二人の跡取り 前編
「見舞いに来てやったぞ。」
「そりゃどうも。」
京都にある今川館の一室で、楠木が大仰に腕を組んだ。
「うーん。」
貞世の顔を見るなり唸ると、得心したように口を開いた。
「男前になったじゃないか。」
「そりゃ、どうも。」
「ん、なんだその態度は。顔の傷は誉れだろう。」
「戦場ならそうかもしれないな。」
「ふむ。」
ぶっきらぼうに貞世が返すと、楠木は納得したように頷いた。
「ま、命があってよかったじゃないか。」
楠木がどっかりと腰を下ろす。貞世は大きく息を吐いた。
征夷大将軍足利尊氏の討死。
名目上退いてなお、他の追随を許さない権威を誇った男の死により、京都は混沌の
坩堝と化していた。
摂津まで出陣していた尊氏は、細川清氏を打ち取って油断していたところを急襲されたらしい。
《《らしい》》というのは、情報が錯綜しすぎていて真相がつかめないためだ。
公家武家僧侶に商人農民、その他あらゆる身分の人々が好き勝手に噂を流し合っている。もはや何が何だかわからない。
たしかなことは二つ。尊氏の首が伊丹城にさらされたこと。伊丹氏は謀反人の汚名と共に族滅されたこと。
幕府軍が伊丹城から回収した尊氏の首は、大勢の武士が見分した。まごうことなき本物、だそうだ。
現在の室町幕府は足利尊氏派と足利義詮派に分かれている。勢力としては尊氏派が7で義詮派が3といったところだ。
勢力が多く、近畿周辺を固め、何より英雄尊氏を擁していた尊氏派は陰に陽に義詮派を冷遇していた。
義詮派はいずれくる義詮の時代を信じて耐え忍んだ。
そしてついに尊氏は死んだ。あまり喜ばしくない死に方だが、ともかく死んだ。
やっと訪れる春の時代
・・・とはならなかった。
尊氏死亡、義詮一強になれば、非常にシンプルでわかりやすかったのだが、義詮派には大きな瑕疵があった。
何を隠そう尊氏が死んだのは《《義詮派》》筆頭細川清氏の討伐戦でのことだ。
義詮派の勢力は大きく減じているし、なによりここで露骨に義詮派を優遇すれば、「まさか尊氏公の死は・・・」ということになりかねない。
結果、圧倒的に立場の弱い将軍と、反抗的な守護達が鍔競り合いを演じている。
非常に難しい情勢下なのだ。田舎の守護の次男坊の首なんぞ、まったく問題にならないほどに。
癒えきってない顔をぐるぐると包帯で覆った貞世は、首筋をさすった。
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このままではいつまで経っても更新できないので、短いですがここで投稿します。




