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Valentine courage

「サイッテーだわ!このエロメガネ!」

 口が早いか手が早いか、彼女はユウトの顔に拳を突き出した。途端ユウトは眼前でバチッと火花が弾けた感覚に襲われる。痛みは感じない。

 彼女はそのまま二人きりの教室から怒りの形相で出て行き、ユウトは複雑な相好で立ち尽くす。殴られた頬が熱を帯び痛みを主張しだす。

 誰もいない教室にため息が漏れる。

 窓の外を見れば快晴。嫌らしいくらいにまぶしく輝く太陽はユウトの心を中心から焦がす。中心から隅のほうまで太陽の光は段々と浸透していく。

 右手で頬を擦りながらさらにため息が漏れる。

 そのため息に呆れ、もう一回ため息。

 ならば、とポジティブに考えようとしてもため息は止まらない。

 そもそもポジティブに考えなければならない状況というのがため息ものであるのだ。それに気付いているから今のユウトの口はため息しか出せない形のまま固まってしまっている。

 足が疲れた。近くにあった机に腰掛ける。足が鉄のパイプで出来た机は高校生一人の体重で少し軋んだ。少し軋むくらいならと思いユウトは体中の重さを机に載せる。

 ユウトの足がプラプラと浮く。揺れる足を見下ろしているとなんとなくまたネガティブな感情に包まれる感じがして、しかしどうしようもなかった。

「悪いことしたなぁ」

 したこと思っていることそのまんまが口から溢れる。誰かに言うよりは誰かに言われないように先に口にするような。

 駆けていった女の子を追いかける気にもならない。自分が悪いと言うのはわかっているはずなのに。だからこそか、その罪悪感はユウトを教室の机から縛り付けて離さない。

 教室の外からは活気溢れる声、野球部だろうか、ユウトと対照的な声は教室のガラス一枚を隔ててわずかに浸透してくる。野球部の声は教室に入ってくるが、ユウトのため息は教室の向こうまで届かない。

「俺たちみたいだ……」

 一方通行の感情。よくある恋愛小説の一節。

 ユウトは体を伸ばし体を後ろに傾ける。後ろには別の机。机を2つ使いユウトは教室の簡素な天井を見上げる。思えば簡単なことじゃないか。ここに来るまでに勇気は一つ使っている。

 もう一回勇気を出すだけだ。そうだ。追いかけよう。

 こう考えるのがどれだけ楽なことかを考える。

 未だに実行には移さない。優柔不断の称号には誇りを持っているんだ、えっへん。

 再びため息。

 上を向きながらのため息は、吐いた後重力に負けて自分の顔に戻る。生暖かい感触が包みこむ。バカにされた気がして重力を恨んだ。完全な逆恨み。と言うよりもはや順も逆もない恨み。ユウトと彼女の間に地球の真理は関係ない。

 そう、ユウトと彼女、アイカの問題だ。

 ユウトはアイカから預かり物をしていた。チョコだ。今日は2月14日。バレンタイン、いやヴァレンタインデーである。当然ながら、それこそ地球の心理と言うほどにユウトはアイカが好きだった。だから、アイカからチョコを貰ったときは心臓が跳ね上がるかと思った。

 あの言葉を聞くまでは。

 ユウトにチョコを渡したアイカは付け足した。

「これ、先輩に渡しておいてくれない?」

 跳ね上がった心臓はそのまま重力に負けて飛び上がる高さを縮めながらやがて静止した。

「渡したら教室に戻ってきて、ちゃんと渡したか確認したいの」

 念まで押された。もっともユウトの耳には微塵くらいしかアイカの声は入らなかった。

 そのまま追い出されるようにして教室の外に出たユウトは意識を朦朧とさせながら先輩のもとにたどり着きなんとも無愛想な口調で渡してしまった。半分投げたと言って過言じゃなかっただろう。どうせアイカのことだから手紙でも入れている、その予感は見事的中し、袋を開けた先輩の表情は明るくなった。

