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4 魔法の鉛筆と中間試験 前編

  4 魔法の鉛筆と中間試験 前編


 終わった。始まる前から終わった。

 文化祭も感情の高ぶりを抑えられずに叫んで恥をかいた以外は何事もなく無事終了し、姫先輩のはしか的な恋愛感情もほんのちょっとだけ落ち着いて、その後の十一月はのんびりと過ぎて行った。遠目に見る紅葉山公園のもみじも綺麗に色づき始め、秋の到来と、そしてすぐそこまで来ている冬の気配を云々かんぬん……。

「卯月ー、意識が飛んでるぞー」

 はっ。

 季節の移ろいに馳せられていた私の心は、向かいの席に座る駿の声で現実的な図書室へと引き戻された。

「勉強始めてまだ五分だよ?」

「あー、うん、そうっすね……」

 私は目の前の数学のノートに目を落とした。左上に数式が少し書いてあり、だんだんと字がミミズになっていき……。

 典型的なダメな子のノートである。

「どっか分かんないとこあったの?」

「いや、そういうわけでは……」

 勉強に対するアレルギーがあるんです、なんて冗談、気を遣って声をかけてくれる駿に申し訳がなさ過ぎて言えるわけがない。

 紅葉ヶ丘学園では、十一月末から十二月の頭にかけて後期中間試験がある(ちなみにテスト期間は新聞発行作業中断)。

 そうだ、少し思い出話をしよう。私の住む市の近辺ではそれなりに名の知れた進学校である紅葉ヶ丘学園。そんなところに私が合格するには、血のにじむような(マジで)努力があった。あれは小六の一学期だった。ある日の夕食時、お母さんが言った。

「あ、卯月、今日桃山さんが言ってたんだけど、駿君、紅葉ヶ丘受けるらしいよ」

 箸は落としたが、みそ汁のお椀はかろうじて持ちこたえた。

「な、なんだってぇっ……!」

 あの何も考えていないような、実際何も考えていない駿が、中学受験、だ、と……!?

 一緒に近所の公立の中学に進むものだとてっきり思い込んでいた私は驚愕した。そしてその場で頭を下げた。

「お母さん、私、塾行く! 行かせてください! お願いします!」

「そう言うと思った」

 お母さんはニヤニヤしながら、後ろ手に隠したいくつかの塾のパンフレットを見せた。

 それからというもの、勉強など二の次三の次にしていた私の優先順位はがらりと変わり、一に勉強二に勉強、三四がなくて五に勉強の日々となった。今思い出しても吐き気を催す。

 頭は悪くても要領は悪くなかった私は、遅いスタートにもかかわらずどうにかこうにか成績を上げ、最終的にはなんとか滑り込みセーフで合格した。小学六年生の青春の日々は、勉強の二文字に消えた。私のコミュ障ぶりを悪化させるのにも貢献してくれた。ちなみに駿はもとから賢い奴だったので、塾にも行かずにさらっと合格しやがった。格差社会。

 受験で燃え尽きた私は、自主自学の大義のもとに勉強に対しての強制力がそれほど強くない紅葉ヶ丘学園の教育方針と相まって、必要以外は勉強をしない中学生になった。初めから二百人中百五十位くらいというたいして良くない成績だったのだが、徐々に、着々と成績を下げ続け、前回、二年前期末試験ではとうとう後ろにひと桁しかいないというところまできた。やばい。やばすぎる。中等部だし留年はないけど強制退学の危機レベルだ。やばい。

「あのね、卯月」

 目を合わそうとしない私に、駿は優しく語りかけた。その優しさが痛い。

「俺はおばさんから頼まれてるんだ。卯月の勉強を見てくれ、って」

「はい……」

「俺だって、卯月が退学なんかになっちゃったら嫌だし」

 ぐぬぬ……、真顔でそんなこと言われら照れるじゃねぇか……!

「あれ、神城さんに桃山君」

 そんな微妙だけど壊してほしくない雰囲気を壊してくれたのはほんわかした木下さんの声だった。先日の文化祭以来何かと話をするようになった中間派の女の子。調理部所属とか女子力高すぎる。

「あ、木下」

「二人で勉強? 仲いいね。横いい?」

 私と駿の世界に入ってこられる程度には、木下さんは鈍感なのかもしれない。自分で言うのもなんだけど。

「聞いてよ木下。卯月の奴、テスト勉強開始五分で居眠り始めたんだよ。教える俺の身にもなって欲しいよ」

「神城さん、それはさすがに桃山君に申し訳ないよ……」

 私の味方はいないのか。

 微妙な笑みを浮かべながら、私の横に座った木下さんは料理雑誌をぱらぱらめくり始めた。

「あ、あれ、木下さん、勉強、しにきたんじゃないの?」

「あぁ、これ? 教室でしてたんだけど、疲れちゃったから息抜き」

 息抜きに料理雑誌とは……。この子、何者?

