どんな選択をしてもそこに楽しみはあるが
あのときこうしておけば良かったと後悔することばかりだ。
人生の転機に、選択を誤ったり、努力を怠ったりして、いつまでも自分を許せない、ということもある。
自分が諦めた夢を、現在叶えている人を見ると、腑が煮えくりかえる。
そんな自分を変えたくても変えられず、やはりあのとき、こうしなかったからだと、過去と現在の体たらくを結びつけてしまう。
当時の理想からはかけ離れた自分でも、まっさらな目で見れば、平凡なひとりの人間である。
特段、引け目を感じる必要もないし、見返すような大逆転も、もちろんしていない。
それでも、日々の暮らしの中で、楽しいことは無数にある。
それを、この程度のことで喜んでいてはいけない、と蹴ってしまいたくなる。
そういうときだけ、一丁前に自罰的なのだ。
テスト勉強をしなくてはいけないのに、遊んでしまったときの罪悪感は、青少年の心をいみじくも傷つけるものである。
立派ではない大人になった私たちには、遊ぼうと遊ぶまいと、もうテストなど用意されていない。
無数の星が夜空に輝くように、私たちは孤独に生まれ、燃え尽きるだけである。
どんなに愚かで小さくとも、周りにどれだけ置いていかれようとも、名もなき星は、ただそこにいることしかできない。
消えていった同胞に寄り添うこともできないまま、同じ場所で潰えるのをじっと待っている。