子は宇喜田との顛末を語った。
「保留にしたとはいえ、なんだかおなか一杯だわぁ……」
「ごめん……」
「え、なんで謝るの。謝らないで。なんていうか、ほら、わたしらの周りって最近そういう話題に不足してたから、免疫が弱くなってたんだよ。――わたしはその、宇喜田くん? 賛成だな。さっきは安奈の鼻明かすとか不躾なこと言ったけど、そういうの抜きで純粋に応援したい」
「美保」
美保は励ますように笑いかける。
「追いかけてきてまで告白するってよっぽどだよ。それに、わたし的には、真季子の出てる試合を見て恋に落ちるっていうのがいい。結局さ、その人が自然体に帰ってる姿に惚れるっていうのが、人付き合いでは一番だと思うわけ」
不器用だとか容姿がどうとかなんて本人の人となりに比べれば些細な話だ。フィーリングは大事かもしれないけれど、それだってお互いが素をさらけ出して成立するものでなければいつかきっと綻びができる。
――わたしがかつてそうだったように。
スポーツに情熱を燃やす女子といえばそれこそ泥まみれ汗まみれで、男顔負けにバットは振る、足も開く、声を嗄らして合図を出す、と恥じらいなんてクソ喰らえとばかりのなりふり構わぬプレイで観衆を圧倒させている。
その姿を見て、かっこいいと思うばかりに留まらず魅力的だと気持ちをさらに押し上げてくれる存在なら、きっと普段の真季子と接したところで感情に斑ができるとは思えない。それに彼女はいささかシャイなだけで、それ以外で性格に目立つ欠点はないのだから、うまく行かないほうが嘘だろう。