公爵のお目にとまりました
ワルヴァソン公の宮殿に上がって女官として仕え始めたものの、肝心のワルヴァソン公はしばらく宮殿に戻って来なかった。帝都に行っていたのだという。
私は、宮殿の清掃や食事の給仕などをこなしながら日々を過ごしていた。表情が乏しく愛嬌に欠けるため孤立気味ではあったが、女同士で群れるという経験もなかったのであまり気にならなかった。
ワルヴァソン公が宮殿に戻ってからも、最下級の女官である私がワルヴァソン公のそばに行く機会などなかった。
そうこうしている間に約一年が過ぎた。「お手付きになるのだ」という意気込みはすっかり萎え果て、女官としての道を極めることに熱中していた。お茶を入れるのはすこぶるうまくなった。ただ、無表情で話題に乏しいため、公爵令嬢たちの受けはよろしくなかった。
ある日、廊下でワルヴァソン公に遭遇した。慌てて端に寄って頭を下げ、ワルヴァソン公が通り過ぎるのを待つ。頭を下げる瞬間に盗み見たワルヴァソン公の顔は、思ったほど恐ろしくなかった。ひと睨みで敵軍が降伏したとか、怒鳴っただけで城門が吹き飛んだなどと聞いていたが、そんな化け物ではなかった。
ワルヴァソン公は、なぜか私の前で立ち止まった。
「顔を上げよ」
低い、有無を言わせぬ迫力のある声だった。城門はともかく、怒鳴られたら体くらいは吹き飛ぶかもしれない。
命じられたので、素直に顔を上げた。ワルヴァソン公が私を鋭い目で睨んでいる。だが、叱られることはしていないので恐れる必要はないと思い、ワルヴァソン公の顔を見上げた。
私がワルヴァソン公の顔を直視したことが、意外だったらしい。太い眉毛がわずかに動いたのを私は見逃さなかった。
「美しい娘だな。年は?」
「一四歳になりました」
ワルヴァソン公は私の顔と体を眺めて、少し何かを考えているようだった。私の顔と体がお気に召したのだろうか。もしかしたら「お手付き」になるかもしれない。ついに好機が巡ってきたようだ。
「よし、お前にしよう」
やはり「お手付き」になるのだろうか。具体的に何をどうすればよいのかは知らないが、とにかくご寝所で何らかの奉仕をするのだ。
父の領地で暮らしていた当時、馬で森を散歩していたときに若い男女の領民が木陰で「そうしたこと」をしているのを盗み見たことがある。その女性は喜んでいるようだったので、多分良いことなのだろう。
楽しみだ。
「お前には、カーリルン公の宮殿の女官になってもらう」
カーリルン公?
意味が分からない。困惑したことが表情に出てしまったらしい。ワルヴァソン公は怖い顔のまま、言った。
「カーリルン公領に送り込んでいた間者が、病で死んでしまった。代わりにお前が行け。あそこは娘が次の公爵だ。お前なら年も近いしちょうどよかろう」
ワルヴァソン公の後ろに控えていた人たちが驚いた顔をしている。後に聞いたことだが、ワルヴァソン公が命令について説明をしたのは異例中の異例なのだという。
それにしても妙なことになってきた。私はカーリルン公のところに行かされるらしい。これではワルヴァソン公のお手付きになるのは難しそうだ。
父よ、私は失敗した。
「後は、誰かに説明させる」
と言って、ワルヴァソン公は立ち去ろうとした。だが、一度背を見せた後、振り返って私を改めて見た。
「お前、名は?」
「エメレネアと申します」
カーリルン公アルリフィーアの侍女として『居眠り卿と純白の花嫁』から登場するエメレネアの前日譚です。
帝国における騎士というもの、女性の位置づけ、ついでに鏡に関する技術レベルと普及度といった要素を盛り込んでいます。
日本でも、女性が合戦に出た例はほとんどありません。「女騎士は気持ちが悪いです」の回でちらりと触れた「騎士の夫と共に戦場に行って敵将の首を三つも挙げたという女性」は、巴御前(木曽義仲の妻)のイメージです。まあいないことはないが……という感じです。
中国で戦場に出た女性というと、これまた伝説レベルですが花木蘭(日本だと「ムーラン」という発音の方が有名かもしれません)あたりでしょうか。
男まみれの環境で性別を隠すのは、さぞかし過酷だったことでしょう。
花木蘭については、田中芳樹先生(ご回復をお祈りします)の『風よ、万里を翔けよ』がオススメです。




