プロローグ マンホールお化けと手作り弁当
紅葉ヶ丘学園中等部の新聞部に所属する私、神城卯月と幼馴染の桃山駿。左目をつぶると人ならざるものが見えてしまう私は、愛用の眼帯と退治丸(刀。名前がダサいのはしょうがない)を引っ提げて、人ならざるもの引き寄せ体質の駿のフォローをする日々。そんな日々も嫌いじゃないなんてこっぱずかしくて言えないけど。
紅葉ヶ丘学園中等部にはこんな噂がある。
「黄昏時の校舎裏、跳梁跋扈する妖怪を退治する隻眼の少女が現れる……」
どこの学校にも、どこの町にもあるような噂、と言うには少し具体的すぎるせいか、かなり胡散臭いし、それに随分とファンタジー的要素が入っているので、現実路線の中学生たちには見向きもされないため、そこまでの広がりも見せていない噂である。
しかし残念ながら(?)、この噂は真実なのだ。
だって、それ、私だし。
プロローグ マンホールお化けと手作り弁当
「それじゃあ今日のミーティングはここまで。各自、受け持ちの仕事は期限までに必ず終わらせるように。質問がなければ解散!」
新聞部長兼中等部生徒会長高杉晋太郎の号令で、金曜日の新聞部定例会議はお開きとなった。
特に波乱もなくいつも通りの内容で少し物足りない気はするけれど、中学校の新聞部に世間を震撼させるスクープが舞い込むわけでもないし、私自身ジャーナリズム精神に溢れているわけでもないから問題なし。
「帰るかー」
私は隣で寝息を立てている幼馴染を突っついた。
「終わったよー」
「んあ?」
よだれを垂らしている上に、ほっぺたには袖のボタンの跡が付いている。中二にもなってこれかよ、と呆れると同時に、ほんとにこいつは私がいないと何もできないんだから、と思ってしまう幼馴染スキルというか母性本能が発動する。
「ほら、ハンカチ」
「ありがと」
いつも持ち歩いているこいつのハンカチを手渡す。
寝起きの幼馴染は、よだれの跡を拭いて、そしてハンカチをポケットにねじ込む。
「なんか面白いことあった?」
「ううん。いつも通り」
「だよねー」
「うん」
「帰ろっか」
「そだね」
だいたいいつもこんな感じである。
だいたいいつもこんな感じだから、周りからはカップルを通り越して夫婦だの縁側のじいさんばあさんだのハト(ハトは一生同じつがいらしい。知らなかった)だの呼ばれるのだが、本人同士は特に気にしていない。誕生日は二日違いで親同士が同じ職場で同じ団地の同じ階で十四年も暮らしていたら、そらこんな感じになりますって。
あ、申し遅れました。私は神城卯月、私立紅葉ヶ丘学園中等部の二年生です。名前の通り四月生まれで、学校では新聞部に所属しています。成績は中の下、運動は不得意です。髪は黒髪のショートボブ、前髪を長めにしているのは人と目を合わすのが苦手だからです。てへっ☆
……、申し訳ありません。隣に並んで一緒に下校しているのが、幼馴染の桃山駿。同じく新聞部に所属しています。中二にもなっていつも髪には寝癖が付いているし、子供っぽい趣味は持っているし、本当にどうしようもない幼馴染です。以上。
それでは本筋に戻りましょう。
夕暮れ時の通学路の河原を並んでのんびり歩きながら、ススキが茂っていてもうすっかり秋だなぁ、とか何とか風流なことを考えていたら、駿が突然言い出した。
「あのさぁ、卯月、面白い噂聞いたんだけど」
「……またぁ?」
「うん」
「どんなの?」
「マンホール」
「マンホール?」
「うん」
前述のとおり、駿には子供っぽい趣味がある。それがこれである。
「この町のとあるマンホールの上に十秒以上いると、異世界に飛ばされるんだって」
「はぁ、そうなんですか」
いわゆる都市伝説の類、いや、都市伝説などとのたまったら都市伝説に失礼かもしれないレベルの噂話も含めて、そういったオカルト話に目がないのだ。目がないだけならまだしも、駿はそれに関連したところで困った体質を持っているのだけれども、それはまた後述。
「これ、今度の新聞のネタになるかな?」
