7 夢食べ怪獣と生徒会長 後編
7 夢食べ怪獣と生徒会長 後編
敵の名前は夢食べ怪獣。普段は幻獣界とかいう世界(まだ行ったことがない)に住んでいる生き物なのだが、稀に人間界に降りてきて悪さをする。悪さとは、その名の通り、夢を食べてしまうのだ。こいつが食べる夢は、人間が寝ているときに見る夢じゃない。それはバクの仕事だ。こいつらは、目標とか希望といった類の夢を食べてしまうのだ。特に、先輩のように活動的で、大きな夢や目標を持った人が狙われる傾向にある、らしい。
「先輩の「夢」を食べるなんて、私は絶対に許さない……」
夢を食べられた人は、あらゆるやる気を失い、そして、そのまま堕落していく。食べられた夢はどこに行くのか。消滅するのか。夢食べ怪獣の腹を切り開けば取り戻せるのか。それは分からない。とにかく、私にできることはただ一つ。
「待っていてください、部長。私が、私が必ず助けてあげます……!」
自分の部屋で退治丸を構え、私は誓った。
翌日から、私の戦いは始まった。といっても、とりあえずまずは敵を知らないことには何も始まらないので、私はお見舞いと称して(もちろんお見舞いの意味も大きいけれど)愛ヶ瀬部長の家に入り浸ることにした。
私の行動をどう思ったのかは分からないが、高杉先輩は何も言わずに見守ってくれたし、駿はちょくちょく私と一緒にお見舞いに行ってくれた。
「いつもいつもごめんなさいね、お医者さんは、体の方は何も問題ないっておっしゃるんだけど」
舞踊のお母さんも、さすがに参ってきているようだった。
「紅葉ヶ丘に通い始めてからずっと、あんなに楽しそうにしていたのに……」
任せてください、お母さん。私が部長を救い出しますから……。
部長の部屋に入れてもらうとすぐに私は眼帯をかけた。白根眼科特製、丈夫で長持ち万能眼帯である。
初めのうちこそ夢食べ怪獣のまがまがしいオーラにひるんではいたが、さすがに慣れてくるもので、数日のうちに私は部長の部屋で記事を書いたり宿題をしたりできるまでになった。あれだけ濃かった夢食べ怪獣の靄も、今でははっきりと部長の姿が見れるくらいまでには薄まっていた。慣れって怖い。
部長は全くやる気がない時もあれば、多少はやる気がある時もあった。どちらにせよ私を追い返したりはせずにただベッドの上でゴロゴロしているだけだったのだが、私の手元を覗きに来たりすることもあった。
「卯月ちゃーん、それ、なーにー?」
「宿題ですよ宿題。ちゃんとやんないと先生に怒られちゃうんで」
「私もともとバカだからー、これだけ休んだらさすがにもう授業についていけなくなっちゃったかなー。あはは」
「早く元気になって、学校行きましょうね」
「んー、めんどくさいなー」
すこしでも会話をして、解決の糸口をつかむ。いいかげん夢食べ怪獣も尻尾を見せればいいのに。
「あ、そうだ、部長。私の初めての記事、副部長からOKもらえたんですよ」
部長がいない間は、副部長が代行業務をしている。生徒会の方も、会長がいなくて大変らしい。
「んー? どんなのー?」
今日の部長は、なんだかんだでやけに食いついてくる。もしかしたら、夢食べ怪獣の動きと関係があるかもしれない。
私は、場の空気の変化に注意しながら、私は自分の書いた記事を部長に見せた。
「コンクールに出る吹奏楽部の、クラリネットのソリストの先輩のインタビュー記事です」
私の初仕事。つっかえつっかえだったけれど、高杉先輩なしで一人でやった取材。自分で考えた質問に、クラリネットの先輩も笑いながらだったけれど、ちゃんと答えてくれた。初仕事なのに写真付きの記事。これもあの重たいデジイチで、自分で撮影したものだ。
のろのろだったが、部長はしっかり私の記事に目を通してくれていた。そして。
あまりにも突然のことだったので、私は一瞬目の前で起こった出来事が信じられなかった。
愛ヶ瀬部長は、泣いていた。
「えっ?」
驚いた私を見て、部長は自分が何をしているのか理解できたようだった。
「あれー? どうしてだろー?」
緩慢な動作で何度も何度も涙を拭う部長。しかし涙は止まらない。
「あれー? あれー?」
そして。
「……、嬉しいなー。あの卯月ちゃんが、一か月もたたないうちにもうこんなに成長したのかー……」
思わず私も目の奥が熱くなってきた。いや、ここで泣いたらダメだ。今、部長は、夢食べ怪獣のテリトリーからこちら側に戻ってこようとしている。だとしたら、奴が黙っているはずがない。
「卯月ちゃん……」
気の抜けていた部長の声に、次第に力がこもっていく。
「卯月ちゃん、卯月ちゃん……!」
もう少し、もう少しだ……!
