09.第二章三話
男達はまさに物語に出てくる悪役の定番のような汚らしい笑みを浮かべていた。それこそあっさり撃退されてしまう雑魚すぎる不成者のような。
ような、ではなくまさにその通りなのだろう。明らかにプロの雰囲気が欠片もなく、怖さもまったくない。足運び、体の軸、格好や武器、どれもが専門性を感じられない。
「釣れたわね」
「驚きです」
ハンナの声音には呆れが滲んでいる。リーゼロッテも同じ心境だ。
人間の中に欲というものがある以上、どんなに治安が良いところにも、悪いことを考える者は必ず存在する。頭の中で描くだけにとどまらず、それを実行に移す愚か極まりない浅慮な者も。
認識阻害の魔法を使っているにもかかわらず、魔力暴走の現場の現状を確認した後から何人かにつけられていたことは、三人ともすぐに気づいた。人が多い場所が得意ではなく体力がないリーゼロッテの休憩のため、人気のない狭い路地に入ったというのもあるが、もう一つはなかなか近づいてこない彼らを暴き出す目的もあったのだ。
しかし、もっと奥に進んでから動くと思っていたが、まさか路地に入ったばかりのこの場で仕掛けて来るとは。
すぐそばの通りは人通りが少ないとはいえ皆無ではなく、この場で助けを叫べば建物に反響し、簡単に通りに届くはずだ。そうなれば誰かがすぐに駆けつける。警備隊が来るのもあっという間だろう。昨日の魔力暴走の件もあって、警備隊の見回りが強化されているのだ。
そんな場所でよくもまあ愚かな真似ができるものだと、リーゼロッテはある意味この愚者達に感心を覚えた。しかも護衛も連れているのに。護衛一人であれば容易に倒せるとでも考えているのだろうか。
昨日に続いて今日。連日厄介なことに遭遇するなど、仕事以外では基本的に引きこもりを極めているリーゼロッテからすると勘弁してほしいの一言につきる。
「やっぱ二人とも美人だな。こりゃ高く売れるぞ」
ぴくりと、リーゼロッテの指が勝手に反応した。不愉快極まりない言葉に眉根を寄せる。しかしクラウスとハンナの方がより大きく反応を見せ、今にも相手を殺さんばかりに殺気立っていた。
「身の程も知らずに下劣な」
「気持ちはわかるが、お前はお嬢様のおそばを離れるな。俺が対処する」
二人の低く苛立ちの滲む声音に、隠そうともしていないぴりぴりする殺気。呼応して魔力が溢れ、冷気が漂う。
これほどまでに表に出ているそれに気づかないはずもなく、とてつもない威圧感に怯んだ男達だったが、数の利を信じて疑っていないのか引く様子はなかった。
「怖いねぇ」
「けど、足手まとい抱えて俺達に勝てるわけねぇだろ」
足手まとい、と。それは間違いなく女性であるリーゼロッテとハンナを指す言葉で、耳にした瞬間、クラウスの纏う空気が更に鋭くなり、男達は身を震わせた。
凍りついてしまいそうな、肌を容赦なくす刺すどころか貫くような殺意。男達の本能が警鐘を鳴らしている。
彼らはようやく気づいた。標的を間違ったことに。手を出してはいけない相手に目をつけてしまったことに。欲望に塗れたお気楽な生活の終焉が、もはや手遅れで避けようもなく眼前に迫っていることに。
他でもない自分達で、引き寄せてしまったのだ。
「このお方を愚弄するとは、余程目が腐っているらしいな」
クラウスは様々な異名を持っているが、身内の中で最も広まっているのは「聖女の番犬」という呼び名だ。忠実な犬のように、主人に仇なす者を排除する。
クラウスの前では、主人であるリーゼロッテに危害を加えようと攻撃の意思を見せることは当然ながら、リーゼロッテを軽んじる言動もしてはならない。番犬の怒りに思いっきり触れる愚かすぎる行いだ。
「分を弁えろ」
音もなく、クラウスは石畳を蹴った。
クラウスが男達に向かってすぐ、リーゼロッテとハンナは背後に気配を感じて振り返った。通りから新たにこの路地に入ってきた男二人が道を塞ぐように立っている。
彼らには気付かれないように、すでにクラウスがこの路地に結界を張っている。関係のない人間を巻き込まないため、近づけないようにしているのだ。その結界に干渉されないのは、明確な意図を持ってこちらに近づいてくる者だけ。そう詳細な調整がされている。
「へへ。さすがに一人でこの人数を相手にすんのは無理だろ」
「残念だったな、お嬢ちゃん達」
どうやらあの五人の仲間らしい。五人がクラウスを引きつけている間にリーゼロッテ達を後ろから捕らえる腹積もりだったのだろう。馬鹿だと思っていたが、最低限の頭は使っているようだ。そんな稚拙な計画がリーゼロッテ達に通用するかはさておき。
男達の視界に映したくないと、ハンナがリーゼロッテの前に出て男達を睥睨する。「目を抉ってやろうかな」と物騒な呟きが聞こえてきたけれど、リーゼロッテは何も言わなかった。仮に何か言葉をかけるなら、止めるのではなく「貴女の手が汚れるからやめたら?」くらいだろう。
自らの欲のため利益のため、平気で罪を犯すような人間達に対する情けなど、リーゼロッテはまったく持ち合わせていない。
男二人が下卑た笑いを晒しながらこちらに近づき、極上の獲物を捕らえようと手を伸ばす。リーゼロッテは彼らに対して恐怖を抱いている様子も焦りを感じている様子もなく、ただただ軽蔑を露にした眼差しを向けたまま、逃げる素振りはまったくない。ハンナも同様だ。