 見ていられない。ユウトは情けなさ、怒り、理不尽さで胸が締め付けられそうになった。走る元気もないが、今すぐ逃げたい気持ちのどちらもがぐちゃぐちゃに混ざって、変な格好の早歩きになった。途中色々な視線を浴びたが気にもならない。足は走っているのだが上半身は歩く体勢。そのままユウトは教室に滑り込む。

 アイカがいた。

 当たり前だ、アイカが教室に戻ってこいと言ったのだ。

「ちゃんと渡して……くれたみたいねっ」

 ユウトの周りを一周し、手やポケットに入ってないことを確認するとアイカは嬉しそうに微笑んだ。

 この笑顔があの先輩のものになるのか?そう思ったとき、体中の血が温度を上げ始める。

 アイカの嬉しそうな笑顔を見るたび胸が痛くなる。確かに俺はアイカとは仲がいいだけの友達かもしれない。でも、俺は。俺は、アイカが好きだ。

 心で何度も唱えるが口には出ない。苦しい。血はもう沸騰寸前だ。

 アイカはカバンをごそごそして、取り出したものをユウトにまた向けてきた。

 またチョコだ。包装だけじゃチョコだとわからないが2月14日に包装してあるものと言えばチョコと決め付けていい。

 アイカは先ほどより嬉しそうな笑顔で。

「じゃあ、」

 そこまで聞いてユウトの血液は沸騰した。じゃあ、の後に続く言葉が想像できてしまった。アイカは二人の先輩にチョコを渡すつもりなんだ。

 途端ユウトの左手はアイカのチョコを持つ右手を勢い良く振り払った。

「あっ」

 声を出したのはアイカだ。チョコは教室の外へまで転がっていった。

「自分で渡せよ」

 自分の声だと思わないほど低い声だった。

 ユウトは吐き捨てた。

 アイカは涙を潤ませながら。

「サイッテーだわ!このエロメガネ!」

 そう言ってユウトの頬を殴った。

 殴られてからユウトは正気に戻った。

 自分はアイカに好きだと伝えただろうか。

 伝えもせずに勝手に期待して、勝手に裏切られたと思って。自分勝手過ぎではないか。

 二つ目の包装は一つ目のより綺麗にしてあった。一つ目は多分義理だ。そう思うほど包装の格が違いすぎる。

 アイカは俺を使い、一つ目をちゃんと渡してくれるか確かめた後、本命の誰かに渡そうと考えていたのだろう。

 その本命のチョコを俺は手で振り払った。中身はぐちゃぐちゃだろう。アイカが怒るのも無理はない。

「はぁ…」

 今日は一生分のため息をついている気がする。

 しかしどうしようもない。どうかしようとは思う。

 アイカが出て行ってもう30分ほど経つ。太陽も重力に負けているように傾き始めている。

 アイカは戻ってこないだろう。出て行くときにカバンも持っていったみたいだ。ぐちゃぐちゃの中身の包装をアイカは本命の人に渡しているのだろうか。それとももう家に帰って今日は泣いているのだろうか。

 どちらにせよ、胸が締め付けられる。なぜ感情に振り回された。感情に振り回されるならまだしも、左腕まで振り回さないでもいいではないか。面白いことを言ったつもりはない。

 ただ、思い返して少し気が楽になった気がする。

 同時に緊張する。

 そう思うユウトは立ち上がっていた。

 自分でも気がつかないうちに机から離れていた。

 やっと体が自由を利かすことが出来るようになる。

「…よし」

 謝ろう。全力で。

 蹴られるかもしれない。今度こそは眼鏡を割られるかもしれない。眼鏡、高いんだよなぁ…。でも、眼鏡の価値はアイカの価値に勝てない。アイカの思いは眼鏡市場なんかじゃ買えない。

