政変
三
呆然とたちつくす曹爽を尻目に、曹羲と桓範は非常事態に対応すべく、その場で協議をした。
「大将軍は、今たよりにならぬ。大司農のお考えをきかせてもらおう」
曹羲の問いに、桓範は、
「太傅の叛逆があきらかになったうえは、天子を奉じて許昌にゆき、四方から兵を徴発して太傅に対抗すればよいのです」
とこたえた。曹羲もうなずき、
「それはよい。さっそく大将軍に進言してみようぞ」
と曹爽に協議の内容を伝えたが、
「まだ、事の全容があきらかになっておらぬ……軽率にうごくまいぞ」
と曹爽は蒼白な表情でつぶやくのみであった。
「この期におよんで、現実をみないでいかがなされるのですか!」
曹羲と桓範は、苛立ちをおさえることができなかった。
一方、洛陽城内の全要所を制圧した司馬懿は、かねてからの計画どおり着々と権力を把握していった。
まず司徒の高柔に節を与えて、大将軍代行に任じた。節とは与えられた本人の意志で、軍事人事行政を実行できる。
高柔は、曹叡の実父袁煕の部下だった高幹の従弟である。法の遵法者で、日頃から曹爽たちの悪行を嫌悪していた。
(正義は、太傅にある)
高柔に、迷いはない。
「きみは王朝の周勃になってくれ」
と司馬懿はこの非常時に高柔へ期待をこめていった。周勃は漢の劉邦亡きあと、呂太后の専制を粛正した名臣である。
また、曹羲の官職である中領軍を剥奪したあと、太僕の王観を中領軍にした。
王観も忠義の臣で、曹叡に抜擢されたあと、曹爽らにうとまれて、左遷されていた。
さらに司馬懿はこの軍事行動を正当化するために、大尉の蔣済を軍に加えた。
高柔、王観、蔣済ら高潔の臣らが、こぞって司馬懿のもとにはせ参じたので、群臣らも、
(この政変の大義は、太傅にある)
とほどなく理解した。
さて、洛水のほとりで陣をしいた司馬懿は蔣済に、
「これから陛下に上奏文をとどける」
とつげた。上奏文とはいえ、内容は曹爽たちがこれまでかさねた悪行を弾劾する文章である。
使者が、曹爽のもとにいたった。
「これは上奏文か……」
曹爽はにぶく反応し、その内容を読んで蒼白となった。いまだにあの老衰しきった司馬懿が颯爽と兵を率い、宮城を占拠したとは思えないのに、この文はまさしく司馬懿の筆跡である。そこには、
「天子の車駕をとどめるようなことがあれば、詔による軍法によりそれを裁く。臣は病身をおして兵を率い、非常事態にそなえるであろう」
とある。さからえば武力行使も辞さない、ということだ。
「よませてください」
曹羲も上奏文をよんで仰天した。曹芳に見せられる内容ではない。しかも曹爽、曹羲はすでに兵権を奪われており、ここにいる兵だけで城を奪い返すことはできまい。
「やはり天子を奉じて、許昌にいくべきか」
と桓範にも上奏文をみせた。
「それしかありません。はやくご決断を」
桓範も動揺はかくせないが、こちらには天子という玉がある。
「いや……今は陛下をお守りすることだ」
虚脱した曹爽は夜になっても、伊水のほとりにとどまるという。兵たちに木を切って逆茂木をつくらせ、曹芳を護衛させた。
「兄上、どういうことです。ここにとどまっても勝利のかたちはみえませんぞ」
曹羲がいらだって、曹爽につめよる。
桓範も、
「事態はあきらかではありませんか。あなたが読書していたのは何のためですか。このままではあなたがた一門は滅びるのですぞ」
と強硬に進言した。それでも曹爽はうつろな目であらぬ方向をながめ、放心している。
曹爽がとった行為は、上奏文にある「天子の車駕をとどめる」行為にあたるので、このままでは洛陽城から攻撃をうけてしまう。
桓範は声をはげまして、いった。
「これから許昌に出発すれば、二日かからずに到着できます。許昌には別の武器庫があり、糧食は私が大司農ですので、印章をみせればいくらでも調達できます。
そこで徴発した兵に武装させ、太傅の軍を打ち破れます」
「ご決断を、兄上」
それでも曹爽は、もはやなにもいわなくなった。夜が更けてゆく。曹羲と桓範は、顔を見合わせた。
(兄上は腑抜けになってしまわれた)
