強くも脆い華 そのさん
薬品の匂いが広がる白色の空間。出入り口の側には大きめの机一つと椅子が二着あり、その横には液体や錠剤が入った様々な瓶を整列させた棚がある。反対側にはベッド二つが並び、それぞれカーテンが掛けられることで敷居を作っていた。加えて日差しが入り込む一つしかない窓は部屋には穏やかな恩恵が与えてくれる。
そんな空間にいるのは私含めての三人の生徒。私の隣に居る赤髪の彼女はベッドに横になる同じく赤髪の少年を抱きしめて泣いている。
「バカ、バカ、バカ……心配したんだから……」
「悪かったって、ゴメンな。それからユーリも、ありがとな」
破けた制服から覗く白い布。少し凹むその姿で完治させることができなかったことを証明する。それでも笑ってくれるシンに私は笑い返すも、悲しみの影を隠すことはできなかった。
この救護室に来たのは私たち三人だけで、クロウはレナを心配して彼女の方に寄り添ってくれている。先程治療を終えた救護の先生は職員室に報告の為にと席を外してくれて。
皆いい人だ。レナは彼を庇ってくれた。リンは彼の為に泣いてくれる。クロウは辛いはずなのに他人を気遣って……。じゃあ私は?シンの怪我を直した?いや、それはただのその場しのぎに過ぎない。事実、ホントなら治すことが出来た。しかし実際に治療したのは救護の先生だ。私は私のくだらない我が儘に囚われてできなかった。だからシンには一生体に残ってしまうような傷痕が残って……。
「……ユリ」
少し収まったのか、リンは目を赤く腫らしながらも私の方を向いてくれていた。
「どうかしましたか?」
だから私も嘘で塗り固めた平常を装って聞く。だけど無理だった。
「ユリがいなかったらシンは多分助からなかったから。真っ先に助けてくれたのがユリだったから。だから、ありがとう」
リンの純粋で、純情で、純真で、無垢で、清白で、清純で、鈍感で、だからそれは無条件に私の心に届くんだ。気づいたら私の視界は涙で見えなくなっていた。
「やめてよ……」
ポツリ、そんな言葉が口から溢れる。
私はそんなにいい人じゃない。真っ先に動けたのはそういう事態に慣れていたから。助けたのだって私の我が儘に過ぎない。これがシンのような私の友達じゃなかったら助けようだなんて思うことはなった。
死なんてもの、私にとっては当たり前で、日常で、見慣れた光景で………………あれ、私はどうしてシンを助けたんだろう。どうして慌てふためいたんだろう。どうして指輪を外さなかったことを悔やんだんだろう。どうしてシンの傷痕を見て悲しくなったんだろう。どうして、どうして、どうして…………………………。
視界が真っ暗になった。そして落下するような浮遊感。溺れたように息ができない。でも頭では『どうして』という思考に溢れ、そんなのどうでも良くて。誰かが私の名前を呼ぶ声を最後に音も消え、そして思考という泥沼に沈むように私は意識を手放した。
―――〆
白い光が差し込んで目が覚める。隣のベッドではレナが気持ちよさそうに眠っていた。時刻は五時半。いつも起きているのが四時半だから遅くなる。といっても周囲から見れば大分早いのだが。レナの時計(日時も表示されている掛け時計)を見る限りどうやら一日寝ていたらしく、頭がボーッとする。
昨日何があったっけ?朝鍛錬して、レナと朝食を食べて、授業受けて、模擬戦があって……そうだ、シンが怪我したんだ。それからシンをリンと救護室に運んで……運んでその後は?……思い出せない。その後から起きるまでの記憶がポッカリと抜けていた。
とりあえずレナに聞いてみよう、そう思ったもののこんな早い時間に起こすのもなんだか忍びない。
一先ず気を紛らわすことも兼ねていつものように体を動かそう。そう決めてベッドから起き上がろうとした時、身体がふらっと力抜けた。ぐるんと世界が横になる。遅れて側頭部に痛み。何が何だかわからなかった。
それでも無理に起き上がろうと左手を地に付けると左肩がズキリと痛み、また倒れてしまう。左肩がジンジンと痛覚を刺激していた。まるで火傷したかのような継続した痛みと熱が発せられる。いや、熱いのは左肩だけでなく身体全体だ。ボーッとするのも寝起きだからだけじゃなくて頭に熱があったからなのだろう。そこまで酷いわけではないけど。
さて、どうしようか。これでは身体も満足に動かせない。鍛錬なんて以ての外。学園に行けるかも怪しい。試しに喉の調子を確認してみたが、それは問題ないし咳もないので風邪ではなさそうだ。
症状は発熱と体に力が入らないのと左肩の痛み。病気でないのなら原因は一つだけ思い浮かぶのだが、それでは力が入らないことに説明がつかない。
昨日何があったのか、結局はそこに戻ってしまった。
