表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
9/13

8 クリスマスおじさんと告白日和 前編

  8 クリスマスおじさんと告白日和 前編


「世間ではクリスマスだ何だと騒がれているが、我ら新聞部もその流れに乗りたいと思う!」

 試験明けの月曜日の、新聞部定例会議。高杉部長が堂々とそう宣言した。

「発行は冬休みに入る前の最終授業日、クリスマス前最後の金曜日だ。あまり時間はないが、各自受け持ちの担当からあまりそれないように、ただしそれでいて十分クリスマサイズされた記事を書くこと!」

 クリスマサイズって。どんな造語ですか。

「原稿締め切りは来週金曜日。約十日しかないが、各自精一杯頑張るように。以上、質問がなければ解散!」

 わらわらと取材やらなんやらに散っていく新聞部部員達。高杉部長の無茶振りはいつものことだ。ただし、無茶振りはするけれどいつも一面にちゃんとした記事を書く高杉部長なので、部員達からの信頼は厚い。

 十二月発行の一月号は、例年クリスマス号になる。中間試験後で時間があまりないので特別号とまではいかないが、全体的にクリスマサイズ(採用)されたポップでキュートな新聞(?)が出来上がるのがいつもの流れだ。今年もその流れに乗ることが、今日の会議で決められた。

「駿は今回は何書くの?」

 私は隣で突っ伏している幼馴染に声をかけた。

「うーん?」

 眠そうな声が帰ってくる。

「聞いてた? 今月号は、クリスマス特集。記事もクリスマス絡みの何かにしなきゃいけないの。去年もそうだったでしょ?」

「うん、大丈夫」

 大きく伸びをしながら答える駿。

「大丈夫って、駿のくせにもう何書くか決めてんの?」

 いつも最後の最後までネタを決められずにいるあの駿が。成長したなぁ。わたしゃ嬉しいよ。

「うん。今日、クラスの女子から聞いたんだ」

「どんな話?」

「クリスマスおじさん」

 これが、今年のめちゃくちゃなクリスマスシーズンの幕開けだった。


 今年もどうせクリスマス号になるのだろうと踏んでいた私は、テスト前から記事のあたりをつけていた。

「というわけで、よろしくお願いします」

 翌火曜日、私は予定通り木下さんに頭を下げていた。

「全然全然。むしろ宣伝になるし、こちらこそ感謝したいぐらいだよ」

 早いうちから、私は調理部がクリスマスパーティを開くという情報をキャッチしていた。木下さんをはじめ大人しめのかわいいどころがそろうと噂される調理部主催のパーティともなれば、情報に需要はあるだろう。

「しっかり取材して、しっかり宣伝させていただきます」

 いつの間にか木下さん相手にはどもらずにしゃべれるようになっていた。まだまだ目を見てしゃべれるというレベルには達していないが、十分大きな一歩だ。がんばろう。

 というわけで、私は木下さんに従って調理部の活動拠点である家庭科室にお邪魔することになった。授業以外では縁のない、特別棟一階の端にある教室である。

「お疲れさまでーす」

 家庭科室の扉を開け入っていった木下さんの後を、小さくなりながらついていく。部活開始前の家庭科室。机を囲んで談笑する女子生徒の中に、見慣れた、いや、見慣れたというか、嫌でも記憶にこびりついている顔があった。

