響く声
結局学園長との交渉も失敗に終わってしまった。
このままいけばユリアの死は確実。だが、それをなんとか出来そうな人間はもうこの学園に残っていない。
もう一度イオナスに頼み込むか? いや、彼女も学園長同様信じはしないだろう。
先程の反応からしても想像に難くない。
そうなると、後はセイヤを覚醒させるしかない……。
だが、覚醒はそう簡単に起こせないからこその覚醒だ。
そのトリガーとなるのは怒りだが、一ヶ月かけて友情を築いたユリアが目の前で殺され、初めてその境地に至る。
ちょっとやそっと怒らせたぐらいで覚醒するなら、あんなイベントが起こる前に十回は覚醒しているだろう。
もしそれに匹敵することがあるとしたら、ユリア以外の誰かが殺されるか、もしくはそれに近い状態に追い込まれるか。
ユリアを救う為とはいえ、流石にそれ以外の誰かを犠牲にするわけにはいかない。
そうなると、死とはいかないまでも誰かを痛めつけ、それに近い怒りを引き出すしかないが……。
今セイヤに最も近い人物、それはユリアしかいない。
つまり俺は、ユリアを拘束し、拷問しなければならないということ。
当然、そんなことすればタダでは済まない。
ユリアに嫌われるのは当たり前。独房入りで済めば可愛いものだ。死刑や覚醒したセイヤに殺される可能性だって大いにある。
ものすごい犠牲を払うが、成功すればかなりの確率でセイヤは覚醒する。そうすればユリアの命だけは守ることが出来るかもしれない。
ちょっとやそっと変えただけでは運命は変えられない。ここはもう、この手しか…………。
「あら、随分と焦っているようね」
妙に苛立つ声が聞こえ、俺は顔を上げる。
そこに立っていたのは、紅色の髪を二つ括りにした少女────ツキノのメイドにして転生者、レイネ=ルーズベルトだった。
☆★☆★☆
────遡ること一時間前。
レイネ=ルーズベルトは、体育倉庫の中にいた。
昼休みにもリゲルを問い詰めるべく、ここに訪れたレイネだが、どうやらそこで、クレイドル家の家紋が刻まれたバッジを落としてしまったらしい。
バッジはこの世界での身分証明書に近い。あれがなければ、自分がクレイドル家の使用人であることを証明出来ないのだ。
「ったく、なんで私がこんなこと……」
不満を漏らしながら、捜索するレイネ。
思い出されるのは、昼の記憶だ。
レイネはリゲルが転生者なのかを確認するため、ここに連れ込んだ。
レイネの読み通り彼は転生者だったのだが、予想外なのはその後だ。
あの男は、この世界がゲームから外れないようにしようというレイネの誘いを無下にしたのだ。
「何よアイツ、偉そうなこと言っちゃって」
レイネとてその考えが分からないわけではない。
自分の推しが死んでしまうとなれば、救いたいと思うのはおかしいことではないだろう。
だが、レイネにとって推しはこの世界そのものだ。
『ネクブレ』に登場する全ての登場人物を愛している。
少しズレただけでも登場人物同士の関係値が変わってしまうかもしれない。この世界が自分の愛した世界から遠ざかってしまうかもしれない。
彼が推しに死んでほしくないと願うように、レイネもまた世界が変わらないことを願っている。
故にレイネとリゲルは分かり合えない。それがレイネの結論である。
「ここはーっと、………あった!」
跳び箱の隙間に、探していたバッジを発見する。
よかった。これで怒られずに済む。
安心して倉庫を出るレイネ。
「頼む!」
ふと、倉庫の裏からそんな声が聞こえた。
「? 誰かが告白でもしてるのかしら?」
人気の少ないこのスポットは、告白場所に選ばれてもおかしくはない。
レイネはひょっこりと顔を出し、倉庫裏を確認する。
そこには、一組の男女がいた。
女の方は水色の髪を三つ編みにした、調子の良さそうな少女だ。
そしてもう一人は、深緑のワカメのような前髪を持つ、性根が悪そうな見た目の男である。
二人ともレイネには見覚えがあった。イオナス=フィーネとリゲル=ヴィルヴァレンだ。
昼リゲルを呼び出した時も、彼はイオナスに接触しようとしていた。
まさに今、その真っ最中というところだろう。
土下座して頼み込んでいるリゲルを見下ろすように、大木の幹に座るイオナス。
その光景からも、両者の強弱関係がありありと感じられる。
「…………そのポーズの意味は分からないけど、気持ちは伝わったよ」
「じゃあ!」
勢いよく顔を上げるリゲル。大木を降りるイオナス。
「でもごめん。その日はお父さんの誕生日なんだ。だからキミの期待には応えられないや。ごめんね」
そう言って去っていくイオナス。リゲルは振り向くこともなく、その場で項垂れている。
「クソ、やっぱ運命は変えられないのかよ……」
イオナスが完全に見えなくなった頃、そんなことを呟いたのが聞こえた。
やっぱ運命は変えられない?
