第6話
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その日の午後。
ユリィナは、ついに王子と対面することになった。
高い天窓から陽光が差し込む王子の私室。
落ち着いた壁紙に囲まれたその空間の中央に、一脚の椅子がぽつんと置かれていた。
そこに座っていたのは、まだ幼さの残る少年――この国の王子だった。
白金の髪は光を受けて淡く輝き、翡翠色の瞳は、床に向けられたまま動かない。
その小さな背中には、年齢にはそぐわない影が落ちていた。
喪失と孤独――まるで、何一つ希望がないことを、宿命として受け入れたかのようだった。
サミュエルが人払いを済ませると、扉が音もなく閉ざされる。
「陛下。こちらが、以前話しておりましたユリィナです」
しかし、王子はちらりとも顔を上げなかった。
「この者は、“声の複製者”。
亡き王妃陛下の声を、そのままに再現することができます。
これより、“母の影”として、陛下のそばに寄り添わせていただきます」
その言葉に、ようやく少年が口を開いた。
小さく澄んだ声。
「……母の代わりなんて、いらない。母は、ひとりだけだ」
その声には怒りもなく、ただ静かな拒絶だけがあった。
ユリィナの胸は締めつけられる。
――同じ、あの時と。
両親を事故で亡くした、あの夜のことを思い出す。
誰の言葉も、慰めも、温もりも、何ひとつ心に届かなかった。
世界が崩れ、音を失い、光が消えたあの感覚。
何もできずに、泣くことさえ忘れていた“ユリ”に、ただ黙って寄り添ってくれた祖母。
その存在だけが、彼女の凍てついた心を少しずつ溶かしてくれたのだった。
王子の言葉に、ユリィナは何も返さなかった。
代わりになどなれないことは、彼女自身が誰よりもよくわかっていたから。
ただ静かに微笑み、小さく頭を下げると、そのまま踵を返して部屋を後にした。
偽物の声では、傷は癒せない。
それでも……ただそばにいることなら、できるかもしれない。
扉を出ると、ユリィナは胸の前でそっと両手を組んだ。
(あなたの痛みが、どうか少しでも癒えますように)
声にはしなかったが、その祈りは確かに心からのものだった。
■■
サミュエルは、これからユリィナが暮らす部屋へと案内した。
「ここを拠点とするがいい。必要なものがあれば、侍女に持ってこさせよう」
開かれた扉の先に広がっていたのは、まるで一枚の絵のように整った美しい部屋だった。
天井は高く、淡い金の装飾が施された梁が走っている。壁は温かみのある色で統一され、窓辺には薄緑のカーテンが柔らかく揺れていた。
「……こんなに立派なお部屋……」
ユリィナは驚きとともに、そっとソファに腰を下ろした。
その柔らかな沈み込みに、一瞬、遠い記憶がよみがえる。
――誠の実家。
そこに並んでいたのも、確かに高級な家具ばかりだった。
だが、その美しさの奥にあったのは、どこか冷たく張りつめた空気。
ここにある調度品は、それをはるかに凌ぐ品格を持ちながらも、不思議と穏やかな温もりを感じる。
「……ここは、違う」
思わず、声がこぼれる。
サミュエルが静かにユリィナの方へ向き直る。
「ユリィナ。ひとつ、忘れてはならぬことがある。
お前の能力は、王子以外には決して知られてはならんぞ」
ユリィナは驚いて顔を上げる。
「……なぜ、ですか?」
サミュエルは窓の外に視線を投げながら、慎重に言葉を選ぶように口を開いた。
「この国――〈フォル・セリウス〉は、“声”によって成り立っている。
声は、この世界において唯一無二の“鍵”であり、“力”だ。
それぞれの声は、生まれ持って与えられた個の証であり、他人に真似されることのない絶対性を持つ。
……だからこそ、お前のように“声を複製できる存在”は、脅威にも、あるいは欲望の対象にもなり得る」
ユリィナははっと息をのんだ。
「……誰かが――私を利用しようとするかもしれない」
「そういうことだ」
サミュエルの声は静かだったが、その奥には警告の色がはっきりと宿っていた。
「この力をどう使うかは、お前次第だ。だが、間違えば、国を揺るがすことすらある。ゆえに、慎重に、そして正しく使わねばならぬ」
ユリィナは小さくうなずいた。
手を胸にあて、目を伏せる。
力を持つ者には、それに見合う覚悟が求められる。
ユリィナはその重みを、確かに胸に刻んでいた。
(この力は、特別なもの――だからこそ、誰かのために、まっすぐに使いたい)