曹羲は、長年何晏たちと宴会に明け暮れた日々が曹爽をかえたのだと、思い知らされた。
「太傅に勝つには、今しかないのですぞ」
桓範は、曹爽にかみつくようにさけんだ。
そうではないか。許昌に行きさえすれば、またたくまに曹爽の兵は十倍になり、日を経るごとに増えてゆく。皇帝の曹芳がいるので、詔を下せば、たちまち皇太后の詔など無効になり、司馬懿は天子にとって逆賊となり、正当性と武力で司馬懿を圧倒できるのだ。
しかし、曹爽陣営にも司馬懿に心をよせているものもいる。
尚書の陳泰と侍中の許允である。
陳泰は名臣だった陳羣の子で、このままでは司馬懿によって曹芳は皇帝を廃され、自分までもが逆賊として滅びると考えた。
そこで許允とはかって、はやく曹爽を司馬懿に降伏させようとした。ふたりは曹爽にちかづき、
「どうかはやく天子を城におかえしになり、罪に服されますよう。さもなくばあなたの罪が重くなり諸侯の身分でさえいられなくなりますぞ」
と耳うちした。曹爽はさらに迷った。
「太傅は上奏文で、大将軍を罰するとはいっておりません。高位から降り、自宅にもどるようにいっているだけです。
このまま上奏文に従わなければ、太傅の軍に敵対しているとみなされ、戦うことになります」
(太傅と戦う……)
勝ち目はない。曹爽は断定した。
かつて蜀を攻めて敗北した曹爽には、軍事に自信がもてない。許昌にむかうだけで司馬懿に敵対したとみなされるのがおそろしい。
たとえ許昌で十万の兵を徴したところで、それは烏合の衆でしかなく、司馬懿の軍をおそれて大敗するか霧消してしまうではないか。
(すでにわれは窮した……陳泰と許允の進言をきこう)
曹爽はすでに戦意喪失していたので、心中を決した。そこに、
「散騎常侍(司馬昭)が物資をもってきました」
とのしらせが入った。司馬昭は辞を低くして、
「太傅の命により、陛下がこのまま露宿するのを忍びず、帳と幔幕を届けにまいりました。食料と食器もご用意いたしました」
と説明した。曹爽は、
(やはり太傅はわれを罷免するのみで、害する心はないのではないか)
と受け取った。司馬昭をひきとめ、
「尚書(陳泰)と侍中(許允)を散騎常侍に同行させるので、太傅の意中をくわしくきかせてほしい」
と頼んだ。司馬昭は、了解した。
陳泰と許允が司馬昭とともにかえってきたときいて、司馬懿は、
(これで均衡はやぶれた)
と断定した。曹爽は曹羲や桓範のすすめにしたがわず、降伏してくるはずである。
「大将軍が陛下を城外にとどめているのは、太傅にさからう意図があるのではなく、どのように対応すればわからなかったからです」
陳泰と許允は、曹爽のことばをつたえた。
「ふむ……それで上奏文は陛下に届いているのであろうな」
司馬懿がひとにらみすると、ふたりは、
「届いておりません。大将軍がもっています」
と恐縮してこたえた。
「そうであろうとおもっていた。大将軍のおかした罪は明帝の遺言をないがしろにしたことをはじめ、数かぎりがない。それを上奏文にしたためてある。陛下にはそれを知ってもらわねば」
「ご内意は理解いたしました。大将軍も罪を悔い、官職を返上して自邸に謹慎するおつもりです。それで、ことは終わりますか」
陳泰と許允も、司馬懿の言質をとらなければ、曹爽を説得できない。
「しつこい。ならば殿中校尉を同行させ、説明させるであろう」
殿中校尉とは尹大目のことで、曹爽と昵懇にしている。
(それならば……)
陳泰と許允は納得して、尹大目をともなって曹爽に復命した。すでに朝になっていた。
「太傅に会ってきましたが、大将軍を害する気はないと感じました。ただ上奏文を陛下に見せていない点は、批難されました。尹大目がご説明に参上しております」
「おお、尹大目が。ここにつれてまいれ」
曹爽は親しい尹大目から、詳細をききたがった。
「おそれながら申し上げます。大将軍は陛下の車駕を夜から朝にかけてとどめられ、皇太后と陛下の御意にさからっておられます。
このままでは軍法に照らし、兵を動かさざるをえない。大将軍らを免職するが処罰するつもりはなかったのに、いかなることか、と太傅はおっしゃっています」