「木下って、料理上手い?」

 私に勉強を押し付けることをあっさり諦めたのか、駿は木下さんに話しかけた。これはこれで虚しい。

「上手いかどうかは分かんないけど、好きだよ」

「どんな料理?」

「一番好きなのはお菓子作りかなぁ。きちんと計量して、きっちり時間計って作るのが、なんか実験っぽくて好き」

 お菓子作りが趣味とか。私の趣味は……、特になし。RPGが好きってぐらい。無趣味な少女。残念だ。女子っぽい趣味の一つでも始めるべきか。

「すげー。今度何か作ってよ」

「いいよ。部活で作ったの、持ってきてあげる」

 駿とおしゃべりに興じていた木下さんは、思い出したように私を見た。

「あ、ごめんね、神城さん」

「ごめん?」

「やきもち焼かないでね。もちろん、神城さんにも持ってくるから」

 ……私のことなんだと思ってるんだ、この子。

「ところで、訊いていいのか分かんないけど」

 そう前置きして、木下さんはど真ん中ストレートの疑問をぶつけてきた。

「神城さんって、そんなに成績まずいの?」

 いや、むしろデッドボールだなこれ。

「まずいってもんじゃないね」

 退治丸で腹をひと刺しにされる妖怪どもはこんな気持ちなんだろうか。今度からもっと優しくしてやろう……。打ちひしがれる私のかわりに、駿が赤裸々に答えてくれた。

「後ろから十番ぐらい」

「うわ……」

 なんだこいつら。寄ってたかって私をいじめるために集まってるのか?

「退学の危機レベルなんだけどねー。卯月の奴、全然やる気出してくれなくて」

 違うんだ、しゅん、木下さん。決してやる気がないわけじゃない。分からなくて、辛いだけなんだ。分かってくれ。

「神城さん、ちゃんと勉強した方が……」

 やめて、木下さん。そんな、ボウフラを見るような目で私を見ないで……。

「と、とと、ところで、木下さんはどのくらいなの?」

 とりあえず矛先を逸らそうと、木下さんに話題を振る。まさかこれが、自分で自分の傷に塩を塗ることになるなんて……。

「え、私? 私は……」

 言い淀む木下さん。お、私と似て言いにくい成績なのか? と思ったら。

「え、知らないの、卯月」

 駿がさも当然という風で言った。

「木下、学年トップだよ」

 目を丸めて木下さんを見つめる私と、照れたように頬を掻く木下さん。

 ……窓から飛び降りようかしらん?

「そそ、そうだそうだ、こんな噂知ってる?」

 強引に話を変える木下さん。そんな気遣いも、荒んだ私の心にはなんの潤いももたらさないんだよ。

「噂って?」

 私のかわりに駿が食いついた。

「魔法の鉛筆」

「魔法の鉛筆?」

「うん。私の通ってる塾でちょっと話題になってるんだけどね。まぁ、いわゆる都市伝説みたいなやつなのかな?」

 以下、木下さん。

「第二中に行ってる友達が言ってたんだけど、その子の第二中で、急に成績上げた男子がいたんだって。真ん中ちょっと下あたりから、一気にトップに。あまりにも急だったみたいだから、周りの子たちも不思議に思って、訊いてみたんだって。何でそんなに急に頭良くなったのかって。そしたら、びくびくしながら、魔法の鉛筆のおかげ、って言ったんだって」

 終わり。

「何、その話」

 私は思わず言ってしまった。

「私も聞いただけだから。まぁ、単なる変な都市伝説?」

 と、微妙な表情になる木下さん。

 それは、その話の内容があまりにもチープだったからだろうか。それとも、目をらんらんと輝かせている私が目の前にいたからだろうか。


「興味深い話だけど、それとこれとは話が別」

 帰宅途中の河原。珍しく駿が真面目な声で言う。

「初めて聞いた都市伝説だし、確かめてみたい気はするけど、そんなのでいい点取っても卯月のためにならないよ。まずはしっかりテスト勉強するのが先」

 勉強に関しては現実主義者の駿。

「な、何を言っているのかな、駿君?」

「バレバレだよ……」

 はぁ、と溜め息をつく。駿。

「明日も放課後、図書館で勉強だからね?」

「分かってますってー」

 棒読み。

 私の未来は魔法の鉛筆が握っているのだよ、駿君!