「そんなの、本当だったら普通に事件になってるって」
「事件になってないから不思議なんだろ」
「そういうもんかね……」
これもいつものやり取りなのである。そして最終的にはいつも私が譲ることになる。大人だから、譲ってあげているとも言える。
「そういうもんなの」
この系統の話をしている時、駿の眼はキラキラ輝いている。いつも眠そうなくせして勉強はできるしスポーツも万能な駿が一番輝くのがこの瞬間なのである。そしてその瞬間を独占できるのは、他ならぬ私だけなのである。
そんなことはどうでもいい。
「で、どうするの? 今から実験するの?」
「今やって、ほんとに飛んだらまずいから、明日にしよう。土曜だし」
「はいはい」
一応嫌そうにしないと駿が調子に乗るので、渋い顔をして頷く。
「ありがと、卯月」
「うっ」
不意打ちで笑顔で礼を言われると、思わずうろたえてしまう。
だって、駿の奴、頭の中は小学生のくせに、外見だけはどんどんかっこよくなりやがるんだから……。
自分で言うのもなんだが、私と駿はコンビみたいなものだ。それは野球のバッテリーとか刑事ドラマに出てくるみたいないい意味のコンビではなく、例えるならばドラえもんとのび太みたいな関係である。駿がのび太で、私がドラえもん。駿が起こした不祥事を、私が解決する。
駿だって起こしたくてトラブルを起こしているわけではない。それは分かる。しょうがないことなのだ、駿がトラブルを起こすことは。むしろトラブルが駿を好んでいるのだ。そして私がその後始末をしなければいけないのも、しょうがないことなのだ。しょうがない、しょうがない……。
物心ついた時からずっとそうだとさすがに慣れるもので、もう今ではしょうがないとも思わなくなってきた。あーそうですか、はいはい分かりました、お仕事ですねー、ぐらいの感覚である。そして明日も、絶対何か起こるのだ。起こらないわけがない。
というわけで、私は早々に布団に入ることにした。ちなみに壁の向こうが駿の部屋だ。駿はもう寝ただろうか。
今回のマンホール調査(?)は、単に駿の趣味というだけではなく、新聞部の記事作りのための取材という実益も兼ねている。新聞部員はそれほど多くなく、月に最低一号の新聞を刊行するために、部員にはかなりきつめのノルマが課されている。ちなみに来月号の原稿締め切りは来週の水曜日だ。特にイベントごとのない九月末発行の十月号なので、部員の記事ノルマはいつも以上に重い。
私は頭が悪い割に要領はいいのでとっくの昔にちゃちゃっと済ませていたが、頭がいいのに要領が悪く、さらに人一倍こだわりの強い駿は、自分に納得のいくネタが書きたくてネタ探しをしているうちに締め切り前最後の週末を迎えてしまった。
私は毎度毎度趣向を凝らした、というほどではないが、文章を書くのは苦手ではないので、それなりにバリエーション豊かな記事を書いているつもりだ。部長からの評価も概ね悪くない。一方の駿は、毎度毎度都市伝説とか幼稚な噂絡みの記事を書いている。しかしこれがまたなぜか評判が良く、これを楽しみに毎号読んでいるという読者もいるくらいだ。駿の記事の完成度の高さはひとえに私の存在による部分が大きいので、新聞部は大いに私を崇めるべきだと思うのだが、さすがにイチ平部員がそんなたいそうなことは言えないので私は今のそれなりにできる子という位置を崩さないでおきたいと思っている。
さて、前置きが長くなったが、だいたいの朝は私が駿を迎えに行くという形で幕を開ける。今日のマンホール調査も同じだ。
「しゅーん、迎えに来たぞー」
我が家の次に勝手知ったる家におじゃまして、駿の部屋のふすまをボスボス叩く。
「おー、ちょっと待っててー」
数十秒後に出てきた駿は相変わらず寝癖が付いていたが、相変わらずのイケメンだった。
「お待たせ。行こうか」
「うん」
言ってみれば、色っぽさのかけらもない週末デートである。
駿はモテる。中学生の男子なんてのはスポーツができるかカッコよければモテる。駿はスポーツができてカッコいい上に頭もいい。モテないはずがない。