さて、どうしよう。これでは起き上がることも出来ない。レナに手伝ってもらおうにも、いつもレナが起き上がる時間まで一時間近くあるだろう。声を掛けるだけでは起きてくれるか怪しいところだ。
「仕方ないですよね」
私は少しいたずらっぽく笑って体に魔力を流す。体に力が入り、スッと立てるようになる。ついでに“ラグ”と一言。思考が冴え、心なしか体温が下がった。左肩の痛みは引かないのでこればかりは仕方ないが、これで今日一日は誤魔化せるだろう。魔力が体外に漏れないように気を付ける必要はあるけど。
魔力を流してわかったけど、少し魔力が増えている。やっぱりな、と苦笑い。
時計を見るともう六時。時間が経ってしまった。これでは朝の鍛錬をするには時間が足りない。今日はもう諦めることにした。
代わりにゆっくりシャワーを浴びよう。何せ体が熱くなっていたこともあって寝汗で気持ち悪い。そう思って服に手を掛けたところで制服のままだったことに気付く。どうやら制服のまま寝てしまったらしい。流石に上着は脱いでいたようだが、ワイシャツとスカートにはしっかり皺が付いていて少し凹む。
後でしっかり伸ばさないといけないな、と内心愚痴りながら着替えを用意した。
「ホントに大丈夫?」
リンがそう言って私の頭を触れる。かれこれ何回目だろうか、私が学園に通うと兎に角心配された。リンに聞く限り、私はシンを介護してすぐに倒れたらしい。熱もすごく高くて大変なことになっていたようだ。大怪我したばかりのシンも巻き込んでしまったことを申し訳なく思う。
「さっさと席に着け」
レノン先生が来たことでリン達は名残惜しそうに席に着いた。レノン先生は私を一瞥しただけでいつものように朝の連絡事項を述べて行く。どうやら私が魔法で誤魔化していることには気が付いていないようだ。少しほっとする。もっともレノン先生は実は気付いていて、私の体調を察して黙認している可能性も否めないが。
どちらにしろ、今回はこれで問題はないだろう。リン辺りにホントはまだ高熱で体にも力が入らないなんてことが知られたら大騒ぎになることは間違いないのだから。
「来月に実習としてギルドで依頼を受けることが正式に決まった。詳細と組み合わせは後日発表するとの事なので用意しておくように」
私が安堵を浮かべていると、レノン先生の言葉に不意打ちを食らった。
そういえば先月辺りにその話をレノン先生とジルさんがする場面に連行されていたなと現実逃避。
周囲がハイテンションになって異様に盛り上がっていく中、私だけはローテンションに。
ギルドで依頼を受けるのが何のためになるのであろうか。全員が全員将来ギルドに所属することはないだろう。それに薬草の採取なら薬学の授業で事前に学習したものを実習で直接探した方がいいし、魔物の討伐なら戦闘学の授業で教師がすぐ駆けつけられるように万全の準備をした上でちゃんとチームを組んで戦略的にやった方がずっといい。
なんて長々愚痴るも、これは初めから覚悟してきたこと。逃げるわけにもいかない。もっとも、覚悟したとはいえ嫌いなのには変わりないのでこればかりは仕方ないが。ともあれ、面倒なことが起きないことを祈るとしよう。
それから授業は恙無く進み、今日一日の授業は終わりを告げる。リン達は終始私の体調を気にしていたようだが、流石に心配しすぎだ。しかし魔力を意図的に長時間循環するのには少し疲れた。今日はすぐ寮に戻って休もう。そう決めたところでリンとレナに囲まれた。
「ユリ……」
「ユーリさん……」
「えっと、二人ともどうしました?」
二人とも何やら怪しい目をしていて怖い。
「隠してるんでしょ?」
「えーと、だから何の話で……って、えっ!?」
リンに問い詰められ、レナの冷たい手が当てられた。
「失礼しますね……ほら、こんなに熱くなっているではないですか!!どうして無理して学園に来たのです!!」
レナに凄い勢いで怒られる。どうやら体温を下げるのに使っていた魔法が解けていたらしい。この疲れた感覚は先理由のだけではなかったのだろう。
「ばれちゃった……」
私は只々苦笑いする他ない。
「ほら、すぐ寮に戻って安静にする!」
「……わかりました」
私は諦めてリンの指示に従うことにする。もっとも、初めからそうするつもりであったのだが。
「寮に戻るなら途中まで手を貸すぞ」
「大丈夫ですよ?」
「お願いね」
いつの間にか側まで来ていたクロウからのそんな申し出。遠慮するもリンが問答無用でお願いし、抵抗する間もなく私はクロウの背に乗せられていた。
「クロウ、そっちは任せた。それからリンとレナ。俺はこれから街に出て薬草買いに行くから、悪いけどユーリを見張っててくれ」
一方でシンは帰りの支度を済まして私達にそう告げる。それからリン達から二言三言聞くとさっさと教室を出て行った。
当の私を蚊帳の外に皆は動く。しかし不満があるわけではない。私は諦めてクロウの背に体を預けることにした。