「助けて!」
その瞬間。
部長の背後から何か巨大な生き物が飛び出してきたかと思ったら、私の視界は真っ暗になり、そして、意識も、途絶えた。
「うーん……」
目を覚ましてあたりを見回す。ちなみに倒れていたのは足の長い草の上。ふかふかして気持ちがいい。
「ここ、どこだろう……」
そう言っては見たものの、十中八九。
「まぁ、幻獣界だろうなぁ」
始めてきた幻獣界は、いわゆる楽園とか桃源郷とかユートピアとか、そんな感じで呼ばれそうな素敵な場所だった。見渡す限り気持ちよさそうな草原。ところどころに生えている木々にはおいしそうな果実が実り、さらさらと美しい小川も流れている。
「奴ら、こんなところに住んでんのか」
夢食べ怪獣のほかにも、幻獣属はたくさんいる。こんなのどかな世界に住んでいるから、たまに人間界にやってきて悪さをしたくなるのだろうか。
「さて、と」
退治丸を杖に、立ち上がる。
「夢食べ怪獣を探すかなー、って、えぇっ!?」
部長が、いた。
私が倒れていたところから十メートルくらい離れた所。草に埋もれて、パジャマ姿の部長がすやすや眠っていた。
「部長、愛ヶ瀬部長!」
私は駆け寄って、部長の体を揺り動かす。
「うー……、まだ眠いよぉ……」
あ、なんかかわいい、と思ったけれど、状況が状況なので、申し訳ないとは思いながらも頬をはたく。
「部長―、起きてくださーい」
十回ぐらい頬をはたいた上、パジャマの襟のあたりを持ってがくがく揺らしたら、ようやく起きた。
「痛いよー……、って、卯月ちゃんじゃない……。おはよー……、……ん?」
と、部長も異変に気付いたようだ。
「なんで、なんで卯月ちゃんがここにいるの?」
驚きのあまりはっきりと目も覚めたようだ。
「迎えに来ました。って、部長、ここがどこか分かってるんですか?」
「ううん。分かんない」
首を振る部長。そして。
「何日前かもう分かんないんだけど、目が覚めたらここにいて。卯月ちゃんこそ、ここがどこか分かるの?」
ど、どういうことだ?