レイネに一つの疑問符が上がる。
単純に考えれば彼女の協力を仰げなかったことを言っているのだが、『やっぱ』という言葉が引っかかる。
まるで、変えられないことが当たり前であるかのような言い方である。
思えば、彼の行動によって多少の変化こそあるものの、今のところゲームのイベントは筒がなく終了している。
「もしかして……」
これはあくまで仮説でしかない。
だが、その仮説通りなら、危機迫るようなリゲルの様子に説明がつく。
トボトボと校舎に戻るリゲル。レイネはその後を、こっそりと付けていった。
☆★☆★☆
廊下の角から顔を出し、リゲルを観察するレイネ。
リゲルは学園長室の扉を叩き、中へと入った。
恐らく残りの『四王』、ベイパー=トラスト、カリス=ダイナム、ミーシャ=クリスタル。この三人を学院に呼び戻してもらう為だ。
イオナスに断られた今、頼れるのはそこしかいない。
だが、イオナス同様、協力を取り付けることは不可能に近い。
何せ今の時点では、天使は創作上の生物でしかない。それが攻めてくるから呼び戻せと言われて、はいそうですかと言う馬鹿はいないだろう。
リゲルはそれが十分に分かっているはずだ。それでも一途の望みにかけて行動している。
学園長室の扉が開き、中からリゲルが姿を現す。
表情を見れば分かる。やはり交渉は失敗しただろう。
もしこの世界に修正力なるものがあるとするなら、並大抵の行動で変えられるものじゃない。
事件の日に別の場所に行くように促したり、ましてや監禁したとしても、きっとユリア=アフロディーテは殺される。
だが、ユリアの死を回避しつつ天使を倒すことは容易じゃない。『四王』の協力を得られなかったことでそれは絶望的になった。
だが、彼の顔からは絶望と共に、闘志のようなものも感じ取れた。
こんな状況だというのに、諦めないという不屈の闘志。悪く言えば、往生際が悪い。
もし自分が彼だったなら、同じ行動が出来ただろうか。
そんな考えが頭を過ぎる。
『たすけて……あげて……』
突然、そんな無機質な声が頭に響いた。
『彼を……たすけて……あ……げ……』
ぶつぶつと切れながら響く謎の声。どこか、聞き覚えのある声だ。
そう……それこそ…………
声に動かされるように、レイネはリゲルの前に出る。
どうやらリゲルは考え事に夢中で気がついていないらしい。
まったく……世話がかかる。
レイネは出来るだけ高圧的に言葉を発する。
「あら、随分と焦っているようね」
|宿敵《リゲル=ヴィルヴァレン》に向かって。
☆★☆★☆
両手を組み、いかにも高圧的な態度で俺の前に立つレイネ=ルーズベルト。
またいちゃもんをつけに来たのだろうか?
今はそれどころではないのに……。
「悪いけどお前に構ってる時間はないんだ。後にしてくれ」
「『四王』の協力を得られなかったから?」
「なっ!? なんでそれを」
さてはコイツ、俺のことを覗いてやがったな。悪趣味な。
「覗きとはいい趣味してるじゃないか」
「土下座の方が何倍もいい趣味してるわよ。ほら、しないの? 土・下・座」
「するわけないだろ性悪メイド!」
「あら〜、根暗オタクがなんか言ってるわ〜」
再び視線をバチバチとぶつけ合う俺とレイネ。
「と、こんなことしに来たんじゃなかった」
そう言うと、表情が平時のものに戻るレイネ。
なんだ? 喧嘩しにきたんじゃないのか?
「何か用があるのか?」
「聞きたいことがあるのよ。だからあなたの持っている情報を教えなさい」
「? 何の情報だよ」
俺が問うと、レイネはニヤリと口角を上げた。
「世界の修正力についてよ」