曹爽はそれをきくと、おもむろに刀を地にたたきつけた。
「太傅はわれを下風におきたいだけであろう。われは群臣と民に理解されておらぬだけだ」
急に悔しさがこみあげたのであろう、曹爽の目には涙がにじんでいる。
それを見た曹羲と桓範が、あわてて曹爽のもとに駆け寄ってきた。
「兄上、まだ戦いはこれからでございますぞ。自暴自棄になられてはなりません」
「そのとおりです。大将軍は天子を擁しておられるのです。大義がどちらにあるか、天下にお示しになれば、戦って太傅に負けることがありましょうや」
曹羲と桓範は、かわるがわる曹爽の消えかけている戦意を燃やそうとたきつけた。
「もうよい……」
曹爽は力なく皇帝の曹芳のもとに赴き、上奏文を差し出し、印綬を返上した。いやがる曹羲の印綬もむりやり取り上げた。
「陛下にはおかれましては、詔をおつくりになり、どうかわれらを罷免して、皇太后の命にしたがわれますよう」
曹爽は肩の荷をおろしたかのような、安堵した表情で帰途についてゆく。曹羲だけは涙を流しながら唇をかんで、屈辱にたえている。
桓範はなおも曹爽らにおいすがり、
「なんという愚かな……われもなんじのおかげで胴から首が離れることになったわ」
とののしった。
曹爽は桓範のもとにゆき、
「太傅は、われらの命を奪わぬと約束してくれた。それはなんじもおなじよ。
われはこれから金持ちの家の年寄りとして、清談をして暮らしてゆくさ」
となぐさめた。しかし、桓範はいよいよ激怒し、
「元候(曹真)はあのようにすばらしいお方であったのに、その子のなんじは仔牛のようだ。その仔牛に連座して死ぬようになろうとは、思いもよらなかったぞ」
とはきすてた。
曹爽の軍は解体され、それぞれに洛陽城にもどっていった。
皇帝である曹芳の車駕を城外にある浮橋の前で出迎えたのは、司馬懿と蔣済である。
司馬懿は曹芳に、
「ご無事でなによりでした。あたたかい食事をご用意させていただいております。
なにとぞ宮殿でお召し上がりください」
とやさしい気遣いをみせた。
敗軍の将として観念した桓範だけは、司馬懿のすがたをみとめると、その前に土下座した。司馬懿は意外にも桓範の手をとり、
「あなたは陛下のことをおもって行動したのだ。どうか顔をお上げなさい」
と情けをかけてくれた。
(司馬懿は、われが太傅は叛逆したといったことを知らないのか)
半信半疑である。そこに皇帝からの使者がきて、
「桓範どのを大司農に再任することとなりました。詔をおうけとりください」
といった。いまや人事は司馬懿が掌握しているはずであり、それならば桓範はゆるされたことになる。
(われは悲観しすぎていたのか……)
桓範は安堵し、皇帝への感謝の上奏文を手に、宮門で待機した。
司馬懿のもとに、司馬昭がきた。
「桓範を大司農に復帰させるのは、反対です」
「それは、なぜか」
「はい。桓範は偽の詔書を門衛にみせて、知り合いを叛逆に誘っています。かれの逆心はあきらかです」
司馬懿は、偽の詔書ということばに反応した。法を曲げたものに官位をさずけることはできない。
「桓範を逮捕せよ」
と命じた。上奏文をもって待機していた桓範はいきなり官人たちに取り押さえられ、獄に下された。
「その手荒さはなんだ。われは義士だったのだぞ」
やはり赦されることはなかった、と桓範は臍をかむおもいであったであろう。
しかし、司馬懿は曹爽に味方したすべての人を逮捕したわけではない。その行動が忠義だとみなされた臣は、みな赦されもとの役職につくことになった。
「さて、ここからが肝要だ。ことをはじめるときより、ことをおさめるほうがむずかしい」
司馬懿が曹爽一派を引退だけで赦すはずはない。司馬師もうなずいた。
「陛下に上奏した内容から、徐々に曹爽たちを排斥する、ということですね」
曹爽たちは、おとなしく帰宅したものの、いつまでもおとなしく謹慎しているはずがない。
ふたたび浮華の徒たちが、あらぬ知恵をつけ、司馬懿たちが外出しているときをねらって叛逆をくわだてることはあきらかなのである。そうなれば、なんのための義挙であったのか意味がない。連鎖の鎖は断ち切らなければならない。