 ユウトは教室を抜け走り出していた。どこかにアイカはいるかもしれない。いないなら町中探してでも。今日中に、一刻も早くアイカに頭を下げなければならない。

 ユウトのいる二階の東端から西端に目掛けて廊下を走りぬける。西端まで行ったら先輩がいる3階だ。十中八九アイカは3階にいる。なんとなくそんな気がする。

 そう思ったが、西端の教室にアイカはいた。

 走った距離は100メートルもない。

 すぐそばにアイカはいたのだ。拍子抜けもいいところだ。

 歩幅を狭めてなるべく足音を立てずに教室を覗き込む。

 アイカは俯いている。泣いているのだろうか。

 罪悪感が体中の神経を握り締める。

 ちゃんと思いを伝えたい。

 アイカに謝りたい。

 意を決し、教室の中に一歩はいる。アイカはまだ気付かない。空気はユウトの存在を認識する。

 二歩目。アイカの声が聞こえてくる。やはり泣いていた。

 三歩目四歩目五歩目…。ユウトが空気を切り裂き近づく。六歩目でアイカは顔を上げた。

 ユウトの顔を見るなりアイカは椅子から立ち上がり逃げ出そうとする。ユウトは走って、その細い腕を握る。

「離してっ!」

 逃げようと暴れるアイカを押さえつけようとする。

「アイカッ!」

 思わず叫んでしまった。黙ったし、暴れるのも止めたがアイカは泣きそうな顔だ。先ほどまでの涙とは違う涙を流しそうになっている。

 強く叫びすぎてしまった。沈黙が教室を漂う。漂う沈黙は嘲笑している。

「あ、えーと…、」

「離して!ユウトのことなんか大ッ嫌い!」

「俺は大好きッ!」

 再び沈黙。漂う沈黙は爆笑の渦だろう。空気の渦だけに爆笑の渦ってか。

 というか、おいおいおい。なにを叫んでるんだ。アイカの言葉に押され思わず叫んでしまった。俺のプランが、筋書きが、タイミングがぐちゃぐちゃだ。と、とりあえず、謝ろう。深呼吸深呼吸。ユウトは一瞬で思考を切り替える。

 きょとんとしているアイカに向けて。

「ごめんなさい。チョコを投げて。許してもらえるとは思わない。でも、謝りたい。蹴っても殴ってもいい。本当に悪かった」

 頭を下げることに成功した。

 しかし突然の告白を受けたアイカはユウトの謝罪など耳に入っていないようだった。でも入っていたかもしれない。

「あ、あの、ユウト」

 顔を真っ赤にしたアイカ言った。声は緊張しているみたいだ。

 ユウトは顔を上げる。

「こ、これ」

 ユウトに先ほどの振り払ってしまった包装を渡す。

「さ、最初からユ、ユウトにあげようとおもって、たの」

 沈黙。

 この現実は恋愛小説のように上手くはいかない。

 殴られてすぐに女の子を追えなかったり、女の子を探すのも夜遅くまでかからなかったり、謝罪のタイミングも間違えたり。

 だってあれはお話。

 現実は全部中途半端。

 意味がわからず人は怒るし、変なタイミングで幸運は舞い降りるし。

 ユウトは左手で包装を受け取った。今度の左手はいい仕事をした。

「え、あ、ありがとう」

「べ、別に本命なんかじゃないんだから」

 アイカの機嫌も随分と直っているようだ。

「開けていい、かな」

「いいわよ」

 夕日が教室のガラス窓を通ってユウトの包装を照らす。キラキラと輝かせる包装をユウトは解いていく。

 手紙。というよりは名刺サイズのメッセージカードだ。

 夕日が反射して読みにくい。

「ユウ、トに、は、本命…?」

 読んだカードから顔を上げた途端アイカは。

「だいすきっ」

 ユウトに抱きつきキスをした。すこし、チョコの味がした感じがした。

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