豊田京介 2
200X年 8月21日 ドイツ ベルリン ユースホステル
…ン
…ァン
…バン
東の空がうっすら色づくかつかないかのころ、奇妙な音で目を覚ます。左腕にはめたままの腕時計を見てまだ起床には早いことに気が付く。重たいままの瞼を再び閉じようとしたとき、先ほどよりも強い音を聞いてはっとする。
「動物…?いや、誰かが外にいる。」
毛布を被り、作った僅かな隙間から音のした方向を確認する。30秒ほど経ったとき、またバンと音がした。音と同時に手のようなものが見える。
「おいおい勘弁してくれよ。ここは3階だぞ。」
脅しや虫は平気なのだが、お化けが本当に嫌いで被った毛布を被り直しガタガタ震えた。
…ビッ、ビリビリ…ビリィィィィ…「ドライ、ツヴァイ、アイン…」
バキン!
何かが折れるような音の直後に、大きな靴音が聞こえた。さすがに事態が呑み込めないので恐る恐る毛布から顔を出すと、薄暗い部屋の中に誰かが立っているのが見えた。
「誰だ!」
ベッドからすっと立ち上がり何者かに毛布を投げつける。しかし手ごたえがない。確かにそこに誰かいたのに、至近距離だったのにあたることすらなく毛布がはらりと落ちたことに首を傾げた瞬間、強烈な膝かっくんを喰らいバランスを崩す。と同時に右腕を後ろ手に締め上げられ喉元に冷たいものを突き付けられる。すると後ろから
「動かないで。抵抗しなければ殺さないわ。」
と女の声がした。目だけ動かして周りを伺うと、床にガムテープのついた四角く切られたガラス、うっすら残ったタクティカルブーツの足跡、そして窓の外からはザイルが垂れ下がっていた。更に部屋の入り口からはものすごい勢いで3、4人の人間が入ってきている。その手にはサブマシンガンが持たれている。サブマシンガンを持った一人がこちらに近づいてきて、後ろに回り込んだかと思ったら後ろ手のまま手錠をかけさらに床に座らせれられてしまった。完全に制圧されてしまった形だ。
声の主がしゃがみながら話しかけてくる。
「トヨタ、手荒な真似してごめんなさい。あなたに話しておかなきゃいけないことがあるの。」
薄暗いので顔の判別がうまくいかないが、口ぶりから以前に会ったことのある人のようだ。
「お前なんか知らない。どこのテロリストだか知らないけどどうして俺を狙うんだ。」
恐怖と怒りの交錯する中、質問すると
「あら、昨日会ってるわよ?すぐそこの駅で。理由はこのあときちんと話すわ。」
と言うので思い返してみた。
駅であった女性。素早い身のこなし。声。
「お前、タニアか!?」
「正解。今理由を話すわ。だからお願い、落ち着いて聞いて。」
尋常じゃない雰囲気、タニアの声、そしてこの状況にただ「わかった」としか言いようがなく、続けて「抵抗しない。だからその物騒なものを下させてくれ。」と頼むとタニアはハンドサインで下すように指示し、彼らの構えを解かせた。しかしセーフティは解除されたままだった。
座った状態と手錠はそのままの状態だが、こんな状況でも意外と落ち着けるものだなどと思いながらタニアたちの動静を観察する。タニアの武装は簡単なものでアーミーナイフとハンドガンだけだった。ホルスターから見える範囲で察するにP08ルガーピストルだ。ずいぶん古いものを使うものだ。一方その他の者はというと保護マスクに暗視ゴーグル、防弾ベストといったなりで、手にはH&K MP7、腰にはアーミーナイフとH&K USPを携えている。ちょっとした特殊部隊のようだ。
タニアが目の前にあぐらをかきながら話し始める。
「トヨタ、痛い目に遭わせて本当にごめんなさい。私たちRache Wölfeっていうの。表向きはターゲットの警護や移送をするのが私たちの仕事。でも、今回は『あなたを貶めるか消す』のがミッションなの。まあ、そういう仕事が本業なんだけどね、世間体を保つために隠してるの。貶めたり殺したりって人聞き悪いじゃない?」
貶めるなどと聞いて軽くパニックになった。「それはどういうことだ」と言いかけたとき
「本当はターゲットに説明なんてしないんだけど、今回は私たちの都合も絡んでるから話してあげる。」
と、ぐっと顔を近づけてくる。茶色の瞳がよく見えて少しドキッとする。
「あなた、この国に来た目的は何?」
「部品の買い付けだが、それがなんだっていうんだ?」
「嘘ね。それはあなたの会社から『こう説明しろ』と言われている表向きの理由。本当の目的はあなたの会社で作っている製品の製造や納品についてでしょ?素材、設計、耐久試験、納品ルートとかとか、決めるんでしょ?税関に引っかからないようにする方法も含めて。」
豊田の額には汗が滲んでいた。なぜタニアたちはこのことを知っているのか。どこまで知っているのか。クライアントは誰なのか…。自分そのものまで見透かされているのではないかという不安に苛まれ、震える声で「俺はどうしたらいい?」と尋ねるとタニアは手錠を外してくれ、すっと立ち上がり、
「心配しないで。悪いようにはしないわ。」
と見下ろしながら言い放つ。
どうせ消されるなら精一杯思い出作ってみるか。生きて帰れたら儲けもんだな。そう思いながら顔を上げると目の前には手が差し出されている。
「さあ、相対的な敵を嘲笑ってやりましょう!」
差し出された手を握りながら立ち上がり、互いに笑みを交わした。
「交渉成立ね。トヨタ、あなたはもう私たちの仲間よ。よろしくね!これから出発するけど…あなた、服を着てくれない?さすがに下着一枚はまずいわよ?」
指摘されて自分の格好を見たら寝た時のままのパンツ一枚の状態だった。さっきまでの緊張は完全に飛び、恥ずかしくなった。
重装備の彼らは二人がかりで床からガムテープのついたガラスを拾い上げ、丁寧に窓枠に戻し接着剤のようなものではめていた。ほかの者は床についた足跡を拭きとっていた。緊迫した現場だったのに今はなんだか滑稽だ。
外は明るくなっていた。