貴種の特権
細川清氏は今津平野で敗れた後、若狭に逃げ帰った。
残存する兵をかき集めると、本領である摂津に向けて進軍した。
兵1000による強行軍であった。
ぷらぷらと足を揺らして貞世は天を仰ぐ。
戦に勝った。敵は逃げた。役目は終わりだ。
そうなれば万々歳だったのだが、現実は甘くなかった。
貞世の武功は京の都でも評判になったらしい。同時に悪評も広まった。
『今川の次男は狂犬である』
斯波何某に中指を立てたところえらく嫌われたらしく、桃井は京都に帰還を許されたが、今川は追撃を命じられた。讒言があったとのことだ。
幕府としても功と罪を合わせ持った謀反人疑いの旧直義派をどうするか、決めかねていたのだろう。「期待している」の一言と共に、今川兵は前線に送られた。
率直に言ってやってらんないのである。
恩賞がもらえるかも怪しく、若狭や今津平野の時のような身の危険もない。
脱力しきった貞世は木の上で初夏の陽気を浴びていた。
「若様。」
「ん?」
今津平野以来、やたらとかしこまるようになった家臣が貞世を呼んだ。
するすると木を降りていく。
「器用ですな。」
「だろう?」
満足げに頷くと、貞世は服の汚れを払った。
「それで?どうした?」
家臣が重々しく口を開いた。
※
斯波藤右衛門は怒っていた。
足利一門の重鎮、鎌倉府打倒よりの功臣であるこの斯波家が、侮辱されたからである。
自分より二回りも年下の生意気な小僧。これを取り除いてこそ気の利く忠臣というものだ。
都に凱旋して数日、室町の政庁に訪れた藤右衛門は深々と頭を下げていた。
「ふむ、今川貞世を高槻城攻めに、ねえ。」
「左様でございます!」
藤右衛門が高々と返事をする。義詮の側に控えている武者が眉をしかめた。
「今川貞世は先の戦で働いたと聞く。連戦は諸将の不満をあおる。手勢もせいぜい数百であろう?高槻城は小揺らぎもするまい。」
呆れたように書状を振る。今川貞世に単独で城攻めをさせるべし、という嘆願書であった。
「今川殿の武勇は畿内に轟いております。その武名があれば戦わずして高槻城を落とすことも可能でしょう。」
「ふん。」
武者は鼻で笑った。斯波藤右衛門と今川貞世の確執は聞いている。二度ともこの男が仕掛けたらしいが、果たしてなんの意味があるのか。
斯波家は今川家に恨みがあるのだろうか、と深い領域まで思考を広げていたが、この男を観察していくうちに考えが変わった。
斯波藤右衛門と名乗るこの男が突っかかっているだけだ。
くだらんな。
武者はため息をつく。義詮は忙しいのだ。こんなことに時間を使わせて申し訳がなかった。事前に面談するべきであった。
「ふーん。」
義詮も興味なさげに肘をついている。
「よし。ではこうしよう。」
「は?」
「今川を、そうだな。紀伊の国に展開させる。」
「は?」
「摂津で敗れた細川が、阿波ではなく紀伊に逃げる可能性もなくはない。首狩り役が要るだろう。」
「・・・し、しかしぃ。」
藤右衛門が食い下がるのを見て、武者は瞠目した。将軍の言葉を軽んじるとは、なんという奴だろうか。
「よいよい。」
義詮が武者を手で制する。藤右衛門はぽかんと口を開けていた。
「のう、要はお主、今川を窮地に追い込みたいのであろう?」
「いえいえ、そのような。」
猫なで声に顔をしかめる。不快だ。
「紀伊の国は不安定な土地だ。北朝にも南朝にも靡かぬ奴ばらが跋扈しておる。今川の兵数では長居することすら厳しかろう。」
「おおっ。」
藤右衛門が目を輝かせる。
「まあ、奴も戦の直後だ。すぐさま出兵と言っても聞くまいな。・・・よし、与力をつけよう。斯波、200前後の兵をつけてやれ。」
「え?しかしそれでは。」
武者は舌打ちをしたくなる。この男は今まで何をしてきたのか。
素早く謁見を終えると、廊下に出た藤右衛門が声をかけてくる。
「どうなされた。」
「ど、どうなされたもこうなされたもありますまい。なにゆえあ奴に我が斯波が与力せねばならぬのです。」
心の中で溜息をついた。
「斯波殿の兵は強兵と聞いております。たとえ敵地ではぐれても帰還はたやすいでしょうな。」
「は?」
皆まで言わせる気か。
「しかし今川兵は武勇誉れ高いとはいえ、連戦の疲れもあるでしょう。ましてや敵地で孤立してしまえば、生還は絶望的。斯波殿にはくれぐれもはぐれることのないようにしていただかねば。」
そこまで言ってようやく斯波藤右衛門は目を輝かせた。
「お、おおっ。むろんでございます。で、では某は兵の手配がありますゆえっ。」
ばたばたと去っていくその後ろ姿を、武者は冷たい目で見送った。