言い寄る女は数多いたが、駿は全てを断ってきている。
私は一度だけ訊ねたことがある。なぜ断るのか、すごくかわいい子もすごくいい子もいたじゃないか、と。そしたら駿はこう答えた。
「え、だって、卯月と一緒にいる方が楽しいし」
その時の私はどんな顔をしていたのか。タイムマシンがあったらぶっ壊して誰も見られないようにしたい。
「噂の出所によると」
団地の階段を降り、駿の足は山の方にある紅葉ヶ丘学園とは反対方向に向かった。このいなか町の中心街の方だ。ちなみに噂の出所とか言っているが、正体はクラスメイトの男子だろう。たぶん。
「そのマンホールは中央公園にあるらしい」
「そんなところで異世界に飛ばされたら、絶対目撃者がうようよ出てきそうだけど」
「そこが不思議なところなんだよな。目撃者がいるはずなのに、いない。飛んだということだけが伝わっている。不思議だ。絶対記事になるぞ」
「なるといいね」
最寄りのバス停から、中心街行きのバスに乗る。土曜の午前のバスは、街に遊びに行く老若男女で混み合っていた。
「あのさぁ」
支柱につかまりながらバスの揺れに身を任していたら、駿の方から口を開いた。こいつは沈黙に耐性のないお子様なのだ。
「何?」
「卯月はどう思う?」
「何について?」
「もちろん、今回の噂についてだよ。卯月はいつも的確なアドバイスをくれるから」
「えーっとね……」
的確なアドバイスというのは少し語弊がある。なぜなら、私はだいたいの場合答えを知っているから。だから、アドバイスと言っていいのだろうか。まぁどうでもいいか。
「たぶんあれだよ。マンホールお化け的な、あれ」
「マンホールお化け?」
ずばり答えを知っている人間が、答えを微妙に隠しながらそれでいて的を射たアドバイスをするというのはなかなか難しい。
「何て言うかさ、えーっと、あれだよ、遊んでんだよ、お化けが。マンホールで」
「お化けが、遊んでる……」
駿はいつもクソ真面目に私の言葉を吟味する。
「なるほど、面白いね、それ」
どうやら駿は頭中のメモ帳にそれをメモしたようだ。私の言うことは何でも信じてしまう、本当にかわいい奴だ。
「あ、卯月、着いたよ」
二十分ほどでバスは目的地に辿りついた。
休日の中央公園は、黒山の、とは言えないまでもそれなりの人だかりだった。イベントスペースでどこかの県の物産展をやっているらしい。帰りにさつまいもソフトクリームとやらを食べてみよう。
「人多いね」
「そだね」
「とりあえず、マンホールを探そうか」
「そだね」
物産展にも素敵な噴水にも目もくれず、駿は足元をキョロキョロし始めた。傍から見れば落し物を探している少年である。
「ほら、卯月も早く」
「はいはい」
駿の体質上、放っておいても最終的には見つかるのだが、一応探す振りをしよう。
ちょうどいいのでこの辺りで駿の体質を説明しておきたいと思う。
駿は、磁石みたいな体をしている。それはもちろん普通の磁石ではなく、いわゆる物の怪とか幽霊とかお化けとか、そういう非科学的な人ならざるものを引きつける磁石である。妙な都市伝説の類も例外ではない。
これまでの実績をほんの一部だけ挙げると、山で天狗、道端で人面犬、柳の下で幽霊。アホらしいと思うかもしれないけれど、残念ながら事実なのだ。なぜか駿はとにかく変なものに好かれる。そして、それに呼応するかのように駿はそういったものが好きなのだ。本当に困った幼馴染だ。
ついでなので、私についても説明しておきたい。私は、現代のエクソシストとでも言うべき存在である。……、すいません、カッコつけすぎました。単に、そういう輩が見えて、そういう輩を退治する能力を持った人間なだけです。理由は分からないけれど母方の血がそうらしく、お母さんもおばぁちゃんもひいおばぁちゃんも脈々とエクソシスト(と言っていいのかは分からないけれど)だったらしい。エクソシスト(もうめんどくさいからこれでいい)と磁石体質の男は、生きているうちに出会うことが決まっているものらしい。もっとも母さん曰く「あんたらは近すぎ」らしく、ゲラゲラ笑っていたけれど。
