第1話:命令の名のもとに<Refine>
2025/7/29
情景や主要人物の描写を追加しました。
シェルナ自治領、第六泉。
泉からそう遠くない場所にそびえる遺構、“約定の塔”のふもとに設営された仮設拠点には、普段と異なる静寂が張り詰めていた。
塔の内部で起きた“事件”──
古代兵器 A.A.R.K.の再起動は、いまだ公にはされていない。
だがその衝撃は、すでに一部の関係者たちの間で、慎重に、そして重たく扱われていた。
その中心にいた少女技術者、アイリス・フェルマは、事件の当事者として塔に留め置かれ、
誰よりも早く、その沈黙の答えを待ち続けていた。
「……今日も、反応なし、か」
わずかにかすれた独り言が、研究用端末の冷たい起動音に吸い込まれていく。
画面には魔力伝導の波形図が、無音のまま、凪いだ波のように静止していた。
再起動の直後にはわずかに“応答”らしき兆しを見せていたアークも、
今はまるで、すべてを拒絶するように、深い眠りに沈んでいた。
周囲の職員たちは、彼女を遠巻きにするように作業に没頭している。
誰もが口を閉ざし、目も合わさない。
賞賛と疑念――その狭間で揺れる視線が、背中に突き刺さる。
(……どうせ、私が命令したって記録に残ってるし)
自嘲がこもった思考を、足音が断ち切った。
コツ、コツ、と。
乾いた靴音が、仮設の床を踏みしめて近づいてくる。
「アイリス・フェルマ。入るわ」
幕が静かにめくられ、ひとりの女性が姿を現した。
黒髪をすっきりと束ね、長身に合わせて無駄のない外套を羽織ったその姿は、兵でも技師でもない、まさに“任務を執行する者”の気配を纏っていた。
その瞳には知性と冷静さが宿り、口元には笑みどころか情すらない。けれど不思議と、威圧感はなかった。
「……え? あなた、誰――」
「セリス・グレイロア。オルマ評議会、封印管理局より派遣された調査監察官よ。今日からあなたの任務を監督する立場にある」
初対面。けれどその名は、アイリスも知っていた。
封印関連事案において、現場対応の最高権限を持つ実務官。その名前は、時折技術局の報告にも登場していた。
「任務、って……」
「命令文はすでに提出されている。封印異常とアーク再起動の件において、あなたには極秘調査隊への参加が指示された。拒否権はない」
「は?ちょっと待って、初対面でいきなりそれ?」
「あなたとアークの関係性、および再起動時の反応パターンはすべて確認済み。
事実として、アークは“あなたの声”に応じた。──それ以上の説明は必要ないでしょう?」
一切の感情を交えない、精密機構のような声。
それは決して冷酷ではなかったが、選択の余地という概念そのものを否定する響きを持っていた。
「……はあ。つまり、私の意思とか無関係ってことね」
「そう解釈してくれて構わないわ。あなたはもう、選ばれてしまった側だから」
アイリスは、わずかに眉をひそめたあと、乾いた笑みを浮かべた。
悲しみでも怒りでもない――ただ、諦めと苦笑が混ざったような顔だった。
「なお、任務開始に先立ち、あなたには一度レガリス王国へ戻ってもらうわ」
「え、帰還?今さら?」
「外部への政治的手続きと、公式記録の整備が必要。
あなたは“評議会主導の視察任務における技術代表”として扱われる。建前上の話だけどね」
「つまり、外向けの体裁を整えるためってことね。了解、監察官どの」
「呼び方は好きにして。命令の内容は変わらないから」
やりとりの間、セリスは一度も怒鳴らず、一度も感情を荒げることはなかった。
ただ事実を伝え、最短で任務を遂行する。その在り方に、アイリスはどこか自分と似た空気を感じていた。
(意地悪ってわけじゃない……でも、あの人、絶対に譲らない)
ふっと小さくため息をつき、アイリスは端末を閉じた。
「で、出発は?」
「一時間後。王都へ向かう魔導車が待機してるわ」
「……準備くらい、させてよね」
セリスは無言でうなずいた。
こうして、アークが再び目覚めたその地から、
新たな旅の命が、静かに動き出した。
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