「部長、バカな話だと思って聞いてもらっていいですか?」
「うん」
「部長は、今、私たちの世界で布団の上でゴロゴロしている部長とは別人なんですか?」
「卯月ちゃん、何言ってるの?」
なるほど。なんとなく分かったぞ。
「部長は、ずっとこの世界をさまよっていたんですか?」
「うん。目が覚めてから、ずっと。やたらとやる気が満ち溢れてて、一人きりだったんだけど怖くもなんともないんだよね」
ふむふむ。
「部長は、いつもの部長ですよね?」
「よく分かんないけど、たぶんそうだと思うよ」
「大きな「夢」を持って紅葉ヶ丘学園に通っている、生徒会長兼新聞部部長の愛ヶ瀬翼ですよね?」
「なんか照れるけど、そうだよ」
私は部長の目を見た。その瞳は、私の知っている愛ヶ瀬部長のものだった。夢と希望に溢れ、人一倍努力家で、そして紅葉ヶ丘学園が大好きな。そして何より、私の大好きな。
分かった。
「部長、私が今からする話は、嘘みたいな話に思えるかもしれませんが、全部本当の話です。聞いてもらえますか?」
いつになく真面目な私の顔に、部長も危機迫るものを感じとったのかもしれない。居住まいを正して聞く姿勢に入ってくれた。
「今、部長の精神と肉体は二つに分断されてしまっています。今ここにいる、やる気満々な部長と、現実世界にいるやる気のかけらもない部長」
眉をひそめながらも、何も言わずに聞いてくれる部長。
「この世界は、幻獣界といいます。ここに住む夢食べ怪獣という幻獣に、部長の夢とか希望とか目標とか、そういうポジティブなものは食べられてしまいました。恐らく、今ここにいる部長、あなた自身は、本来の部長から抜け出した、「夢」なんです」
部長は驚いた顔をして自分の手や体を見る。
「私は……、私じゃないの?」
「いいえ。ここにいる部長も、現実でゴロゴロしている部長も、両方部長です。別々に存在していることがおかしいんです」
「卯月ちゃん……」
部長は、ポカンと口を開けている。どうしたんだ?
「驚いた。卯月ちゃんって、こんなにカッコよかったんだ」
「……!」
そういえば。部長と話していても、どもることなくすらすら喋れている。
「……現実じゃないからですよ、たぶん。こっちの世界は、嘘の私なんです」
人の目を気にせず、自由に動ける世界。確かに、素の自分が出せているのはこっちの世界かもしれない。けれど、それはあくまで人ならざるものを退治することのできる力を持った私であって、本当の、十三歳の中学一年生、極度の引っ込み思案の神城卯月じゃない。
「卯月ちゃん、矛盾」
突然、部長が真面目な声で言った。
「私には、ゴロゴロしてる私もここにいる私も両方私だって言ってくれたくせに。だったら卯月ちゃんだって両方卯月ちゃんだよ。現実世界の、ちょっとどもっちゃうけどすっごく素直でいい子な卯月ちゃんと、こっちの世界の、すごくかっこよくて頼りがいのある卯月ちゃん。ついでに言うと、桃山の前でしか見せない気の強い幼馴染の卯月ちゃん。どれが本当とか嘘とかそんなの関係ない。全部卯月ちゃんなんだよ」
部長は力強くそう断言した。
全部、私……。
凝り固まっていたものが、さらさらと音を立てて消え去っていく気がした。
「ずるいですよ、部長」
私は震える声で言った。気を抜くと泣いてしまいそうだ。
「これじゃあ、どっちが助けに来たか分からないじゃないですか」
「えへへ、偉そうなこと言っちゃったね」
頭をかく部長。
現実だろうが幻獣界だろうが、やっぱりこの人にはかなわないや。
「ぐーたらな私は私なりに危機感を感じていたのかなー」
夢食べ怪獣を探しながらこの幻獣界にダイブするまでの話をしたら、部長が言った。
「たぶんそうだと思います。普通の人だったら、ぐーたら要素が強すぎて助けを求めることなんかできないと思います」