 というわけで、翌日の放課後。私は終礼の号令が響いた瞬間、教室を飛び出した。

「待て、卯月!」

 私の机は廊下側一列目。駿は窓側二列目。この差はでかい!

「待てと言われて待つのは愚か者!」

 こんなときだけ発揮される私の運動神経。目指すは市立第二中学校!


 駿をかわしてバスに滑り込み揺られること約二十分。第二中は町の中心部にある学校だ。

「さて、と」

 町なかにはあるが、何の変哲もない中学校。

「火のないところに煙は立たない。魔法の鉛筆とやらは実在すると確信している!」

 降ってわいた儲け話(?)に、私のテンションは上がりっぱなしだった。

 とりあえず白根眼科謹製眼帯を装着。今回は怪しげなオーラを放つ人を探す。

 魔法の鉛筆が本物の不思議アイテム(名称は適当)ならば、私の右目ではっきり分かるはず。

 テスト前で短縮授業の紅葉ヶ丘学園よりも一足遅く下校時刻を迎えた第二中。正門付近は帰宅する生徒がわらわらいた。

 木下さんの話によると、件の男子は私と同じ二年生で帰宅部とのこと。全く目立たない地味な奴らしい、という有益かどうか分からない情報は聞き出せた。

「私も直接知ってるわけじゃないけど……。神城さん、どうする気なの?」

「な、何もしませんって。へへっ」

 嘘を付くのが下手なのは美徳だと信じている。

 正門と道路を挟んで向かい合うコンビニで立ち読みをする振りをしながら、下校する生徒たちを監視する。見慣れないセーラー服と学ランの中学生を眺めていたら、お目当てのターゲットらしき生徒を発見した。

「うむ、明らかにオーラが違う」

 小柄で猫背の少年。一見すると普通の地味な中学生だが、私の右目にかかればその隠された一面も一目瞭然である(大げさ)。

 その少年の背負う学校指定らしき鞄から、まがまがしいオーラが漂っている。

「あの中に、魔法の鉛筆が入っているのか……」

 ……ん? なんでまがまがしいオーラなんだ?

 と、ここで一応確認しておくが、私は別に彼から魔法の鉛筆を盗もうとしているわけではない。うまいこと話を聞きだして、今後の参考にしたいと思っているだけだ。今後の参考に。

「ま、エクソシストとして、この正体不明の魔法の鉛筆の出所も確認しておかなければならないという義務感があるのだよ」

 誰に弁解するでもなくつぶやく。気付けば、雑誌コーナーから店外を睨みながらぶつぶつ独り言をつぶやく女子中学生は、店内の注目の的だった。

 私は真っ赤になって店を出る。

「いかんいかん、いつもの癖が」

 気を取り直して少年を探す。正門を出た後右折し、道なりに歩いていた。

「よし、尾行開始」

 ここ最近尾行スキル急上昇中である。悲しい。

 少年は、寄り道もせずまっすぐ淡々と歩いている。家に帰るのか、それとも、塾にでも行くのか。

 結果は、そのどちらでもなかった。

「ここは……?」

 少年が辿りついたのは、繁華街の外れにある怪しげな雑居ビルだった。

「雑居ビルなんて単語、初めて使ったよ……」

 立ち止まり、一度ちらりと見上げ、そして左右を確認してから、少年は雑居ビルの外階段を上っていった。そして、四階のドアを開け、消えた。

「うーん、なんか怪しいなぁ」

 さすがにビル内部に何かあったとしても我が右目ではそこまでは見えない。せいぜい鞄の中身が限界なのだ。

 私はそっと肩にかけたスクールバッグに手を突っ込み、退治丸の存在を確認する。

「ま、なんかあったら逃げればいいし」

 忍び足で四階まで上る。そして、そっと扉に耳を寄せると。

「お願いだ、もうこれだけになっちゃったんだ。これじゃあもう、書けないんだよ!」

 男の子の悲痛な叫び声が漏れてきた。ボロくて薄い扉で助かった。

「あれが、あれがないと、次のテストではまたいつもの位置に逆戻りなんだ!」

 少年の独白は続く。

「やっと、やっと手に入れた場所なんだ。母さんも父さんも褒めてくれたし、話しかけてくれるクラスメイトだって増えたんだ!」

 だんだん涙声になってきた。

「だから……、だから、お願いだ。あれを、魔法の鉛筆を、もう一本だけくれよ!」

 そして、沈黙。

「でー?」

 次に聞こえたのは、少年のものではない声。やや低めだが、女の子の声だろう。若い声、中学生か高校生か。何者だ?

