暑苦しいと婚約破棄された私が、今度は氷の貴公子に嫁がされまして
「近寄らないでくれ、暑苦しいっ!」
それは刺すような日差しの降り注ぐ、学園の卒業式のことでございました。そう、私ヘレナ・バートン男爵令嬢と婚約者様にとってはれの日だったはずなのに。
「前々から考えてはいたが、ヘレナ、君との婚約を破棄させてもらう。近くにいるだけでも暑いし、その赤い髪、見ているだけで気分が悪くなるんだ」
そんなこと、言われましても。持って生まれた体温と髪色はどうにもできないのですが。
やってみなくてはわからない。やればできる。成せばなる。当たって砕けろ一度きりの人生、といつものように根性論で解決できないことなんて。
「あと、人として熱すぎる……とにかく、もう二度と関わらないでくれ」
そう吐き捨てて、婚約者様……いえ元婚約様は去っていってしまわれた。
卒業式も無事に終わり、あとはもう結婚するだけでしたのに、今更破棄されてどうしろと……? なんて申し上げたくても、私は男爵家で、相手は子爵家。とても、とても……。
「はぁ……」
見た目と人格を否定され、さすがの私も落ち込み…………ません!!
「きっとご縁がなかったのね!」
人には相性というものもありますし。さ、私も帰ってお父様に報告しなければ。レターセットはまだあったかしら。
とりあえず準備体操として、腕と手のストレッチをしました。
*
「うわぁお父様ったら、まさかここまでお怒りだなんて。カルシウム足りてないんじゃ……。私のおやつの魚の骨を贈った方がいいかしら」
「お嬢様、それは最大限の侮辱をされたと捉えると思いますよ。あと、魚の骨をおやつにしないでください」
さてさて一ヶ月後、お父様から手紙の返信が返ってきまして。中身といえば罵倒も罵倒、なんて口が悪いのかしら。王都で権力に取り入るのが上手くいっていないとか? それとも、また女遊びをしてお金を盗られてしまったなんてありえるわね。
「そもそも旦那様にお会いしたことすらないじゃないですか」
「お母様から生まれた瞬間だけは会いにいらっしゃったと聞いたわ」
「そんなの会ったのに入りませんから」
まあその産んでくださったお母様とももう十数年お会いできていませんけれども。お元気かしら……。きっと元気ね。飽きたからと追い出された時でさえ、「まったく、貴族って本当に最低ね」と悪態ついてましたし。
「それで、続きはなんて書いてあるんですか?」
「支離滅裂だけれど……、要約すると私、オールディス伯爵に嫁ぐことになったみたい」
って、これ明日には出ないと期日に間に合わないわ。学園に持っていっていたトランクでいいかしら。
「オ、オールディス伯爵家って、あの……」
「氷の貴公子様のね。ほらここに、ギルバート・オールディスって書いてあるわ」
あの、お見合いをいくらしても破談になると噂の方よね。美丈夫なのに顔が怖いとか、見る者皆凍らせるとか、人を殺してそうな目なのだとか……。聞いた時は氷版メデューサじゃあるまいし、軍人なら普通に殺してるのではとつっこみたくてしょうがなかったけれど。
「……っさすがに酷すぎませんか!? ただでさえこんな扱いだというのに!」
逆にこんな扱いだからじゃないかしら……なんて言ったらまた呆れられそうだから黙っておきましょう。お父様は、それだけ平民との子がお嫌いなのよ。自分が無理やり側室にしたくせにね。おかげでお兄様やお姉様からも嫌われて。良いことなんて私が生まれてきたことくらいですのに。
「部屋は暗いし雨漏りしますし、ドレスはご兄弟のお下がり、お食事だってあまりもので……!」
「え、この部屋暗いかしら」
「お嬢様が明るすぎて光源になってるんです」
「……どういうこと?」
人間は光らないんじゃ……いや、なんでもやればできるわよね。多分。
「まあいいわ。ぐちぐち言っていてもしかたないもの。さ、準備しなくちゃね」
悲しいけれど、数少ない使用人は連れていけないし、自分一人でも着やすいドレスにしなくっちゃ。
*
「旦那様、不束者ですがこれからよろしくお願いします!」