「あら、神城さんじゃない」

 先に声をかけてきたのは相手方。

「な、なんで姫先輩がここにいるんですか」

 紅葉ヶ丘の妖精、家庭科室に舞い降りる。じゃなくて。

「あら、私が家庭科室にいるのおかしいかしら?」

「おかしいっていうか、先輩、テニス部じゃないですか」

 どうでもいいが、私もいつの間にか姫先輩と言うようになっていた。仲良くなった……、わけではないと思う。

「すぐに大きな大会もないから、ちょっとお邪魔してたの」

 と、ここで、他の部員の方々が私と姫先輩のやり取りをぽかんと眺めていた。

「神城さん、姫宮先輩と知り合いなんだ……、って、あぁ、そうか」

 木下さんは一人得心した。駿をめぐる紅葉ヶ丘正妻戦争、なんて噂、聞いたことないですよ、私は。

「とりあえず、紹介するからこっち来て」

 姫先輩とのやり取りは一時中断。私は、木下さんに手招きされ、部員の方々の前に立った。さすがにやや緊張。

「こちら、私のクラスメイトで新聞部の神城卯月さんです。今度の紅葉ヶ丘通信に、調理部のクリスマスパーティの記事を書きたいらしいんですけど、取材、OKですよね?」

「問題なーし」

 緑リボンの三年生の先輩が言った。大人しめが多いと聞いていた調理部の中で、どちらかといえば活発そうな、ショートカットの先輩。赤縁眼鏡がかわいらしい。

「むしろ大歓迎。いい記事書いて、しっかりし宣伝してね。あ、私は部長の新堂真歩。よろしくね」

「よ、よろしくお願いします……」

 人見知りスキル発動の中、頑張って部員さんたちの姿かたちを確認する。なるほど、噂になるだけあって、跳び抜けた美人はいないが(姫先輩除く)、確かに大人しめのかわいい系がそろっている。

「それで、どんな取材されるの、私たち?」

 新堂部長が訊ねる。

「あ、そうですね、えっと、とりあえず今日は、普段の活動風景の写真を撮らせていただこうかと、思っております」

 室内なので、今日は駿のコンデジを借りてきた。ブレザーのポケットに入っている。

「なるほど、了解。木下が来たら始めようと思ってたから」

「そ、それで、今日は何を……?」

「クリスマスパーティで作るケーキの練習」

 エプロンをつけてからの調理部員は速かった。あっという間に器材を準備し、調理に取り掛かった。黄色リボンの一年生すらもテキパキ動いていた。

「すごいなぁ」

 料理なんてからっきしの私は羨望の眼差しで見つめていた。

「すごいわよねぇ」

 隣にいる姫先輩も。

「なんでここにいるんですか、姫先輩」

「あら、いちゃ悪いの?」

「悪いとかじゃなくて、私てっきり先輩は作る側に立つものだとばかり思っていたので」

 私の想像の中では才色兼備を地で行く姫先輩。料理なんてお手のもの、ではないのだろうか。

「あー、そうね、今日はそんな気分じゃないの」

 綺麗な髪を手櫛しながら、姫先輩が言った。こっちを見ずに。

 ははぁーん……。

「姫先輩、料理できないんですね」

「!」

 こちらを振り向く姫先輩。口を半開きにしているお顔もお美しい。

「誰だって、得手不得手はありますよねー」

「ち、違うわよ!」

 首を振る。

「できないんじゃなくて、したことがないだけ! だからできないわけじゃないの!」

「どう違うんですか」

「できない、と、できるかどうか分からない、は大違いよ!」

「はぁ、そうすか」

 姫先輩的には大違いらしいので、そういうことにしておこう。

「それで、そんな料理のできるかどうか分からない姫先輩が、なぜこんなところに?」

「秘密」

 姫先輩らしい、はっきりとした口調で言った。

「あなたには秘密」

 二回も。それに私限定らしい。

「そ、そうですか」

 姫先輩のオーラに気圧されて、それ以上追及することができなかった。

 話はそこまでという感じになったので、私はケーキ制作を続ける調理部員たちの写真を撮ることにした。各々自前のかわいらしいエプロンに、頭には三角巾的な布を巻いている。かわいいなぁ。私もおんなじ恰好をしたらかわいく見えるのだろうか。

 そしてかわいいだけでなく、さすが調理部、手際も素晴らしかった。料理を全く知らない私が見ているからかもしれないが、いろいろと雑談をしながらなのに無駄のない動きでどんどん作業を進めていく。

「すごいなー」

 私がそう呟くと、

「神城さんもやってみる?」

 新堂部長が誘ってくれた。

「うっ、きょ、今日は遠慮しておきます……」

「そう。やってみたかったらいつでも言ってね」

 たぶんないとは思ったが、一応頷いておいた。

 スポンジをオーブンに入れたところで、私は木下さんに聞ねてみた。

「あのさ、ケーキ作りって簡単なの?」

「うーん、今日のは別にそんなに凝ってないからなー。簡単といえば簡単だけど、難しいケーキは難しいかな。ごめん、答えになってないね」

「いや、全然。私、お菓子とか全く作ったことないから、見当もつかなくて」

「だったらやってみればいいのに。レシピ通りにやれば簡単なのだったら誰にでも作れるよ」

 木下さんにも誘われた。お菓子作りとは、他人と共有したくなるものなのだろうか。

 ふと木下さんから視線を外すと、姫先輩が真面目な顔をして新堂部長と話をしていた。

「ねえ、木下さん」

「何?」

 私は一歩木下さんに近づき、小声で訊ねる。

「姫先輩って、しょっちゅう調理部に来てるの?」

「ううん。昨日が初めてだったよ」

「何しに来てるのかな」

「さぁ。私はよく知らない。部長と同じクラスらしいんだけど。本人に聞いてみたら? 仲いいんじゃないの?」

「仲いいの? 私たち」

「少なくとも、二年の女子の中じゃ一番仲いいんじゃないかな」

 そうなのか、傍目にはそう見えるのか……。

 そうこうしているうちにスポンジ生地が焼き上がり、調理部員の皆さんはクリーム塗りの共同作業に入った。あっという間に真っ白にコーティングされていくスポンジ生地。うん、おいしそう。

