豊田京介 3
200X年 8月22日 ドイツ ベルリン ベルリン中央駅12番ホーム
陽が昇って数時間が経って、空気は既に暑さを帯びている。ガラス張りの駅舎は日光を遮ることなく自分たちを照らしている。目の前には真っ白な車体に赤いラインの入ったICEが停車している。新幹線のようにホームと同じ高さにはなっていない、少し高くなった入り口から入り席につく。今朝の一件から一応仲間になったタニアたちと一緒だ。
「なあタニア、最初の予定では俺は今日カッセルで取引先と打ち合わせをすることになってたんだけど…」
そう話しかけるとタニアは炭酸水を飲みながら
「今後の予定について、後で話すわ。」
とぶっきらぼうに答えた。
タニア以外の他のメンバーは空席の関係で3つほど離れたところに座っている。揃いも揃ってジーンズにTシャツといったラフな格好をして既に爆睡していた。
「30分経ったら起こしてちょうだい。少し眠らせてほしいの。」
タニアはそう言い放つとすやすやと眠ってしまった。
発射のベルが鳴り、車両が動き出した。ここからカッセルまでは3時間弱だ。ケータイのアラームを30分にセットしてバイブに気が付きやすいようにシャツの胸ポケットに入れて仮眠をとることにした。
ンヴヴヴヴヴヴ…
バイブの振動で目を覚まし、爆睡しているタニアを起こす。タニアはうっすら目を開けて「ああ、おはよ」と言って再び寝ようとしたが、体を揺らし目を覚まさせた。
「で、予定は?話してくれるんだろ?」
「ああ、そうね。その前に、一緒にいた彼らの紹介をまずさせてちょうだい。まず、あの坊主頭の大柄なやつ。あれはシュテファンよ。近接戦闘を得意としてるの。」
「坊主のガチムチがシュテファン…」
「その隣のサングラス、あいつがハインリッヒ。スナイパーで爆弾の扱いにも心得があるの。見た目はアホみたいだけど切れ者よ。」
「チャラ男のハインリッヒ…」
呟いた瞬間にハインリッヒが目を覚まし、こちらを見ながら右手を挙げ「よろしくなー」と言ってまた眠り始めた。
「そして銀髪の長髪。彼がヴェルナー。ちょっと特殊で降霊をするの。今朝あなたの寝てるところに行ったとき、頭数を増やすために一人『降ろした』のよ。」
「そうだったのか。うわー。」
寝起きから銃を突きつけられたり軽い心霊現象まで体験したり何だか疲れてしまうようだったが、今日の仕事はまだ終わっていないのでそうも言っていられない。こちらから自己紹介をしなければならないと思い「俺の自己紹介…」と言いかけるとタニアは「あなたのことはみんな知ってるわ。何もかも、ね。」とにやりとしながら返した。
暫く沈黙が続く。一応この国の言葉で話せるが、映画やドラマのように流暢ではない。しかしそれで会話が成立しているのでそこまで気にする必要もないようだ。この沈黙の間に何を話したらいいか考えていた。
「そう、予定について話すんだったわね。」
沈黙を破ったのはタニアだった。このことをすっかり忘れていた。
「そうだったな。で、俺はどんなふうに行動すればいい?ブリーフィングも何もなしだぜ?まあホイホイついてきた俺も俺だけど…」
「基本的に、あなたの予定通りに行動してもらうわ。あなた、これからフルダ川添いの倉庫で話し合いでしょ?そのあとはフランクフルト、シュトゥットガルト、フライブルク…どうしてここまで知ってると思う?ふふっ、追々話すわね。」
完全に予定を把握されているようだ。大方、クライアントがリークしたんだろう。しかし、クライアントが誰なのかが今一つよくわからない。自分の会社なのか、取引先なのか、仕事とは全く関係のないところなのか…考えると胃が痛くなる。
「タニア、少し休ませてくれないか?気分が優れないんだ。」
心配事に触れたせいか胃痛の他にめまいに見舞われ会話が辛くなってしまった。
「ええ、移動中は休むといいわ。朝から脅かしてしまったものね。ごめんなさい。」
この言葉に安心して目を閉じた。小気味よいレールの音が遠のいていく。眠りに落ちるのは容易かった。
「…タ」
「…トヨタ」
「…起きろトヨタ!」
バシっとおとがして鈍い痛みが頭に走る。痛みで目を覚まし目を開けると列車は止まっていた。外を見ると上からぶさらがった青い看板にKassel-Wilhelmshöheと書いてある。
「涎、拭きなさいよ。みっともないわよ。」
タニアがハンカチを差し出してきたのでようやく自分が涎を垂らしていたことに気が付く。涎をふき取り「ありがとう。洗って返すよ」と言うと「別にいいわ」と拒まれた。
ICEから降り駅から出る。板状のガラス張りの天井をいくつもの柱で支えるデザインの駅舎を記念に写真に収めて歩き出す。突然シュテファンがタニアに「ペリカンを連れてくる」といい、タニアが頷く。
荷物もあるのでバンのタクシーを拾い乗り込む。
「運転手さん、ハーゼンヘッケのトリフト通り150Bまで。」
運転手は怪訝そうな顔で
「あそこには何もないけど、お客さんたち帰りは大丈夫なのかい?」
帰りはまたタクシーを呼べばいいと思っていた。
「ええ、大丈夫よ。帰りは送ってもらうの。」
タニアがそう運転手に伝えると、タクシーは走り出した。タニアに何か考えがあってそう言ったのだろうが、意味が全くわからなかった。タニアと目が合うと「私に任せなさい」とウインクで返される。
フルダタール通りを走り、川沿いに出たあたりでハインリッヒが「よう、ここで降ろしてくれ」とタクシーを止めさせ彼だけ降車する。
「トヨタ、うまくやれよ。じゃあタニア、あとでな。」
「ええ、あなたのほうこそ下手こくんじゃないわよ?」
そんな会話を残してハインリッヒが小走りで消えていく。鼻歌交じりのタニア、黙ったままのヴェルナー、そして不安で硬直しきった日本人を乗せたタクシーは再び走り出す。
青々とした畑を抜けて住宅街に入る。規則的に並んだ家々が映画に出てきそうな景色だ。雨上がりなのかところどころに水たまりがある。それをタクシーが踏み水しぶきが上がるたびにびくびくするほど不安になっていた。住宅街を抜ければ目的地の工場だ。
「そろそろ着くけど、お客さん、本当に大丈夫かい?よかったら呼んでくれよな?」
と、運転手が電話番号が書かれた紙を差し出す。タニアが「ありがとう。一応もらっておくわね」と受け取る。
舗装があまりよくない道を抜け、工場についた。工場に着くなり100ユーロ札を運転手に足早に渡しタクシーから降りた。するとタニアが
「ヴェルナー、あの白いバンに荷物を全部詰めてちょうだい」
と指示した。バンのカギは開いているようで、スライドドアを軽快にあけ荷物を放り込んだ。すべての荷物を放り込みヴェルナーが「O.K.」のハンドサインを出す。
「さあ、仕事を始めましょ。」
タニアが工場に向かって歩き出した。2、3歩あるいたと思ったら突然踵を返し「そうそう、これ、返すわね。」と何かを取り出した。ベルリンで盗られたノートパソコンだ。
「もう私たちには必要ないの。あとはあなたが仕事を『あなたの予定通りに』してくれるだけ。」
そう言って再び工場に向かって歩き出した。
ビーーー…ビーーー…
インターホンの音が鳴り響く。大きな鉄製のドアがガコンと音を立てて開き始める。
震える手をぎゅっと握り中へ入っていく。