第11話
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「……ごほん……これでどう?」
ユリィナは小さく咳ばらいをし、サミュエルに視線を向けた。
その声は、低く張りがあり、どこか威圧的な響きを持っていた。
彼女自身の柔らかな声とはまるで別物――まさに、男の声だった。
サミュエルは目を細め、満足げに頷く。
「――完璧だ。治安官セラフィンの声、そのものだな」
「……あとは、話し方ね」
ユリィナはそっと肩を落とし、小さくため息を吐く。
声そのものは複製できても、問題はその“中身”。
ユリィナは以前、城で偶然セラフィンに出会っていた。
ただ、その時は挨拶を交わす程度で、本人の話しぶりまでは、全く記憶に残っていない。
語尾の抑揚、息遣い、そして立場に見合った威圧感ある口調。
どれも、自然に再現できる自信はなかった。
「悩むことはない。偉そうに、上から目線で命令すれば、それっぽくなる」
「そ、そんな雑な……」
呆れたように肩をすくめるユリィナに、サミュエルはいたずらっぽく笑う。
「いいか、“セラフィン”は威厳そのものだ。お前がためらえば、それはすぐ見抜かれる。だが堂々と命じれば、誰も逆らえん。――やれるさ、お前なら。俺はそう信じている」
その言葉に、ユリィナはわずかに目を見開き、そしてうなずいた。
「……うん。やらなきゃ。絶対に、レオニスを見つけ出すんだから」
静かに息を吸い、決意を固めるように目を閉じた。
王子レオニスを助けるためなら――やるしかない。多少の無茶でも。
「では、“治安官セラフィン”が現場に乗り込んだという設定で行くぞ。――お前の姿は、俺が変える。声に集中しろ」
ユリィナはごくりと唾を飲んだ。心臓が跳ねる。
頭の中でセラフィンになりきる自分を繰り返し思い描いた。
■■
やがて二人は、“西の角”と呼ばれる酒場のある裏路地へとたどり着いた。
「酒場に入るには、まだ早い時間だ。にぎわい始めるまで、少し待つとしよう」
そう言うとサミュエルは、酒場の影に紛れるように壁際へ身を寄せた。
ユリィナもその隣に滑り込むようにして腰を下ろす。
時の流れだけが静かに過ぎていく、二人だけの静かなひととき。
ふと、ユリィナが問いかけた。
「ねぇ、サミュエル。どうして長い間……“声の複製者”を探してたの?」
サミュエルは少しだけ黙り、考える素振りを見せてから答えた。
「……趣味だ」
思いがけない返答に、ユリィナは目を丸くした。
「えっ、趣味!?」
「なぜ驚く?」
サミュエルはいつもの調子で、淡々とした口ぶりのまま言う。
「あ、いや……その……なんとなく、もっと特別な理由があるのかと思ってた。たとえばレオニスのため、とか」
ユリィナは、自分でも少し意外に思えるほど素直にそう言った。
「……結果的に、レオニスの助けにはなった。それだけだ。
始まりは単純。高尚な理由などない……すべて、自分のためだ」
そう言ったサミュエルの横顔は、どこか遠くを見つめるようだった。
「自分のため、か……。じゃあ、私がこの世界に来たことで、少しでもサミュエルの“ため”になった?」
ユリィナの問いに、サミュエルはすぐには答えなかった。
何かをじっと考えるように黙り込み、そしてやがて、小さく息をついた。
「少しここで待っていろ」
その一言を残すと、すっと立ち上がり、足早に街の方へと歩き出してしまう。
「えっ、ちょっと、え? 私、何かおかしなこと言った……?」
ユリィナは戸惑いながら、ぽつんとその場に取り残された。
■■
ほどなくして、サミュエルが戻ってきた。
無言で紙袋と湯気の立つカップをユリィナの目の前に差し出す。
「えっ? なに、これ……?」
突然のことに戸惑うユリィナに、サミュエルは目を合わせることなく、ぶっきらぼうに言った。
「朝から何も口にしていないだろ。腹ごしらえをしておけ」
袋を開けると、中には温かいパンが入っていた。
――サミュエルは、いつもそうだ。
多くは語らないが、誰よりも周りを見ていて、さりげなく手を差し伸べてくれる。
その不器用な優しさが、ユリィナの心をじんわりと温めていく。
「うれしい……サミュエル、ありがとう!」
「礼を言うほどの品物ではない。この店のパンは……硬すぎてな。
“老賢者”の姿のときは噛み切れないのだ。今しか食べる機会がないから、買ってきたまでだ」
ユリィナは思わず吹き出した。
「じゃあ今度、私が作ってあげる。パン作り、実は得意なの」
その言葉に、サミュエルの口元がわずかに緩んだ。
「歯が折れなければ構わん。……楽しみにしている」
ユリィナは袋の中からパンを取り出し、それを半分にちぎった。
そして、笑顔でその片方をサミュエルに差し出す。
サミュエルは無言でそれを受け取り、しばらくの間、じっとパンを見つめていた。
まるで、何かを見出すかのように――
やがて、静かに口を開く。
「……“声の複製者”は……俺の……“希望”なのだ」
■■
サミュエルは、身寄りのない孤児としてこの世界に生まれた。
拾ってくれたのは、ひとりの老いた魔術師だった。
血の繋がりこそなかったが、その人は父としてサミュエルを育て、惜しげもなく魔術のすべてを教えてくれた。
父は並外れた力を持つ魔術師だったようで、弟子入りを願う者が後を絶たなかった。
だが、彼は決して誰にも門戸を開こうとはしなかった。
唯一の例外が、サミュエルだった。
サミュエルもまた、父を心から尊敬し、師として仰ぎ、魔術を極めるために日々修練に励んだ。
そしてその才覚は目覚ましく、常人では考えられぬ速度で力をつけていった。
ある日、魔術書を求めて、サミュエルは隣国を訪れた。
そこは地図にもろくに記されていないような、名もなき小さな国だった。
不思議なことに、この国では魔術の使用が固く禁じられ、町全体に魔力を封じる結界が張られていた。
にもかかわらず、街には驚くほど多くの魔術書が並び、人々はまるでそれが日用品であるかのように気軽に手に取っていた。
その旅の途中、彼はひとりの負傷した兵士を助ける。
争いに巻き込まれて倒れていたその男を介抱し、彼の願いに従って――その小さな国の城まで送り届けた。
そして、城門をくぐった瞬間だった。
サミュエルの全身を、稲妻のような感覚が貫いた。
それは言葉では言い表せないものだった。
だが確かに、“呼ばれた”と感じた。
血の奥深くで何かが共鳴し、得体の知れぬ恐怖と、胸を締めつけるような懐かしさが入り混じっていた。
帰宅した夜、サミュエルは迷いに迷った末、父に問いかけた。
「……自分は、いったい何者なのか」
「――あの国と、何か関係があるのではないか」
問いに答えることなく、父は黙して天を仰ぐ。
その沈黙は、どこまでも重く、長かった。
やがて、押し殺すような声で、言葉がこぼれる。
「……お前の両親を殺したのは……この私だ」
その一言で、世界の色が反転した。
――父の声が引き金となり、“記憶の魔術”が静かに発動したのだ。
淡い光が揺れ、現実と過去の境界が溶けてゆく。
父は、逃げることなく、偽ることもなく、己の罪と過去を――そのすべてをサミュエルに見せた。