ちなみに、いつ何時もそういう輩が見えていたらたまったもんじゃないので、私の場合は右目だけで世界を見たときにしか奴らは見えない。そう、今この瞬間も左目を隠したら……
マンホールを探す駿の上に二体、マンホールお化けがいた。マンホールばかりを探してうろうろしている駿に興味を持った様子である。なお、正式名称は分からない。あるのかすら分からない。普段は別に何の害もない、霞を食って生きているような連中だが、自分たちが住処にしているマンホールの近くに人がやってくると、ちょっとだけ遊び心が芽生えてしまうのだ。かわいいもんだとは思うが、遊び道具にされた人間にとってはたまったもんじゃない。というのも、こいつらの遊び道具になったが最後、現実世界には戻ってこられない。延々と遊び道具として、精神が崩壊しても遊ばれる。おっそろしい。
ちなみにこういった噂が広がる理由はいまいちよく分からない。助かった人間はいないはずなのに、噂だけが独り歩きする。不思議なものだ。私みたいなのの同業者がいて、言いふらしているとしか思えない。
「卯月ー、何か見つかったー?」
中央公園の中でもほとんど人気のない、貯水池があるあたりに差しかかっていた。草を分け入って植え込みの中に入っていた駿が、振り返って聞いてきた。
「うーん、とくに怪しげなマンホールはないなぁ」
「いったい、どれなんだろう」
いくつか普通のマンホールを見つけて、駿はその上に立っては見たものの、特に何が起こるというわけでもなかった。それりゃそうだ、それは普通のマンホールだから。
私の中では最終的に私が本物のマンホールを示してやる寸法になっている。でも、いきなり当てても面白くないしこの疑似デート(?)もあっさり終わってしまうので、焦らしに焦らそうと思っている。せめてリュックの中に入っている手作り弁当の出番くらいは終わらせてからにしよう。
と、思った矢先のことだった。
「お、怪しげなマンホールはっけーん」
駿が嬉しそうな声を上げた。お弁当に気持ちが飛んでいた私は、慌てて左目を隠す。すると。
「やばっ」
そこはまさしく、マンホールお化けの住処だった。
「よし、卯月、今度はここで実験だ」
「ちょ、ちょっと待って!」
私は慌てて駆け寄り、カーディガンのポケットに入っている「それ」の存在を確認する。
(よし、大丈夫、バッチこい!)
露骨にわくわくした顔でマンホールに飛び乗る駿。一つ、二つ、三つ……。
消えた。
駿が消えた。
「おい、早いって! 十秒じゃないのかよ!」
十秒のはずが五秒もかからず連れて行きやがった。せっかちなお化けめ。
「まぁ、いい、おい、マンホールお化け! 駿に手を出したからには、現行犯逮捕だぞ! 覚悟しろ!」
そして私はポケットからバトルにおける必需品、ご近所の白根眼科クリニック謹製の白く輝く眼帯を取り出し、装着する。
「左手がふさがってたら戦いにくいからね!」
片目が見えていない方が視界がクリアになるというのも変な話だが、そういう体質なのだからしょうがない。
そしてさらにリュックに手を突っ込み、愛用の武器を取り出す。
「この神城卯月が、神に代わってこの世にはびこる悪霊どもを成敗いたす!」
小さなリュックのどこに収まっていたのかとクエスチョンマークが付くような長い日本刀。小柄な私の背丈くらいはある。これこそ神城家に代々伝わる伝家の宝刀、退治丸(ダサいけど、そういう名前なのだ。私のセンスじゃない)。
「大人しく、駿を返しなさい!」
目の前には、突然のエクソシスト(私)の登場に怯えるマンホールお化け。基本的に攻撃は仕掛けてこない奴らなので大人しくお縄につくかと思ったら。
消えた。
「げ、逃げやがった!」
慌ててマンホールに駆け寄る。
「飛び込むしかないか……」