 デコレーションは、今回は全て一年生が担当するようだった。恐る恐る生クリーム絞り機(正式名称不明)でケーキを縁取るあのうにゅってした造形を作っていく。そして、イチゴを乗せて完成。うん、おいしそう(二回目)。

 所要時間およそ一時間半。出来上がったケーキ三個を囲む調理部員たちと姫先輩と私。

「あの、これ、撮ってもいいですか?」

「もちろん。減るもんじゃないし」

 新堂部長の許可を得て、出来上がった純白に赤のアクセントがかわいらしいショートケーキ激写。

「さーて、お待ちかねの試食タイムと行きましょうか」

 新堂部長の号令で、一年生部員が人数分のお皿とフォークを持ってきてくれた。

「わ、私も食べていいんですか?」

「もちろん」

 というわけで、テストも兼ねるということで一年生組がメインで作ったケーキが切り分けられた。全員で「いただきます」をして、実食。うん、うまい。何も問題なし。ケーキ屋さんで買ったのとおんなじ味がする。私が採点するなら百点。

「今日の練習はこんな感じの簡単なのを作ったけど、クリスマスパーティではブッシュドノエルとかも作るし、ケーキ以外のお菓子もいろいろ作るから、お楽しみにー、って、ちゃんと記事に書いといてね」

 と、新堂部長。

「は、はい」

 という感じで、私の調理部取材一日目は終了した(お土産に、残っていたショートケーキを切り分けてもらった。ありがとうございます)。至れり尽くせりの素晴らしい部活だった。これからは事あるごとに調理部の取材に来ようかな、とかなんとか邪なことを考えていた私は、ひどく真面目な顔をして無言で黙々とケーキを食べる姫先輩の普段とは違う変な感じには全然気付いていなかった。


