第10話
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ユリィナとサミュエルは王子の痕跡を辿り、街にたどり着いた。
その時には、すでに夕陽は地平線へと沈みかけていた。
石畳を冷たい風がすり抜け、王都の外縁に広がる広場には、帰路につく商人や旅人たちがまばらに残っている。
市場の片隅――古びた屋台が肩を寄せ合う通りの端で、ユリィナたちは足を止めた。
王子の足取りは、この場所で完全に途絶えていた。
「……レオニスの“意識”が、ここで途切れたということね」
きっと泣き疲れて、眠ってしまったのだろう。
ユリィナはそんな情景を思い浮かべながら、胸に静かな痛みを覚えていた。
広場から伸びる細い路地。その入口には、かすかに馬車の轍跡が残っていた。
だが、それも数メートル先で唐突に消えている。馬の蹄も、車輪の傷跡も、何一つ残されていない。
ユリィナは視線を落とし、そっと唇を噛む。
(もし私が、本当の母親だったら……レオニスの匂いも気配も、感じ取れたのかな)
自己嫌悪にも似た想いが胸に差す。
けれど、その思考を遮るように、後ろから静かな声が届いた。
「この辺りに、地理と裏事情に通じた“耳”がいる。ただし、信用には値しない男だ。……だが、情報には価値がある」
サミュエルの声は、いつもの飄々とした調子ではなかった。
沈み込むような低音が、その場の空気を引き締める。
彼は躊躇なく、屋台が並ぶ裏路地へと足を踏み入れる。
その先に待っていたのは、ひときわくすんだ佇まいの薬草店だった。
色褪せた布屋根。
風にさらされた乾燥ハーブと瓶詰めが、乱雑に積み上げられている。
そして、店に漂う空気にはどことなく“緊張”があった。
「ロスはいるか?」
サミュエルの声に反応して、店の奥の扉がゆっくりと開く。
「……何の用だ?」
現れたのは、片目の濁った中年男だった。
声は重く低く、全身から用心深さが滲み出ている。
サミュエルは無言のまま、懐から革袋を取り出し、卓上に置いた。
金貨がぶつかり合い、静かな店内に、澄んだ音がひとつ落ちる。
「王子が、この街で姿を消した――見た者はいないか?」
ロスと呼ばれた男は袋を手に取り、金の重みを何度か確かめるように転がし、椅子に崩れ落ちるように腰を下ろす。
「……子どもひとり、か。昨夜、宿場通りを走り抜けてった小型の馬車があったと聞いてる。やけに慌てた様子でな……だが、それっきりだ。――そのあと、ぱたりと姿が消えたって話だ」
「どこで消えた?」
サミュエルの声が鋭くなる。
「さぁ、な」
ロスは視線をユリィナに移すと、意味ありげに口元を歪めた。
サミュエルはさりげなくユリィナの手を引くと、彼女を自分の後ろにそっと隠す。
「まぁ……あの酒場のやつらなら見てるかもしれねぇな……だが、あいつらは用心深い。普通に訊いたところで口なんて割らねえよ」
「話しを引き出すには?」
サミュエルの問いに、ロスは肩をすくめた。
「“治安官”セラフィンだ。この街はあいつが睨みを利かせている。あの店の連中も痛い目をみてるから、黙ってはいられないだろう。いっそ本人にでも頼んでみたらどうだ?」
その言葉に、サミュエルはふっと笑った。
皮肉とも満足とも取れる、薄くて意味深な笑みだった。
「……なるほど。良い情報だ」
サミュエルは短くそう告げると、懐からもう一袋の金貨を取り出し、無造作にロスへと放った。
袋はテーブルの上に軽い音を立てて落ちる。
ロスはそれを片手で受け取り、無言のまま懐へと滑り込ませた。
ふたりが裏路地を抜けて表通りに出た頃には、空はすでに藍色に染まり始めていた。
遠くの空に、ひとつだけ星が瞬いている。
まだ夜になりきらない、薄闇の時刻――。
「……治安官に協力を頼みましょう!」
ユリィナが希望を帯びた声で口を開く。
だが、サミュエルは鼻先で笑った。
「この街の治安官は、正義の仮面を被った商人にすぎん。動くのは“正義”じゃなく“金”だ。そしてその金は――もう、向こうが握っている」
足を止めたユリィナの表情に、影が差す。
「じゃあ……もう、打つ手がないってこと?」
夜風がふたりの間を吹き抜け、沈黙が落ちた。
だが次の瞬間、サミュエルはゆっくりと振り返り、面白そうに彼女を見た。
「いや――まだ切り札がある。俺がどこにでもいる三流魔術師じゃないってことを、今夜は心から感謝するといい」
「えっ……?」
困惑したまま、ユリィナは小さく首を傾げる。
サミュエルの表情は、まるでいたずらを仕掛ける少年のように明るかった。