「でー?」

 もう一度。かわいらしいけれど、なんだか威圧感のある声だ。人を脅し慣れているというかなんというか。

「で、って……?」

 かすれ声で少年が訊く。

「言いたいことはー、それだけなのー? ってことー」

 少女(暫定的にこう呼ぼう)はかわいい声で突き放すように言った。ひっ、と息を飲む少年。

「世の中ねー、そんな都合よくはできてないのー」

 耳障りな独特の抑揚をつけて、少女が言う。

「欲しいものがあればねー、それなりの代償が必要なのー。買い物するときはー、お金を払うでしょー? そのくらい知ってるよねー?」

「は、はい。でも、僕、お金とか、あんまり持ってなくて……」

「ボク、お金興味なーいしー」

「ま、前はタダでくれたじゃないか!」

「えへへー。気まぐれ気まぐれー。でもー、せっかくだから教えてあげるー。天国を知った後に地獄を知るー、あなたのお顔が見てみたかったのー」

「ひっ」

 悪趣味な。

「でもー、ちゃーんと代償をくれたらもっとあげるよー」

「じゃ、じゃあ、何を、何を渡せば?」

「うーん、そだねー」

 何だか背筋がぞくぞくしてきた。冷や汗が流れる。

「あんたの魂をー、頂いちゃおうかしらーん」

「ひっ、ひいいいっ!」

 少年が悲鳴を上げる。そして。

 ばんっ!

 扉が開かれ、脇目も振らず駆け降りて行った。ありゃ漏らしてるな、絶対。そして二度とここには近づかないだろうな。

 さて、と。

 私は退治丸を引き抜いて、振り返った。

「あららー? 今日はもう一人お客様ー?」

 雑居ビルの四階の部屋の中には、ぼろぼろのフード付きのマントで体をすっぽり覆った少女らしき姿があった。まわりには放置されて何年も経ったような事務机とかイスとかが転がっている。埃もひどい。

「って、もうばれちゃったのかー。早かったなー」

 正直、私は驚いていた。なぜなら、目の前にいるこの少女、てっきり妖怪か何かの類だと思っていたら、私の右目は予想に反して何も異常なものを映していなかった。すなわち。

「あなた、人間……?」

「わー、失礼だねー。ボクのどこをどう見たら人間以外に見えるって言うのー?」

 私は構えていた退治丸を下ろす。人間相手には、記憶をいじるくらいにしか使えない。

「あなた、何者?」

「さあねー」

 さらっと私の質問を受け流す。

「魔法の鉛筆は、どこで手に入れたの?」

「さあねー」

 さすがにもう魔法の鉛筆がほしいなんて思っていなかった。私もそこまで馬鹿じゃない。

「あんな人間界には存在しないものを、一体、どこで……」

「あ、やっぱりー、教えてあげようかー?」

 挑発するような少女。この挑発に乗っていいものかどうか迷っていたら。

「ぶー。時間切れー。やっぱりー教えてあげなーい」

 三秒も経たないうちにそう言って、ケラケラ笑った。なんだ、こいつ。

「ふふふー、でもヒントだけ教えてあげるー」

 フードの奥で、少女がニヤリと笑った。気がした。

「神城卯月さーん、魔法の鉛筆なんかに頼ろうとしてたらー、ほんとに退学になっちゃうよー?」

 そして、マントを大きく翻すと。

 消えた。

 唖然とする私。

 辺りには、わずかだがこの世のものではないものの気配が漂っていた。

「魔法……、いや、あいつ人間だったし、不思議アイテムか……」

 ふと、私は床に転がる数本の棒状の物を見つけた。

「ん? これは、も、もしや……」

 とりあえず拾い上げ、誰もいないのは分かっているが前後左右、そして上下まで確認し、そっとブレザーのポケットにしまった。


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