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声の複製者  作者: 鵺@n-nue
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第7話

【毎日12時20分更新予定です】

夜が更けた頃――




つい先ほどまで静寂に包まれていた宮中が、突如として騒がしさを帯び始めた。




ユリィナは気配の異変に気づき、部屋の扉に耳を寄せる。




外からは慌ただしく行き交う足音、低く押し殺した声が微かに聞こえた。


胸騒ぎを覚え、扉をそっと開ける。




廊下では侍女たちが不安げな面持ちで駆け回っていた。


張りつめた空気の中、ユリィナは通りかかった一人の侍女を呼び止めた。




「何かあったの……?」




侍女は息を切らせながら振り返り、躊躇うように口を開いた。




「また……王子がうなされておられます。毎晩のことなのですが、今夜は特におつらそうで……」




その言葉に、ユリィナの胸が強く揺さぶられる。




(あんな小さな体で……毎晩、そんな苦しみを……)




自室へ戻った彼女は、落ち着かぬ面持ちで部屋の中を何度も歩き回っていた。


腕を組み、唇を噛み、思考を巡らせる――だが、じっとしてなどいられなかった。




やがて、気づけば自然と足が動いていた。


導かれるように向かうのは、王子の部屋。




扉を静かに開けると、蝋燭の淡い灯りのもと、小さな寝台に少年の姿があった。


銀の髪が額に張りつき、細い指がシーツをぎゅっと握りしめている。





「いやだ……やめて……たすけて……」





その声は、夢の中で何かに怯える、かすかな叫びだった。


ただの悪夢ではない。心の奥に絡みつく呪縛が、静かに彼を追い詰めているかのようだった。




ユリィナは、ためらわず王子のそばに膝をついた。


小さな手を、そっと両手で包み込むように握る。




そして、あの“声”を呼び出す。


王妃の、優しく、深く、愛に満ちた声を――。




「……レオニス。大丈夫よ。あなたは、もうひとりじゃないわ」




その瞬間、空気がかすかに震えた。


苦しげに歪んでいた王子の眉間が、ゆっくりと緩んでいく。


荒かった呼吸も落ち着き、幼い体から力がふっと抜けた。




まるで、母の声が夢の闇をやさしく照らしたかのように。




穏やかな寝顔を取り戻し眠る少年を見つめ、ユリィナはそっと布団を整えた。




「おやすみなさい、レオニス」




小さく囁くと、王子の銀の髪に手を添えて優しく撫でた。





それからというもの――


ユリィナは毎晩、王子レオニスが深い眠りに落ちた頃を見計らって、そっと彼の部屋を訪れた。




誰にも気づかれぬよう静かに近づき、そっとその手を握る。


そして、“王妃の声”で優しく囁きながら、彼の髪を優しく撫でる。




ただそれだけの、ささやかな行い。


けれど不思議なほどに、それだけで王子の眉間のしわはすっと解け、怯えた表情は安らぎに変わっていった。




ユリィナが傍にいるあいだ、彼が目を覚ますことは一度もない。


けれど——


無意識のうちに彼はきっと感じていたのだろう。


自分のすぐそばに、やわらかな声とぬくもりが寄り添っていることを。





■■





いつものように、朝になるとサミュエルがユリィナの部屋を訪れた。




「何か困っていることなどはないか?」




落ち着いた口調で尋ねてくる。


曲がった腰をゆっくりとソファに下ろしながら。





ユリィナはくすりと笑って首を横に振った。




「あはは、昨日もその前も同じことを聞かれたわ。そんなに毎日、困ったりしないから大丈夫よ」




サミュエルは、毎日のように顔を見せてくれた。


異国の宮廷で急に暮らし始めたユリィナを気遣ってのことなのだろう。


彼の律儀な優しさが、胸に染みる。




「困ったことじゃないけど……」




ユリィナはふと、心に引っかかっていることを口にした。