部長は人一倍プラス要素の強い人だ。だからこそ夢食べ怪獣に狙われたんだと思うけれど、だからこそこうして奴に付け入る隙を作らせたのだ。
「本当に、部長はすごいです」
「いやだなー、そんなかしこまらないでよ。恥ずかしい」
退治丸片手に、部長と一緒に幻獣界ののどかな風景の中を歩く。
「ところで部長、現実世界の記憶はいつの分まであるんですか?」
「えーっとね、あの日。何だかだるくて、部室で机に突っ伏してたら、卯月ちゃんが声をかけてくれた日。思えばあの時もう夢食べ怪獣とやらに狙われていたのかな」
「たぶんもうその時点で取りつかれていたんだと思います」
「そっかー。ところで卯月ちゃん」
「なんですか?」
「その眼帯は何?」
突っ込まれるとは思っていた。
「現実世界では、私、右目だけで見たときに奴ら……、妖怪とかお化けとか幻獣とか、そういったのが見えるんです。ずっと片目をつぶっているのは疲れるし、手でふさいで片手が使えないのも不便なので、昔から必要な時は眼帯をするんです。……ダサいですよね」
「カッコいいと思うよ。少なくとも、私は」
この姿をカッコいいと言ってくれたのは駿に続いて二人目だ。意識的にオンとオフを切り替えられるエリートエクソシストのお母さんなんていつも爆笑しやがるのだが。
「いやー、それにしても面白い経験だなぁ」
部長が楽しげに言った。
「自分のポジティブシンキングのおかげでまさかこんな体験ができるなんて。こんなの体験できる人なかなかいないよねー。卯月ちゃんのカッコいい一面も見れちゃったし。帰ったら卯月ちゃんのこと記事にしてもいいかな、ゴーストハンター神城、的な感じで。まぁ、もちろん誰も信じてくれないだろうけど」
「そのことなんですけど……」
全部終わったら、退治丸で記憶を消さなければいけないんです。そう言おうとしたら。
「……っ!」
出た。いきなり出た。
背後から大きな影がやってきた。後ろを振り向くと、巨大な生き物。
「部長、逃げて!」
「う、うんっ」
とりあえずこちらに注意をひきつけて、部長を遠くの木の陰に逃がす。
隠れたのを確認して、改めて出てきた化け物と対峙する。
「お前が、夢食べ怪獣、か……!」
例えるなら、ゾウくらいの大きさをしたライオンとでも言おうか。いちおう見た目はそんな感じだが、羽が生えているし柄も虹色で気持ち悪いし、とにかく一言では言い表せない奇妙な幻獣だった。
「でけー……」
本物の幻獣と戦うのは初めてだった。人間界にやってきた小さな野良幻獣を退治したことはあるが、あれが子供というか赤ちゃんだったんだろうな、と確信させるでかさだった。目つきも悪い。
「うわー、もしかしてめっちゃ怒ってますかー……? 部長を連れ戻しに来たのがそんなに気に食わなかった……?」
話しかけたところで返事が返ってくるわけではない。異界の住人で言葉が通じる奴は稀だ。
「ま、私も大人しく引き下がるわけにはいきませんけどね!」
ダッシュで近づき、思いっきりジャンプ。そしてそのまま顔面に斬りかかる。しかし。
「堅っ!」
眉間を斬りつけたがびくともしない。着地して体勢を立て直す。
「マジかよ……、これ、さすがに強すぎるよ……。チートだろ……」
私の恨み節をよそに、夢食べ怪獣は向きを変え、再び私を睨みつけた。
「もう一回!」
今度は横に回り込み、羽に斬りかかってみる。
「やっぱり堅っ!」
やっぱりダメ。
「だりゃりゃりゃりゃ!」
前足を斬りまくってみるが、それでもダメ。
「えー……」
間合いを取り、一息つく。相変わらず夢食べ怪獣は鋭い目つきで私を睨んでくる。しかし、それだけ。
「……、なんか、おかしくないか?」
こちらが一方的に斬りかかっているだけで、相手は何もしてこない。
もしや。
「あのー、もしかして、あなた、夢食べ怪獣じゃないとか……?」