 帰る前に部室(社会科準備室)に顔を出したら、駿と高杉部長が残っていた。

「お疲れ様です」

「おー、お疲れー」

 駿が片手を上げて応じる。

「取材帰りか? 何やら甘いにおいがするが」

 鼻をひくつかせながら、高杉部長が言った。

「はい、調理部に行ってきたんです。クリスマスパーティのことを記事にしようと思って」

「なるほど。調理部は部員は少ないが優秀な部活だからな。かつては大会で賞をも撮ったこともあるんだぞ」

「大会とかあるんですか」

「マイナークラブをバカにするな」

「してませんよ」

「ねえねえ」

 高杉会長との会話に、駿が割りこんできた。

「それ何?」

 そして目ざとく、私の手に持たれた箱を指差す。まぁ、どっちみち自分で食べるつもりじゃなかったし(さすがに、ふ、太るし……)、いいか。

「調理部で作ったケーキもらってきたの。二個あるし、高杉先輩もどうですか?」

「もっちろん! いただきます!」

「お前はいいのか?」

「私はもう食べちゃったんで」

「そうか、じゃあ遠慮なくいただこう」

 というわけで、急きょ下校前のケーキパーティが始まった。気のきく私は二人分のお茶まで淹れてあげた。偉い。

「なかなかうまいな」

 几帳面にフォークで切って口に運んで咀嚼しながら、高杉部長が言った。

「もらったこれは新堂部長がメインで作ったやつですからね。私は食べてないですけど、たぶんおいしいに決まってますよ」

 私の言葉に、高杉先輩はほんの一瞬だけ驚いた顔をした。すぐにいつもの鋭い目つきに戻ったので、ほんの一瞬だけ。

「そうか、これは新堂が作ったのか……」

 そう呟いてから、やけに食べるスピードが落ちた、気がした。


 正門近くからバスに乗る高杉部長と別れて、私と駿は河原の道をのんびり歩いていた。十二月に入ってさらに陽も短くなり、五時半なのにもうあたりは真っ暗だ。

「ケーキうまかったなー。またもらってきてよ」

「がめついな、駿は」

 私も同じことを考えたなんて口が裂けても言わない。

「あーあ、俺も調理部の記事にすればよかった」

「あ、そういえば……」

 なぜか調理部に姫先輩がいたよ、という話題を出しかけて、なんかすごく癪な気がしてきたのでやっぱりやめた。

「何?」

「えっと……、そうだ、クリスマスおじさんの件、どうなった?」

 慌てて別の話題を取り上げる。

 クリスマスおじさん。サンタクロースとは似て非なる存在。サンタクロースが子供に夢を配る魔法使いだとしたら、クリスマスおじさんは……。

「うーん、なかなか情報が少なくてね」

「そうなんだ」

 そりゃそうだ。クリスマスおじさんはかなりレアものだ。この町に来ていることすら、昨日駿に言われて、お母さんに確認して初めて知ったくらいだ。まぁ私自身交友関係が狭いからそういう噂とか都市伝説とかの情報を得にくいからなんだろうけど。

「卯月は何か知らない?」

「そうだなー」

 一応知っている。しかしここで全部教えてしまっても面白くないので、小出し小出しで。何度も私に感謝するがよい、駿よ。

「駿はどれくらい知ってるの?」

「クリスマスおじさんは、「勇気」を配るってことくらい」

 勇気を配るサンタクロース。それが、私たちエクソシストの界隈で言われていたことだった。クリスマス近くになって突然町に現れ、そしてすぐに去っていく。いまいち生態不明の存在。

「そうみたいだね」

「でも、「勇気」を配るってどういうことなんだろう」

「配られた人が、本当にやりたいと思っていることを行動に移す「勇気」をくれるらしいよ」

「へー」

 それだけ聞くと聞こえはいいが、実はあまり私たちからは好かれている存在ではない。なぜなら、その「勇気」が、例えば告白を考えているもピュアな女子高生のもとに届けばいいけれど、もしもドス黒いことを考えている犯罪者予備軍に当たったら。目も当てられない惨劇が待っている。実際、悲しい話だが、殺人事件にまで発展した例もあるらしい。なので、クリスマスおじさんも私たちの駆除対象。しかし、この駆除がまた大変なのだ。本物のサンタクロースよろしく、その姿を捉えるのが非常に難しいのだ。私も物心ついてからかれこれ十年くらい経つが、二、三回しかお目にかかったことがない。それくらいのレアキャラなのだ。

 しかし、今回ばかりは事情が違う。なんてったって、この引き寄せ体質の駿が興味を持っているのだ。

「ま、もしかしたら近いうちにお目にかかれるかもね」

「え、マジで?」

「マジでマジで」

「何で分かるの?」

「勘」

「勘、かぁ。卯月の勘はよく当たるから、期待しておこう!」

 おいおい、信頼しすぎだろ。無邪気に喜ぶこの幼馴染の顔を見ていたら、やれやれと肩をすくめずにはいられなかった。


 その後何度か調理部への取材を重ねて、私の記事はあらかた出来上がった。

「いやー、なかなかいい宣伝になりそうだよ。本当にありがとう」

 放課後、三年B組の教室で新堂部長に下書き原稿を見せると、そう言って手放しで喜んでもらえた。

「そう言っていただけると、しゅ、取材した甲斐がありました」

「バレンタインのチョコレート教室もやるから、その時もぜひ記事にしてほしいな」

 お、これはいい情報を手に入れた。

「あ、あの、ところで」

 ちょうどいないので聞いてみよう。

「姫先輩って、何しに調理部に顔を出してるんですか?」

 そう、姫先輩は、取材のたびに家庭科室にいた。本田さんに聞いたところ、最近テニス部には顔を出していないらしい。

「あー、円ね……」

 新堂部長はニヤニヤしながら微妙な答えをくれた。

「恋する乙女って、かわいいよねー」

「と、言いますと……?」

「円って、なんでもこなせそうな風に見えて、まぁ実際何でもこなせるんだけどね、料理以外は」

「はい、だと思いました」

「円の家って、お手伝いさんがいるレベルででっかいからかな。料理だけはする機会がなかったんだって」

 ふむふむ。

「それで、この前屋上に呼び出されて、なんだろう、殴られるのかな、って思って行ったら、いきなり頭下げられて、お菓子作りを教えてください! って頼まれちゃって」

「そうだったんですか」

「うん。それで、最近は調理部に見学に来てもらって、そのついでにいろいろ教えてたってわけ」

「でも、なんでいきなりそんなことを」

「あら、分かんないの?」

 ニヤリと意地の悪そうな笑みを浮かべる新堂部長。

「え?」

「そんなんだと、正妻戦争に負けちゃうぞ?」

 

