第12話
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「……お前の両親を殺したのは……この私だ」
世界が反転し、サミュエルの意識は――父の記憶の深淵へと吸い込まれていった。
■■
――その国には、代々強大な魔術の血を継ぐ王家があった。
国土こそ小さかったが、他国の侵略を一切許さず、圧倒的な魔力によって秩序と平和を保ち続けてきた。
そんな中、王と王妃の間に一人の男児が生まれる。
その赤子は、この世界でも例のないほどの強大な魔力をその身に宿していた。
王子誕生の報は国中を歓喜で包み、誰もがその未来に希望を抱いた。
――だが、その力の芽吹きを恐れた者がいた。
“世界最強の魔術師”と謳われ、崇拝されている男。
王子の誕生と同時に放たれたその魔力の波動を感じ取ったとき、
男の胸に走ったのは、祝福ではなく、嫉妬と恐怖だった。
「……私よりも強い存在が、この世に生まれてしまった」
己の限界を悟ったその瞬間、男の心は崩壊する。
積み上げてきた名声、誇り、力――すべてが足元から崩れ落ちていく。
“世界最強”という唯一無二の称号を、失ってしまう恐怖。
その強迫観念に飲まれた男は……ついに禁忌へと手を伸ばす。
悪魔の力を代償に、自らの魂を捧げ――
彼は、“魔王”となった。
それこそが、誰にも真似できぬ、絶対的な存在。
唯一無二の力。
……だがその代償はあまりに大きかった。
魔王となったその瞬間、男の精神は悪魔に呑み込まれ、
理性は砕け散り、人としての自我は失われた。
悪魔に操られるまま、暴走した魔王は……
城にいる全ての者を容赦なく惨殺し、王宮を血で染めた。
栄華を誇ったその国は、わずか一夜で滅び去った。
――すべてを終えたそのとき、魔王は気付く。
王宮に響く、王子の泣き声。
それは、まばゆいほどの命の叫びだった。
王子はたったひとり、奇跡のように生き残っていた。
魔王がその小さな命に手にかけようとした瞬間――
見えない力が、彼を強く弾き飛ばした。
王と王妃が、最期の力を振り絞り、悪意を寄せ付けぬよう張り巡らせた結界だった。
息子を護るためだけに残された、限界を超えた魔力。
その結界は、魔王はおろか、悪魔さえも寄せつけないほど強固なものだった。
そして――ふたたび、赤子の泣き声が空気を震わせる。
それは、哀しみでも、怒りでもなかった。
ただ、命そのものが放つ、まっすぐな響きだった。
その声は光の槍となり、魔王の心を一気に貫いた。
その瞬間、心の奥底に沈んでいた男の理性が、静かに目を覚ます。
――狂気の霧が、晴れていく。
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男はようやく、正気を取り戻した。
「……私は……なにを……」
その時、目に飛び込んできたのは――地獄のような光景だった。
自らの手で殺めた王と王妃。
血に染まった王宮。
あまりにも取り返しのつかない過ち。
「私は……なんて……ことを……」
膝から崩れ落ちた男は、長い時間、その場から動くことすらできなかった。
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男は、自らの過ちを悔い、すべての魔力を用いて結界を張った。
この地に、二度と悪魔の魔力が入り込まぬように。
誰ひとりとして、ここで魔術を使えぬように。
魔力の流れそのものを断ち切り、
この王国は、“魔術のない国”となった。
そして……罪の重さに耐えきれず、
自らに鉄槌を下そうとしたそのとき――
また、あの声が男を呼び止めた。
――王子の泣き声。
振り返ると、赤子はまるで光を纏うように、静かに輝いていた。
「……私に、どうしろというのだ……」
男は、結界の向こうからそっと王子の顔を覗き込む。
その小さな瞳が、まっすぐに彼を見つめ返していた。
王も、王妃も、この子の未来も――
自分がすべてを壊してしまった。
そんな自分に、何ができようか……。
それでも……手が伸びていた。
そっと、王子を抱き上げる。
その瞬間、泣き声はぴたりと止んだ。
小さな体から伝わる、命の鼓動。
確かにそこに「生きている」ことの尊さがあった。
涙が、頬を伝う。
懸命に生きようとする命を前に、
胸に去来するのは、深い後悔と……ひとつの決意。
「……すべてを懸けて、この子を育てよう」
それが、彼の――
かつて“魔王”となった男の、贖罪の始まりだった。
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――その王子こそが、サミュエルだった。
そして、“育ての父”こそが、かつて王国を滅ぼし、両親を惨殺した――魔王その人だった。
「と、父さんが……」
その言葉は、声にならなかった。
信じていた世界が、音を立てて崩れていく。
あの優しさは?
あの教えは?
これまでの日々は……
――すべて、贖罪のためだったのか?
偽りの愛……だったのか?
たったひと言でいい。
父の本当の気持ちを、聞きたい。
サミュエルがそう思った、まさにその瞬間――
父が胸を押さえ、苦しげにうずくまった。
「私は……お前が……怖かった……」
それだけを、吐き出すように告げて――
静かに息を引き取った。
父は、自らに魔術をかけていた。
――サミュエルが“真実を知ったとき”、命が尽きるように。
サミュエルは、何も言えなかった。
何も聞けなかった。
ただ、そこに残されたのは――
重く、深く、冷たい沈黙だけだった。