「やっと気付いたか」
地響きのような低い声で、夢食べ怪獣改め正体不明の幻獣さんは答えた。
「人間の小娘が迷い込んでいると聞いてやってきたが、まさかこんな元気な阿呆に会えるとはな」
「お、お褒めいただき、光栄です」
「今のが褒め言葉に聞こえたとは、お前、本物だな」
幻獣さんは鋭い目つきのままだが、なんとなく、纏うオーラが変わった気がした。
「お前、何しに幻獣界に来た。見たところ異能力使いのようだが」
「えーっと、夢食べ怪獣に取りつかれた部長を助けるために、です、はい」
「夢食べ怪獣? あぁ、あいつか」
「知ってるんですか?」
「知っているも何も、ついさっき罰を与えてやったところだ。人間界に勝手に手を出したかどでな」
「え、と、いうことは……」
「お前が助けに来た部長とやら、あの木の陰に隠れている小娘のことだろうが、じきに人間界の本体と同化するだろう。安心しろ」
まさに拍子抜けとはこのこういうことを言うのだろう。
「なんなんだ、マジで……」
「悪かったな、こちらの世界の阿呆が迷惑をかけて」
「迷惑ってもんじゃないですよ、ほんと……」
「よく言い聞かせておく。ところで」
「はい?」
「もしかしなくても、お前、神城葉月の娘だろう」
「え、お母さんのこと知ってるんですか」
「まぁ、旧知の仲と言えばそうなるかもな」
おいおい、顔広すぎだろお母さん……。
「最近顔を見ないが、あいつは元気でやっているか?」
「元気すぎて困るくらいですよ」
「そうか、それは良かった」
満足そうに頷く幻獣さん。
「さて、部長とやらがそろそろ同化する頃だな。葉月の娘、お前も気をつけて帰れ」
「あ、ありがとうございます」
見ると、木陰に隠れていた愛ヶ瀬部長の体が光を放っている。本人も何が起こっているのか分からない様子で、わたわたしている。
「あと、私の名前は卯月です」
「卯月、か。覚えておこう」
そう言って、踵を返す幻獣さん。
散歩ほど進んで、立ち止まる。
「一応言っておくが、幻獣界はお前みたいな小娘が来てどうにかなる場所ではない。今回は良かったものの、幻獣絡みにはあまり首を突っ込むな」
それだけ言って、幻獣さんは去っていった。背中の羽をひとはばたきさせただけで、あっという間に空の彼方へ。
「分かってますよ。でも、今回は特別だったんです。どうしても、来なきゃいけなかったんです」
私は光を放つ部長のもとに駆け寄った。
「ね、ねぇ、卯月ちゃん、これ何? 私、どうなるの!?」
「大丈夫です。安心してください」
慌てふためく部長に、私は微笑みかける。
「一足お先に戻っていてください。私もすぐに追いかけます」
私の言葉に安心したのか、部長は頷いた。
「分かった。気をつけてね」
「はい」
一段と強い光を放ったかと思うと、次の瞬間、部長は消えていた。
「さて、私も帰り道を探しますか。さっきの幻獣さんに聞いとけばよかったなー」
そんな感じで、部長を襲った大事件と私の幻獣界初体験は幕を閉じたのだった。
なぜ急にこんなやたらと真面目な語り口で(疲れた……)一年半も前の昔話をしたかというと、二学期中間試験の終わった週の土曜日、私は久しぶりに愛ヶ瀬元部長と会うことになったからだ。
暖かな日差し降り注ぐ十二月の小春日和、待ち合わせの駅前にやってきた元部長、改め翼先輩は、相変わらず元気だった。
「卯月ちゃーん、久しぶりー。元気だったー?」
「元気でしたよ。先輩こそ、相変わらずですね」
「私から元気を取ったら何も残らないからねー」
高等部に進学した後は、同じ学園とは言え敷地も離れてしまうため、なかなか会う機会はなかった。今日はおよそ三カ月ぶりの再開だ。
「さー、今日は卯月ちゃんの秘密をいろいろ聞きだすぞー」
喫茶店に入って席につくや否や、翼先輩は嫌らしい笑顔を浮かべながら言った。