「……旦那様はやめてくれ」
無事期日までに着いて、旦那様と対面したはいいものの……、吹雪のような冷たい視線に、口元は引き攣っていらしゃって……これは、手強そうだわ。近くにいるだけで冬かと錯覚しそうな冷たさ。でも、本当に氷の貴公子の名の通りの方ね。雪のような銀髪に、綺麗なアイスブルーの瞳。とても素敵だわ。
「それにしても大きくて立派なお屋敷ですね」
「案内は、メイド長のエルダーにしてもらう」
「「…………」」
こ、根性よ。ここで会話を終わらせてなるものですか。会話してみれば案外優しい人かもしれないわ。厚かましい女上等よ。
「旦那さ……オールディス様が案内はしてくださらないのですか?」
危ない危ない、また旦那様と言うところだったわ。ああ、眉間の皺が余計深く。家名じゃなかったのかしら。でも元婚約者様は名前で呼ばないでくれと仰ってましたし……旦那様の他の言い方……。
「はぁ……、いや、俺よりもエルダーの方がいいだろう」
「いえそんなことは……」
「っ旦那様! お話中の所申し訳ありませんが……」
突然知らない使用人さんが走ってきまして。どうやら早馬でお手紙が届いたようだけれど……この世にここまで怖い顔あるのかしら。
「……すまない、軍に戻らなければならなくなった」
「お気をつけて!」
「ああ」
そう申し上げると少し和らいだような表情で、軍帽を深く被ってスタスタと向かわれてしまいました。
……やっぱり男爵家出身で婚約破棄されたような娘が妻なんて嫌よね。これから頑張らないと。
「ヘレナ様、メイド長のエルダーでございます。屋敷をご案内いたします」
「っはい」
どこからともなく出てきた腰の曲がった優しそうなお婆さん……エルダーさんに屋敷を案内していただいて、初日は終わってしまったのでした。
*
「……やっと終わったか」
「疲れたなー、てかギルバートお前長期休暇中じゃなかったか?」
「ああ。だが、呼び出された」
誰もが疲労困憊で参っているというのに、ジェームスは体力がある。演習場は倒れた部下たちがあちこちに散らばっていた。
「災難だな〜。貴重な休みを中将殿の気まぐれで潰されるとか」
本当だ。急に演習など……一体何をお考えなのか。おかげでやっときてくれた妻を置いてくる羽目になった。軍に戻る旨を伝えた時、すぐに出て行くと言われなくて安堵したが……。
「おかげで初対面の妻とろくに挨拶もできなかった」
「あーそりゃお気のど…………はぁ?? お前、いつのまに?? 幼馴染で同僚の俺に言わずに?? どんな人なんだ??」
ジェームスが肩を持って酷く揺らしてくる。痛いんだが。
そういえばまだ言っていなかった。あまりにも急に決まったからな……。
「赤髪の美しい、太陽のような黄色い瞳の……熱い人だ」
「随分と正反対だな。あっ、お前顔怖いんだから、今度こそちゃんと笑顔を心がけただろうな??」
「ああ、もちろんだ。今回は怖がられなかった」
「…………ちょ、今笑ってみろ」
俺は早く帰りたいんだが……。
しぶしぶ口角を釣り上げ、目元の力を抜く。顔が痛い。
「世紀末だろ、これ。奥さん、肝据わってんなぁ」
「……」
俺だったらちょっとちびるぞなんて言うが大袈裟な……いや、そんなにひどいのだろうか。
「早く帰れ、絶対誤解されてるから。ちゃんと話し合え」
「言われなくても帰る予定だった。……ああ、そうだ。一つ聞きたいんだが、細君からはなんて呼ばれている」
旦那様だなんて畏まれたくないが……同じになったというのに、家名で呼ばれるのも違うだろう。だからといって会ったばかりの夫を名前で呼ぶように言うのも……。
「俺? 俺はな、愛しのダーリンだ! そして俺はハニーって呼んで…………冗談だよ、普段は名前で呼ばれてる。ジェームス様って」
「いつからだ?」
「最初からだよ。逆にそれ以外なんて呼ぶんだよ。お前女性経験が無さすぎるだろ」
しょうがないだろう、視線を感じて振り向けば女性は皆震えて一目散に逃げるのだから。
「ん? いや、え、なにお前まさか名前で呼ばれてないの?」
*
「おかえりなさいませ!」