それに気づかず、男達は恐怖で動くこともできないのだろうと高を括り、完全に油断しきっていた。だから、横から物凄い勢いで振られる鞘に収められた剣をはっきり視界に捉える前に、反応する暇もなく顔面に喰らって「ぐはっ!」と後ろに飛んだ。そのまま壁に頭を打ちつけ、二人揃って無様に気絶し、ばたりと石畳の上に倒れ込む。
リーゼロッテはすっと視線を上げる。透き通るように澄んだ金色に映ったのは、先程まで少し離れたところで五人を相手にしていたはずのクラウスだ。
そちらを窺うと、すでに四人は地に伏しており、残る一人は腰が抜けたのか青い顔で震えながら座り込んでいた。完全に戦意を喪失している。
さすがはクラウス、仕事が早い。汗一滴流すことなく、煩わしい悲鳴を上げさせる隙も与えず、数の不利さえものともせずに圧倒したようだ。理性はなんとか働いていたのか、ちゃんと加減もしている。
「お怪我は」
「指一本たりとも触れられていないから大丈夫よ」
クラウスなら余裕で間に合うとわかっていた。だからリーゼロッテもハンナも動かなかったし、危険を自らクラウスに告げることもなかった。この距離でクラウスが気づかないわけがないから。
聖女の専属護衛はそう簡単になれるものではない。クラウスにはそれほどの実力があり、こんな不成者が七人程度集まって多少頭を働かせたところで、クラウスを出し抜けるなど万が一にもありはしないのである。クラウスはただの聖騎士ではなく、聖騎士団一の実力者と言っても過言ではない男なのだから。
身贔屓ではない。リーゼロッテはクラウスを信じていた。その実力を知っていた。ただそれだけのことだ。
ハンナもいるのだからなおのこと、そこらの不成者がリーゼロッテに危害を加えることは不可能だと、自信を持って断言できる。
「残ってるあれもさっさと気絶させなさい。抵抗の意思はもうなさそうだけれど、追い込まれて突然暴れられたら面倒だもの」
「はい」
指示通り残りの一人も流れるように気絶させたクラウスは、全員に拘束魔法をかけて一箇所にまとめて寝かせた。ハンナが底冷えした目で彼らを見下ろしている。
「リロ様のことを知っていて攫おうとしたわけではないでしょうね」
「こいつらが口走っていたことを信じるならそうだな」
クラウスとハンナは同意見のようだ。リーゼロッテも異論はない。髪も瞳の色も変えているのだから、顔でも知られていない限り聖女だと気づけるはずもないのだ。
「リロ様が自ら認識阻害の魔法を使っておられたのに、彼らにそれを無効化できるほどの力量があるようには見えないのですが……」
「そこも疑問だけれど、そもそも人身売買は重罪なのに、こんな場所で攫おうとするなんて……よほどの馬鹿か常習犯か、どちらかしら」
「弱いくせに慣れているようではありましたね」
魔法を使うまでもなく一人であっという間に全員を倒したクラウスが強すぎるというのもあるが、どうも手応えがなさすぎる。実力が伴っていないのに行動が大胆で、愚行に違和感が残る。不成者とはこんなものなのだろうか。
リーゼロッテが一瞥すると、クラウスは心得ましたとばかりに一度頷き、屈んで男の懐を漁った。何かを見つけたのか一度動きが止まり、取り出したそれを視界に捉えたハンナが目を丸める。
「それは」
「魔道具ね」
魔道具は手頃な値段のものから高価なものまで種類が豊富で、普通に露店や専門店で売られている。魔道具自体は珍しいものではない。
他の連中のポケットも探ってみれば、全員が所持していた。
一見ただのアクセサリーにしか見えない、ネックレスタイプの魔道具。クラウスはそれを横や前後等、いろんな角度からじっと観察する。
「どう?」
「……かなり高度な魔法耐性の術式が組み込まれています。認識阻害の効果を薄めていたのでしょう」
髪色や瞳の色を変える魔法は直接本人にかけられているものだが、認識阻害は本人を中心とした周囲の空間や他者の感覚に干渉して効果を発揮する魔法だ。この魔道具との相性は悪い。
「造りが良さそう……こんな男達が何個も買えるような値段のものではないわね」
「背後関係が気になるところです。とりあえず、見回りの騎士を呼んで引き取ってもらいましょう。詳しく取り調べる必要がありますから」
騎士を呼ぶのは近くの人に頼む手もあるが、接触する人数はなるべく少なく済ませたい。そうなるとこの三人の中の誰かということになるが、もちろんリーゼロッテは候補には入らないため、二人のどちらかになる。
「では私が警備隊の騎士を呼びに行って参りますので、リロ様とクラウス様はこちらでお待ちください」
「ああ、頼む」
「お願いね、ハンナ」
ハンナから雑貨店の紙袋を受け取り、他の荷物は邪魔にならないよう、壁の方に寄せて石畳の上に置いた。
「お嬢様」
ハンナが大通りに消えた後、近くの木箱に腰掛けたリーゼロッテをクラウスが心配そうに窺う。
「大丈夫ですか?」
「……大丈夫よ。貴方がいるんだもの」
静かで凛とした、よく通る声で答える。
強がっているわけではない。聖騎士団最強の氷の聖騎士がそばにいて、怖がることなどないのはただの事実だ。
「この数で瞬殺なんてさすがね。ありがとう」
「お嬢様をお守りするのは俺の役目ですから」
迷うことなく彼は言ってのけた。
彼にとって聖女の護衛は、仕事と言うより己に与えられた使命のようなもの。失態など決して許されない、やり遂げるべき義務。
「……そうね」
それだけだと知っているから、今更傷つくことなどないはずなのだ。