右目だけの私には、この本来は何の変哲もないはずのマンホールは青白く波打つ(たびのとびら的な感じ)冥界(?)への入口に映っている。
「待っててよ、駿! 無事に帰ってきて、一緒におひるごはんを食べよう!」
そう言ってたびのとびらに思い切りダイブした。なお、一人きりになると無駄に独り言が増える癖は治したいとは思っている。
マンホールの中にはもう一つの世界があった。マンホールお化けの世界だ。
人間の住む世界と、こういった輩が住む世界は、どこかしらで繋がっている。マンホールお化けはその名の通りマンホールで繋がっているし、天狗は山、河童は沼。そういったオーソドックスなものもいれば、滑り台で滑ったらそいつらの世界に突入するといったような奴らもいる。
そして、都市伝説だとか奇妙な噂の類は、だいたいがこいつら人ならざる存在が関与している。基本的には人間に害を与えない奴らだし、そもそも人間と関わることがめったにないのだが、駿のように引きつけ体質だったり、ちょっと気性の荒い奴の縄張りに入ったりしたら、関わりを持たざるを得なくなってしまう。
「さて、駿はどこかなー」
マンホールお化けの世界は、立っているだけで気分が悪くなりそうだった。まず色合いがおかしい。視界には草原や森があるのだが、紫を基調としている上に全体的にぐにゃぐにゃしているせいで生理的な嫌悪感を抱く。
「さっさと探して帰らないと吐くわこれ……」
とりあえず歩を進める。草原と森の境目にある川沿いを歩く。川の中を覗くと、とても人間界には存在していないであろう奇妙な形をした生き物が泳いでいた。
「異界は何度来ても慣れないなぁ……」
慣れたら慣れたで絶対悲しくなるので、絶対に慣れるつもりはない。
すれ違うマンホールお化けたちは、基本的にはいい奴らだ。見知らぬ私にお辞儀をしてきたりするし、話しかけてくる奴もいる。何言ってるのか全く分からないけれど。
「しゅーん、どこだー」
十五分ほど歩いたところで、お遊びに興じる奴らを見かけた。サッカーのようなバレーボールのような、とりあえず球技的なものということだけ理解できる遊びを上空でしている。
そのボールになっているのが。
「あ、駿。いた」
駿だった。
「おーい、しゅーん」
私が手を振ると、駿も手を振り返してきた。あいつ、自分の置かれている状況が分かっているのか。
「さて、とりあえずやりますか」
マンホールお化けたちは単に遊び道具を見つけて遊んでいるだけなのだが、その遊び道具が駿というのが問題なのだ。
「おい、貴様ら!」
私は声を張り上げる。そして、右手に持った退治丸の切っ先をマンホールお化けたちに向ける。
「申し訳ないが、そのボールは返してもらうぞ!」
言葉は理解できていないだろうが、なんとなく雰囲気から察したのか、奴らはビクビクしながら周りの仲間に目配せをしている。
「大人しく返してくれたら危害を加えるつもりはない!」
とは言うものの、もうだんだんめんどくさくなってきた。
「返さないつもりだな! それじゃあこっちから行くぞ!」
言い終わらないうちに、私はマンホールお化けたちの下までダッシュし、そして思い切りジャンプした。
異界にいる私はほぼ無敵である。こういった人間の体のつくりを無視した思い通りの行動ができる。
「だりゃぁっ!」
一体目に退治丸の一撃をくらわす。首かな? と思う部分に攻撃を受けた相手は、キョエエエエエエ! 的な悲鳴を残して逃げて行った。
私は着地先の木の幹を蹴って、すぐさま二体目に攻撃を加える。今度は胴かな? と思うあたり。そいつは、ゲビョォッ! みたいな悲鳴を上げて逃げて行った。
攻撃はもうそれだけで十分だった。他のメンバーたちも三々五々、悲鳴を上げながら右往左往して逃げて行った。
「なんか物足りなかったな」
そっと着地して、構える。
「大丈夫だった?」
落ちてきた駿を受け止めて、声をかける。お姫様だっこ。逆だろ、普通……。
「うん、ありがと。ちょっと気持ち悪いけど」
よっ、と声を出して私の腕から飛び降りる駿。