さて一ヶ月後、やっとオールディス様が帰っていらっしゃって。少しやつれてしまっているような……やっぱりお仕事大変なのね。
私といえば、伯爵家というのは使用人の方々も多くて、オールディス家の勉強以外やることもなく……。届けられないとはいえ、毎日手紙を書いたり、使用人の方々とおしゃべりをしたり。
「ただいま帰りました……その格好は、一体」
「これですか? 男装です!」
おかげでオールディス様の基本情報から噂までまとめられたわ。軍部の名門オールディス家の長男で、24才と若くして王国陸軍の少将様。お見合いに18回失敗していらして、アイスクリームがお好きで……。女性に冷たいことから、男色家なのではないかというお噂があって。
「はい?」
さすがに男性になることはできませんが……私は体つきも貧相ですし、男装くらいなら! と。かつらを作るのと、バッチリ似合うように鍛えるのが大変だったわ。まだ腹筋が割れていないのは……悔しいけれど。諦めないわ。根性よ。
「ちょっと待ってくれ。いや、まさかあの噂か……?」
「やはりマッチョの方がお好みでしたか?」
「っ違います。そうではありません。話し合いをさせてください」
なんだか凄く焦っていらっしゃるけど……お話ができるなんて嬉しいわ。これはもしや、根性論が勝ったのかしら。お母様の教えて下さった通り、心に太陽を宿しながら生きていてよかった!
この後お手紙を渡しましょうっと。当たって砕けるのよ。
*
「でもまさか、ギル様のあれが笑顔だったなんて。今思い出しても……あははっ!」
「ぐ……、すまなかった」
気がつけば、あれから数年の月日が経ちまして。元婚約者様が締められたり、お母様が迎えにきたり……いろいろなことがあったけれど、なんだかんだうまくやっているのでした。
「それに、屋敷については俺よりもエルダーの方がよく知っているし、適任だと思っていたんだ」
「確かに……話し合いの後のやり直し屋敷案内ツアーなんてもう!」
部屋の扉を開けては「ここは客室だ」とか「ここはトイレだ」なんて一言しか言わなくて。一生忘れられないわ。
「からかいすぎだ。それより、男装の件についてはどうなんだ。本当に髪を切ってしまったのかと肝が冷えた」
「うっ……、早とちりしてしまって申し訳ありませんでしたよ」
「しかも本当に切っていた」
「肩ぐらいまでは残しておいたんだからいいじゃありませんか!」
もうすっかり元の腰ぐらいの位置まで伸びた髪をいじるギル様。相変わらず好きですねぇ。ああでもこういうと、瞳もだとか、明るさもだとか仰るのよね。最初の頃の言葉足らずはどこにいったのかしら。
「どうしてそこまでお好きなのです。お父様なんて私の赤髪を見た瞬間汚らわしいって言ったらしいのに」
「……は? 潰してくる」
思い出したようにそういえば、真面目な声で私を抱えたままソファから立ちあがろうとして。
ちょっと、それ本気の時の声色ですよね? あの元婚約者様を締めた時と同じで。結局別の人を好きになったからだったというのはびっくりでしたけど。
「いやいや待ってください。別に私はなんとも思ってませんから」
「しかし……」
「ダーリン、そんなことより記念日の旅行計画について話しましょう。つい思い出話に花をさかせてしまっていましたが」
そう申し上げて、ギル様はしぶしぶと言った形で、大人しくなった。というか何かを思い出してそうな感じね。
さて、軍部から急に呼び出されても対応できそうなところで、候補が……。
「それにしても、私を抱きしめて暑くありませんか?」
「俺は体温が低いからちょうどいい」
……氷の貴公子様が、まさかこんなに過保護で暖かいなんて。
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追記 新連載を始めました。
『隣国の王太子様、ノラ悪役令嬢にご飯をあげないでください』
同じく図太く気ままな令嬢とそれに絆される隣国の王太子のグルメコメディです。読んでいただけると嬉しいです。下にスクロールして押すとページに飛びます。