「相変わらずタチ悪いですね」
「おー、冷た。私が卒業する時鼻水流しながら大泣きしたのは誰かなー?」
「そ、それを言うのは卑怯です!」
「あはははは」
相変わらずの翼先輩。
「ところで」
そして、急に真面目な声になるのも相変わらずだ。
「私がいなくなってからだいぶ立つけど、最近は大丈夫?」
「何がですか?」
「とぼけないでよ。妖怪退治」
そうなのだ。
あの日、幻獣界から翼先輩(当時は愛ヶ瀬部長)の部屋に戻った後。ベッドの上でニコニコしながら待っていた翼先輩の頭に、私は何も言わずに退治丸を突き刺した。驚く翼先輩。しかし、私はもっと驚いた。全く手ごたえがない。ただの素通り。そして、その感覚通り、なぜか翼先輩には記憶消去が効かなかった。理由は分からないが、恐らく幻獣界にいすぎたせいだろう。お母さんに訊いたら、「そういうこともあるんじゃない?」と言われた。他人事だと思って。
「私がいなくなってから、フォローしてくれる人いないんでしょ?」
私の秘密を知ってしまった翼先輩は、それをばらすなんてことはもちろんしなかった。むしろ逆に、私のミスをフォローしてくれる大事な大事なパートナーとなってくれたのだった。
「大丈夫ですよ。さすがに、私ももう慣れてきましたから」
言葉通り。翼先輩がいなくても、私はちゃんとやれている、はず。無駄な心配はかけたくないし。
「おーそうかそうかー。寂しいなー」
そう言いながらも、顔は笑顔だ。そしてこう付け足した。
「ま、卯月ちゃんには桃山が付いてるからなー。私なんかいなくても大丈夫ですよねー」
目を細めてほくそ笑む翼先輩。
「な、なんでそこで駿が出てくるんですか!」
「あ、そっかー、桃山は、紅葉ヶ丘の妖精に婿入りしたんだっけか? 高等部まで噂届いてるよー」
「デマです! そんなのデマです!」
「まぁまぁ、ムキになりなさんなって。誰もあんたたち夫婦の破局なんて信じてないって」
私はテーブルのカフェオレを飲んで心を落ち着ける。
久しぶりの翼先輩のやり取り。くすぐったくて、でも、嬉しかった。
「翼先輩」
「ん?」
コーヒーを飲む翼先輩に、私は訊ねた。
「高杉部長から、先輩が高等部の次の生徒会選挙に出るって聞きました」
「あー、うん、そうだね。出るよ」
高等部に入ってからも、先輩は変わらなかった。生徒会役員でもないのに毎朝早起きをして、正門に立って挨拶をしているらしい。
「高等部でも、先輩は、「夢」、持ち続けてますか?」
先輩の「夢」。
「もちろん。あったり前じゃん」
一度しかない中高生のこの時期を紅葉山学園で過ごす全ての生徒に、大事な大事な思い出を、友達をこの学園で作ってもらいたい。そして、この学園のことを大好きになってもらいたい。
子供じみた夢かもしれない。でも、私は心の底から叶ってほしいと思う。翼先輩に、叶えてほしいと思う。
先輩、聞いてください。私、クラスに友達ができたんですよ。先月号の記事も、すごく評判が良かったんですよ。この紅葉山学園が大好きだから、恥ずかしいけれど、退学にならないようにテスト勉強も頑張りましたよ。
あの日、翼先輩が新聞部に誘ってくれなかったら、きっと今の私はいない。相変わらず暗くてジメジメして、駿としかしゃべれないつまらない奴だったと思う。でも、翼先輩と出会えたおかげで、私は変われた。私が変われたんだから、きっと、翼先輩ならどんな生徒でも変えられるに違いない。そして、夢食べ怪獣に食べられても消えることのなかった「夢」をきっと実現させてくれるのだろう。私の大好きな翼先輩は、相変わらずそこにいた。
「先輩、今日はたくさん、おしゃべりしましょうね」
まだまだ長い紅葉山学園での生活、これから先どんなことが待っているのだろうか。楽しみで楽しみでたまらない!