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あの日の約束





義姉はホワイトオパールのブローチを気に入り、機嫌が良く叩かれる心配はないみたいだ。



ベルモン伯爵家のブローチは、知っている人が多い。

一方で、オルフィニス男爵家には表に出ない一面がある。

そこを通せば闇商人に話が通り、ブローチは別のものに加工される。

そうすれば、元の持ち主が誰かはわからなくなる。



宝石の花を初めて作ったのは、まだ母と一緒に暮らしていた頃だ。

あの花は、感情がピークに達すると勝手に咲いてしまう。咲かそうとしても、絶対にできない。


昨日は緊張と安堵から感情が乱れ花を咲かせてしまった。


母が死んで、泣き尽くしたあのとき咲いたのが、最後の花だと思っていたのに。





花のことは誰にも言いふらさないこと。


それが母と交わした唯一の約束だ。

宝石でできた花はいかに腕に自信がある職人でも作ることは難しいだろう。

だからこそ価値がある。

そのせいで、この花を作れることが分かってから良いことなどなかった。

一度お金が底をつきそうになった時、母が売りに出した時、悪徳商人に跡をつけられ捕まえられそうになったことがある。

そういうことに巻き込まれることが多くて、私はこの花に価値など感じてない。むしろこんなのいらない。


と、ずっと思っていたけれど、一度孤児時代に出逢った子に言われた言葉がずっと胸にある。



***



母を亡くしてから、生活は一変した。

お金はなくなり、母との思い出が詰まった家も、深く眠れるあのベッドも、何もかも失った。


そして私は孤児となり、同じような境遇の仲間たちと、盗みを働いて生きていくようになった。

盗みがバレる前に空き家を転々としながら暮らす日々。


——それは、まだその暮らしに慣れきっていなかった頃の出来事だった。



「仲間」と言っても、生易しいものではない。

そこには厳格なルールがあり、役割を果たした者だけが、わずかな対価を得る。

気を抜けばすぐに奪われる。そんな世界だった。


生きるために必死で教えを乞い、初めて人の物を盗んだと時。

罪悪感、焦燥感、そして自分自身への嫌悪感が胸の奥から溢れてきて、壊れてしまいそうだった。

それでも、手に入れた食べ物を口にしたとき、思わず感じてしまった——「食べられることの喜び」と「努力が報われた」という小さな達成感。

その自分の感情に気づいた瞬間、吐き気を催し、人気のない場所へと泣きながら走り出した。


誰もいないと思って泣いていのに。


「……ぅぐっ……ひっぐ……」

「大丈夫? どこか痛いの?」


そう言って近くにきた少年は鮮やかな蒼い瞳を丸くしたあと、ゆるゆると優しく私の頭を撫でてくれた。

その優しい手に誘われるように、心の奥に溜め込んでいた想いが、言葉になってこぼれ落ちてしまった。


「……うっうぅ……は、はじめて……わるいことをしたの……こんなこと……したくなかった……でも、やらなきゃ、いきていけないからっ……」



誰も助けることなどしてくれない。そう思っていたのに。



「……じゃあ、僕がきみを助けてあげる!」


「……え?」


「必ず迎えに行くから、泣かないで、待ってて?」


そう言って少年は、後ろに控えていた従者の持つ花束から、一輪の赤い花を抜き取り、私の手にそっと握らせた。


呆然としていた私だったが、ふと我に返りその綺麗な花に目を奪われた。


「……すごく、きれいな花。こんなの、もらっていいの……?」

「これはね、ラナンキュラスっていう花なんだ。きみの花は、なんて名前?」


「っあ、こ、これは……わたしのじゃない! いらないの、こんな花!」


気づけば、私の足元にはアメジストでできた花が、咲き落ちていた。

泣いているうちに、いつの間にか見られてしまった。


「そっかぁ。でも、とってもきれいな花だよ。いらないなら、僕がほしいくらいだな」

「……あなたにあげる。お花をくれたお礼よ」


母が死んで以来、誰かに自分の気持ちを話したのは、これが初めてだった。


「ほんと!ありがとう、うれしい!待っててね、必ず迎えに行くから!」


そう言い残して、彼は従者を連れ、颯爽とその場を去っていった。



***



あの時、少年はただ純粋に「花が綺麗だ」と言い、そして「助けてあげる」と、そう言ってくれた。

その言葉があったからこそ、私はこれまで生きてこられたと言っても、決して過言ではない。




「誰かが、私を迎えに来てくれる」



——そう思えるだけで、生きる勇気が湧いてきたのだ。


あの後、住まいを移したせいで、少年と再会することは叶わなかった。

本当に迎えに来てくれたのかどうかも、今では知る術さえない。


それでも、私は——


会いたい。

彼のことを、もっと知ってみたい。


そんなふうに強く願っても、どうすることもできない。

あのとき泣きじゃくっていた私の瞳が覚えているのは、

ただひとつ、とても澄んだ、蒼い宝石のような瞳だけ。


——それだけの手がかりでは、探しようもなかった。





***





時を同じくして、伯爵家ではホワイトオパールのブローチが忽然と姿を消し、

その代わりに残されていたのは、見事な群青色のカイヤナイトで形作られた宝石の花だった。


ブローチを失った落胆の気持ちは、その花によってすっかり薄れていた。

むしろ価値で言えば宝石の花の方が高い。



その事件は盛大にガゼットの一面を飾り、ジェミネは———宝花の怪盗ミラージュ・フルールは瞬く間に時の人となっていた。





……もっとも、そんなことなど露ほども知らぬジェミネ本人は、今日もただ、ひっそりと使用人としての日々を送っていた。







赤いラナンキュラス 花言葉 あなたは魅力に満ちている

アメジスト 石言葉 冷静や誘惑の防止

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