「で、私に白羽の矢が立ったというわけか」

 その週の土曜日、私は翼先輩のお宅にお邪魔していた。

「で、の一文字で勝手にまとめないでください。私はただお菓子を作ってみたくなっただけです。テストも終わったし一月号の原稿も書けたし、趣味の一つもない私は調理部の取材をする中でお菓子作りが趣味っていうのもなかなかいいものだと思」

「はいはい」

 私の言葉は頭にかぶせられたエプロンにかき消された。

「連絡もなしにいきなり来たと思ったら。いなかったらどうするつもりだったの」

「玄関で待機するつもりでした」

「卯月ちゃん、どんだけ必死なの……」

「趣味がほしいんです」

 真顔で答える私。

「はいはい」

 それ以上追及することをやめた翼先輩は、大人しく私と一緒にお菓子作りを始める気になったようだ。

「言っとくけど、私もそんなに得意じゃないからね。不器用なの知ってるでしょ」

「はい」

「そこは嘘でも、せんぱいってぇ、なぁんでもできる方だと思ってましたぁ、とか言いなさいよ」

「はいはい」

 変な声音でくねくねしている翼先輩は無視。

「で、何作るんですか」

「アップルパイ」

 お見舞いの時にも差し入れしたが、翼先輩はアップルパイが大好物だった。

「ケーキとかより簡単だし、その上おいしいって、完璧な食べ物だと思わない?」

「そ、そうですね」

 とりあえず同意しておかないと協力が得られなくなりそうなので同意する。

「じゃ、とりあえず私が指示出すから、卯月ちゃんが一人で作ってみようか」

「ういっす」

 というわけで、調理開始。

 で、およそ一時間半後。

「なんでこうなるかなぁ……」

 私たち二人の前には、なんとも形容しがたい食べ物が出来上がっていた。

「は、初めてにしては上出来じゃないですか? 形も、アップルパイに、見え……、なくもないし」

「普通レシピ通りに作ったらレシピ通りのものができるはずなの!」

「あ、味はいいかもしれませんよ?」

 というわけで、実食。

「うーん……」

 恐ろしくまずくはないけれど、全くおいしくない。どちらかといえば、完全にまずいの方に入る味。

「なんでですかね……」

「私が聞きたいよ」

 渋い顔をして、もう一口アップルパイ的な何かをかじる翼先輩。

「世の中、戦って負けるより不戦敗のほうがいいこともあるかもよ?」

「負ける前提で話をしないでください!」

「あれ、勝ち負けの問題だったの?」

「うっ……」

 なんという策士……。というか私が間抜けなだけか……。

「まぁ、妖精さんも料理は素人なんでしょ? クリスマスまでに練習すれば大丈夫だって。たぶん。たぶん……」

 という翼先輩のあんまり嬉しくないフォローは、早くも翌日に打ち砕かれることになった。

 放課後、ニコニコというかニヤニヤしている木下さんに理由も聞かされずに家庭科室に引きずってこられた私は、驚愕した。

「あら、神城さん。あなたもおひとついかが?」

 勝ち誇ったような笑みを浮かべる姫先輩。それもそのはず。

「なんですか、これ……」

 家庭科室のテーブルの上に並べられたお菓子の数々。クッキーからケーキ、その他見たことはあるが名前も知らないお菓子まで。私が失敗したアップルパイまである。

「昨日作ったの。楽しすぎて作りすぎちゃったわ」

 どういうことか意味を測りかねて(正確には理解するのを拒否していただけ)、私は視線を新堂部長に遣った。

 新堂部長は、木下さんと同じような笑み(ニヤニヤ)を浮かべながら、教えてくれた。聞きたくなかったけど。

「いやー、私もびっくりだよ。円って、ほんと飲み込み良くて。一回言ったら全部できちゃうの。これも、昨日円の家で作ったんだけど、私は横で眺めてただけ。ほんとすごいねー、円って」

 やばい、やばすぎる。緊急事態であります。

 その後なんと言って家庭科室を後にしたかは全く記憶にないが、気が付いたらはるばる高等部の教室にいて、涙目で翼先輩にすがりついて本気で鍛えてくれるよう頼んでいた私だった。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