第4話
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ユリはそっと目を開けた。
「ま……まぶしい……」
すぐに目を細める。
瞼の隙間から差し込んでくる光は、彼女の知る太陽の光とはどこか違っていた。
ひときわ大きく輝くそれは、太陽に似ていたが、確かに“太陽”ではなかった。
その光は焼けつくような熱を含み、湿り気を帯びた空気とともに、じりじりと彼女の肌を刺してくる。
「……ここは……どこ……」
自分の声が、わずかに耳慣れない響きを伴って返ってくる。
日本語で話したはずなのに、どこか異国の響きに変換されたような、そんな不思議な感覚だった。
彼女は辺りを見渡した。
そこには見知らぬ街並みが広がっていた。
白い屋根に淡い青の石で組まれた建物。
西洋と中東、さらにはどこか古代文明の匂いすら混じったような、不思議な都市――まるで幻想世界の中に迷い込んだようだった。
街角を歩く人々の姿もまた、どこか現実離れしていた。
長く流れるようなローブ、額に飾られた羽飾り、装飾的な刺繍。
映画の撮影のような、現実から離れた世界に感じられる。
「……夢の…国……?」
自分の呟きが風に溶けて消えていく。
その時、ユリの中の記憶が呼び起こされる
――そうだ。
たしか自分は……病院にいた。
誠に、首を……。
全身を緊張が駆け巡る。
ユリは首元に手を当てた。
……痛みは、ない。
息も、深く楽にできる。
(どうして……?)
病室で、あれほど力が入らなかったのに、今はしっかりと大地を踏みしめている。
呼吸するたびに肺が喜んでいるようだった。
手を目の前に差し出すと、そこにあったのは、見覚えのない衣の袖。
薄緑色の柔らかな布地には、ところどころ銀糸で細やかな模様が刺繍されている。
病院の薄い病衣とは比べものにならないほど、上質で異国的な衣装だ。
(これ……私……?)
自分の置かれた状況に混乱していたその時、背後に気配を感じた。
振り向くと、長いローブに身を包んだ一人の白髪の男が静かに歩み寄ってくる。
手に携えた杖の先端には、透き通る青い結晶が取りつけられ、淡く輝きを放っている。
「……ふむ、やはり来たか」
その声は低く、抑揚を押さえた落ち着きのあるものだった。
だが、どこか耳に心地よい。まるで音楽のような律動を帯びている。
「記憶は……残っているようだな」
「え……?」
ユリが戸惑いを隠せず声を漏らすと、男は彼女をじっと見つめ、さらに言葉を続けた。
「名を聞こう。異邦の女よ」
男は杖を軽く地面に突き、鋭い眼差しを彼女に向ける。
「ユリ……私は、ユリです……」
彼女の声を聞くと、男はかすかに微笑んだ。
ローブのフードが風に揺れ、彼の表情を一瞬だけ露わにする。
「……もうユリではない。今よりお前は、“ユリィナ”と呼ばれる者。死を越え、この、声によって成る地〈フォル・セリウス〉に招かれた魂だ」
ユリィナ――。
その響きは不思議と彼女の心にすっと染み入った。
まるでその名が、元々自分のものであったかのように感じられる。
「私は……死んだのですか……?」
震える声で問いかける。
男は空を仰ぎ、しばし沈黙した後、ゆっくりと口を開いた。
「お前の肉体は、確かに終わりを迎えた。だが魂はこの地に呼ばれ、再び“生”を得た。お前は、この世界に選ばれた者だ」
「私が……選ばれた……?」
その意味を理解するには、まだ時間が必要だった。
だがひとつ、確かにわかることは……
私は――生きている。
そう思った瞬間、かつての記憶が胸に押し寄せてきた。
夫・誠に裏切られ、殺されたこと。
お腹の大切な命が奪われたこと。
そして、何もできなかった自分のこと――。
両親と祖母の分まで強く生きようと誓ったはずだったのに……
それを果たせず、お腹の子まで失い、全てが終わった。
それでも――また、生かされた。
「……悔しい。もっと、できることがあったはずなのに……」
そう呟いたユリィナの頬を、一筋の涙がつたった。
男は何も言わず、ただ静かに見守っていた。
「この国は、お前を必要としている。
過去のしがらみを超え、“与えられた命”をどう使うか――その答えは、お前自身が選ぶことだ」
「与えられた……命……」
その言葉を聞いて、ユリィナはハッとした。
そして深く息を吸い込み、顔を上げた。
その瞳には、先ほどまでの迷いはなかった。
「たとえ場所が変わっても、生きる意味は変わらない。私は、家族の分まで生きる。それが私の信念」
彼女が見上げた空には、異世界の大きな星が静かに輝いている。
新たな名前、新たな命、そして新たな使命。
彼女はもう「ユリ」ではない。
これからは――ユリィナとして、この世界で生きていく。




