阿波の光源氏
「やあ、君が貞世君だね?」
狭い密室で男とふたり。貞世はさわやかな好青年を警戒しながら応対していた。
「武勇の誉れ高い今川家が来てくれれば百人力だよ!よろしくね。」
そりゃあ百人いるから百人力でしょうよ。するとあなたのところは二千人力ですか?
なんて嫌味も口から出ないほどに眼前の輝く美男子に気圧される。
こんなお世辞でも不思議と嬉しくなる。
これが都会の男か・・・
恐れおののく貞世の心もつゆ知らず、阿波の光源氏こと細川頼之は白い歯をのぞかせた。
※
「あぢぃ。」
貞世が巨馬に跨ってうめき声を漏らす
真横の老人がぎろりと目をいからせた。
「貞世様!泣き言をいうとは何事ですか!」
んなこと言われたって暑いもんは暑い。
石山寺を意気揚々と出発したはいいものの、季節は夏、それも盛夏である。
暑い。
遠江も暖かくはあったが、この国はじめじめしている。
蒸すのである。気温以上の不快感が貞世の心身を弱らせていった。
喉も渇きすぎてかえって渇いていない。
身体が重いだけである。
あづい。
よし
喉をからして貞世に向き合っていた殿村は、呆気にとられた。
どうにも覇気のない次男坊が、甲冑を脱ぎ始めたのである。
馬上でうんしょうんしょと器用に動く少年に、一瞬理解が追い付かなかった。
瞬間、爆発する。
「貞世さま!!!」
「あー聞こえない聞こえない。」
「仮にも武士が甲冑を脱ぐとは!鷹狩に行くとでもお思いか!」
どうにもこの少年には、己の説諭が届かない。
まあまあ焦るな、とふざけたジェスチャーをしている小僧を前に怒りは募るばかりである。
びきびきとこめかみが音を鳴らすなか、貞世が口を開いた。
「仮に襲撃があったってこんな暑いと戦えないだろ。まだ軽装で動いた方がましだ。涼しいし、疲れない。」
言い終わるや否やくるりと後ろを振り返り、今川兵に視線を向ける。
「お前らも脱いでいいぞー。」
な、と口を開いたままでいると、兵たちは沸き立って具足をほどき始めた。
わなわなと体がふるえる。この小僧は戦をなんだと思っているのか。
苦言を呈して以来、不愉快な口調ではなくなった代わりにふざけた態度をとるようになった。
おのれ。
大きく息を吸い込んだ殿村に、涼やかな美声が届いた。
「面白い試みですね!」
ぴたりと動きが止まり、ぎこちなく声の持ち主を探す。
「頼之様。」
「来ちゃいました。」
美青年がにこりと笑った。
※
細川頼之。足利一族のなかでは比較的新興の細川家の武将。細川家は近年、四国平定のために阿波守護を任され、南朝方との戦いを有利に進めて領土を拡大した。現当主清氏が義詮の側役として活躍し、義詮に襲い掛かった河内の米田成昌を真っ二つにした功で河内守護にも任じられた。飛ぶ鳥を落とす勢いの武門である。幕府に睨まれてる今川家と大違い。
頼之は、当主清氏の甥で、主に京都で他家との折衝を担当している。友人の妻娘叔母姪姉に妹果ては祖母や曾祖母に至るまで毒牙にかけて、ついたあだ名が「阿波の光源氏」である。聞いた話によるとその一族が美形ぞろいだっただけで、守備範囲は普通とのこと。友人の身内全員に手を出したことにはまったく負い目がないらしい。怖い。
「いやーお恥ずかしい。まさか京の外にまで噂が届いているなんて。」
「あははは。此度の出陣に当たって父に告げられたことは『かの御仁の前で、うちの女どもの話はするな。』だけですからね。」
「あっはっはっは。」
からからと笑う細川頼之。全然恥ずかしそうじゃない。
「あ、ちなみに彼も件の一族の人間ですよ?」
頼之に影のごとく付き従っていた少年がぺこりと頭を下げる。なるほどはっとするほどの美貌である。
・・・ん?
「あー、頼之様。」
殿村が気まずそうに声をかけると、頼之は再び笑った。
「安心してください。私に衆道の趣味はありませんよ。」
くるりと貞世の方を向くと、ウインクをした。
「貞世君に手を出すつもりはさらさらありませんとも。」
ああ、なるほど。殿村はそこを心配したわけだ。今の力関係だと、無理やりはともかく真摯に求められてすみませんとは言えない。
そこまで考えてドッと冷や汗が出た。いやだ。たしかに美人のお姉さまに無理やり襲われてみたいと思ったこともあるけれど、美人のお兄さまにおそわれるのはノーセンキューである。
貞世が必死に平静を装っていると、頼之が溜息をついた。
「私は一途なんですがねぇ。なぜか噂ばかり目立ってしまって。」
「い、一途?」
「ええ、一途です。おうめ、ああ、件の友人の娘なんですがね。彼女と恋をしまして。反対する皆さんにわたしの良さを伝えれば納得していただけると思ったのですが・・・」
「良さを、伝える。」
「ええ!男の良さと言えばやはり床の強さでしょう。手っ取り早いしわかりやすい。最初はひとりひとり向き合っていたのですが、次第に複数とこなすようになりまして。いやー二月ほどするとおうめが甘えてくるようになりましてね。女の妬みは怖いと言いますがなかなかどうして興奮するもので『頼之様!』・・・うん?」
「清氏様に今川殿の到着を伝えねばなりますまい。」
「おお!そうだね。ありがとう墨彦。行ってくるよ。」
では後ほど、と頭を下げて頼之が去っていった。墨彦と呼ばれた少年がこちらを一瞥する。
「・・・少々変わった御方ですが、お優しい方です。義理堅くもあります。どうか、末永く。」
「・・・ええ。もちろんです。」
失礼いたします。見た目通りのぴしりとした姿勢を見せると、美貌の少年が頼之の後を追った。
☆簡単解説 婚姻について
一妻多夫、一夫多妻、多夫多妻なんでもあり。武家や公家は跡継ぎなどの関係や、戦で男が死にまくるので一夫多妻が基本。特に嫡流の男は一夫多妻。