司馬懿は、洛陽県の住民八百人を徴発した。
急の賦役に不安をみせた住民たちに、
「なんじらは重労働を課せられるわけではない。高楼を建ててそこにのぼり、交代で監視をするだけだ」
と役人をつうじて、安堵させた。
「兄上、邸のまわりに高楼が建てられておりまするぞ」
曹羲が曹爽の室に駆け込んできた。
「なんだと……」
曹爽が自邸の庭にでてみると、広大な敷地の四隅に高楼が建てられている。
「これで、われらを監視するつもりです」
曹羲のことばを、曹爽は上の空できいていた。
徴発された八百人の民は武器をもたされ、百八十人が交代で曹爽邸を取り囲み、出入りするものを禁じた。いいかえれば、曹爽ら兄弟も出入りを禁じられたということになる。
やがて三日で高楼は完成し、その上に監視の役割をになった民が五人交代で、高楼という見張り台で曹爽らを見下ろした。
曹爽は司馬懿のことばを信じるしかない。
「われらは免職されたとはいえ諸侯の位をもっている。おびえることはない……」
そういう曹爽の目は、うろうろとおよいでいる。
(ここまできて、のんきなものだ)
曹羲はばからしくなって、自室にもどっていった。
ところが曹爽が庭にでただけでも、高楼の上から、
「もとの大将軍のおでまし」
と高楼の上にいる見張りの兵がさけぶ。
曹爽はぎょっとして、邸宅のなかにはいらざるをえなかった。
一日中ずっと家にいると息がつまってくる。
気晴らしに弓でも引こうかと後庭にいくと、
「もとの大将軍が東南へむかうぞ」
と見張りの兵がさけぶ。
曹爽は徐々に、精神に異常をきたすようになった。
「羲よ、なんとかならぬか」
曹爽は、自室で読書している曹羲に助言をもとめたが、
「こうなることは、わかっていたことではありませんか。陛下に印綬を返せとおっしゃったのは兄上ですぞ」
と目もあわせてくれない。そうこうしているうちに、邸の食料が少なくなってきた。
食料を買いに行かせた家人は、何日待っても帰ってこない。別の家人を行かせても帰ってこないという事態がつづいた。
「どうなっておるのだ。このままでは飢え死にしてしまうぞ」
「おおかた家人はわが家を悲観して逃げたか、太傅の兵に捕縛されたのでしょう」
曹羲は観念したように、曹爽にいった。
それでも曹爽は、あがいてみせた。司馬懿に救援の書簡を出したのである。
「私はおそれおののいています。悪事をおこなったため、禍をまねき一家が滅亡してもしかたがないことは承知しています。
ですが、じつはここ数日食料が窮乏しています。家人を使いに出しても帰ってこないしまつです。あなたをこのようなことでわずらわすのはこころ苦しいですが、どうかご配慮いただきますようお願いいたします」
そうすると、なんと司馬懿本人からの書簡がとどいた。
「食料に困っておられるとは存じ上げませんでした。まこともうしわけなく思います。
さっそく米、干し肉、味噌、大豆等をお送りいたします」
そして、その直後に大量の食料が曹爽邸に運び込まれた。
「やはり太傅はわれらを見棄てたわけではなかったのだ」
喜ぶ曹爽たちを尻目に、曹羲は無言だった。
(やがてしめる仔牛に餌をやるだけだ)
曹羲はため息をついて、自室に帰っていった。
事実、その通りであった。
司馬懿と司馬師・司馬昭の兄弟は曹爽を監禁しておくあいだに、国家叛逆の捜査をすすめていたのである。
重要参考人は、曹爽の自邸に女官を連れ込んだ宦官の張当である。きびしい取り調べに、張当はすべてを白状した。
「曹爽と何晏たちはひそかに陛下から禅譲を受け、皇帝になる計画をねっておりました。
神器を私に盗ませようとしたのが、その証拠です。
さらに兵を訓練して政変に備えていました。三月になって挙兵する予定でした」
その証言をもとに、謀反の首謀者がつぎつぎと逮捕されることになった。
ある日、曹爽の邸の外と高楼から見張りがいなくなった。
「やっと、太傅の疑念が晴れたのだ」
曹爽は、笑顔で弟たちに話しかけた。曹羲だけはいよいよ獄につながれると察し、遺書と身の回りの整理を淡々とはじめた。
