第22話
クジの家を出発したユリィナたちは、城の周囲に張り巡らされた結界の境界までたどり着いた。
ユリィナの目には何も見えない。
ただ静かな空気が流れているだけに見える。
けれど、クジだけはピタリと足を止め、前に進めなくなっていた。
「ここだ。完全に結界が張られている……」
そう言うと、クジはバッグの中から金属製のスプレー缶を取り出し、前方の空間にシューッと吹きかける。
すると、霧のように空中に散った粒子が、何もなかったはずの空間に複雑な文様と光の網を浮かび上がらせた。
「うわ……」
ユリィナが思わず息を呑む。
次にクジは、ごそごそとバッグを漁り、今度は妙に重そうな“巨大な庭バサミ”を取り出した。
「よし……じゃ、開けるか」
そう言って、まるで生垣でも剪定するかのように、光の結界を「チョキン、チョキン」と切り始める。
「よし、これで通れるぞ」
ひょいと身を屈めて、クジが結界の“穴”をくぐる。
その姿に、思わずユリィナは吹き出した。
「……魔法の道具って、もっと荘厳というか、神秘的なものを想像してたんだけど」
「ははっ、そりゃ偏見だな」
クジは自信たっぷりに胸を張る。
「俺の道具は全部、自分で作ったオリジナルの一点ものだ。ちょっと奇抜だが、性能は折り紙つきだぞ。その辺の量産品と一緒にされちゃ、困るぜ」
レオニスもお腹を抱えて笑いながら続く。
「クジ、僕もあれほしい! チョキチョキってやつ!」
「子どもに持たせたら危ない道具ナンバーワンだよ、それは」
クジは肩をすくめながら笑った。
戦いの始まりだというのに、なぜか三人の間には、笑いが絶えなかった。
結界を抜けた三人は、やがて城の近くに身を潜めた。
すぐ目の前には、頑丈な門と、それを守る無愛想な門番の姿。
「……さすがに、正面突破は無理ね」
ユリィナが小声で呟く。
「ま、そうなるのは予想済みだ」
クジはニヤリと笑い、バッグの奥からひときわ大きな宝石を取り出した。
淡い赤色に輝くその石は、見るからに高価そうだ。
「まさか……それで買収でも?」
「いやいや、違うって」
クジは首を振る。
「これは『変身宝石』。首から下げて、動物の名前を言えばその姿になれる。
ただし――声を出したら即アウト、元に戻る」
そういうと首に宝石を下げ、ひとこと。
「犬」
次の瞬間――ボンッ!という軽い破裂音とともに、白い煙がもくもくと立ちのぼる。
煙の中から現れたのは、ふわふわの毛並みをした、丸っこくて愛らしい茶色の犬だった。
「うわぁ……可愛い!」
ユリィナとレオニスが、思わず同時に声を上げる。
「これなら、怪しまれずに城の中へ戻れそうね」
「うん! 僕、このままクジをペットとして王宮で飼おうかな……」
「ワンッ!」
レオニスのひと言に、犬が思わず吠えた。
次の瞬間――ボンッ!
また煙があがり、クジが元の姿に戻っていた。
「おいレオニス! 俺をペットとか言うなよ……驚いて戻っちまったじゃねぇか!」
レオニスは肩をすくめ、ぺろっと舌を出して笑った。
■■
その後、犬に変身したクジを引き連れたユリィナとレオニスは、
“散歩帰りの主従”を装い、ゆっくりと城門へと近づいた。
「おや? レオニス様にしては珍しいお供ですね」
門番のひとり、ガルドが目を細めた。
――この男、だいぶ犬好きとして知られている。
「最近手に入れた犬なんだ。人見知りだから近寄っちゃだめだよ」
レオニスがさらりとかわすが、ガルドの目線はクジ(犬の姿)に釘付けだった。
クジはそれに気付くと、ユリィナたちの後ろに隠れ、ガルドの目線をガードする。
しかしガルドは……
「何という美しい毛並み!! 撫でてみたい……」
手を伸ばしかけるガルドをユリィナが制止する。
「……人見知りですので、それはちょっと――あっ!」
ユリィナの制止も聞かず、ガルドはがばっとかがみこみ、勝手にクジの頭を乱暴に撫で始めた。
耳の後ろ、首元、背中、しまいにはお腹まで――。
必死に声を堪え、明らかに嫌そうな顔をする犬のクジ
(こら、やめろ、そこは……っ……やめろ!)
きっとそう言いたいのだろう……と、ユリィナたちはクジの表情から読み取った。
「ははっ! いやあ、この犬は素晴らしいですなあ! こんなに美しい犬は珍しい!」
ガルドは、犬のクジを抱きかかえると、より激しく撫でまわす。
ユリィナはレオニスに耳打ちした。
「レオニス……まずいわ…クジの表情が…もう限界みたいよ……!」
次の瞬間。
ガァァブッ!
「――あぎゃっ!!?!?!?」
ガルドの叫びが響き渡った。
彼の手の甲にくっきりと犬の歯型がついている。
ガルドは驚いて犬を放り投げた。
慌ててユリィナがキャッチする。
レオニスがカルドに冷静に告げる。
「大丈夫? この子は臆病だから初めての人に撫でられるのを好まないんだ。とはいえ、悪かった。後で医者を寄こすから、傷の具合を見てもらってね。」
レオニスの言葉に、ガルドは手をさすりながら申し訳なさそうに頭を下げた。
「い、いえ、私の方が……す、すみません。いやあ、驚いた……ちょっと犬を舐めてました……」
クジは、“ふんっ”と鼻を鳴らし、スタスタと門を抜けていく。
レオニスとユリィナもそれに続いた。
「まさか…噛みつくとは思わなかったわね……」
ユリィナは冷や汗を拭う。
「きっと、クジの限界だったんだよ……声を我慢してくれたことに感謝だね」
レオニスはニコニコ顔で犬のクジを見つめる。
背後では、ガルドがまだ「犬……怖い……」と自分の手を見ながら、震えていた。




