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声の複製者  作者: 鵺@n-nue
3/5

第3話

――それはすべて偽りだった。





ユリとの結婚は、誠の家族が仕組んだ――


莫大な遺産を狙うための、冷酷で計算づくの策略だった。




名門と謳われている財閥……


だがその実態は、火の車だった。




先代の経営判断の誤りと無謀な投資により、多額の負債を抱え込み……


倒産寸前にまで追い詰められていた。




そんな折、誠の父親はある噂を耳にする。




「ユリという女が、25歳で莫大な遺産を相続したらしい」




父はすぐに動いた。


誠を呼び寄せ、冷徹な声で命じた。




「…誠、お前、この女と結婚しろ。財産さえ手に入れれば、離婚して構わん。お前ならできるだろ」




これまで「出来の悪い息子」と罵られていた誠にとって、それは生まれて初めて“父から託された役割”だった。




「うまくやれば、次期社長にしてやる」




その言葉が、誠の胸に火をつけた。




“期待に応えたい”“父に認められたい”




――ただそれだけを渇望し、誠はユリに近づいた。




優しく、誠実に、思いやり深く。


彼女の心に寄り添う理想の婚約者を演じきった。


すべて計算された演技。




当時、交際していた女性が居たが、あっさりと切り捨てた。


泣かれようが、すがるように抱きつかれようが、心は一切動かなかった。




「これは家のため。父の期待に応えるためだ」




そう言い聞かせれば、罪悪感など芽吹く余地はなかった。





そして無事にユリとの結婚が決まった日、父は一言だけ誠を褒めた。




「さすが俺の息子だ。後は遺産を手に入れるだけだな」




その言葉は誠にとって、唯一の――


心から求めていた“報酬”だった。




もっと認められたい。


もっと褒められたい。




誠はそれだけを糧に、心を麻痺させていった。





だが、そんな完璧な計画に、思いがけない誤算が入り込む。




“ユリの妊娠”




その報せを受けた瞬間、誠の心に走ったのは、喜びではなく、言葉にできない動揺だった。


胸の奥に、焦りと不協和音のような不快感が広がる。





すぐに父に報告すると、返ってきたのは冷酷な声だった。




「何をやっているんだ。子どもなんか作ってどうする?離婚しづらくなる上に、遺産の名義がその子に移る可能性もある。すべてが台無しだ。……やはり…お前は見込み違いだったか」




その言葉に、誠の顔から血の気が引いた。


また失望されたくない。ここで終わりたくない。自分の価値を証明したい。




「父さん、必ず……なんとかします。ユリには、子どもを……下ろさせます。だから少しだけ、時間をください」




震える声でそう答えながら、誠はすぐに新たな計画を組み立てた。




――失うわけにはいかない。


ここで、すべてが終わるわけにはいかない。





実家の家政婦たちに極秘で指示を出す。


妊娠に悪影響を及ぼす薬剤を海外から取り寄せ、ユリの食事や飲み物に気付かれない量を混ぜさせた。




毎日の料理が、やがて毒となり、ユリの身体を蝕んでいく。




そしてある日の朝――




「……誠さん……いたい……お腹が……」




ユリが突然、苦しげに腹を押さえて、その場に崩れ落ちた。


蒼白な顔、震える唇、涙をにじませながら、助けを求める瞳――




その瞬間、誠は胸が高鳴るのを感じた。




(……やった……これで、父さんに報告できる……)





救急車で病院へ運ばれたユリは、緊急処置の末、命をとりとめた。


けれど――お腹に宿っていた小さな命は、もう、そこにはいなかった。




診察を終えた医師は、重く沈んだ声で告げる。




「残念ですが……赤ちゃんは、助けられませんでした」




ユリはベッドの上で、真っ白な天井を見つめていた。


まるで、何かが壊れるような音が、自分の内側から聞こえてくる。




「……赤ちゃん……どうして……」




声にならない声が、かすれてこぼれる。


止まらない涙が、頬を濡らしていく。





そのとき――病室のカーテンの向こうから、低く抑えた男性の声が聞こえてきた。





「……父さん、無事に子供はダメになりました。食事に混ぜた薬が効いたみたいです。遺産が手に入ったら、すぐに離婚の段取りをつけます」





――聞き間違いであってほしかった。




でも、その声は――確かに誠だった。




一瞬で、世界が凍りついた。


体温がスーッと引いていく。





(……?今……なんて言ったの?)




