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キアラン 13

 私はこの時の事をおぼえている。この写真を撮ったのは、五歳のときの誕生日だった。その日には、大きいケーキを食べて、ご馳走を食べて、みんなで楽しくお祝いしていた。

だが、そのお祝いをしたその夜に、母は突然倒れたのだ。母はもともとからだが弱く、病気もしがちだったが死に至るほどでもなかった。

だが、母は突然倒れたのだ。

倒れてすぐに屋敷にいる腕前のよい医者に見てもらったが、不治の病にかかってしまっている事を伝えられた。母は私の誕生日のずっと前から体に違和感を感じていたと思うのだが、それを隠して過ごしていたのだと言う。

そのときの私は医者も父も家政婦たちも何を言っているのかは分からなかった。だが、母が倒れて、その母は顔色が悪くて死んでしまうんじゃないか、ということだけは五歳のときの私は悟ってしまった。

それを悟ったと同時に、私はその場で泣き崩れたことは覚えている。

そして、私の誕生日の日に母は亡くなった。

母親の葬儀の日も泣き崩れて泣いた覚えはある。

父はその場では泣かなかったが、きっと私や家政婦がいないところで静かに泣いていたのではないかと今は思う。

それ以来、私は自分の誕生日は嫌いだ。普通ならば、誕生日はとても喜ばしい日だけれど、私にとっては一年の中で一番嫌いな日だ。

父は、六歳の誕生日のときに「お祝いをしなくてもいいのか?」と聞かれて、私は「しないでほしい」と答えた。母が亡くなった日に、お祝いなんてできるはずがなかった。

そして、父にも真情の変化があった。私に対しても家政婦や使用人に対してもだ。母が亡くなる前までは、わがままは許さない父だったが、優しく暖かい人だった。それが私の思う父だ。

だが、今は違う。母がなくなってから少しして父の様子は変わっていった。だんだん、人とかかわりを無くすようになっていった。そして、関わらなくなって上に、関わったとしても冷たくなった。そして、母が亡くなったことから目を背けるように面倒くさがりで仕事をしなかった父がしっかりと仕事をするようになり、おまけに部下の仕事までもするようになった。

私は、そんな父になってから寂しかった。私にはまだかかわりを持ってくれるものの、前のような父ではないと思うと寂しいのだ。

だが、父に関わりを持ってくれるのが自分だけだというのが私は嬉しかった。

でも、父は私以外の人。人だけでなく、動物や者にまで厳しくなった。

父は母を愛しており、私の生まれる前でも幸せに暮していたのだろう。そんな長い中、突然母の命は消えたのだ。

母はもうここにはいない。

そう考えただけで私は悲しかった。母の思い出も少ない中、他の親子で娘と母が楽しそうにしゃべっているのを見ると、私はそれでいいなぁ……と思うこともある。

私は母の面影が残るように、三人の写っている写真を手にしている。

 だが、父は母の面影のある物は母の部屋に全てがしまってある。私は母の部屋には母が亡くなってから入ったことは無い。無論、父も入っていないだろう。

 母がいつでもいてくれないだろうか…………


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