やがて官吏が兵を連れて、曹爽の邸内に押し入ってきた。
「謀反の罪により、逮捕する」
晴天の霹靂だった曹爽は、天を仰いだ。
「さあ、行きますぞ」
曹羲が泣きわめく兄と弟たちを先導して、官吏のいいつけに従った。曹羲は最初からこの日がくるのを覚悟していたのである。
「太傅は、われらを騙したのだ!」
曹爽は泣きながら抗議したが、
(なにを今さら……)
と曹羲は気の毒な兄をみていた。
司馬懿は、病気と称してひきこもり、李勝を欺いたときから、曹爽たちを欺いていたのだから。
あれほど司馬懿と司馬兄弟をあなどるなと口を酸っぱくして警戒をうながしたのに、曹爽は意に介さなかった。
(完敗だ……)
曹羲は、観念した。
このような曹爽が総帥であれば、許昌に天子を連れてゆき、兵を徴発して司馬懿と対戦しても負けたにちがいない。
むしろ皇帝の曹芳を危険にさらさず、両軍の兵たちの命がうばわれなかったのだから、今日の結末は最良であるとさえ思えた。
さて、曹爽のとりまきだった何晏たちである。その筆頭であった何晏はいつ自分が逮捕されるか戦々兢々としていたが、知り合いの司馬師が訪ねてきた。
「古くからの友であったきみに頼みたい。
曹爽に近く、謀反に関与しているものたちを取り調べてほしいのだ」
何晏は、内心狂喜した。司馬師にかつて情けをかけたおかげか、自分の命が助かった。
「よろこんで、引き受けさせていただきます」
なにしろ頭が切れて、弁舌さわやかな何晏である。朝臣たちを前にした裁判の場で、みずからの無実をうったえることができる、と司馬師に感謝した。
そして裁判の日である。
法官によって曹爽の罪状が読み上げられる。
「君主と親に対して殺害を計画すれば、それだけで死刑とされています。
曹爽は皇室の支族であり、代々恩寵をうけていたにもかかわらず、逆心をもち、先帝の遺言をないがしろにし、神器を盗もうとしたことは無道千万です」
そのことばを受けて、何晏は、
「曹爽を、死刑に処す」
とつめたくいいはなった。
曹羲ら他の兄弟も同様に死刑である。
丁謐、鄧飄、畢軌、桓範、李勝、張当も死刑を宣告された。
「なんじもおなじ穴の狢であろうが。恥をしれ」
鄧飄は何晏に恨みのことばを投げつけたが、丁謐は、
「先にいってまっておるぞ」
と不気味なことばを何晏に告げた。
友人らを裁ききった何晏は、司馬懿に、
「これをもちまして、終了でございます」
と礼をした。ところが司馬懿は、
「そうかな……有罪なのは八族であるはずなのだが」
と疑念を何晏にむけた。
「いえ、七族です。こちらをごらんください」
何晏は、裁判の判決書を司馬懿に示した。
「うむ。やはりひとつ足らないな」
「え……」
司馬懿は、何晏を凝視しつづけている。
何晏の知能が抜群であることは、先に述べた。たちまち司馬懿の意を察して、何晏は顔面蒼白となった。
「もしかして……それは私の一族のことでしょうか」
「さよう。この男を獄につなげ」
司馬懿は、冷酷にいった。何晏はじぶんを赦してくれたはずの司馬師のすがたを法廷にもとめたが、司馬師はそこにはいなかった。
※
「ふうむ……」
管輅は門が閉じられた、何晏の大邸宅の前で立ち尽くしていた。
「このように早ううごくとはなあ」
しんとした何晏の邸から立ち去ろうとしたとき、
「失礼でございますが、管輅さまでございますか」
と声をかけられた。振り向くと人品卑しからぬ人物が立っている。
「私はさきの尚書である何晏さまと知り合いだった、さきの驍騎将軍の秦朗の家に仕えるものでございます。
あなたさまが、年明けに何晏さまのお宅を訪問なさるであろうと主が申すものですから、お待ち申し上げておりました」
「そうでしたか……秦朗さまがなあ。いや、これは無駄足を踏まずにすんだというものです」
「心ばかりの宴席をご用意いたしております。よろしければ……」
「はい、よろこんでご相伴いたしましょう」
秦朗の家令に連れられて管輅が立った門は、豪奢な邸である。さすがは明帝の佞臣とよばれただけはある……と邸内に入ると、壮年の男性と老人が出迎えている。
「管輅どのですね。秦朗です。こちらの老人は訳あって名を名乗れないのですが」