「いやぁ、それにしても気持ち悪い世界だね。しっかりこの目に焼き付けておかないと」
そう言って、駿は頭の中のメモ帳にいろいろと刻み込んでいるようだ。
「マンホールお化けの形状とか、上手く書けるかなぁ」
「取材がうまくいったみたいでよかったよ」
そして。
「駿、ちょっとこっち向いて」
「ん?」
私は退治丸を駿のおでこに突き刺した。
「いつもごめんね」
そして引き抜く。
魂の抜けたような顔になった駿の手をつかむ。
「帰ろう」
「うん」
出口までのほんの十五分間だけ、私は駿の手を握っていられる。
「おーい、しゅーん、起きろー」
中央公園の貯水池横のマンホール横。その横に寝そべっていた駿は、私の声に反応して目を覚ました。
「う……、ん……」
「おはよう、駿」
「おはよう……」
あたりをぐるりと見回してから、駿は大きく伸びをした。
「マンホールお化け……」
「何言ってるの、しっかり見たじゃん。駿はあいつらの世界に飛ばされて、遊び道具にされて、そんでなんだかんだで帰ってきた。おしまい」
「えっと……」
ぼーっと中空を眺める駿。
「そうだ、そうだ。何か変な感じだけど、頭の中にはしっかり記憶が残ってる!」
そう、いつもこうなのだ。
「わー、今回も変な体験だったなー! でも、いい記事が書けそうだ!」
私が最後に退治丸で記憶をいじっても、消えるのは私に関する部分だけ。駿の頭の中の細かいことはよく分からないけれど、うやむやになって辻褄は合っているのだろう。たぶん。
「じゃ、早速帰って書くか!」
立ちあがった駿に、私は慌てて声をかける。
「そ、そうだ」
さもいま思いついたかのように。
「駿、ちょうどいい時間だし……」
と、そこで思い当たることが一つ。
私、リュック背負ったまま激しく走り回ったり、ジャンプしたり、そして果ては空中で回転とかしてなかったっけ……?
リュックの中の手作り弁当に、思いを馳せる。
「え、何?」
「何でもない。そうだ、さつまいもソフトクリーム食べて帰ろう!」
絶望を悟らせまいと、私は努めて明るく言った。
「あれ、何か機嫌いいね。いいことあったの?」
「ないない。なんでもなーい」
幼馴染の女の子の感情の機微に気付けない駿は、やっぱり駄目な幼馴染だ。
去り際にふと後ろを振り返って何の気なしに左目をつぶってみると、マンホールお化けたちがうようよしていた。そしてたぶんゲラゲラ笑いながら手らしき部分を叩き合わせていて、何だか無性に腹が立った。次来たら殲滅させてやる。
「桃山が原稿を出したということは、もう全員出したな?」
水曜日の新聞部定例会議で、生徒会長兼新聞部部長の高杉晋太郎が偉そうに言った。実際偉いし仕事もできるし彼なりのジャーナリズム精神に溢れてるし生徒会と掛け持ちで大変だしシルバーフレームの眼鏡も似合ってるし全く文句はないのだけれど。
「金曜までにはゲラを作って誤字脱字がないか確認、印刷は来週月曜、発行は来週火曜。以上。質問がなければ解散!」
わらわらと新聞部部室(社会科準備室)を出ていく部員達。私と駿も帰ろうとスクールバッグを手に取った時。
「おい、桃山」
高杉部長が近寄ってきて、駿の肩に手をいた。
「何ですか?」
「さっきざっと読んだが、今回もよく書けているな」
「ありがとうございます」
「桃山の連載のおかげで読者も増えているしな。良い新聞には良い連載小説があるものだ。これからも期待しているぞ」
そう言って、片手をあげて去っていく姿はどっからどう見てもサラリーマンのデキる上上司だった。
「褒められちゃった」
「褒められちゃったね。良かったじゃん」
「うん。今日はおいしく晩飯が食えそうだ」
「単純な奴」
駿が気付いていないのならそれでいい。
取材を踏まえたノンフィクション記事を書いているつもりの駿。
駿の記事をフィクション、というか連載小説として見ている高杉部長。
まぁ別に誰も損してないから、いいか。
窓の外は秋の夕暮れ。今日も河原を並んでこのどうしようもない一緒に幼馴染と帰ることにしますか。