赤ちゃんの死を――“無事に”?





私との未来を語ったあの声も、


優しく握った手のぬくもりも、


全部……すべてが嘘だったの?





混乱と怒り、そして絶望が一気に胸を押しつぶす。




ユリは、震える手でベッドの柵をつかみ、点滴スタンドにすがるようにして体を起こした。


足元はふらついたが、それでも、確かめずにはいられなかった。





カーテンを引くと、そこには電話を片手に立つ誠の姿が。


彼の顔が驚きと焦りに歪む。




「ユリ……お前……起きてたのか……」





ユリは青ざめた顔のまま、かすれた声で問いかけた。




「……誠さん……今の話……どういうこと……?


まさか……遺産のために……私と……?」





誠は一瞬だけ沈黙し、それからふっと肩の力を抜いた。


そして、嘲笑を浮かべながら、口を開いた。




「そうだよ。全部そのためだよ。お前みたいな女と、俺が本気で結婚すると思ったか?金がなきゃ、相手にするわけないだろ? あはは……バカだなお前」




その声は、まるでユリの心を抉るようだった。


信じていた人の口から放たれた、むき出しの侮辱。


それは鋭いナイフのように、彼女の胸の奥深くへ突き刺さる。





ユリは目を伏せたまま、震える唇をぎゅっと噛みしめた。


肩をかすかに震わせながら、必死に涙をこらえる。




そして、静かに吐き出すように言った。




「……それが、あなたの本心……」




誠はその言葉にも、なんの動揺も見せなかった。


むしろ、冷たく笑ったまま、見下すような目でユリを見ていた。





ユリは静かに拳を握りしめ、彼を睨みつけた。




「……ひとつだけ、言っておくわ」




ユリは、心を落ち着かせるように息を吐く。




「私の遺産は、“私の子ども”のためのもの。


子どもが25歳になったとき、全額を相続できるよう、すでに弁護士と契約済みなの。


もし私に子どもが生まれなかった時は、すべて慈善団体に寄付される。


――つまり、あなたには1円たりとも渡らない。……残念だったわね」




誠の顔から、見る見るうちに笑みが消えていった。


その目が見開かれ、青ざめていく。




「な……なんだと……?」




ユリはそのまま、毅然とした声で言葉を重ねた。




「それだけじゃない。私は警察へ行く。


病院には、検査記録も、診断報告も残っているはず。もし体内から異物が検出されれば、傷害罪として立件されるでしょうね。


あなたはすべてを失うことになる。会社も、地位も。


きっと、お父様は……失望するんじゃないかしら」




一瞬で、誠の顔が赤く染まり、狂気じみた怒りに変わった。




「ふざけるな……!お前ごときに、俺の人生を――台無しにされてたまるかぁぁ!」




怒号とともに、誠はユリに飛びかかる。


怒りのままに、ユリの首をその手で締め上げる。




「やめて……っ!」




息ができない。


視界が歪み、色が褪せていく。




「く……く、るしい……」




遠ざかる世界の中で、脳裏に浮かんだのは、


笑う父、母、祖母、


そして――消えてしまった、命。




(ママ……パパ……おばあちゃん……)


(私、まだ……生きたかった……)




意識が途切れかけたその瞬間だった。





まるで、誰かがそっと手を差し伸べてくれたようなまばゆい光が、


ユリの全身を包んだ。


痛みも、苦しみも、次第に遠のいていく。




――そして、ユリの世界は、静かに終わりを告げた。


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