「レオニスの悪夢……あれが、とても気がかりなの」




夜毎、王子はうなされている。


何かに怯え、助けを求めるような声を漏らして——


それはどう考えても、普通の夢ではなかった。




サミュエルは真っ白な顎ひげを撫でながら、少し考え込む。




「……魔術によるものだろうな。お前の声が、それを和らげているのは確かだ。


申し訳ないが、このまま続けてはくれまいか」




その言葉に、ユリィナははっきりと頷いた。




「当たり前よ!」




笑顔を浮かべ、胸の前で小さく拳を握る。




「私が、絶対にレオニスを悪夢から救い出してみせるわ!」




この国の魔術については何も知らない。


けれど——


幼い王子が苦しんでいるのに、放っておけるはずがなかった。





まだレオニスと直接話したことはない。




でも、もし自分の“声”が、彼の心に届いているのだとしたら——


それだけで、胸の奥がじんわりと温かくなる。




サミュエルが、ふっと柔らかな微笑を浮かべた。




「王子には結界を張っておいた。じきに、かけられた魔術も弱まるはずだ。それまでは……頼んだぞ、ユリィナ」




「任せておいて!」




力強くそう答えたユリィナの瞳は、確かな意志に満ちていた。





■■





それから数日が経ったころ――


ユリィナの部屋の扉が、控えめに叩かれた。




「ユリィナ様、王子がお呼びでございます」





扉の外から届いた侍女の声に、一瞬、鼓動が跳ねた。


王子――レオニスが、自らユリィナを呼ぶのは、これが初めてだった。




わずかな緊張と共に立ち上がり、扉を開けて足を踏み出す。


向かった先は、毎晩ひっそりと訪れているあの静かな部屋。


幼い王子の眠る場所。




中に入ると、そこにはサミュエルの姿もあった。


彼はユリィナを王子の傍へと導くと、静かに人払いを命じ、自身も退室した。




重たい扉が閉ざされ、部屋には二人きりの静寂が満ちる。




王子は、まっすぐにユリィナを見上げていた。


その瞳は以前よりわずかに――けれど確かに、柔らかくなっていた。




「……母の声を……聞かせてほしい」




それは、母を求める子どもの声だった。


ユリィナは黙って頷き、そっと彼の隣に腰を下ろす。




ゆっくりと目を閉じ、心を静めて、記憶に刻まれた“あの声”を思い出す。




愛情に満ちた王妃の声音――




彼女の想いと温もりが、自身の中を流れてゆくのを感じながら、口を開いた。




「レオニス。あなたは、とても強くて、優しい子よ」




その声が空気を震わせると同時に、ユリィナはそっと彼の髪に触れた。


レオニスの瞳に、ぽつりと涙が浮かんだ。




「……母上を……忘れてしまいそうで……怖かったんだ……」




その小さな胸に張りつめていたものが、ついに崩れた。


溢れる涙を止められず、両手で顔を覆うレオニス。


泣くことさえ許されなかった日々――そのすべてが、今、静かにほどけていく。




ユリィナは、迷うことなくその肩を抱き寄せた。


震える背を、ゆっくりと撫でながら、再び“声”を重ねる。




「大丈夫よ、レオニス。お母様は、いつだってあなたの心の中にいる。消えたりなんて、しない。あなたは、決してひとりじゃない」




その言葉は、王妃のものでもあり、ユリィナ自身の想いでもあった。




彼女もまた、数多の愛を失ってきた。


両親を、祖母を、そして……生まれる前に奪われた小さな命を。




けれど、彼らの存在は今も彼女の中にある。


失われた命が、形を変えて、生きる力と優しさをくれたのだ。




「……あなたの気持ちは、きっとお母様に届いてる。だから、もう怖がらなくていいのよ」




彼女の腕に抱かれて泣く少年の涙は、やがて静かに落ち着いていった。


ようやく、閉ざされていた心に、優しい風が吹き始めたのだ。

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