「ふむ。では臥龍のご友人、とでもおよびいたしましょうかな」
「おおっ……」
さすがは天下の管輅である。老人は笑顔になって、
「管輅どのから出自を隠そうとは浅はかでした。私は徐庶と申します。さきの御史中丞で、蜀の諸葛亮とは書生のころ親友でした」
と打ち明けた。
「徐庶どのは亡くなられたとおききしておりましたが、私が何晏どのの邸をたずねる日時までご承知とは。
往年のうではまだ錆びてはおられませぬな」
「おそれいりました」
徐庶は深々と礼をした。
さっそく三人は、こじんまりとした宴会をはじめた。
「これはよい。酒も空間もちょうど調和している」
管輅は、上機嫌になった。
「ところで、何晏は刑死する前、私の邸を訪ねてきたのです」
秦朗は管輅に、何晏が受けた占いの話をしていたことを話した。
「ほう、おもしろい。動物も危険がせまると仲間に助けをよぶことがあります。何晏どのも秦朗どのに、打ち明けられない悩みをきいてほしかったのでしょう」
「その悩みとは」
「曹爽どのによる、帝位の簒奪」
「そういえば、いまの陛下と曹爽どのは明帝にくらべたよりない、としきりに気にかけていましたな」
「それですよ」
管輅は話好きである。相手がじぶんの意図をくみとってくれる賢人ならば、なお話ははずむ。
「何晏どのにも、国をおもう心が彼なりにあったということでしょう。ところが、その人相はひどいものでした」
「人相が……」
「はい。目つきが定まっておらず、顔色が土気色でした。魂が定まっていない証です。
容姿も枯れ木のようで、われらの世界では鬼幽といいます。
同席していた鄧飄も、歩き方が人のそれではなく、筋が骨をたばねていない、血が肉を操れない相で、鬼操といいます。
鬼幽の人は火に焼かれ、鬼操の人は風にさらわれるといいます。彼らの滅亡は、去年の末から明らかでありました」
秦朗と徐庶は、何晏の占いに深く感じ入った。
「何晏は若いころより、頭が良く名高い評判ではありましたが、われらはかれの表面しかみていなかったのですね」
管輅のたとえは絶妙である。
「何晏どのの才は盆の中の水です。みえるところは澄んでいましたが、みえないところは濁っていました。
その心も広いようで、学問を究めたり、人の話を聞こうともせず、深みを増すところには至らなかった。
しょせんは何晏どのの器は小さな盆にすぎませんから、大きな栄華や官位を受け入れる器ではなかったということです」
秦朗と徐庶は、おおきくうなずいた。
何晏はじぶんの器をひろくもたなかったため、僥倖や栄誉をもとめつづけても、それを己の器から漏らしつづけた人生であった。
「そこで秦朗どのが、私めをおよびいただいた目的を占ってみましたが、おききになられましょうな」
「それは、もちろんです。これから太傅とご子息兄弟が、わが国をたもっていけるかどうか」
秦朗の頼みに、管輅は笑顔でいった。
「浮華の徒を排斥し、曹一族の血筋にたよらない質実剛健な政治をとりもどしたのです。
やがては呉と蜀をも呑み込むほどの、盤石な政権がうちたてられるでしょう」
「そうですか……」
秦朗と徐庶は、たがいによろこびをおさえることができなかった。
「ですが……」
「ですが?」
「はい。ものごとの表面のみをみて生きている人はすくなくありません。
太傅の政治刷新を、曹氏からの簒奪だと憤る臣下もいるということです」
「つまり……叛逆ということですか」
「大きな叛逆は三つ。ただし、これを鎮圧できれば政権はかつてない繁栄をみせ、黄巾の乱以来の中華統一がかなう……」
管輅は機嫌よく酒をあおり、
「先のはなしをしすぎました。大雨が降らないことには、大地は固まらないのです。
われらの生きているあいだに、それがなされるかはわかりません」
とわらった。
「尊いおはなしをお聞かせいただきました。
今宵はわが邸にお泊まりになり、旅の疲れを癒やしてください」
(陛下、約束はかならずおまもりいたしますぞ)
秦朗は、心中で亡き曹叡にいった。
しかし、そのあいだにも管輅が告げたひとつめの叛逆が萌芽しつつあったのである。