石山寺、今川家の天幕にて
「入られます。」
本陣より一回り小さな天幕をくぐる。
真っ白な布には赤鳥紋が施されていた。
「父上におかれましては~~」
一通りの挨拶をすませると、天幕の主が相好を崩して手招きをした。
歩み寄るが、もっと寄れ、近う寄れ、何度も手招きされ、どんどん距離が近くなった。
これ以上は近づけないだろとビビったその時、がっちりと抱擁された。
細川清氏ほどではないが、この父、今川範国も十分に巨体である。すらりとしているので、巨漢と形容されることはないが、立派な偉丈夫であった。
で、10歳相応の体格である貞世は、思いっきり押しつぶされた。
くっ、くるしい。
むさくるしい。汗臭い。い、痛い!
なんというか、きつい時間を耐えた。
ぱっと体を離すと、がしっと両肩をつかまれる。
「・・・うむ。」
範国は頷くと、ばしばしと肩を叩いた。
痛い。
「殿村。」
「はっ。」
範国が貞世の後ろに目をやる。影のごとく付き従っていた殿村が、頭を下げた。
「今後とも頼むぞ。」
「ははっ。」
直立不動で返事をし、竿でも入っているかのように垂直に礼をする。
何年も、繰り返したのであろう主従の儀。その重みを感じるものがあった。
「さて、貞世。」
「はい。」
範国は真剣な面持ちで、貞世と向き合う。
「此度の戦、ひどいものであったときく。」
「・・・はい。」
「お主の役目は尊氏様に付き従う事、これのみであった。われらの忠義を示すために、お主は兵を率いて尊氏様の後を追わねばならなかった。」
「・・・。」
「敵の襲撃を受けようと、軍をまとめ、尊氏様のもとにはせ参じるのがお主のなすべき事であった。」
そうだな?と問われる。
貞世は大きくうなずいた。
そう。今回の行軍はそのためのものであった。直義派一掃のため、尊氏の権威を示すためのもの。脅威も障害も切り捨てて、進まねばならなかった。
・・・そうなの?
貞世はちらりと殿村を見やる、殿村は沈黙を保っていた。
「なぜ、そうしなかった?敵に挟まれたとは聞いたが、うまく抜けることはできただろう。いや、抜けようとすることはできただろう。なぜ、一目散に逃げた?」
・・・今回の行軍を、理解していなかったからです。
ただ京に行けばいいと思ってました。兄上がそう言ってましたよ。
ぐるぐると思考がうずまく。大いに混乱している。
知りませんでしたぁ。なんて馬鹿な答えは言えない。
《《それは》》言えない。
・・・
・・・
・・・
「われらは。」
貞世がぽつりとつぶやく。範国の目が細まった。
「われらは、直義様の近くにおりました。」
範国が無言で続きを促す。
「桃井らのように徹底抗戦を迫られるほどではありませんが、十分に直義派として活動いたしました。尊氏派と戦をしたことも、一度や二度ではないと聞き及んでおります。」
細川、一色、小笠原、仁木。
「薩埵峠の戦いでは尊氏派として戦ったものの、それまではさんざん直義派としてふるまいました。」
畠山、佐々木、赤松。
尊氏派の武将と殺し合いを繰り返した。
今しがた受けた仕打ちを思い出す。
最終決戦で味方だったがゆえに許されたが、憎くて仕方がないという武将も多いだろう。
「『足利の世は揺るがない。』以前そうおっしゃいましたね。」
範国の目を見る。真剣な瞳が、貞世を捉えている。
「足利尊氏公の世では、当然長年の尊氏派が優遇されます。旧直義派で、かつ尊氏派に恨まれている我々の立場は、苦しいでしょう。」
今も、叔父をはじめとする一族が、奥州で血を流している。
「そんな我々が、ゴマをすって何になりますか。手勢を失い、身一つで駆け付けたからなんだというのですか。」
そうだ。
「桃井の急襲に耐え切れず、遁走した。その風評をきっと尊氏派は喜ぶでしょう。」
そうとも。
「これ幸いに、『今川家の武名落ちたり』と喧伝するはずです。」
そのために。
「今川は、今川として、身を立てる必要があります。」
この世の中で、その立場を。
「足を引っ張られないためにも、できることはするべきです。」
貞世は、胸を張った。
この、まったくのでたらめ。
考えながら話しただけの実に支離滅裂な理由説明。
実にひどかろう。範国もあきれたに違いあるまい。
そう。
貞世は。
戦が、怖くなった。
怖いのである。戦が。
ぎらついた兵士に追い掛け回されるのも、昨日楽しく会話した味方が首だけになっているのを目撃するのも。
怖い武者に強くあれなどと言われるのも。
怖いおっさんたちにいびられるのも。
すごく怖い。とても嫌だ。
適当な寺院に入って、書物でも読んで生きたい。
ぐっと貞世は範国を見つめた。
この父は、歴戦の武士だ。つらい思いをしたことも、一度や二度ではあるまい。
壁を乗り越え、うち砕いてここにいる。
きっと目の前の小僧の意味不明な言葉の羅列に、いら立ちを覚えたに違いない。
さあこい。さあ叱れ。
俺の穏やかな人生のために!
・・・
?
範国は、おだやかにほほ笑んだ。
「貞世。」
「は、はい。」
「お主は次男だ。なにかあっても、お主をかばうことはない。」
「・・・はい。」
「うむ。」
納得したようにうなずくと、範国は貞世に扇を渡した。
鉄の扇である。重い。
「初陣祝いだ。」
貞世はぱちくりと目を瞬かせる。
「ありがとう、ございます。」
「うむ。」
行け、と手振りで示され、頭を下げて天幕をでた。




